「日露戦争史 1 2」 半藤一利

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nichirosensoushi.jpg★★★ 平凡社

半藤一利の講談本ですね。上下巻。内容はもちろん真面目に書いてますが、ひんぱんに脱線する。調子に乗ると扇子をバンバン叩いて、余計な話もする。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」とあわせて読むと面白いのかもしれません。ちょうど補完するような内容です。「坂の上の雲」のちょっと感動的すぎるようなエピソードとか史観とかに、ちょくちょく水を差す。

たとえば司馬本ではちょっと出来すぎの感のあった児玉源太郎も、実際には間違いもたくさん犯したし、いつもいつも大局を見ていたわけではない。あるいは山縣有朋桂太郎にしても、 100%いいかげなん男でもなければ困ったオヤジでもなかった。彼らなりの責任感。

いちばんびっくりしたのは、旅順攻略でのエピソードでした。203高地を重点攻略目標に転換するはるか前に占領した海鼠山。ここからは旅順湾が実はけっこうよく見えた。で、ここを観測地点にして試しに砲撃してみたというんです。その結果として、停泊していたロシア軍艦がかなりのダメージを受けていた。爆発が怖くて艦砲を陸揚げした艦艇もあった。要するに実質的には湾内の艦船が役に立たなくなっていた。

ただ惜しむらく、砲撃は継続しません。そんなに効果があったとは誰も知らなかったし、念のために調べてみようとも思わなかった。れいの28サンチ榴弾砲にそんな威力があったとも思わなかった。そもそも陸軍の目的である「旅順攻撃」の本筋とはあんまり関係ない(と第三軍は思った)。

「この被害の影響でロシア水兵の捕虜が増えていたはず。だれか真剣に尋問してみれば砲撃効果が確認できたのに」と半藤さんは言います。結果論ですが、わざわざ203高地を焦って攻めなくてもよかったのかもしれない。もちろん203高地の占領で観測砲撃が完全となったのは間違いないでしょうけど。

ま、そんなことより大衆と新聞ですね。新聞が煽りたて、アホな評論家や識者が乗っかり、民衆が調子に乗って騒ぐ。三拍子の揃い踏み。少しは反戦派新聞もあったらしいけど、そんな新聞は売れ行き激減でみんな最後は節を曲げた。筆は1本箸は2本、かなうわけがない。理想を言ってたら喰えなくなる。

民草愚民のみなさんは、勝ったといって提灯行列。負けたといってブーブー騒ぐ。出没するウラジオ艦隊を上村艦隊がいつも取り逃がしてるってんで、上村彦之丞の家に石を投げる。旅順が落ちないといって乃木将軍の自宅を取り囲む。子供を戦死させたばっかりの乃木夫人は泣いてる暇もなく雨戸を閉めて身を縮めていたそうです。

もちろん政治家や軍首脳連中も同じようなもんで、何かというと仲間割れしちゃそのたびに大騒ぎしている。ま、それでも太平洋戦争の頃に比べれば雲泥の差。かなりマトモと評価すべきレベルだったらしい。昭和の軍人はよっぽど酷かったんでしょうね。この日露戦役で少尉とか中尉クラスだった連中が参戦でハクをつけて出世、後の太平洋戦争では中枢部になっていた。半藤さん主張の根幹は「日露勝利でいい気になった。論理的分析を放棄して、精神論だけが一人歩きをして太平洋戦争になった」ということらしい。根拠のない成功体験にしがみついて、理性的に考えることがなくなった。

話は違いますが、ここ数十年、天下の大新聞がよく「二度と過ちはおかしません」とかきれいごとを言ってます。あの頃はつい乗っかって戦争協力してしまったけど、猛省したから次は大丈夫ですとか。

たしかに、そうあらまほしきものですが、でも大衆受けしそうな方へついつい舵を切ってしまうのはマスコミや政治家の天性宿命。眉にたっぷりツバつけて、なおかつ決して信用しないがいいでしょう。もちろん自分を含めて、国民大衆も同じことで、みんなニッポンは絶対正義だと思っているし(当然そう思いたいですわな) 断固たる景気のいい話が大好き(自分も好きです)。辛抱して仲良く地道になんて論調は好かれません(だって面白くないもん)。

人間、あんまり信用できるもんじゃないようです。ま、日本に限った話でもないでしょうけど。