「群雲、関ヶ原へ」岳宏一郎

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★★★★ 新潮社
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ふと気が向いてこの分厚い上下本を。いったい何回読んだのか、カバーがボロボロです。上巻なんかずいぶん前からむき出しになっている。

ご存じの方はご存じでしょうが、関ヶ原の決戦へ向けて右往左往する戦国群像劇です。書き出しは蒲生の移封決定から。そして上杉景勝が越後から会津へ移る。登場人物は何十人いるか数えたこともないですが、主役というか登場回数が多いのは家康、景勝、石田三成など。もちろん前田利家、真田昌幸、黒田官兵衛なども主要メンバーです。

内容はいわゆる通説+独自資料。それを土台にして著者がそれぞれの人間性を自由に解釈して叙述する。武将たちの思考と行動はあくまで戦国ふうであり、しかし決して類型化しない。みーんな自分第一、生き延びるために必死。嘘もつくし裏切りもする。特に悪い奴もいないし、善人もいない。人間臭さが非常に魅力的です。

たとえば家康はけっこう愛嬌があります。ウナギのように胴長で、嘘が下手で不器用で吝嗇で、ずーっと律儀を売り物にして過ごしてきた。臆病なんだけど、追い詰められると意地になって居直る。ヤケになる。関ヶ原で本営をあんなに突出させたのも、たぶん半分はヤケです。死ぬか生きるかの大博打。

三成はだいたい想像通りの正義漢ですが、決して善人なんかじゃない。べらぼうな策士。そして超有能。あんまり嫌われてるんで、逆に家臣たちには妙に愛されている。庇護の対象という感じでしょうか。かなり可愛いです

あまり知られていないマイナー武将たちを描いた章が特にいいですね。たとえば選りすぐりの寵童たちを着飾らせて連れ歩くのが好きだったバブリーな安国寺恵瓊とか、思案のときには唇の薄皮を剥く癖のあった海賊衆の九鬼嘉隆とか。息子たちを犠牲にしてまで、敢えて展望ゼロの大坂城に入った老将(氏家行広)とか。人間ってそういう部分、あるよなあと感じさせる。

奉行職筆頭格だった浅野長政もいいですね。彼の目には太閤の死後、次は家康ということが分かりすぎていた。しかし豊臣と徳川が対決した場合、自分の立場は非常に難しい。なにしろ長政は高台院(北政所)の義理の弟です。というわけで、訳のわからない家康暗殺計画に連座させられたとき、内心喜んで身をひいた。関東に隠遁したんだったかな。政争の表面から姿を消し、家康に従う形になれた。で、豊臣政権で要職にあった人物としては非常に巧みに生き延びて、たしか息子は和歌山城主。

で、著者によると秀吉にとって「木下一族」は信頼できる縁戚でもあり、目障りな集団でもあった。この一族のリーダーは正妻の北政所です。女房の実家関係というのは頼りにもなるけど、あんまり図に乗らせたくない連中でもある。こういう視点はなかなか面白いですね。

同じ木下一族として、伏見城の責任者だった木下勝俊という人も登場。えーと、なかなか面倒ですが、たぶん松の丸殿(京極竜子)の連れ子で、秀吉の指示で木下家へ養子にやられたという解釈。したがって小早川秀秋とは一応兄弟。北政所が義理の叔母。この時代、縁戚関係が非常に複雑です。

で、東西手切れで三成が伏見城を攻めた際には、攻める側が小早川秀秋、守る側が木下勝俊。やってられないです。軟弱な勝俊はさっさと逃亡した。あるいは家康が派遣した守将の鳥居元忠に追い出された。その後はいろいろあって、結果的には叔母さんの庇護のもと、悠々と歌を詠んで過ごした。けっこう有名な文化人らしいです。

この本、何回も読んでいると、著者の解釈がちょっと強引に感じる部分も出てきますが、ま、それでも名著であることに変わりはない。司馬遼太郎の「関ヶ原」あたりを先に読んでおいたほうが楽しめるかもしれません。

それにしても「群雲、大坂城へ(仮題)」はまだか。