昔はみんな番傘だった

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たまたまテレビをつけていたら、「にっぽんの芸能」とかいう番組をやっていました。NHKですね。古典芸能番組であることは間違いないですが、なぜかコンセプト不明で和服の檀れいが出てきて、色っぽくコントまがい見せている番組です。もちろんいかにもNHKふうの、聞いていて恥ずかしいようなコント。

で、ぼーっと眺めていたら後半から歌舞伎の京鹿子娘道成寺を見せていました。ひたすら一人踊りの連続ですね。なんとなく知っている道成寺の話(安珍・清姫)とは違っているようで、気になったのでネットを少し探索。そしたらかなり詳しそうな人のブログで「出てくる坊主ども(所化)の傘のさし方がバラバラで・・」とか。

バラバラというのは傘の持ち方。なんでも洋傘は柄のなかほどを持つ、和傘は下端を持つのがふつうなんだとか。ふーん。

で、ふと大昔を思い起こしました。子供の頃、傘といえばカラカサ(番傘)でした(洋傘は「コウモリ」でした)。竹と紙でできた傘なんで、すぐ破れる。で、新品を買ってくると父親が傘を開いて油紙に墨で名前を書く。書く部分は石鹸でこすって、油っ気を少し落としておきます。そうしないと墨が乗らない。

あのカラカサ、手元の部分はどうなっていたか。胴体部分とか、頭のあたり、骨の構造なんかはかなり記憶がはっきりしています。でもなぜか手元がわからない。記憶が茫洋としている。

つまり、単に柄の竹を切り落としただけの単純構造だったのか。切り落とした石突部分には何かはめこんであったのか。手元も何か巻いてあったのか、はて。

探すと、ちょっと高級そうな番傘写真を発見。そうか、やっぱ柄は単なる切り落としなんだ・・・。

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このページは、kazが2013年3月17日 15:52に書いた記事です。

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