「父を想う」閻連科

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★★★★ 河出書房新社
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閻連科は「愉楽」の人です。マジック・リアリズムとか称されて、たぶん悪くはない小説なんでしょうが、個人的にはあまり合わなかった。

で、この「父を想う」はタイトル通りで亡き父や伯父、叔父たちについて書いたもの。回想といってもいいかもしれません。前書きによると、叔父の葬式で帰ったとき姪から「連科兄さんはいっぱい本を書いてるけど、私たちのことを書いたことはないわよね。みんな亡くなって迷惑かけることもないし、書いてみたら」と言われた。

確かにそうだ。父は早くに亡くなった。伯父は不自由な体にはなったが長生きした。そして叔父もまた亡くなった。父の兄弟はみんないなくなってしまった。はてしない忍耐の人生。生きること、労働、尊厳、死。いろいろ考えます。気負わず、書き残しておくことも必要なのではないか・・。


飾ることなく、生き抜く農民の暮しを描いた、いい本です。とくにドラマチックなことは起きませんが、余韻が深く残ります。

考えてみると、これ、農民の人生なんですよね。いままで読んだ賈平凹(老生)とか余華(血を売る男兄弟)などなどの場合、舞台は農村のようですが、実は違う。農民たちが集まるような小さな町の話でした。だから登場人物も町工場に勤めていたり、小売り店だったり食堂だったりしている。純粋な農民とは、やはり少し違う。つい似たようなものと思ってしまいますが、実際にはかなり違う。

地面に這いつくばった惨めな農民の生活を描いたのは、この閻連科と莫言くらいでしょうか。

新生中国、農民は貧しいです。飢餓の3年をなんとか生き延び、朝から夜まで身を粉にして暮らしている農民にとって、中央のことなんてまったく関係ない。生きることだけで精一杯。ある日とつぜんお役所から「大学入試ができるようになった」とか「張、姚、江、王の四人組が・・」と知らされても、何のことか見当もつかない。

家が貧しいため著者は高校中退ですが、ある日突然受験できる知らせを受けた。入試といっても毛沢東を褒めたたえる作文を延々と書くんですが、うっかり志望を「北京大学」にしてしまいます。さすがに北京大学は難関。あえなく失敗。しかし他の大学の名前なんてまったく知らないので仕方ない。

父も伯父も子供たちが結婚できるようにするため、必死に働きます。娘には嫁入り支度を整えてやる。息子には新居として住める瓦屋根の家を建てる。それをなし遂げることが男としての誇りです。その義務を果たしたら、もう終わり。ようやくホッとして余生を過ごす。

そうそう。文革期の下放についても書いています。都会から知識人たちが農村へやってくる。やることもなく(まともな仕事ができるわけがない)プラプラしてタバコを吸っている。お達しであちこちの農家で食事をとることになっていて、夕食を分担した家では貴重な小麦粉を使った食事をふるまう。ふだんはサツマイモの麺を食べているような農家にとって小麦粉は貴重品。全員が食べる量なんてあるわけないので、食事時になると子供たちは追い払われる。お腹をすかし、たぶん食い入るような目で母親の作る小麦粉のセンベイとか麺とかのご馳走を見つめていたんでしょう。

この食事、一応は少額のお金を払ってもらえたようです。ただし、まったく足りない額。たまりかねて農民たちはクレームをつけたらしい。これ以上続くとみんな飢え死にする。

著者は高校へ進学します。しかし一軒の家からは一人だけしか行けない規則。一人だけと知らされて顔を見合せ凍りつく自分と姉。このへんの描写は泣けます。姉は辞退を決断します。

しかしせっかく行けた高校も、中途退学するしかない。少しでも現金収入を得るために肉体労働を始めます。16時間労働で、家にも帰らず現場で8時間休む。涙が出るほどきつい。苦しい。ああ、村から出ていきたい。都会へ行きたい。もっと人間らしい生活がしたい。こちら側の世界からあちら側へ。そして著者は人民軍へ志願することを決断。これは惨めな田舎からの脱走です。

貧しさから逃げ出して軍に入り、それからどうやって成功したかは描かれていません。やがて結婚した奥さんは都会の人だったようです。死の近づいた伯父は自分の葬儀をことこまかに指示します。そして「お前には一つだけお願いがある。葬式には必ず帰ってきてほしい。しかし奥さんは都会の人だし・・」と言うと「嫌がるようなら離婚します」と断言。それを聞いた病人は嬉しそうに笑います。

そうやって、老人たちは一生を終えた。著者は「尊厳ある死」と考えます。



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