「逆転の大戦争史」・・承前

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文藝春秋 ★★★
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先月、半分読んだところで返却してしまいましたが、やはり気になったので再借出し。えーと、第二次大戦あたりからです。

戦後のニュルンベルクの軍事裁判、非常に画期的なものだったんですね。戦争に負けた国家の指導者に対して、個人的な責任を問う。これは当時として常識外れの概念でした。

たとえばあれだけ欧州を騒がせたナポレオンだって、戦争責任を問われてはいません。国家の責任を個人にかぶせるという考え方がそもそもなかった。だからナポレオンも有罪ではなかった。あくまで形式的にですが、エルバ島とかセントヘレナ島に「逗留していただく」という形だった。

だからゲーリングにしてもヨードルにしても、自分が裁判で有罪になるとは思っていなかった。ま、責任とって自殺するとか、殺される覚悟はあったでしょう。しかし英米から道義的に責められての絞首刑とは考えもしなかった。そんな権利があいつらにあるのか。

実際には、なかなか大変だったようで、米国にしても英国にしても、彼らを裁判にかけることが可能かどうか、あまり自信はなかった。しかしなんやかんや、いろいろ論議を重ねてようやく理論武装。できあがったのが「平和に対する罪」とかいう概念です。しかも事後、遡及的に断罪できることになった。というか、そうした。法の不遡及という大原則のひっくりかえし。

思い起こすと、1928年のパリ不戦条約を境目としてルールが変化したんですね。現在、国家は戦争する権利をもちません。また武力によって他国を獲得したりはできない。これが国際連合のルールです。だからもう戦争によって国土を拡張することは不可能。国境が確定してしまったんです。

国家と国家は戦争できない。それはけっこうなことなんですが、しかし現実には「国家といえないような国家」もある。こうした未成熟な国家は、対外的に戦争はしない代りに、国内でドンパチやる。内戦。宗教戦争。あるいは民族浄化。こうした「うちわの戦争」をなんとか制止させたいんですが、そのためには武力が必要になる。戦争をやめさせるために戦争をする。すごい矛盾です。

あるいは、平和の警察官であるはずの大国が、みずから率先して侵略したりもする。中国が南シナ海に飛行基地を作ったり、ロシアがウクライナからクリミアをかっさらったり。これ、どうすればいいのか。拒否権をもつ国家をどう処罰したらいいのか。おまけに世界の警察官だったはずの米国までもが、自分勝手なことをし始める。

混迷です。決して楽観はできない。しかしどんなに不十分であっても、この「新世界秩序」によって戦争や侵略が激減したのも事実で、強国が力にまかせていい思いをする「旧世界秩序」はもう戻ってきません。完全ではないにしろ、なんとかこの新ルールで工夫してやっていくしかない。

ま、そういう内容だったような気がします。面白い本でしたが地味でもあり、しっかり読むのは大変でした。ただし、くどいですが「逆転の大戦争史」というタイトルはひどすぎます

別件
文中のエピソードです。エジプトのナセル。暗殺者の銃弾8発をよけもせず、平然とかわした(運がよかった)。ついでに「オレを殺しても第二、第三のガマル・ナセルは出てくるぞ」とか大見栄をきったとか。これが男らしくて人気ふっとう。不動の地位をきずいた。

ついでですが、ムスリム同胞団の理論的リーダー、サイイブ・クトゥブという男をつかまえて無理やり絞首刑にしたのもナセル。これで過激派を押さえ込んだと思ったんでしょうが、結果的にクトゥブを殉教者にしてしまい、原理主義組織であるムスリム同胞団は支持層を拡大した。その影響下にビンラディンも誕生。またISも同じ系譜にあるらしい。


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