「中国の歴史 第11巻 明から清へ」 陳舜臣

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★★ 平凡社

chuugokunorekishi2.jpgひどいなあ。図書館の本なのに口絵の十数ページ分が千切られている。表紙にも「口絵なし」と注意ラベルが貼ってありました。こんな本を借り出したんだから(たぶん)年配者だろうけど、マナーが悪いとかいうレベルじゃないですね。信じられない。

さて。

明代になっても、北のモンゴル系は興亡を繰り返しながら何回も何回も国境を侵します。ただし連中の言い分はだいたい「朝貢を認めろ」というもの。草原で育てた大量の馬を貢ぎ物にして、もちろん何倍ものお返しを期待する。明としては、朝貢は負担なんで、あんまり拡大したくない。すると「拡大しろ!」といって攻め込んでくる。実力交渉。乱暴な。

で、南方では例の倭寇です。倭寇って海岸っぺりだけかと思ったら、長江なんかをけっこう遡って荒らしまわってたんですね。だから被害が甚大だった。国家までは作らないけど、ちょっとしたバイキング来襲みたいです。で、たまに中央から有能な軍司令官が派遣されて効果をあげそうになると、すぐライバルから嫉妬されて讒言、罷免ですわな。こういう国家がよくまあ300年近くも続いた。

そうそう。明末のころは日本の公式使節団(朝貢団)も、交渉がうまくいかないと居直って荒し回ったこともあるらしい。足利室町のころの西国大名が派遣したような使節団ですが、ま、かなり怪しげな連中ではあります。要するにニッポンもおとなしい連中ばっかりではなかった。

でも明に限らないんですが、中国史をずーっと眺めていると、日本とは根本的に違うなあと感じます。欲望の深さが違う。規模が違う。思想と行動が直截に結びついていて、それがものすごく過激に突出する。それを許容する文化がある。

清盛の福原遷都とか重衡の南都焼き討ちとか、信長が叡山をどうしたとか、なんぼのもんじゃ、ヘッ、という印象。小さいです。たまにこういう果敢な行動をする人が日本史にも登場しますが、すぐ消されてしまう。足利将軍が豪華(!)な別荘つくったといってもあの程度です。国土が貧しかったこともありますが、すべてが矮小です。出る杭を神経質に叩き、なんとなくモヤモヤと穏やかに、平衡に持っていくのが日本の文化の本質みたいな気がします。

そうそう。明治の頃だったかな、ベルサイユ宮殿を見物した日本人が「この柱一本でも日本に持っていったら百万円はするだろうな。革命が起きるわけだ」と語ったという挿話を何かで読みました。要するに収奪の規模が違うということ。収奪する側もされる側も徹底している。日本にはずーっと絶対政権が誕生しなかったし、一揆による革命=政権交代が発生しなかったのも当然という話。

たとえば明治の高官貴顕。伊藤博文でしたっけか「高楼を作った。ぜいたく!」とさんざん新聞で批判されましたが、その高楼ってのが要するに単なる二階建てだったらしい。伊藤なんて、収賄もしただろうし女癖も悪くて贅沢もあったでしょうけど、たかが総二階の建築で批判される。その点では、ほんと悲しいほどのものです。

皇帝に重用されて権力を握った宦官が、ほんの数年で国家予算を超えるような財宝を溜め込んでしまう。そしてすぐ失脚して一族もろとも殺される。皇帝は気まぐれで一気に数万人を死刑にする。

あるいは宦官連中が権力を握るために、わざわざ皇太子を殺して遺書を書き換える。まともな皇太子には恩を売れません。「まさかという皇子」だからこそ恩をきせることができる。それもなるべく無能で気の弱い皇子がいい。こんなパターンが何代も続く。

擁立された幼帝も情況は知ってるんで、そのうち成人すると恩人である偉そうな高官を殺す。逆に高官は、殺されそうな気配を察して、また皇帝の首をすげかえる。命をかけた権力ゲームです。

庶民だってボーッとしていられない。いきなり労役に駆り出されたり、残された女房子供が飢え死にしたり、富豪でさえも払いきれない重税を課せられたり。流民、略奪、反乱、当然ですね。

そんな底のしれない白髪三千丈的な大陸文化と、島国のつましい文化をそもそも比較しようと考えるのが間違いなんでしょうね。

11巻から先は清朝・現代史になるのでいったんオシマイ。また漢あたりに戻ってみたいと思っています。

明末、万暦年代だったかな、民窯が盛んになってどんどこ輸出し始めたが良質の土が払底。日本では「万暦赤絵」は非常に人気があるけど、要するにデザインを簡略化した量産品ともいえるわけで、中国ではあまり評価されていないとか。・・・という陳さんの指摘は面白かったです。