「天皇と軍隊の近代史」加藤陽子

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勁草書房 ★★★
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あちこちに出した何本かの論文(というべきでしょう)を集めたものです。けっして読みやすい初心者向けではなく、ある程度の知識がある層、歴史に関心ある読者向け。

というわけで、これを簡潔に評することは不可能ですね。

で、面白くて記憶に残った部分。

満州・北支()とズルズル侵攻。そのまま宣戦なしで本格化。これは軍部が汚い、誤魔化しと見るのが通例だったと思いますが()、実はけっこう苦し紛れ。理由は米国の中立法です。米国が「中立」の概念を勝手に変えた

従来だったら中立国はずーっと中立で、どっちの国にも何もしません。でも新方式では、中立国であっても悪の国に制裁ができるようになった。そう、米国が決めたんだから仕方ない。

というわけで、もし日本が中国と公式に戦争を開始すると「悪」ということになり、中立国である米国は財政措置とか輸出入禁止とか、きつい制限をかけてくるはずです。これが非常に困る。致命的。だから日本は中国と「戦争」はしない。すべて「事変」です。

しかし本当に米国が日本に対して容赦ない厳しい態度だったかどうか。このへんは難しそうです。たとえば石油の輸出制限。実はあんまり日本が辛くないように、ちょっと緩いところにリミットを置いてあったり。ただそうした配慮を日本政府は完全に理解していなかったらしい。リットン調査団の報告書のときもそうです。

また、敗戦の後、復員兵たちはけっこうな物資を背嚢に入れて持ち帰った。国内でも下士官クラスが倉庫を破って、どんどんトラックに乗せて持ち出したとか。皇軍の腐敗というニュアンスで語られています。でも実際にはこれは軍上層の方針だったらしい。進駐軍がくればどうせ押収される。それなら事前に分配してしまおう。ただし現実には有償か無償か不明ながら「払い下げ」もかなり多かったらしい。

もちろん兵器なんかはおとなしく提出。しかし提出した武器は米軍の指令下、これまで製造納品していた兵器業者が今度は解体を受け持ち、資材を民用に転換するはず。国力温存。一応はアイディアです。

そうそう。東久邇宮、伏見宮、秩父宮などなど、昭和天皇はあんまり信用していなかった雰囲気がある。実は秩父宮を大臣にという案もあったらしいです()。また天皇が戦争をおさえるために御前会議を希望すると元老の西園寺は反対している。もし会議の決定に従わない連中が出ててきたら天皇の権威に決定的なキズがつくから、というのが理由です。天皇の権威といっても、そう磐石なものではなかった。実際、けっこう言うことが通らなかったりもした。(

別口では、はるか昔の日露戦争。あれ、司馬さんの書き方では皇帝おきにいりのベゾブラーゾフあたりが極東総督アレクセーエフに対日強硬けしかけて、結果的に開戦・・・の雰囲気ですが、実際にはロシア側から戦争回避の動きがあった。和平に至る可能性もあったらしい。ただ少し時期が遅くて間にあわなかった。たぶん司馬さんはヴィッテ(外務大臣だっけ)にひきずられすぎたかな。新資料が出てくると、こうした研究解釈、ガラリと変わります。難しいものなんですね。(

ということで、ザーッとは読んだけど、ザーッ・・だけじゃ無理な本です。もっとじっくり読まないといけませんね。

それにしても・・です。加藤陽子はなぜ学術会議メンバーから外されたのか。こんなふうな地道な論文を官邸周辺の連中、読んでるとは思えないし、なんか初心者向けの本の数行あたりで「加藤という女はけしからん。サヨクか!」とか勘違いしたのか。アベとかシモムラの気にいる学者ではないにせよ、とくに嫌われる要素もないと思うのですが。わからん。あの連中の考えることはわからん。

「北支」が変換で出ない。え?とまず「支那」を出そうとしたけどこれも無理。そうか、使っちゃいけないんだ。そういえば「使っちゃ悪い言葉だろうか」と高島俊男センセがどこかで書いていた。昔、シンタロもそんな趣旨でわめいていたような。

対中国のこの一連の政策や軍事行動、かなり恥ずかしいよなあ・・・と政府中枢も思ってはいたらしい。

もし秩父宮が大臣ということになれば、実質的には昭和天皇の逼塞でしょうね。権力移行。

当然のことながら、天皇もお飾りではなく、けっこう積極的に発言はしています。ただあまり通らなかった。

日露開戦なんかも、臥薪嘗胆だった国民が大歓迎・・という従来説には少し疑問が出ているらしい。

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