「メディチ家の黄昏」ハロルド・アクトン

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★★ 白水社
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フィレンツェのメディチ家ってのは有名です。ルネサンス大スポンサー。去年フィレンツェに行ったとき迷い込んだウフィッツィ美術館の所蔵品はべらぼーな豪華さでした。たかがトスカーナ地方の支配者でしかないですが、毛織物と金融業ですごい財を蓄積したんですね。

しかしブイブイ言ってたメディチ家がその後はどうなったか。それは知りません。たいていの人は知らないと思います。で「こんなふうに衰退したんだよ」というのがこの本。

17世紀、フェルディナンド2世の治世から始まります。ちょっとディレッタント気味で悪い領主ではなかったようですが、ただ奥さんに頭が上がらなかった。で、息子(コジモ3世)の教育をその奥さんにまかせっぱなし。奥さんは信心深く(言葉を変えれば迷信深く)、もともとその性向があったコジモを極端な信仰の人にしてしまった。

信仰が悪いわけじゃないでしょうが、トスカーナのような微妙な位置にある領主としては、いろいろ問題が生じます。聖職者を大事に優遇しすぎる。町中が坊主だらけになってしまった。ユダヤ人をいじめる。経済活動が途絶えてしまった。市民がみだらな行動をとらないように厳重にしめつける。活気がなくなった。それとは関係なく、トスカーナ大公としての対外的プライドだけは過大。重税を課し、やたら金を使う。豊かだったはずのフィレンツェ市民とトスカーナは極度の貧困にあえぎます。

おまけにフランスからもらった奥さんとの相性が最悪で、水と油。気が強くて超活動的な奥方と、陰気でお寺参りだけが趣味の亭主です。まったくうまくいかない。で、子供3人産んでから奥方は勝手にフランスに逃げてしまった。修道院にこもって、というより修道院を牛耳って、勝手気ままに生涯を終えた。

残された子供は3人。長男はだらしなくて、結局梅毒(たぶん)で死亡。娘はドイツ(神聖ローマ帝国)の諸侯に嫁入り。気の弱い次男もカントリー志向の強情なドイツ女と結婚する羽目になって、うんざり自堕落に生き続ける。最終的にこのアル中の次男が次のトスカーナ大公を継いだんですが、子供を作る気もなくて、ここでメディチ家の跡継ぎは途絶える。

難しい時代だったんだと思います。フランス、スペイン、神聖ローマ帝国。そしてローマ法王。大国が複雑なチェスのような外交を繰り広げていて、甘い考えの小さな国なんかズタズタに食い荒らされる。で、コジモ3世はこれに対抗できるような人ではなかった。子供たちも意欲をもって建て直そうというような気持ちを片鱗も持っていなかった。なるようになれ・・という気分。

最後の大公となったジャン・ガストーネという人、実はけっこう興味深い人格です。何もやる気がない。手紙を読むと返事を出さなければならないから、手紙は読まない。体を洗うのは面倒だから洗わない。大酒飲んでゲロ吐いて、そのまま汚いベッドに寝る。権威という権威をコケにする。道化のような乱暴者たちを集めて馬鹿騒ぎするのだけが楽しみ。

こうしてメディチ家の支配する花のフィレンツェは終焉。ただし大量の財宝や美術品は、未亡人となってドイツから戻ってきたしっかり者の娘が「フィレンツェから持ち出してはならない」という条件でトスカーナ政府に寄贈する遺言を残したため、幸いなことに散逸をまぬがれた。

そのおかげで、世界中の観光客はフィレンツェを訪れるわけです。もし娘と息子が逆だったらどうなったか、それはまた不明。


そうそう。もう一人犠牲者がいました。コジモ3世の弟だったか叔父だったか。コジモとは正反対で陽気、享楽的。枢機卿になって、よく食べよく飲みよく遊び。生活を楽しんでいたんですが、メディチ家の跡継ぎが望めなくなったってんで無理やり還俗させられ、年取ってから望まぬ結婚をする羽目になった。本人は不幸だったし、結婚させられた若い娘にとってはもっと不幸。(享楽坊主だったからたぶん悪い病気をもっていた。恐怖の同衾)

結婚して数年で死にました。もちろん子供なんて作れませんでした。可哀相に。
(フランチェスコ・マリア・デ・メディチという人です。英語や伊語版Wikiには出てきますが、なぜか日本語版には記事なし。Francesco Maria de' Medici)

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