「破軍の星」雑感

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南北朝といえば太平記です。太平記といえば、血湧き肉躍る誇大表現の巣窟です。北方謙三の「破軍の星」にもやたら「10万の大軍」とか「20万の兵が参集」とか気軽に書かれてますが、はて。10万、20万の大軍がそんなに簡単に動けるもんでもないし、食料や燃料の確保だって難事ですわな。道々略奪しながら進軍したんでしょうが、そんなに都合よく食料がみつかるわけもない。住民を脅したりして懸命に探せば徴発もできるでしょうけど、その代わり時間がかかる。時間がかかっちゃ1日数十キロの強行軍なんて不可能。

たとえば仮に主食が米とした場合、兵士1人が1日に5合ということはないはずです。 ほとんど副菜なしですから、おそらく7合か1升くらいは食べた。7合で10万人なら70万合、つまり700石。たった1日で700石です。半年食べたら12万石。ほかに馬匹の食料もあるわけで、こりゃ絶対に無理です。

だいたい当時の日本の人口、どれくらいだったんだろ。根拠はないですがたぶん1千万人にも足りないレベルだったんじゃないだろうか。よくいわれる「奥州二十万騎」も、実際にはせいぜい2、3万。騎上の武士ということなら数千騎もあればオンの字でしょう、きっと。換え馬も数倍は必要だし、厩やら馬丁やら飼い葉やら、これだけの数を養っておくだけでも負担です。

とかなんとか。そうすると10万の軍勢がふつかり合うシーンも、実際には数千騎同士の戦いだった可能性もある。数千騎でも、けっこうな数ですけどね。

海音寺さんの平将門なんかでも、ふだんの小規模な戦闘は数騎と数騎。数十騎同士になると大規模戦闘です。数百騎ならもう大戦争。平安末期、世の中を変えた保元・平治の乱あたりもたぶん動員数は数百騎レベルだったような気がしています。

塩野さんによると十字軍のテンプル騎士団、ホスピタル騎士団もがんばって200人とか300人レベルだったとか。もちろん歩兵、弓兵、従卒なんかは他にいますが、主力の「騎士」というとこの程度だったらしい。現在の感覚なら「一応は戦車」の数ですね。

などなど。くだらないことをいろろい考えてしまいました。


宮沢賢治のアレにも「1日に玄米4合と・・」とありますわな。初めて読んだときは「多いなあ」と思いましたが、昔の話だしほかには味噌と少しの野菜だけ。詩の主意は「これっぽっちでもいい」という意味でしょう。

木樵の一升飯」という言葉もあります。なんかの本で、学者がこの人たちにイワシのぬか漬けを与えたら、なぜか「へんだなあ、一升の飯が食べられなくなった・・」というエピソードがありました。栄養的に足りると一升飯がお腹に入らなくなる。時代にもよりますが旧日本軍では1日6合とかいう記事を読んだ記憶もあります。ちなみに継続可能な行軍速度は時速4キロ。

ちなみに。
スティーブン・キングの「死のロングウォーク」で少年たちの制限速度は時速4マイル。つまり換算すると6.4キロ。これは早すぎますね。非現実的。おしゃべりしたり、途中で用をたしたりしながら何日も歩き続けられるスピードじゃないです。