「帝王後醍醐」村松 剛

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中央公論社 ★★★★
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この前読んだのはいつだったか。同じ著者の「醒めた炎」(木戸孝允)なんかは何回も読んでいるんだけど、さすがに「後醍醐」は手ごわい。なかなか手が出ません。

コロナ隠棲で、イジイジと時間をかけて通読しました。うーん、この建武の新政(中興)って、どういう意味があったんだろ。ひたすら混乱が続き、民を痛めつけ、京を焼き払い、北も南も必死に戦い続ける。ほとんど何のために戦っているかも不明(たぶん)で戦い続ける。

おまけに北畠親房が「神皇正統記」なんていう宣伝本を(東国転戦中なので資料なし。ほとんど記憶だけ頼りに)書いて、それを後から余計なことに水戸光圀が掘り返して皇国史観なんてものができあがった。それが明治、昭和と多大な影響を与えています。はい、かなり悪いほうの影響。そもそも強引なプロパガンダですからね。 なにがなんでも神国ニッポン。南朝。軍神正成、児島高徳。

そもそもの原因を探すと、鎌倉幕府が腐りに腐って、もうどうにもならなくなっていた。鎌倉幕府って最初から仕組みがヘンテコリンだったんですね。このへん、いま再放送中の大河「太平記」をみるとよくわかります。鶴太郎似の高時が役にたたず、内管領の長崎円喜(フランキー堺)一族が勝手に仕切った。ほかの連署(児玉清とか)も力がなかった。大きくはその前、蒙古来襲の後にみんなに恩賞が払えなかったのが遠因。防御はしたけど、余分な土地が手にはいったわけじゃないですからね。日本国中、怨嗟の声だらけ。幕府は滅びるべくして滅びた。

将軍頼朝からしてそうですがみーんな妻の実家が強くて、常にゴタゴタして殺し合いがあって、血筋は三代で終わり。内訌が続き、あとは政子の実家やら、得宗やら内管領やら、実権を握る層がどんどん変化する。

それで「チャンス!」と謀叛したのが後醍醐。天皇にすれば「権力の回復」です。ま、こんな行動的な天皇は他にいませんね。育ちが悪くて(誰も注目しない位置。まるで井伊直弼だ)野心まんまん、やたら女には(父親の愛人だろうが叔母だろうが姪だろうが)手を出すし、ワガママで強引で、粘り強くておまけに薄情で高貴。みーんな振り回された。ついでですが天皇だけでなく、周囲の公家衆もみーんな勝手で情勢が読めなくて気位が高い。戦った武士たちはみんな苦労した。

後漢の光武帝がおこした「建武」は続きました。しかし後醍醐が強引にクーデターした「建武」はすぐグズグズになった。自分の代だけでなく子供の代、そのまた子の代・・・と60年間、迷惑をかけつづけた

ま、それにしても当時の公家さんたちが、実際に武器をとって戦ったというのがすごい。大塔宮護良親王なんて、実際はどんな人だったのやら。少なくともナヨナヨした色白じゃないですね。筋肉もりもりのマッチョ親王だったりして。ちなみにいまだに「モリナガ」なのか「モリヨシ」なのか、判然としません。

 書き出しがいきなり「大日本者神国也」 つまり神の国であると文句なしに規定している。これじゃ異論のだしようがない。
そういえば西尾幹二の「国民の歴史」。意外に論理的でもあり、面白い本だったんですが、やはり冒頭のあたりで「・・・だから選ばれた国である」という種の飛躍があったような。他がきっちりしていただけに惜しいなあと感じた記憶があります。

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