「江戸を造った男」伊藤潤

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edowatukuttaotoko.jpg朝日新聞出版 ★★★

中身を知らずに借りましたが、河村瑞賢が主人公です。はて、瑞賢って何した男だったっけ。

明暦の大火、江戸霊岸島に住む一介の材木商人だった七兵衛(瑞賢)は、自宅焼け跡から十両を掘り出し、木曽へ急行する。まだ春浅い季節ですからね、中山道は深い雪の中。そこを必死に旅して、たしか上松だったかな、そのへん一体、木曽ヒノキの統括支配役(村役人みたいな地位かな)と談判。材木買いつけと一手販売権を確保する。

ま、山の中ではまだ江戸の大火のニュースが伝わっていなかったわけです。ただ、だからといってあまり悪どい商売はしなかった。そこそこ妥当な益(小説では通常価格の倍)で、それでも莫大な利益を得た。

以後はいろいろあった末、幕閣に命じられて、奥羽から米を江戸に運ぶ航路を開拓。当時、房総沖が難所で、阿武隈川の河口から江戸へ通じる東廻り航路はできていなかった。また酒田から下関経由、西廻り航路もなかった。途中で陸路を使っていたためえらく効率が悪かったようです。

じゃ、瑞賢って男は、そもそも何がすぐれいたのか。どうも「仕組み」をつくる才能が抜群だったようです。全体をみて人員を配置する。人を動かす。金を効率よく使う。それができた。

従来のオカミ主導だと、あまり細かいことに関心がない。ゴチャゴチャしたことは民間にまかせてしまう。統一がとれない。おまけにイベント全体を鳥瞰する能力がない。権限がない。このへん、現代でも同じですね。お役所はみーんな民間に放り投げる。民間は子会社やら孫会社を駆使したことにして益を(莫大)に得る。お役人は自分の懐が痛むわけじゃないので、無関心。

ま、そういうわけで瑞賢は大きなイベントを巧みに処理できた。公共事業の名人。そのうち淀川下流地域の治水をまかせられる。越後でも中江用水を開削して膨大な米生産を確保する。それが終わると今度は越後会津境の銀山の開発。これも難工事だったけど、なんとか成功。

という具合に次から次へ。最終的には商人からサムライ身分に(どこかのネット解説に「旗本」とあったけど、とうだろう・・・)。長生きして没した

別件ですが安井道頓は秀吉の命で大坂城の外壕を掘り、その後に道頓堀をつくった。角倉了以も同じような時代に高瀬川を開削。偉いひとがたくさんいたんですね。

旗本は1万石未満で将軍に謁見できる(御目見)身分。御目見の権利のないのが御家人。1万石以上は大名。瑞賢は将軍から言葉をたまわったという記述があるから、ゆえに旗本といえるのかもしれないけど、少し違和感あり。どこかに「150俵」ともあったが、一般論として旗本にしては禄が少なすぎるし。旗本ならふつうは「殿様」です。よくわからない。