「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子

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soredemosenso.jpg★★★★ 朝日出版社

先日読んだ「昭和史裁判」がなかなか良かったので、名前を覚えた加藤陽子氏の本を借り出し。

非常に優れた本です。歴史学者である著者が機会を得て5日間の授業を行う。相手は神奈川の進学校・栄光学園の中高生。ただしさすがに一般生徒ではなく、みんな歴史研究会のメンバーです。受け皿は超優秀なんですが、語り手もまた優秀。そして非常にわかりやすい。平易。

日清戦争から太平洋戦争まで。どうして日本はこの道をたどってしまったのだろう。戦争をやりたいと思った人はいなかったはずなのに、結果として戦争への道へ突き進んだ。なぜなんだろう。

書かれている内容の多くは既知のものが多いです。しかし所々に新しい観点が挿入される。新しい知識も披露される。また語り手(加藤陽子)は可能な限り中立公正の立場を保とうとしているのがわかります。中高生相手なんですから、あっちの方へ引っ張ることもこっちのほうへ導くことも易いはずですが、それを抑制している。当時の日本の国内にもいろんな立場や考え方があった。世界を俯瞰しても、やはりいろんな国があり、いろんな事情がある。仕方なかったんだ!と弁解するのも違うし、完全に日本だけが悪い!と言い切るのも少し違う。

個人的に「へぇー」と思ったこと。

太平洋戦争の開戦前、日独のもっている戦力は英米をはるかに凌駕していた。要するに強かった。だから「緒戦は勝てる」という考えには一定の合理性がある

パールハーバーの米艦隊が安心しているのには理由があった。湾の水深は12メートルと非常に浅くて、雷撃機から落とした魚雷はみんな底に突き刺さってしまうはず。こんな浅い海に魚雷を落とせる雷撃機は存在しない!(しかし海軍は月々火水木金々の猛特訓。不可能を可能にした)

米国が参戦しないだろうという楽観論にも、実はかなりの根拠があった。仏印に攻め込んだくらいなら、米国は黙っていてくれるだろう、たぶん。それが国内の意見の大勢だった。

リットン調査団の時点ではまだ妥協解決の道があった。うまくしたら満州に権利を確保したまま平和になれる可能性もあった。(それをブチ壊したのは陸軍が開始した熱河省侵攻作戦。これが理由で国連脱退に至る)

松岡洋右は「欲張るな、腹八分がいい」と進言している。欲張る=連盟と対立してまで満州の利権にこだわること。連盟脱退の立役者=松岡洋右というのはかなり可哀相な誤解である。

日本軍には補給の思想がなかった。派遣した軍隊に飯を食わせ続けるということを真面目に考えていなかった。また戦争中、日本の生産力は激減したが、ドイツなどはむしろ増えている(それでも足りなかったが)。日本軍は必要な人材だろうがなんだろうが、どんどん兵隊にして無駄に消耗させた。戦争も終盤になってようやく反省が出てきたが遅すぎた。

日本の死傷者の大部分は戦争の終盤に集中している。実はマリアナ、パラオあたりの海戦で徹底的に負けた時点でもう戦争は挽回不可能。敗北が確定していた。1944年の6月です。以後はすべて無駄な悪あがき。無意味に国民を殺してしまった

そうそう。本筋ではないですが当時の「皇道派」を「社会主義革命を目指した隊付将校」と断言しているのが新鮮でした。モヤモヤがスッキリした。目標は天皇親政による社会主義です。で、そうではない「ふつう」「中央エリート」がなんとなく統制派と言われた。

なんで若い軍人が社会主義を目指したかというと、農民を代弁する政治家も政党もなかったからです。みーんな自分たちだけの儲けに走って、疲弊農民について考える人がいなかった。それで軍人が(本筋ではないにせよ)その役目をになった。になうべきと考えた。なるほどです。



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