「南部は沈まず」 近衛龍春

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★★★ 日本経済新聞出版社

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近衛龍春で最初に読んだのは「上杉三郎景虎」。知らない作家だなあ・・と手にとってみたら、意外や意外でよく調べぬいた構成で読後感も悪くない。これで名前を覚えました。

で、その後では「毛利は残った」ですか。。毛利輝元の生涯を扱ったもので、ちょっとコミックタッチでしたが、これも楽しい本でした。

今回は「南部は沈まず」。南部というとあんまり知識はないですね。とにかく津軽と仲が悪かったという程度。どっかの段階で津軽のナニガシが南部に背いて独立した。それが尾を引いてか、いまだに南部と津軽はあんまり関係がよくない。

ま、そんな程度です。

で、ようやくその辺の空白が埋まった感じです。戦国末期、青森県東部から岩手県の北半分、ついでに秋田県の東端あたりに勢力を持っていたのが南部一族。面積だけは広いです。非常に広いです。

ただし当時の辺境のことなので、ようするに小領主連中がたくさん割拠していて、それぞれが小さな城をもって戦いを繰り広げていた。この本に登場する南部一族の領主たちも一戸、二戸・・・九戸などなどあって、はっきりいって誰が誰の兄弟で縁戚なのか、まったく覚えられません。

ともかく結果的に実力と才覚で総領家におさまったのが南部信直という人。信直がようやく三戸の総領家におさまろうとしているころに、弘前のあたりで反乱を起こして独立したのが大浦為信。なんやかんやで青森県の西半分くらいをぶんどってしまった。

信直にとって大浦為信は不倶戴天の敵なんですが、為信さんはわりあい世渡りが上手だったらしく、秀吉に顔をつないで「独立津軽領」を認めさせてしまった。ちなみに南部が領土安堵を得たのは諸侯の中でいちばんビリっけつだったそうです。田舎もんですから。

この「田舎もん」がこの本のキーワードですね。領地はやけに広いけど検地なんてやったことがないんで、いったい何万石あるのかは誰もしらない。もちろん兵農は分離していないから戦いは農閑期にしかできない。

「領主と家来」という近代的システムに慣れてないから、豪族たちはみんな独立独歩。なかなか殿様の指示に従わない。戦をしても、みんな親戚みたいなもんなんで、あんまり過酷なことはできない。なあなあで終わる。だれも領主をたいして尊敬していないからすぐ謀叛をおこす。

しかも僻地。京大阪で何かあっても、遠い南部にまでニュースが伝わるには1カ月はかかる。上京するだけでもえらい経費がかかるんで往生する。おまけに米はとれない。地震や津波も多い。雪は深い。人口も少ないから工事もはかどらない。

ゆいいつ、馬の生産だけはすこし誇れる。山が多いから、鷹もいる。中央への献上物はたいてい駿馬か鷹です。そうそう。金が少し出るんで頑張りたいんですが、あんまり掘ると中央にバレて接収れさるのが怖くて控えめにしている。控えめにしてたはずなのに、でも中央にはバレバレ。情報管理がなってないんでしょうね。

たいへんです。

どっかのサイトに「津軽は俊敏。南部はおっとり」というようなことが書いてありました。たしかにそんな雰囲気です。南部信直、利直の親子、本人たちは知恵をこらして巧みに動いていたつもりでも秀吉や家康から見ると「のんき」に見えたんでしょうね。作者は家康の言葉を借りて「南部は何を考えているのかわからない」と語らせています。わからないけど、どうせたいした企みじゃないみたいだから、ま、許してやるか。そう権力者に思われて南部藩は生き延びた。