「戦争まで」加藤陽子

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朝日出版社 ★★★★

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副題は「歴史を決めた交渉と日本の失敗」。「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」の続編ですかね。「それでも・・」は栄光学園の高校生相手の講義だったけど、今度は首都圏で高校生を一般募集。ジュンク堂の会議室かなんかに集まってもらった。少ないけど中学生もいるし高校教師もいる。ま、関心をもった人が参加したわけです。(一般高校といっても、実際にはほとんどが有名私立の精鋭です)

しかも単なる歴史講義ではなく、聴講生には資料を読み込むことも要求。なかなか大変な夏休みだったんでしょう。

テーマはおおきく三つ。リットン調査団、日独伊三国同盟、日米交渉

通説では
・リットンは厳しい調査結果を出した。それで松岡外相が席をたって、国連から脱退した。
・ドイツが連戦連勝。バスに乗り遅れるな・・・と焦って同盟をむすんだ。
・ABCDラインで包囲されたニッポン。しかも交渉の甲斐なくつきつけられたハルノート。もう開戦しかない。

で、加藤センセイの講義というか、最近の歴史学者の研究の結果としては

・リットン卿はいかにも英国人ふうの、かなり寛容な(かつ膨大で読むのが大変)リポートを出した。つまり、日本が面子を保ったまま満州・中国に一定の利権を確保する道を残してあった。しかし政府がゴタゴタして(あるいは目がくらんで)それを利用できなかった。

ついでに言えば、一時は蒋介石と妥協の道すらあった。(重慶の蒋介石も苦しかったわけです)。しかし日本はなぜか(蒋介石の敵である)汪兆銘の南京政府と手をむすんでしまった。最悪のタイミング。これで好機は猿。去る。

・三国同盟の意味は、バスに乗り遅れるな!ではなかった。そうではなく、戦争が終わったあと(当然、英国の敗北を予想)英国やオランダ、フランスなどの植民地・保護領を日本がスムーズに占有するためのものだった。つまり戦後の分け前を確保するための同盟。同盟を結んでいないと、戦後にドイツと獲得争いになる可能性がある。

したがって、この三国同盟の結果として対米戦争になる可能性なんて、まったく予想していなかった。事実、米国は戦争を徹底的に嫌っていた(ルーズベルトの公約)。

・ハルノート。国務長官コーデル・ハルはルーズベルトと同じで対日戦争を回避したいと考えていた。したがって日本につきつけたいわゆる「ハルノート」も、一見すると厳しい内容のようだが、いたるところに巧妙な逃げ道があった。つまり国内向けのパフォーマンスの意味が強かったんでしょうね。

だから日本にたいして全面禁輸なんてする気は皆無だったような模様。そんなルーズベルトとハルがチャーチルとの会談なんかで忙しくしている間に、強硬派(米国にももちろんいた)が淡々と事務手続ふうに禁輸措置。商務省だったかな、そのへんの連中です。大統領にとってもまさか・・・という事態だったようです。どうしようか・・と考えているうちに、独ソ戦。風向きが少しかわってきた。

同じく「全面禁輸」になるとは夢にも思っていなかった日本側は、簡単にいうと「全面禁輸にでもならない限り戦争はしないつもり」とかねて方針を決めてあった。その「方針」が身を縛る。けっして軍部もバカではなかったんですが、つまらない前提を入れてしまったのが運の尽き。

米国の強硬派からすると、これくらい圧力をかければ日本も頭を下げてくるだろう。そう思っていた。立場をかえると今の対韓国にも似ています。しかし、まさか絶望的になって戦いを始める連中がいるとは考えもしなかったらしい。頭を下げるくらいなら死のう!なんてそんなバカな。相手を理解していなかった。

こうした結果がパールパーバーです。そうそう。例の「米軍は暗号を解読していた」というストーリーですが、実は日本だって米側の暗号を70%だか80%だか読み取っていた。日本軍だって完全なアホではなかったんです。

ついでに。宣戦布告の遅れですが、これも「大使館の連中が寝坊したんで遅れた」という通説はウソ。絶対に間に合わないようなタイミングで大使館へ暗号文書を送っていた。あんまりアホ扱いしてはいけませんね。反対に米国から天皇宛の緊急文書は配達を遅らされて参謀本部のどこかで眠らされていた。どこかで 課長とか部長クラスが何かを考えてサボタージュする。そうした隠微で些細な手続き遅延が大きな結果にもなる。

とにかく、一般論として「耳に快い通説」はみーんなウソですね。ひたすら日本がいじめられたわけでもないし、英米がいじわるだったわけでもない。日本軍はずいぶん勝手をやったけれど、軍部だけが悪で政府が善というのとも違うし、国民はフェイクニュースにあおられて騒いだけれど、かれらが調子にのって騒いだから軍も背中を押された面がある。新聞もみんながほしがるニュースばっかり書いては煽っていた。

誰か、何かだけが特に悪かったわけではない。流れに抵抗した連中はたくさんいたけれども、なぜか流れの本流にすべてが向かってしまった。情報もたくさんあったけれども、その流れもあちこちで滞った。土壌風土そのものがいけないんでしょうね。あのときあれが・・・というチャンスはたくさんあったのに、でもダメだった。

いい本でした。

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