「ほんとうの中国の話をしよう」余華

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★★★ 河出書房新社
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人民、領袖など10のキーワードによるエッセイです。

文革が始まったとき余華は6歳。数歳上の兄を英雄のように眺めながら、子供も子供なりに当時の空気に浸ります。街では男たちが殴り合い、昨日勝ち誇っていた英雄が今日は打倒される。親しい友人の父がいきなり走資派としてさらされる。子供たちも尻馬にのって走り回ります。

ほとんどの男どもが自己批判させられましたが、なぜか余華の父はそれをまぬがれてしまった。偶然でしょうね。しかし、だからといって自己批判しないことは危険です。賢い父は母と相談し、一家で批判集会を開きます

家族が次々と自己批判します。よく理解できていない子供も「なんか言いなさい」と勧められて、必死になって批判する。全員が軽い罪を告白し、批判し、やれやれ。批判内容を壁新聞に書き出します。

これで世間に対して「批判集会を開きました」と胸を張って言えます。よかったよかった。子供たちは新聞を外に貼りだそうと提案しますが、それは少し困る。父母は適当な理由で言いくるめて、新聞を子供の寝室に貼ることにしました

なるほど。なんとなく中国人民は保身のため相互を打倒していたのかと思っていましたが、かならずしもそればかりではない。半分くらいは「これは正しいことだ」と感じていたんじゃないだろうか。半分は保身、半分は正義感

壁新聞、最初のうちはともかく、そのうち嫌いな隣人への誹謗中傷もけっこう出てきたようです。嘘でも本当でも、書かれてしまったらオシマイ。貼りだした新聞を剥がすのは反革命行為なので、あわてて新しい壁新聞をつくって上に貼ったりする人もいた。

打倒というやつ、ぶん殴って結果的に死ぬのは問題ないですが、刃物を使ったという話はあまり聞きません。以前から疑問に思っていましたが、紅衛兵同士の争いでは、銃弾をつかったケースもあったらしいです。やはり。どっかでは敵対する紅衛兵基地を破壊するために砲弾を使用した例もあったとか。

そして領袖毛沢東死去のニュースが高校二年。そうか、小学一年から高校生までの間、ずーっと文革だったのか。余華少年、もちろん勉強なんてほとんどしていません。ひたすら遊び回っては「正義」のために革命していた。少年たちは早朝、食料キップを換金(違法です)しようと町にやってきた貧しい農民をつかまえては叩きのめす。意気揚々です。後年、この思い出は余華の心に深い痛みとなって残ります。

そうそう。余華は歯科医です。当然都会のエリートかと思っていましたが、実際には高卒の「抜歯職人」のようなものだった。給料も工員とまったく同じです。毎日々々ペンチで腐った歯を抜いていることに耐えられなくなって、やがて壁新聞の経験を生かして小説を書き始める。虫歯屋の境遇からの脱出です。文革が終わった当座はとにかくみんな活字に飢えていた。だから投稿原稿でちょっと良ければすぐ採用してもらえた。その短期の好機を生かすことが出来て作家となった。

英訳本を評して、ヘミングウェイの文体を連想させると言われることがあるそうです。余華曰く、要するに使っている言葉が難しくない。平易。「自分は十分に勉強できなかった。だから知っている言葉を使って書くしかなかったのだ」。短所は長所に変じることもある。いい例なんだそうです。

天安門事件についてもしっかり触れています。こんなに書いて大丈夫なのかなというほどですが、やはり国内では刊行禁止処分らしい。ただ台湾では刊行されたそうです。また中国本土でも読もうとすればネットを通じて読めるとか。

他にもいろいろ感じる部分の多い本でした。読んでよかった。