「戦争前夜:魯迅、蒋介石の愛した日本」譚ろ美

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新潮社 ★★★

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著者の「ろ」は王偏に各。「革命いまだ成らず」では勝手に「譚路美」と表記してしまいました。ごめんなさい。

で、表題の本。「愛した日本」というのは少し違うかな。でも魯迅も蒋介石も日本で学び、なにかにつけて何度も何度も本土と日本を往復しています。日本はすぐ近くにある先進国。遠い欧米へいくより日本の方が手軽で文化も近い。一時は数千人が留学していたらしい。そりゃ日清戦争で負けたのは悔しかったでしょうが、でも負けたのは「清」だともいえます。中国は負けていないぞ。

魯迅の場合は「藤野先生」という短編があるので、日本に留学したことは知っていました。また孫文と日本との関係もあるていどは知識がありました。でも蒋介石については、ほとんど皆無。

なるほど。蒋介石は長岡外史の下で二等兵として勤務していたことがある。もちろん近代的な軍事行動、軍運営について学ぶためです。しかし途中で故国から「革命成功!」の知らせを受けて(もう少し待てといわれていたのに)焦って脱走、帰国してしまった。せっかち

その当時の蒋介石、かなり平凡な男だったらしいです。勉強は嫌いだし、さして熱心でもない。とくに勇敢でも切れ者でもない。後年「あの男がねえ・・・」とみんなが意外に思ったらしい。孫文に仕えてからもとにかく功を焦っていた雰囲気がある。おまけに怒りっぽい。

というように、いろいろ面白いエピソードがいっぱいなんですが、個人的に興味をもったのは蒋介石の結婚遍歴。少なくとも3回、あるいはそれ以上。で、最後の宋美齢、なんとなく孫文との縁で再婚かと思っていたらこれが大間違い。(宋三姉妹。次女の慶齢は孫文夫人。三女の美齢は蒋介石と結婚)

譚ろ美に言わせると、宋美齢はそろそろ行き遅れの年齢にさしかかり、父親が焦っていた。おけにあんまり美人でもなかったし(たぶん気は強かった)。おまけに蒋介石には惚れて結婚した(何回目かの)妻がいたんだけど「別れてうちの美齢を妻にしてくれればたっぷり資金援助するぞ」と申し出があった。うーんと迷ったあげく、ついに決断したわけです。

で、無理やり離縁された古女房、後日、涙で腫れ上がった目で新聞を読むと「実はあれは妻ではなかったのです・・・」と蒋介石が談話を発表していた記事があったらしい。悪い男です。でもそのお蔭でお金がたっぷり入った。革命は成功。蒋介石は大出世。

本筋と関係ないですが、魯迅も女と肉親絡みではいろいろ苦労したみたいです。ちなみに弟の奥さんは日本人だった。いずれにせよ、男が勝手気ままにふるまっていた古い時代です。