「城塞」司馬遼太郎

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★★★ 新潮文庫
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ずいぶんカバーが汚くなってる。えーと、もちろん再読ということはなくて、3回目くらいでしょうか。4回までは読んでいない気がする。

あらためて通読。意外に細部を忘れていました。なんとなく記憶に残っていたのは(一応)主人公の小幡勘兵衛とか大阪城の女房衆である夏とかのお話。ま、どうでもいい部分です。肝心のメインストーリー詳細はほとんど記憶なし


この本では家康がずいぶん腹黒親爺として描写されています。ま、それに近かったことは事実でしょうけど。で、淀の方が完全にアホ扱い。これもほぼ正鵠を射ているんでしょう。他の人たち、たとえば大阪方の実質的責任者だった片桐且元なんかは可哀相な人です。一応は賤ヶ岳七本槍の武将なのに、似合わない時代に似合わないことをやらされて、両方からいじめられる。酷い目にあった。

大野修理という人もそうですね。なりゆき情勢から、まったく資質にあわない仕事をやる羽目になった。平和な時代に官僚やってれば、それなりに有能な人だったんでしょうけど。

真田信繁(幸村)という人、城に入った時点でどれだけ影響力というか勢力があったのか不思議です。父の昌幸は表裏比興の者として天下に名を轟かせたわけですが、次男の信繁ははてどれだけの名望があったのやら。たぶんゼロに近いでしょうね。いっしょに城に入った将兵の数もたいしたことはなかっただろうし。

それとも昌幸配下の兵はほとんどが浪人していて、それが次々と集まってきたんでしょうか。関ケ原終了の時点で長男の信幸は可能なら父の部下を全員召し抱えたかったでしょうが、やはり徳川家に対しての遠慮があって控えたのかもしれません。

真田信繁にしろ後藤又兵衛にしろ、大坂城首脳部からすればまったく信用できない連中でしょう。みんな食い詰めの浪人連中。ただそうした食い詰め浪人に頼るしかなかったのが大阪方の実情です。頼るしかないなら腹をくくって完全に任せればいいんですが、その度胸もない。常に中途半端に任せた。

冬の陣、夏の陣、真田や後藤、毛利勝永などが意外に善戦して、家康本陣にも迫ったというのは不思議な現象です。徳川方があまりに大軍すぎて、戦う意欲もあまりなかったと考えるのが正しいのかな。

とくに外様大名はあまり働きすぎても政治的によくない。だから形だけ陣を敷いて、形だけ戦っていた。そんなふうに自分たちはたいして本気ではないのに、空気の読めない真田とか後藤の死兵が目の色変えて突進してくるんで閉口した。そんなところでしょうか。徳川譜代の連中もみんな代替わりして、そろそろ軟弱平和ボケしかかっていたのかもしれない。

秀頼、最大の機会だった関ケ原では城からまったく出ることなく、結果的に三成を見殺しにした。冬の陣でもなにもせず。完全敗北しかなくなった夏の陣でようやく出陣しそうになったけど、ここでも母親に止められて結果的に無為。何もしないまま煙硝蔵の中で自害。不完全燃焼の人生です。ただ育ちが育ちなんで、それを悔しいと思ったかどうかは不明。

冬の陣のあとの信繁が、兄の部下を訪ねていろいろ父親の昔語りをしたとか、最後の突撃の前には娘を敵将(片倉小十郎)にゆだねて逃がしたとか、初めて読んだような気がします。そういう人だったんだ。


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