「破軍の星」北方謙三

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★★★ 集英社

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北方謙三は「道誉なり」に続いてこれが2冊め。ようやく文体の雰囲気がつかめてきました。
感情を抑えたハードボイルドタッチといえば、確かにそうですね。

そもそもは北畠顕家というスター武将、一瞬の輝きで散った青年(ゴトウクミコ似)のプロファイルを知りたいという動機だったんですが、そういう意味では無意味でした。生きた資料がないんでしょうね。顕家に限らず、南北朝のあたりを描いた小説はみーんな苦労しているような気がします。

で、北畠顕家。16歳のお公家さんが陸奥守に任ぜられて東北へ下る。ふつうに考えたらお飾りですよね。でも本物のお飾りはもう一人いて、えーと、義良親王ですか。阿野廉子が生んだ子供。あとで南朝2代目の後村上天皇になる人です。だしか村松剛が「帝王後醍醐」で「阿野廉子の生んだ親王たちはみんな父に忠実だった」とか書いていた記憶があります。()

そんな16歳のお公家さんがどうやってごちゃごちゃの東北を数年でまとめあげ、おまけに記録に残る疾風怒濤の西上をしたのか。わかりません。この「破軍の星」では例によって山の民みたいなのが強力にアシストしてくれる設定になっています。

で、陸奥から京への歴史に残るスーパー強行軍。強行軍というより、戦いながらの連日フルマラソンですわな。馬に乗ってる連中はまだしも、大部分の兵士は自分の足しかないです。食うものもなく、真冬の雪と北風の中をひたすら走り抜けたんでしょう。すごいです。これも詳細は不明で「犠牲は多大だったが、とにかくやったんだ」というスタイル。

で、足利尊氏をコテンパンにやっつける。やれやれ陸奥に帰って、ようやく落ち着いて奥州鎮撫を再開しよう思っていると、すぐさま不死身の尊氏が勢いを取り戻して都に戻ってしまう。あわてて吉野に逃げていた後醍醐は「チョウテイ アブナイ スグカエレ」と矢の催促。催促してればいいんですから、ま、気は楽です。

かなり迷惑な話なんですが、そこは忠臣。仕事もそこそこにまた京へ進軍。こんどは足利方の大軍がしっかり待ち構えてるんでかなり苦戦です。でも天才だから鎌倉はあっというまに破って都のすぐそばまでなんとか迫って、しかしここでついにストップ。ストップすると、勢いは急に止まります。

朝廷連中の身勝手と堕落にあんまり腹が立って、で有名な「諫奏状」を後醍醐に出したりもしたようです。もちろん楠木正成の「尊氏和睦 京都撤退」の進言と同様、歯牙にもかけてもらえなかったでしょうけど。で、いろいろあった末、最後は高師直の大軍に絶望的な突進をして散華。享年21歳。たぶん満年齢なら実質は20歳か19歳。

どんな人物だったのか。なぜ強かったのか。この若さでなぜ政治手腕があったのか。こういう詳細部分はなーんもわかりません。書いてないんだもの。北方謙三の描く顕家は10代にして老成・沈着、果敢にして感受性豊か、合戦の駆け引きは大ベテランで武芸も達者なカリスマ、おまけに胸に矢を3本受けてもすぐ復活する驚異の肉体。完全に突然変異出現、悲劇のスーパーヒーロー。

面白く読みましたが、そういう意味でもの足りませんでした。

勘違い。阿野廉子じゃなくて「二条為子の生んだ親王たち」でした。部屋住の後醍醐が初めてねんごろになった女性らしい。歌人だと書いてありました。