「長宗我部最後の戦い」近衛龍春

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★★★ 講談社
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書き下ろしのようです。「最後の戦い」ですから、主人公は長宗我部盛親。大坂城にこもった武将です。

長宗我部と島津はよく似ていますね。それぞれ四国、九州を併呑する寸前に秀吉のストップがかかった。片方は南海の僻地、片方は九州南端。よく言えば勇猛果敢であり、悪く言えば視野が狭くて遅れている。誤解を恐れない言葉で表現するなら、野蛮人。

長宗我部といえば元親ですが、島津戦役で期待の長男をなくしてからボケたというのが定説です。それから例によって跡目を決めるのにグズグズして、結果的に三男(だったかな)の盛親と孫娘(長男の娘)を結婚させることにした。叔父と姪の結婚です。ちょっと近すぎるので、反対も多かったんですが、たぶん最愛の長男の血筋を残したかったんじゃないか。

つまり、盛親はたいして期待されていなかった。ま、そういう解釈です。

なんせ土佐の田舎もんなんで、政治的な外交感覚に乏しい。で、関ヶ原での立ち回りに失敗して、心ならずも西軍に属する。なーんもしないうちに敗軍ということになって、土佐へ逃げ帰る。で、かなわぬまでも徹底抗戦・・・の決断もできず、マゴマゴしているうちに改易。

島津にとって、この長宗我部の扱いは非常に参考になったらしい。同じ轍を踏むまいとして島津は粘りに粘る。結果的に島津は温存です。島津が得をした。長宗我部は大損した。こんなことなら関ヶ原で決断して突撃するんだった。もしそれができたら結果は違っていたかもしれない。えーい、悔いが残る。

ま、その後はご存じのとおりで、寺子屋の師匠をしていた盛親は請われて大坂城に入る。冬の陣、夏の陣、それなりに奮戦しますが、最後はどうにもならず脱出して、捕まって、二条城の城門にさらされてから首を刎ねられる

この時代、上手に世の中を渡るってのは難しいですね。不本意な人生を送ってしまった武将のお話でした。近衛龍春、そういう辺境の気の利かない武将を好んで書いています。


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