江戸時代の御乳持(おちもち)

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偶然ながら「歴史REALWEB」というサイトを発見しました。官兵衛の悪口書いてるサイトはないかなと探した結果です。なんで悪口を探してるのか。本当は自分で書きたいんですが、書いてると哀しくなってくる。イジイジ小うるさく文句いってる小姑みたいに思えてくる。だから(あまり)自分では書きませんが、誰かと一緒になって「あれは酷いよね」と悪口酒でも飲みたいような気分もある。かなりみっともない態度です。恥ずかしい。

それはともかく。その「歴史REALWEB」にあったページ。「御乳持(おちもち)」のお仕事という記事が面白かった。

だいたい想像できるように、いわゆる乳母です。高貴なお方の幼児に乳を飲ませる。しかし「乳母」ってのは、けっこうな格式で、徳川期、実際に乳を飲ませるのはもっと卑賤な女の仕事だったらしい。ということで、将軍家の場合は御家人の妻なんかから募集をかけて「御乳持」を厳しく選考した。給与はかなり良好で、ま、貧乏御家人の家にとってはおいしい仕事です。

しかしたいていの御乳持は長続きしない。飯は上等だけど冷えきっているし、男どもと同じ場所で食べさせられた。そりゃジロジロ見られて気が張りますわな。一応ははまっとうな武士の妻です。同僚の女と気楽に話しながらという環境でもなかっただろうし。

おまけに幼児を抱かせてもらえない。添い寝もできない。卑賤な女に情がうつってはいけないという理屈です。春日の局の事例で懲りたのかもしれません。授乳のさいは覆面だったともいいます。

どっかのサイトには「乳母」が抱き上げて乳持の乳房に吸いつかせたとも書いてありました。授乳マシンあつかい。肉体的な接触をさせない。で、これらを管理しているのは官僚気質で子育て経験のない大奥女中連中ですから、子供が満足しようがしまいが一定の時間がたつと引っぺがす。飢えてギャーギャー泣いてもおかまいなし。親子がベタベタするのは卑賤の悪習慣、です。

広い座敷の真ん中に幼児を寝かせていたともいいますね。狭い寝室でだれかが添い寝なんてとんでもない。だから冷えて風邪をよくひいた。要するに将軍家の子供ってのは慢性的な栄養不良、誰とも精神的なつながりを持てない、おまけに決定的な運動不足。こんな環境で健やかに育つのは無理です。だからデキの悪いのばっかり育った。

というわけで、ストレスが嵩じてたいていの御乳持は乳が止まってしまう。たぶん四六時中周囲から監視されているような環境だったんでしょうね。お湯一杯飲むのも勝手にはできなかったそうです。で、3カ月もすると痩せこけて(たぶん)罷免。で、次の御乳持に交代。母乳の味も変わります。子供は戸惑ったでしょうね。

さすがにこれは良くないと考えた閣僚もいたらしい。御家人ではなく御目見得の妻女から採用したらどうか。旗本の妻なら仮に子供がなついたとしても、ま、それほど悪影響はないだろうし、教養ある御乳持ならそれを悪用したりもしないだろう。動物だって鳥だって親が子を抱いたり翼の下に囲ったりは自然の理。ましてや人間なんだから、やっぱ抱いて授乳したほうがいいんじゃないだろうか。もっともな改革案ですが、いろいろあって、結局うまくいかなかったそうです。

大奥のやることにクチバシを入れて成功した幕閣はほとんどいなかったような気がします。女性を敵にまわしちゃいけない。