2030年、この国の未来

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先日の新聞に、米情報機関が4年ごとに発表しているという世界の将来像予測「グローバル・トレンド2030」の紹介記事がのっていました。

2030年、世界のパワーバランスはどうなっているか。ま、おおざっぱにいうと、パワーの分散化らしいです。
「数世紀ぶりに産業革命からの潮目が変わり、西欧の衰えとアジアの興隆」
「米国はまだ力を保ち続けるものの、どんどん影響力をなくしていく」
「中国はGNPで米国を抜くが、20年代から減速がはじまる」
「日本は相対的に経済力減退。ロシアやEUと同様にゆるやかな衰退の道をたどる」

非常に納得できる内容でした。その時々の細かな政策や事件によって多少の揺らぎはあるでしょうが、ま、大筋としてはこんな方向でしょう、きっと。この流れは変えられない。

日本が衰退に向かう主な理由は高齢化と人口減です。神代の昔からおおむね日本の人口は増えてきましたが、これからはどんどん減る。そもそも「永久に増え続ける」なんてのが無理だった。輸出産業がどうたらこうたらとか、所得や貯蓄がなんとか、結婚年齢がかんたらなど細部の話はあるでしょうが、ま、日本人口がやがて1億を割り、9000万になる。そういう国家が、広い国土と沸き立つ何億もの民衆をかかえる大国とずーっと張り合おうということに無理がある。

人口問題、もちろん解決不可能ではありません。どんどん産んで育てればいいだけの話。安心して産んで、安心して育てられる環境を整備すればいいんで、筋道そのものは非常に簡単です。ただし、それを実現するには政府と国民が「本気でやる」という覚悟が大前提です。

何が必要ですかね。出産、育児、教育、労働環境。産みやすい、育てやすい、育児しながら仕事をしやすい。要するに社会ぜんたいが出産・育児を歓迎するような形にもって行く。早期の結婚を推奨する。あるいは結婚にとらわれず、婚外子大歓迎。一人で産んでも安心して仕事が続けられるような環境。

ただし「本気でやる」ってことは、国民すべてが身銭を切って、痛みを伴って応援しなくちゃいけない。たとえば新規に10%くらいの「出産奨励税」が必要かもしれないし、企業も「子持ち女性社員比率30%雇用ルール」とかを強いられるかもしれない。それじゃ企業効率、競争力が・・なんて言ってたら実現は無理。高額の「独身税」なんてのも必要かな。

国家が成熟する、言葉を変えれば老化する。若さを失うと通常、出産率は減ります。人口は減少します。当然ですわな。

労働人口を減らすのはいやだ。でも本気で子供を増やす施策は大変そうだから無理。そんな場合、通常はよその国から移民を受け入れますね。ロンドンの白人人口が5割を切ったというニュースをテレビでやっていました。フィリピンでも中国でもベトナムでも、なーんでもいい。日本で働きたいという人々を受け入れる。日本へ行きたいという人間、(今のところなら)たくさんいます。

もちろん、まったく別のトラブルが生じます。待遇の問題。言語の問題。文化の衝突。差別の問題。みんながニッポン文化に馴染み、難しいニッポン語を覚え、「良きニッポン市民」になってくれるなら問題ありません。また「ガイジンには安い賃金で単純労働をさせればいいんだ」という考え方が大手を振って通用するうちは簡単です。でもずーっとそれを望むのは虫がよすぎる。

新宿を歩いている連中の半分は移民、あるいは海外からの出稼ぎ労働者という光景になっても不思議はないでしょうね。自動販売機はすぐ壊されるようになるかもしれないし、たぶん、凶悪犯罪も増える。役所の掲示も数カ国語表示になるし、街の雰囲気もガラリと変わるでしょう。しょっちゅう「雇用を奪うガイジンは帰れ!」なんてデモが起きる可能性もある。

少し前からインドネシア、フィリピンから募って、日本で勉強させて看護師国家試験を実施なんてことがありました。多少は改善したみたいですが、日本人受験者でも読めないような明治時代の医学用語でペーパーテストをして、それで合格率が超低いとなげいている。本当に外国人看護師を受け入れようとしているのかどうか、非常に疑問です。単に形だけ整えたんじゃないのかな。「受け入れてるんだよ。でも合格しないんだから仕方ない」

それがなぜ悪いか? 実質はともかくタテマエ上は純血主義を貫いてきたニッポンです。万世一系、豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)が、そんなゴッタマゼ国家になっていいのか、悪いのか。居心地のよい均質文化のニッポンであり続けることはいけないのか。真面目な論議をしたこと、ないですね。

何を言いたいのか。要するにこのまま真面目に辛い決断をしないのなら(たぶんしないでしょう)、日本は長い秋の日々を平穏にむかえることも難しいかもしれない。平穏な秋の日々を暮らす国家とは、たとえば、雰囲気としていまの北欧諸国のような国家でしょうか。血気の青春国家ではなく、成熟して、あるいは老成した大人の国。腕力もないし、お金も昔ほどはない。腰も痛い。でもまあ、多少の知恵はあるし、ある程度は周囲から尊重してもらえるような立場。

たぶん、そうならざるを得ない。いつまでも永遠の右肩上がりを叫んでいても仕方ないわけです。で、そうした筋道をたどる可能性が高いのなら、あらためてこの国はどんな政策をとるべきなのか。何が必要で、何が不要なのか。何を諦める必要があるのか

こんなふうな話をしてくれる政治家、思想家、いないですね。みーんな「こうあるべき」という、聞きやすい話しかしない。「そうするのが無理な場合はどんな選択肢があるのか」という耳に痛い話も聞きたいと思っています。「1位でなくちゃいけないんですか」という問いかけは正しい。

どうでもこうでも試合前には「金を狙います」と言わされるのがこの国の文化です。選手は言いたくないでしょうが、周囲の圧力で、表明しなかったら非国民。で、仕方なく言わされた「金しかないです」という言葉を、言わせたマスコミも半分くらいは信じてしまっている。

「優勝しかない!」とタテマエ論かかげて、そのうちスッ転んで大怪我してビリになるより、実力をわきまえて「なんとか入賞を狙う」という現実論があってもいいんじゃないでしょうか。たとえば、結果的に消費税が30%になって貧しくなってもいいです。でも「税収が足りないから」というその場凌ぎの理由ではなく「こうした国にしたいから」という積極的な理由であってほしい。

なんか論点をきっちりさせるのが難しいテーマですが、ぼんやりそんなことを考えています。いまのままでは2030年、どんな国になっているのか明確な想像ができません。「こんなはずじゃなかった」といい年こいてまだ焦り狂っているトシヨリ国家では悲しい。見苦しい。少ないながらも年金もらって「ま、こんなもんだろ」と孫と散歩できるようなトシヨリであってほしい。

そういう福祉国家、若い人にとっては息苦しいかもしれません。はい。どんどん出ていきましょう。その頃、どの国が面白くなっているかは知りませんが、英語でもスペイン語でもスワヒリ語でもいいです、波瀾万丈に生きてください。波瀾万丈に生きて、ふと疲れたら帰国。「物足りないけど、やっぱ、この国はいいなあ」と感じてもらえるようなニッポンだといいですね。

シリメツレツになってしまった。真面目に書くなんて慣れないことをしたのがいけない。でも、少し真面目に考えるてみることも必要なんでしょうね、きっと。

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このページは、kazが2012年12月13日 16:32に書いた記事です。

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