「繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史」マット・リドレー

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★★★ 早川書房
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楽観論による人類未来展望です。

人類発祥以来、なぜ特定のグループだけがこんなに繁栄できたのか。それは脳細胞が急に増えたからではないし、農耕を知ったからでもない。ひとえに「交換」によるものだと主張します。

なるほど、という説得力はありますね。小さな集団がどんなに頑張っても、食べるだけで精一杯。たとえば石器をつくるにしても、そんなにエネルギーを割くわけにはいかない。なにしろ忙しいですから。ササッと割って叩いて、ある程度使えるものができればそれで十分。もう少し工夫してみたいなあ・・と思っても「おい、狩りにいくぞ」と言われればそそくさと出かけるしかない。

しかしグループの構成員が多くなると、専門家の生じる余地が生まれます。あいつは狩りは下手だけどナイフを作るのは上手だからなあと許してもらえる。そうやって効率のよい石器を作ることができるようになる。結果的にグループ全体の獲物も増える。ただし環境が変化して獲物が少なくなれば、「専門家」に只飯を与える余裕はなくなり、すべてもとの木阿弥。発明・新技能は消え去り、それが共通の「文化」になることはない。

理由は不明ですが、そのうち「交換」という概念が生まれる。あるグループは狩りに専念する。あるグループは漁が得意。あるグループはケモノの皮をつかって暖かい衣服を作れる。自分たちだけですべてをまかなう自給自足にくらべて、はるかに効率がよくなる。しかも専門技術はどんどん進化し、伝承される

交換とは、いわば他人の労働時間を買うことです。同時に、自分もまた他人に時間を売る。分業制。ふつうの人間がいわば何人もの「奴隷」を使い、同時に自分もまた他人の「奴隷」になる。そして多くの学者たちが主張するよりはるか早期に「交換」は成立していたのではないか。交換という文化が一般化すると、そこに「都市」が誕生する。交換の中核となる場所があると、非常に効率がよくなります。

著者の主張では、「農耕がひろまって都市が誕生」ではなく「農耕普及以前の段階ですでに都市が誕生していた」ということのようです。栗林を育ててから三内丸山が成立したのではなく、交易拠点として三内丸山が誕生し、その後で栗林を造成した。

というわけで、人類はひたすら「交換・交易・分業」によって繁栄してきた。ただしそれを邪魔する存在もあり、たとえば強権国家、商業の規制、詳細なルール作り・・などなど。大きな国家が誕生して国内が平和になると交易がさかんになり、栄えます。しかし必ず過度の王権や官僚や宗教、重税、支配者の強欲によって規制・阻害される。規制されて自由な発明・商業が力を失うとやがて国家も滅亡する。

国家は大きくなりすぎないほうがいい。ただしあまりに小さく分割されるとそれはそれで関税障壁が多くなりすぎて衰退する。だから中国史でみると強大な「明」は衰退した。むしろ三国時代のほうが発展していた。つまり最低限、自由な交易を保障する程度のドングリ国家がたくさんある状態が望ましい。

インターネットで世界中がむすばれた現在、いわば世界中の人間たちが交易可能な状況です。どんな発明でもアイディアでも、あっというまに伝播する。すべてはどんどん改良され、世界中の人間の欲望は果てしない発展へと猛進する。

要するに、国家は民主主義的環境と最低限の安全を保障してくれるだけでいい。政治家や官僚はそれ以上余計な干渉をするな。レッセフェール。欲望というエンジンで世界は無限に発展している。これまでもそうだったし、これからもそうだろう。

ま、そんな主旨の本でした。これから人類や地球がどうなるのか、いろいろ悲観論は多いですが、著者はすべてを一蹴します。人類には知恵がある。欲望がある。たとえば豊かになると人口膨張はおさまります。石炭、石油。どんどん使えばいい。農作物から燃料を作るなんて本末転倒で食料高騰と森林破壊をまねくだけ。コストが合わなくなれば必ず他のアイディアで出てくるはず。そもそもいつの時代でも悲観論者は大きな顔をしてきた。そうした評論家・学者・政治家の言葉が正しければこの世界は何十回も破滅していたはず。

そういうわけで、ちょっと乱暴な感じもありますが、なかなかに面白い一冊でした。少なくとも論旨は明快。人間=交換する動物、ということですね。


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