「逆転の大中国史 ユーラシアの視点から」楊海英

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文藝春秋★★★
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著者はオルドス生まれの文化人類学者。なぜか日本で勉強して、やがて帰化。オルドスってのは黄河が中流あたりで北に大きく湾曲しますが、その湾曲の内側あたり。今の区分からすると内モンゴルでしょうね。ちなみに長城の外側です。

この本のテーマはただひとつ。「中国史は王朝の連続ではない」「中国四千年の歴史なんて虚構」ということです。黄河流域に古い文明があったことは事実ですが、最近の研究ではこの他にもいくつかの文明が存在している。つまり黄河文明はワン・オブ・ゼムであって唯一絶対ではない。

だいたい中国という言葉もそんなに古いものじゃないようです。たぶん辛亥革命の以降。それまでは清とか明とかはあっても、中国なんてものは存在しなかった。外からするとシナとかチャイナとかいわれた場所。黄河中下流域のいわゆる中原にあった国家を、なんとなく(特に漢民族がこだわって)そう呼んでいる。

しかし漢民族の王朝が連綿として続いたと考えるのは無理です。虚構。そもそも漢民族なんてものは存在せず、強いていえば「漢字を使う人々」でしょうか。書き文字である漢字は共通ですが、たとえば広東と北京と、話し言葉はまったく違う。人種もたぶん異なる。でも漢字という共通項でまとめれば「漢民族」。とすると日本人なんかも、10%くらいは漢民族なのかもしれないです。

大昔の漢帝国を構成した漢人は、たぶん後漢末期、黄巾の乱あたりでほぼ絶滅したのかもしれません。少なくとも危機的に減少して、その後は他の人種に吸収されてしまった可能性もある。

中原あたりにあった王朝や国家は、南に逃げたり滅びたり、北の遊牧民国家にのっとられたり、また違う遊牧民が攻め込んだり。入れ代わり立ち代わりです。こうした動きを、中原地域だけに区切って眺めるから難しい。もっと視点を広くし「ユーラシア史」という観点から眺めるとまったく相貌がかわります。

もちろん中原にも国家はあった。しかしもっと大きな固まりが遊牧民国家です。スキタイとか匈奴とか、こっちはユーラシア大陸の各地に興亡し、移動し、拡大し、栄え、滅び、時折は中原をも支配した。こうしたユーラシア民族を文化的に低いとみるのは偏見です。農民と遊牧民では文化の尺度そのものが違う。

たとえば唐滅亡の後。漢民族である宋が統一したというのは中国式タテマエです。しかしちょっと全体を眺めると、実際の姿はキタイの遼、タングートの西夏、そして漢民族の宋。鼎立ですね。これを無理やり「宋が統一」ということにするのが中華史観で、中央以外はみーんな夷狄で考慮する必要はない。現実を直視したくなくて、必死に脳内武装したのが朱子学。このへんから動脈硬化が始まった。

著者によると漢人国家と遊牧民国家はまったく違う文化です。たとえば典型的な例が明でしょうか。せっかく可能性がありながら大艦隊を焼き捨て、内側に閉じこもってしまった。周囲の遊牧民国家を根拠なく蔑視し、自分だけ高く誇る。長城を築いて安心するのが漢人国家です。内向きの中央集権であり、専制国家。いまの中国もその延長上です。

対して遊牧民国家は外に開けています。常に移動する。宗教にも他民族にも寛容で、良いものはどんどん受け入れる。典型的なのは元ですね。ま、元を中国の国家といっていいかどうか、実際には大モンゴルの一部なんですけど。ちなみに遊牧民のトップは決して専制君主ではありません。一種の合議制。意外なことにあんがい平等で分権的なんです。

随、唐は完全に遊牧民国家でした。だから唐はあんなに拡大した。国境の概念があんまりなかったのかもしれない。また元は論外としても、清も巨大な版図です。清の皇帝は同時に、あんまり宣伝しなかったけど実はハーン(汗)でもあった。満州もモンゴルも西域もその先も、なんとなくのテリトリーだった。

したがって日本の学生が必死になって王朝変遷を丸暗記するのは滑稽。そう著者は言います。ラグビー場での攻防の様子を、たとえば固定した望遠鏡で眺めているようなものでしょうか。次から次へと望遠鏡の視野の中は入れ代わりますが、でもそれになんの意味があるのか。ずっーと五郎丸がいて、五郎丸が消えると次は外人選手で、それがリーチマイケルになった。でも望遠鏡から目を外してながめれば、何十人もの選手がただウロウロしているだけのことです。それが、中国視点からユーラシア視点への転換ということ。

ちなみにオルドス生まれの著者は、こうした中華思想、漢人中心の考え方がかなり嫌いなようです。ま、無理はないけど。


関係あるような、ないような。

以前読んだ中国の小説(というか体験記)。文革での下放で内モンゴルに行った青年とオオカミの本なんだけど、ここで大きなテーマのひとつになっているのが内モンゴル住民と開拓農民の確執でした。もちろん開拓民は権力がバックにあるから「正義」だし、内モンゴルの荒野を豊かな農地にしようと意欲をもって頑張っている。

で、現地の住民はそもそもが遊牧の民だから、何より大事なのは羊や馬。羊や馬は牧草を食べる。その牧草をせっせと食べるのが、ナントカいう名前のウサギとかモルモットの類。これは内モンゴル人の敵です。で、こうしたウサギなんかを好むのがオオカミ。

結果的にいうと、適切な数のオオカミは、現地牧畜民にとって味方なんですね。だからオオカミをあんまり敵対視しない。食べ物があればオオカミは悪さしません。

ところが中国から大挙してやってきた農民たちは、牧草地(彼らから見るとすごい無駄)をせっせと畑にしようと努力する。でもこのへんの表土は非常に薄くて、クワをいれるとすぐ乾燥してしまう。たちまち荒地になり、なかなか回復できない。おまけに農民はオオカミをみるとすぐ殺そうとする。人民軍も協力して、オオカミを退治する。巣穴の親子オオカミまで殺しつくす。

豊かだった草地が滅びていく。オオカミがいないのでウサギが繁栄する。草地はいっそう荒れる。場合によっては増えすぎて食料が足りなくなって、ウサギやモルモットが死滅する。飢えたオオカミは羊や馬を襲う。農民や人民軍が機関銃でオオカミを殲滅する。

こうして、内モンゴルの草原は中途半端な畑の廃墟と化します。食料を得られない農民たちはひたすら飢え、村を捨てます。牧草を失った現地人たちもまた飢える。中国の遠大な開発計画はこうして挫折するが、中央政府は決して失敗を認めない。

たぶん、いまでもこれが続いているんだと思います。


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