幼児の時代

消えかかりそうな、雪国の遠い記憶の糸をたぐる企て

 


長兄の一周忌の席で、次兄から戦前の記憶を書き留めたものを渡された。一読、懐かしさを刺激されてしまった。まったく個人的な記憶。ほんの数人にしか意味を持たないこまかな記憶の羅列。つまらんことを、と思いつつも、体のなかのどこかが刺激されてしまったらしい。

この記は、おそらくこれから何年も何年もかかりそうな気がする。決して書くことを急がない。エネルギーが充満したときだけ、ていねいに書く。そう決めている。




原初

泣いていた。浦町の家の茶の間である。父の文机の前に寄りかかるように立って、明るい障子窓の外を向いて泣いている。開けはなたれた窓は緑濃い小さな庭に向かっている。庭の向こうから踏み分け道をたどって母が急ぎ足に歩いてくる。その母に向かって泣いていたのだろうか。おそらく母はもんぺ姿。エプロンをしていたはずだ。白いエプロンではなく、たぶん絣のような柄だったのではないか。髪が黒く、顔が白く、眼鏡が日差しに光っている。仲町の仕事を終えて、あるいは抜けて昼食でも作りに戻ったときだったのだろうか。まだ母も若かった。

若い母のイメージはそう多く残っていない。このとき記憶に残っている母はとび抜けてまだ若かった印象がある。授業参観に来てもらったときの母、教室の後ろを振り返って発見したきちんとした和服姿の母も眼鏡をかけていた。眼鏡が光っていた。余所の奥さんのようにも見えた。ふだんは眼鏡をかけることが少なかったのだろうか。

 

幼い頃は、あまり母の記憶がない。祖母と暮らす時間が長かったように思う。祖母の名はトシ。男性のような、しっかりした輪郭の顔だちだった。なにかの折りに、若い頃は美人だったという話を聞いたようにも思うが、子供にとってはもちろん想像の枠を越えていた。この祖母を日頃どう呼んでいたのか。ばあちゃ。ばぁちゃん。それともおばぁちゃんだったのか。もう覚えてもいない。

たたきの横の中の間で祖母と布団をならべて寝ていた。こぶりな子供用の敷布団。こけしの絵柄だったと思う。シーツなどはもちろんなかった。祖母の背中によりそって寝入った記憶もある。しなびた乳房をまさぐった記憶もおぼろげにある。

寒い季節は掻巻をかぶって寝る。肩がすっかり覆われて暖かかった。本当に寒くなると掻巻を就寝前にこたつで温めてもらう。夜は寝間着に着替える。子供は帯は締めない。右のあわせに紐が縫い付けてあり、その紐を左脇に通して回す。後ろ腰の上で蝶々か、片蝶々に結んでいたような気がする。寝間着はネルのような、柔らかい布地だったようだ。布団の傍らに立って祖母に寝間着の紐を通してもらった記憶もかすかにある。

祖母に寝物語をしてもらった。カチカチ山、桃太郎、山姥の話。山姥と鯖売りの話は父から聞いたのだと思う。父が泊まり(宿直)の日は母の横に布団を敷いてもらって、安寿と逗子王の悲しい話を聞いた。織り姫が天の邪鬼に騙される話は母だっただろうか。祖母だっただろうか。柿の木(脳裏に描くのはもちろん我が家の台所の先にある、あの柿の木だ)に赤裸で縛りつけられたのは織り姫だっただろうか。

わら半紙を与えられて、鉛筆で絵を書く。畳の上に紙を置いて、ひとつ覚えのように武者絵を描く。パッチ(メンコ)の図柄を参考にしたのだろうか。絵を描いていると祖母の機嫌は良かった。これは新田義貞、これは源義経と教えてもらった。

 

 

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