2015年12月アーカイブ

やれやれ。窓ガラスも拭いたしサッシ網戸の汚れも落とした。かねて用意のハンドスプレー()は水圧が弱くてさして効果がなかったけれども、ま、多少は役に立った。加島屋の新巻も届いていて、尻尾のほうは味見もしてみた。ちょっと塩が強かったけど、そもそも「きつめに」と注文しているんだから仕方ないです。

kashimaya2014.jpgのサムネール画像ハンドスプレーで思い出したけど、ベランダのプランター用に使っている先端のとれたジョーロ、ついにプラスチックの底が破れて水が漏りだした。あわてて買い換えるほどのものでもなし、頑丈なガムテープで暫定補強しました。これでまた何カ月かはもつでしょう、きっと。使いだして15年か20年か。ジョーロの底に穴があくなんて、まったく歳月というものは・・・。

なんやかんや、今年ももうすぐ暮れます。子供も仕事がようやく片づいて、今夜は帰ってくるらしい。明日は吉祥寺へ買い物に行くとかいう段取りになっているそうです。

特に大きな病気もせず、無事に過ぎました。ただしちょっと無理するとテキメンに腰にくる。農協(あるんです)で大きな白菜と重い大根を買ってきたら、それだけで痛んだ肩がかすかに悲鳴を上げている。

そうそう。白菜、大根、それぞれ300円でした。レシート見せると銀杏の掴み取りもさせてもらえますが、今年はなかなか立派な銀杏で粒が揃ってました。これは放置すると乾燥するので、早めに殻割り。家内がすぐ茹で処理して冷蔵庫にしまったようです。折りにふれて食卓に出てくるでしょう。

そうそう。PCも一応は筐体を開けてペコペコと空気を吹きかけ、埃だらけのファンの羽根は綿棒で落とす。仕上げは掃除機で吸い取る。ごくあっさりな掃除ですが、ま、気は心。来年もまたお世話になります。

年賀状の印刷も終了。ただこの時期だけ使うキャノンのインクジェットが、今年もなかなか言うことをきかなくて苦労しました。1年前にはまだ残量あったはずなのに、1年たつと「インクが足りません」と文句を言う。そう来ることは予想済なので、もちろんインクは購入してるのさ。

しかしインクを交換して万全で印刷かけてもまだシーンとして応答がない。何故なんだろ。確か去年も同じように苦労した記憶あり。何故だぁ!としばらく悩み、あれやこれや焦りだした頃になるとようやく印刷を始める。いまだに原因は不明。相性悪いのかな。PCとかIT関係とか、あんがい相性って、あるような気がします。


おや、子供が帰って来た。なんかチーズを買ってきたとか申しております。今夜はワインかな。



ポーランドボールの世界

「ポーランドボール」とは国旗デザインのボールキャラクターたちが繰り広げる投稿コミックサイトです。内容はステレオタイプの会話で、偏見に満ちた歴史観や国家観がほとんど。でも面白いので、ときどき覗いています。

pb201512.jpg本当はオリジナルのほうが更新が早いんですが、なんせ英語を読むのが難しいので、もっぱら翻訳版をみています。「ポーランドボール」の英語は、かならずビジンイングリッシュふうの酷く訛った英語です。正しく表記することは許されていません。

このサイトを見る際に求められるのは「決して真面目にとらない」こと。「決して怒らない」ことも重要。たとえば「ニッポンボール」はかつての大戦の栄誉を忘れられず、米国ボールに媚び、何かというとハラキリを宣言する。おまけに変態でいつもカワイイを連発しています。

たとえばラトビア(だったかな)は家よりも妻よりも娘よりも1コのポテトを大切にします。「その女をよこせ」と脅されても従順にしたがう農民が「ポテトをよこせ」と強要された場合はたちまち反乱を起こす。命より誇りよりポテトが大切。

アメリカボールは巨大なハンバーガーに食らいつきながら「自由を!民主主義を!」を所かまわず連呼。しかし肝心の相手の国の名前をすぐ間違います。夜郎自大の無知。親切に行動したつもりが、なぜか嫌われて悲しむ。

かなり各国の歴史とか地理を知らないと、面白さは理解できません。何が面白いんだろ・・・とコメントをいろいろ読んで初めて知ることも多いです。投稿者のレベルがかなり高いんでしょうね。


フィリップスのシェーバーが拾い物だった

philipsSV.jpgパワータッチ PT725Aという電動シェーバーを買いました。シェーバーなんて自分で買うのは生まれて初めてです。3600円程度だったかな。今は5000円ほどに上がっている。

円安でこのての製品がみんな値上がりしています。だから未だに内蔵ハードディスクが買えない。5000円くらいで入手したい気分のウェスタンデジタルのHDDが今は9000円くらいに上がっている。

このフィリップスのシェーバー、意外に使いやすかったです。3軸でモーターはあまり強力ではないし、剃りごごちも痛快とはいえません。しかしバッテリーは長持ちするし、丸洗いできるし、ときどき無精髭をきれいにする程度の用途ならまったく問題なし。たまにスッキリしたいときだけ3枚刃だったか4枚刃だったかの(替刃が高いぞ)のT字を使います。


連休混雑の高尾山へ行ってきた

takao2015.jpg以前から折に触れて家人が「高尾山がなんとか・・・」と言う。興味があるのかなとは思っていましたが、私は登山にほとんど関心なし。はるか昔、高1の頃に苗場に登ったことはあるものの、これはなかなかハードだった。登ったときは爽快でしたが、もう十分です。

それが、何がどうしたのか家族で高尾へ行くことになってしまった。途中まで行って、すぐ降りて麓で懐石を食べようという気楽なスケジュールだったんですけどね。

ただし連休まっただ中というのが失敗でした。とにかく混んでいる。ケーブルを待つ、下りてからも歩きにくい、下山しようとしてもラッシュの駅みたいな状態。おまけに石を埋め込んだ下山道がけっこう膝にくる。懐石の送迎バスもノロノロだし、着いてからも時間待ち。悪くはなかったけれど、ちょっと懲りました。

連休中に行楽地へ行こうなんて、悪い考えでした。


長州の魚屋の息子が京で出刃包丁をふりまわす

えーと、ようするに大河ドラマの悪口です。古今未曾有の最悪ドラマでした。

特に好きな女優ではないですが、主演の井上真央、ひどい貧乏籤をひいた。というより、このドラマに出演してトクした俳優さん、いたんだろうか。松陰の伊勢谷友介、そこそこだったけどマイナス10点。玄瑞の東出昌大は大根がばれてしまってマイナス50点。高杉晋作の高良健吾もアホな芝居させられてマイナス20点。

杉家一族の長塚京三、檀ふみ、原田泰造。下手な人たちではないのに最悪脚本でマイナス60点90点。みんな不気味で恐かったです。殿様役の北大路欣也、奥方の松坂慶子、銀姫の田中麗奈、みんな可哀相でした。そうそう、ちょい役で出た乃木坂46とかお笑いとか、みーんな大変でした。同情。

ちなみにタイトルの意味は「松下村塾の亀太郎が、京にのぼって出刃をふるい、長井雅楽を暗殺しようとする」。松浦亀太郎ってのは魚商人の息子ですがWikiによれば長州藩の陪臣。陪臣なら立派な士分です。例の松陰の肖像を描いていて、号は松洞。もちろん教養人で志士。なんで出刃包丁もって行くんだ。おまけに出刃で切腹するとか。泣。


大英博物館展 東京都美術館

daiei100_2015.jpg実はたまたま大英博物館の館長が書いた「100のモノが語る世界の歴史」という本を読んでいて面白かった。で、そこで紹介された美術品がそのまま陳列されるというんで、行ってきました。東京都美術館の大英博物館展です。

こじんまりして、そこそこ良かったんですが、内容はほとんど忘れてしまったなあ。考古展ではないので、けっこう斬新な企画展示にもなっていました。

そうそう。やはり記憶に残ったのはクローヴィスポイントかな。新大陸の小さな尖頭器ですが、実に精緻。まるで美術品です。しかし説明書きによると「一定の手順通りに(坦々と)作業して作成したものだろう」とか。工芸品ではなくあくまで実用品。

出たあと少し歩いて、池之端の伊豆栄で鰻。なんか行きつけみたいな書き方ですが、もちろん初めてです。なんかの本で読んで知ったのかな。浅田次郎の「黒書院の六兵衛」に出てきたのかもしれない。瓦解後の江戸城に居すわる頑固侍を懐柔するために、うまい鰻を食わせるというエピソード。 あんまり甘くなくて好きな味でした。大きな店で中国人らしい観光客もいました。接客はあくまで気楽な下町ふう。


生まれて初めて銀歯をいれた

個人的には大事件。一昨年に下の奥歯を一本抜いたのに続いて、今年は上の奥歯が痛みだし、しばらく頑張ってから生涯3回目の歯医者。もちろんボロボロでもう処置のしようがないだろう、ポコッと抜いてオシマイと思ってたら、抜かずに治療しますかという成り行きになった。で、数日(面倒な)通ってついに銀冠をかぶせる身となりました。やれやれ。奥歯なので、口を開けて笑ってもたぶん見えません。

医者に言わせると「硬い、いい歯」なんだそうです。ただし前歯の噛み合わせは悪いらしい。不便でしょ、と言われて初めて気がつきました。うーん、そういえばスルメを前歯では食いちぎれない。前歯で何かを噛み切るということもなかったような。固い肉なんかにかぶりつくときは、いつも少し横の歯を使っていた。

そうか。自分の前歯はちょっと欠陥商品だったんだ。なるほど。70歳近くなって初めて気がついた。


木曽路。馬篭から妻籠まで


tsumago.jpg木曽路の宿から宿まで、ちょいと歩いてみようかと思い立ったんですけどね。木漏れ日の中をハイキング気分で散策するようなイメージでした。

いやはや。宿の仲居さんが「物好きな」という顔をしていたのも当然です。馬篭と妻籠の間、手荷物を一般道経由で運んでくれるサービスがあるんで、もちろんこれを利用。ところが馬篭の案内所のようなところで荷物を預けたのがもうギリギリの時間でした。要するにスケジュールの組み立てが甘かった。

のんびりハイキングどころか、妻籠での荷物受け取り時間までに余裕がなく、けっこう(主観的には)セコセコ歩く羽目になりました。セコセコったって、だいたい3時間。普通の人は2時間くらいで歩く道中らしいです。呆れられそうですが、4時間くらい使って歩いたらゆっくりできたかもしれない。途中の茶店でも、もっとゆっくりお茶をご馳走になるとか。「熊注意」の看板の横で熊の声を真似て吠えてみるとか。

という成り行きで、到着した妻籠でも電車の時間がせまっていてまったく時間なし。観光なし。道すがら横目でながめて通りすぎただけです。いかにも我が家らしい。こういうバタバタした旅ほど記憶に残ってくれます。


赤坂大歌舞伎で七之助早変わり

akasakaokabuki.jpg歌舞伎を見てきました。勘九郎と七之助で「於染久松色読販」。「おそめひさまつうきなのよみうり」と読みます。要するに油屋の娘が手代に惚れて・・というお話。早変わりが売り物で七之助がクルクル衣裳を替えます。鶴屋南北ですからね、ストーリーなんて、正直どうでもいい。

鶴屋南北。売れない頃の南北を主人公にした小説を読んだことがあって、えーと皆川博子の「鶴屋南北冥府巡」ですか。デガダンで粘っこくてなかなかの本でした。

南北という作者はかなりの遅咲きです。なかなか芽が出ない。念願かなって立作者になれたのは49歳。ちょっと毒があってケレンものが得意で、軽業みたいな早変わりを役者に要求する。通な見巧者からは嫌われたんでしょうが、俗だろうがなんだろうが受ければ勝ち。ほれ、お客さんは喜んでるじゃないか

七之助の早変わりもお客さんに大受けでした。だいたい思った時間の半分くらいでガバッと変わるんですね。そこでキャー!と歓声があがる。楽しいものです。


ファースト・ペンギン

たいしたもんじゃないんですが、書いてみた絵がけっこう気に入ったので掲載。「ファースト・ペンギン」ってのは、要するに最初に海に飛び込むペンギンのことです。

何か最初かというと、実は海にはシャチやオットセイなんかが泳いでいる。シャチは海の狼だし、オットセイは顔見るとわかりますが、海の犬です。どっちも食肉動物。遊泳しているペンギンを見ると「うまそ!」と食いつきます。

ペンギンは魚食動物なので、魚を食べています。しかしシャチはペンギンを食べる。魚も食べるけどチャンスがあればアザラシも食べるし子クジラも食べます。

で、シャチやオットセイが来襲すると警報が発せられて、ペンギンたちは一斉に氷の上に避難。避難していれば安全ですが、でもだんだんお腹もすいてくるし足の下の氷も冷たい。じゃ、誰が最初に海にとびこむ? アイツだお前だとオシクラ饅頭しているうちに、運の悪い奴がドボンと落ちる。落ちると仲間たちは先駆者の様子を真剣に凝視。しばらく何事もないようなら、みんな安心してドボントボンと飛び込みます。それがファースト・ペンギン。偵察者ですね。

もしシャチが待ち構えていて犠牲になった場合は、みんなで話し合って「高貴な先駆者ここに眠る」とか、銅像でも建てるんですかね。いやいや。ペンギンは死んでもたぶん遺体はのこらない。タコの遺骨はいつ帰るとういう唄、ありました。何言ってるんだか。
penguin01.jpgのサムネール画像 penguin02.jpg
渡辺明、10期目の竜王に復位

これもたいしたことではないですが、将棋の渡辺明が竜王タイトルを取り戻しました。これで通算10期目。タイトル1回で5000万円くらいのはずなので、そうか、竜王戦だけで5億は稼いだ。その他いろいろあるはずなので、ま、棋士になってからは10億程度かな。渡辺ほどの才能にとってこの額が多いのか少いのかは不明ですが、ま、よかったですね。

なんで棋士のタイトルを気にするのか。どうも「渡辺竜王」という呼称に馴染みが深いというか、安心感がある。名人ならやはり羽生名人ですね。これが将棋界の秩序というものです。安心して、ときどきはネットの棋戦を眺めますか。

igo2013.jpg別件ですが、囲碁も対局ソフトをインストールして、時折やっています。「最強の囲碁 新・高速思考版」という安物。たしか1800円くらいでダウンロードできました。

そんな廉価版ですが、いやー勝てない勝てない。単純に自分が下手なだけですが、あんまり勝てないと気分が悪くなってしばらくお休み。そのうち思い出してまた対局してみて、たまには勝つけどたいていは負ける。

トシのせいでしょうか、3手先を読む努力ができないんですね。うーんと考えているうちに面倒になってくる。なんとかなるだろ!と打って、あららら、と負ける。そればっかり。


歌舞伎座の12月公演は妹背山婦女庭訓

kabuki2015.jpg赤坂大歌舞伎に味をしめたのか子供がまた行こうというので、こんどは歌舞伎座の12月公演。けっこうな席料なのに、座席はチープです。ちょっと椅子幅が狭すぎるなあ。

演目は妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)。作は浄瑠璃の近松半二。近松門左衛門に私淑した人らしいです。ふーん。

前に見た文楽の義経千本桜と同様、ストーリーはふっ飛んでいます。千本桜では平重盛の嫡男、維盛が身をやつして、すし屋の手代になっている。奥方のナントカ姫が後を追って吉野をさまよう。すごい隈取りした梶原景時が捕縛にやってくる。

女庭訓の場合は時代がもっと古くて、なにしろ悪役が蘇我入鹿です。で、忠臣藤原鎌足の息子が烏帽子折りに身をやつして、洒落た着流し姿。酒屋の隣りに住む。そこへ被衣(かつぎ)をかぶった入鹿の妹が通ってくる。なんとまあ。入鹿の御殿の前では、豆腐買いの婆さんが下駄はいて歩いてる。まるで時代ミックス、SFの世界です。

ま、そういうものなんでしょうね。だんだん人形浄瑠璃とか歌舞伎の「常識」がわかってきました。


今年のエントリーの数は88。実際には再読やら何やらで、だいたい100冊くらいでしょうか。読む量はかなり減っています。

★★★★★評価はもちろん無し。★★★★もほとんどなかったはずで、ゼロかと思っていましたが、検索かけてみると2冊4冊もあった。当たり年だったというべきでしょうか。


江戸城の宮廷政治

edojounokyuuteu.jpg山本博文。江戸時代初期、細川忠興と息子忠利の間にかわされた膨大な書簡の紹介です。

忠興は例のガラシャの亭主で、知恵も働くけど荒々しい戦国武将。しかし息子の忠利は人質として江戸城が長かったので(それが理由で兄たちを差し置いて跡継ぎになった)幕閣や有力旗本とのパイプが太い。父親も将軍家にやたら気をつかったけど、息子はそれに輪をかけて従順だった。他の大名連中から見れば阿諛追従の細川という印象でしょうね。

でも、そうした態度のおかげで細川という有力外様の家を存続することができた。ほんと、ここまで・・というほど卑屈に身をかがめています。天寿をまっとうして死んだ忠興は、臨終のまぎわに「戦国の頃はよかった・・」と述懐したらしい。鑓一筋の武張った時代は終わり、人間関係と宮廷工作の時代。なんかつまらんなぁと思ってたんでしょうね。


邂逅の森

kaikonomori.jpg熊谷達也という作家は発見でした。まったく知らなかった。ただし現代もの小説はちょっと落ちる印象で、やはり真骨頂はマタギものです。

で、代表作といわれるのがこの「邂逅の森」。秋田の貧しいマタギ村の若者が有力者の娘を孕ませて追放され、近くの鉱山で働き、やがてまたまた猟師に戻る。そして狙うことが禁忌になっている山の主、巨大熊と対決。あっさり言うとそんなストーリーです。銃の名手ではあるものの、けっして万能の英雄ではない。ごく普通の若者。女も好きだし酒も飲む。そしてマタギの暮しも楽ではありません。

そうそう。数年間いることになる鉱山。今年の朝ドラにも出てきましたが、鉱山ではたんなる労働者ではなく親分子分の関係で働きます。ヤクザとか香具師なんかと同じ全国ネットワーク。友子制度と称するもので、職能伝授・互助組織です。そのへんのお話はなかなか面白かったです。


砂漠の狐を狩れ

sabakunokituneooe.jpgスティーヴン・プレスフィールドは「炎の門」を書いた人です。したがってこの本もタイトルイメージとは違って、単なる冒険小説ではありません。どっちかというと地味です。

中身はもちろんアフリカ戦線、ロンメル将軍をなんかとして殺せないか・・と劣勢の英軍が知恵をしぼる。砂漠を大きく迂回してロンメル司令部に奇襲をかけることはできないか。ということで砂漠仕様のシボレートラックが用意され、長距離砂漠挺身隊はしょっちゅう故障しながら延々と走り続けます。ひたすら過酷な環境の連続、故障の連続。エンジンはガタつくしサスペンションは折れるしタイヤはパンクするし

砂漠の戦車戦についてのイメージが大きく変わりますね。お互いが堂々と対峙して戦車砲が吠え・・なんて派手なことはまずない。遠くからひたすら叩かれる。どんどん壊れる。相手の戦車隊が見えた頃は、こっちはもう壊滅状態。面白い本でした。

ところでスティーヴン・プレスフィールドという人、絶対に英国人と思っていましたが、どうも違うらしい。意外でした。米国人がこんなスタイルの(要するに辛気臭い)本を書けるんだ。


ほんとうの中国の話をしよう

hontounochugoku.jpg余華という作家もしっかり名前を覚えました。「兄弟「血を売る男」などなど、良質の小説を書いています。

で、「ほんとうの中国の話をしよう」は小説ではなく、一種の半生記です。文革時代に育ち、紅衛兵に憧れて街を走り回った少年時代。修正主義の悪人たちを絞りあげたり、食料切符を換金しようとする不埒な農民を殴ったり、家族会議を開いて自己批判して壁新聞を書いたり。当時の庶民の正直な感覚のようなものが伝わります。

この人の英訳本は「ヘミングウェイみたい」と称されるそうです。でも本人曰く「それは使っている言葉が難しくないから」とか。勉強する機会のなかった世代なので、知っている言葉だけ使って書くしかなかった。だから簡潔。キビキビしている。平易。

ちなみに若いころは「歯科医」ということになっていますが、実態は「虫歯抜き職人」です。給与は他の労働者とまったく同じ。朝から晩まで農民たちの臭い虫歯をペンチで抜き続ける。耐えがたい日々だったらしい。


美しき日本の残像

utukushikinihonnozanzo.jpgアレックス・カー。40年以上も前に日本の美術品や古民家が好きになり、まだ学生のうちに借金して徳島の山奥で古屋を購入、修築。それをしっかり商売にも結びつけた。以後も日本の古いものを愛し続けながら、みんながなんとなく思いこんでいる「日本の自然は美しい」という錯覚に一撃くらわした人です。

要するにニッポンの「美」はどんどん失われている。もう絶望的な状況。歴史の観光都市・京都だなんて威張ってる場合じゃない。まがい物。パチンコ店のネオンがギラギラ輝き、青空を電柱と架線が汚している。日本に清流なんて残ってますか。道という道をアスファルトで敷きつめる。無機質なコンクリート建築があふれる。事実を見つめてみましょう。ま、そういう本ですね。

ガイジンにそう言われてみれば、確かにそうだなあ・・・と心が少し痛みます。少なくとも「日本は
素晴らしい」と意味なく威張るのはよしたほうがいい


本人はだいぶ前に日本にアイソをつかし、たしかタイだったかに逃げてしまったはずです。あっちはまだ「美」が残っているらしい。


悪い奴ほど合理的

waruiyatuhodo2015.jpgレイモンド・フィスマン。けっこう面白い本でした。一応は「低開発経済学」の本ですね。発展途上国はなぜいつまでたっても発展途上国なのか。たとえば1960年頃、韓国とケニアはほぼ同レベルでした。ではその後なぜ韓国は抜け出し、ケニアはケニアのままなのか。キーワードは腐敗と暴力。

貧しいから腐敗と暴力がはびこっているのか。あるいは腐敗しているから貧しいのか。どっちが先なんだろう。貧しいから警官や役人はワイロを要求するのか、それとも役人や警官が堕落しているから非効率で貧しいのか。

一応は「低開発経済学」の本なので、いろんなリサーチの結果が紹介されます。けっこう楽しいです。

とくに面白いのが国連に勤務する各国の外交官たちの「道義心」あるいは「腐敗度」。国連ビルの周辺は駐車場所がほとんどありません。どうしても違法駐車してしまう。しかし外交官は違法駐車しても罰金を払う義務がありません。違反ステッカーを無視してもまったく問題なし。

そんな状況で、一日に何回も駐車違反する外交官もいるし、まったくしない外交官もいる。罰金を払う人もいるし、払わない人もいる。そうした外交官の行動と、その母国の腐敗度ははたして比例するのか。どう思います?


アルグン川の右岸

arugungawano.jpg著者は遅子建。アムール川の上流、ロシアと内モンゴルの国境を流れるのがアルグン川。その中国側に住む狩猟民エヴェンキ族のお話です。ガルシアマルケス「百年の孤独」のような匂い。

簡単にいってしまえば、バイカル湖の付近から延々ロシアに追い立てられ、満州国の時代は日本軍の指示にしたがい、それが終わると今度は中国政府の少数民族定住化政策。狩猟で暮らしていたエヴェンキ族は麓に下りて定住しろと指示されます。

厳しい自然の中、シャーマンに従いトナカイとともに生活してきた狩猟民ですが、もし里に下りたらもはや誇り高き狩猟民ではありません。ネイティブインディアンやエスキモーと同じで、アイデンティティを失い農耕文化に吸収され、やがては消える運命でしょうね。集落のみんなが山を下りる中、語り手であった老女は孫と2人で残ります。孫の役目は老女が死んだ後、4本の大きな立ち木の間に遺体を風葬すること。仕事が終わったら、たぶん孫も里に下りるんでしょうね。


北の無人駅から

kitanomujineki.jpg渡辺一史著。この本で紹介されている「無人駅」は室蘭本線小幌駅、釧網本線茅沼駅、札沼線新十津川駅、釧網本線北浜駅、留萌本線増毛駅、石北本線奥白滝信号場。当然とはいえ、知らない駅ばっかりです。

本筋と関係ないですが、何人か伝説的な豪快痛快人物が紹介されます。一人は全国的にも有名な脱獄囚で五寸釘寅吉という男。五寸釘を踏み抜いてそ、板を引きずりながら何キロも逃走した。異常な体力の持ち主で、生涯に5回だったか6回だったか脱獄したはずです。すごい。そして知られていなかったのが第一章の小幌駅で登場する漁師・文太郎。

この人、とにかく豪快だったらしい。両親ともアイヌだったともいうんですが、運動能力がべらぼうで怪力で、おまけに大酒飲み。金が入ると小幌から隣の集落まで暗いトンネル歩いて飲みに行き(なんせめったに汽車は通らない)、たっぷり飲んじゃご機嫌でトンネル通って帰る。ある日飲みすぎて、ついトンネルの中で寝てしまった。それもレールに片脚をのっけたまま。レールに乗せると気持ちいいですかね。列車が来て片足轢断です。

ふつうはこれで死亡なんですが、なにしろ凄い人なんで、とりあえず止血して外まで這い出した。しかも懲りずにもう一度やった。やはり酔っぱらってたんでしょう、今度は踏み切りで轢かれて、残った脚を切断。病院へ運ばれる際も威張っていた(なんせ酔ってる)とか。それでも生き延びた。

非常に腕のいい漁師で、やがて釣宿だったか民宿を経営するようになり、大勢の子供を養った(たしか大半は連れ子)。舟に乗るにも何をするにも松葉杖と2本の腕だけで器用にこなしたそうです。腕の太さがふつうの人の脚くらいあった。たぶん相変わらず大酒飲みで、けっこう乱暴な人だったらしい。今でも家のあったあたりは「文太郎浜」という地名で残っている。北国の英雄伝説ですね。

追記

文太郎のこと、本を返す前にちょっと読みなおしたら、まだ存命だった息子の評もあった。義理の父親を称して「要するに清水の次郎長だわ。親分といえば親分。侠客といえば侠客。クダラナイといえばクダラナイ」。笑ってしまった。野獣のような体力、漁の天才、計算も早くて民宿経営、優しさもあるが大酒飲みで乱暴で博打が大好きで、7人の子供(2人は実子)は毎朝薪集めにこきつかわれる。文太郎は浜に陣取って一斗缶をガンガン叩いて遠くから指令を飛ばしていたそうだ。「寝る時間なかった。3時間も寝ればすぐ叩き起こされて漁に連れていかれる。地獄だった」と息子は少年時代を呪詛する。実感あります。


「忘れられた日本人」

ひとつ、忘れてた。★★★★つけてました。宮本常一。
wasureraretanihon.jpgのサムネール画像
いわゆる民俗学の本ですね。戦後すぐあたり。ただし柳田なんかと違って、あんまり偉そうではない。ひたす足を使って爺さん婆さんにあってゆっくり話を聞く。文章は品があって読後感もいいです。

最初の方で紹介される村の「寄り合い」は面白かったです。なにか決めるべきことが発生すると、集会所にみんな集まる。ただし「8時集合。2時間の予定」なんな堅苦しいことはいわず、なんとなく集まって、なんとなく雑談する。テーマが飛ぶのは当然。ひたすらダラダラと話し続け、2日でも3日でもやる。用がある奴は中座するし、用がすむとまた顔を出す。

ずーっとダラダラやっていると、なんとなく方向性が見えてくる。「じゃ、そうすべか」と誰かが言って「そうだべな」とみんなが頷いたらそれで決着。こうやって決まったことには誰も逆らわない。誰かの指示や命令ではなく、自分たちで決めたことだから。

楽しい本でした。家内が「宮本常一、いいよ」と言っていたのも納得。



★★★★ 北海道新聞
kitanomujineki.jpg
拾い物みたいな本でした。タイトルだけ見たら、いかにも鉄道オタクの本ですわな。しかし中身はズシッと重いです。しかもどんどん読める。あんまりベストセラーになるような本でもないです。

要するに北海道の無人駅をキーワードに、北海道の歴史と現実を見つめてみよう。なぜ無人駅になってしまったのか。漁業、自然保護、観光、流氷、農業・・・。

「北海道の自然は雄大」とか「美しい丹頂を保護」とか「農民たちは意欲に燃えて笑顔がすばらしい」とか「農産物はみんな美味しい」とか。そんな観光パンフレットみたいな言葉で北海道を理解するのはやめよう。手つかずの自然とは貧しいということでもあります。丹頂鶴は田んぼを荒らします。農民がみんな正直で働き者だなんて何いってんですか。

といって、こうした「勘違い」を高所から批判する本でもないです。どちらの側に立とうということではなく、事実を知ろう。少なくとも語る際に決して奇麗事のウソをつかない(すごく難しいことです)。

農業をテーマにするんなら、農民の話も聞き、悪者になりがちな農協役員の話も聞く。農業技術指導員(だったかな)にも教えてもらおう。いろんな立場の人から話を聞くと、話はどんどん複雑になります。誰が悪くて誰が良いなんてシンプルなもんじゃない。まったくスッキリしない。でもそれが現実です。

ま、少なくとも「都会の善男善女」のご意見だけは聞く必要なし。マスコミの影響もあるけど、みーんな大きく勘違いしてるんだから。知床へ家族旅行して、可愛いヒグマの子にパンを投げてあげるような善意の人たちのことです。


子供に誘われて12月歌舞伎へ。歌舞伎座は初めてです。演目は妹背山婦女庭訓。蘇我入鹿が帝位を狙うとか、そういうストーリーなんですね。忠臣・中臣鎌足の息子が身をやつして酒屋の隣に侘住まい。そこへ謎の美女が訪れて・・・ようするに三輪山伝説ですか。ただし訪れるのは魔性の男じゃなくて女。実は蘇我入鹿の妹であった。

kabuki2015.jpg鎌足の息子ってのは、例のパターンで若衆ふうのなよなよ美男子ですが、謎の美女だけでなく酒屋の娘とも仲良くなっている。あっちもいいけどこっちも好き。困ったもんじゃ。

で、美女の素性を知りたくて、夜明けに立ち去る女の裾に糸を結びつけて後を追う。ところが男だけでなく、酒屋の娘もまた、恋しい男の裾に糸を結んでいた。赤糸、白糸、二重の追跡です。

この色男は松也。上手なのか下手なのは知りませんが、綺麗な役者ですね。酒屋の娘は七之助。美女はえーと児太郎という人。よく知りませんが若いのかな。で、今回は最後の「三笠山御殿」という段で役が入れ代わり、酒屋の娘は玉三郎が演じる。

玉三郎、いくつになるんだろう。もう60台中頃ですよね。花道から登場したときはちょっと太めで大きくみえましたが、芸でしょうか、すぐ見慣れる。ごつい官女たちのコミカルないたぶりに耐えている姿が可愛らしく見えてくる。よかったです。

そうそう。途中から出てくる漁師の鱶七という役。荒事ふうの芝居をするんですが、セリフが聞き取れなくて往生した。たぶん難波漁師なまりで大声出してるんでしょうが、うーん、わからない。

最後は嫉妬に狂う女の生き血がほしいとか訳のわからない理由で玉三郎が刺される。このシーンでは鱶七と官女ふうの男が立ち回りをして、これも設定がわからない。味方なのか敵なのかも判然とせず。ま、派手な後トンボを切るだけの役目なのかもしれません。

訳のわからないことが多かったですが、ま、それなりに面白う御座いました。東銀座の改札出たところで買った1000円の幕の内も美味しかったです。鮭の切り身が妙に綺麗だった。

gryfus.jpgスーパーで何かワインを探そうと見ていたら、スパークリングが何種類が並んでいた。あ、シャンパンじゃありませんよ。シャンパンに決めるほど好きでもないし金もない。まあクリスマス正月ということでなんか手頃なのを探そうかと。

もちろん知識ないので、どっちかというと価格で探します。しかしいくら安売りスーパーといってもスパークリングで1000円以下はちょっとね。安くても1300円とか1500円とか、最大で2000円とか。はい、細かいです。貧乏人の特徴。

で、1500円でロゼのイタリアものを購入しました。買ってきてからラベルを見たらどうも「GRYFUS」と読める。グリフォンですかね。そんなふうな絵も書いてあるし。どんな素性かザッと調べてみようとネットを漁ったら、なにもヒットしません。よっぽどマイナーな酒蔵なのか。

裏に小さな文字でagricola ruvo di puglia とあります。pugliaはたぶんプーリア州。agricolaは農業に関係ありそう。ruvoは不明。ま、イタリア南部プーリア州のナントカ葡萄園でとれたとかいうことなんでしょう。輸入業者が大阪のメモスという会社で、検索したらDR.ドメニコ カンタトーレとかいうオジサンが社長だった。イタリア物産が専門なのかな。

で、この会社のサイトの販売カタログPDFにありました。ヴィーノ・スプマンテ エクストラ・ドライ ロゼ「クリフス」。そうかGRYFUSではなくCRYFUSだったんだ。どうりで検索しても何もなかったはずです。ただし実際に飲んで甘いのか酸っぱいのか詳細はやはりどこでも発見できず。自分で確かめるしかない。当然だけど。

くそ。このところFirefoxがガクガクするようになったので、ちょっといじったのが悪かった。

問題なく終えたはずだったのに、そのうち、立ち上げると毎回ユーザー制御画面がでるようになった。Firefox Software Updaterが何か要求している。「更新はしない。更新を通知するな」とチェック入れてるのに、なぜかUpdaterが立ち上がる。

うーん、しばらくゴチョゴチョやったあげく、試しに「変更許可する」にしたら、問答無用でアップデートされてしまった。あらら、バージョン43.01。

バージョン43って、たしか64bitだと思ったけど、どうなんだろ。まだ出たぱっかりで信用できない部分もある。なんか気分悪いです。

(調べてみたら、32bitバージョンだったみたい。しばらくこれで行く予定。)

追記
その後、どうせならと64bit版をイントスール。外見も動作もほとんど差異なし。とくにスムーズになった気もしない。

firefox4301.jpg


更新しない設定だったのに。
デザインはかなり変化した。
★★★ 角川書店
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副題は「なぜヒトは人間になれたのか」。何年か前のNHKスペシャルを書籍化したもののようです。テレビ畑の人ってのは、あんまり文章がうまくないなあ。ワンパターン。品がない。また映像で説明したものを文字にしているので、どうしてもわかりにくい。そうした欠点は多いんですが、ま、いい本だったと思います。


要するに、人類が出アフリカしてから世界中に拡散し、増殖をし続けた結果としてどうなったのか。脳になにか変化があったのた。あるいは発展には「なにか人間らしさ」がかかわっていたのか。そういう面倒なテーマです。「心」の解明。

ごく大雑把に言うと、いまでも古い形で生存している狩猟民族たちは「ケチ」と「自慢こき」を極端に嫌う。場合によっては集団で制裁を加えるし、たびかさなると集落追放とか死刑にもする。制裁を加える場合、構成員みんながやることが重要らしい。個人対個人の関係にしないためです。

ケチと自慢こきがなぜいけないのか。その理由は明白で、狩りの獲物を誰かが余計にとるようでは集団生活が崩壊してしまう。とった肉は男も女も完全平等に切り分ける。分けてもらう人は絶対に礼なんか言わない。獲物をとってきた男も偉そうにはしない。「オレが殺した鹿だぜ」と自慢するような奴は(潜在的に獲物の取り分を主張している)やはり平等の精神に反している。

ま、狩猟で得た食料ってのは、溜め込むことができません。すぐ腐ります。自分だけ余計に溜め込んでもたいしたメリットはない。ちょっと余計に取り分を得るより「あの人は公正なやつだ」と思われたほうが得策。

つまり人間は周囲の「目」を意識して生きてきた。「コインを入れて飲んでね」と紙を置いた無人のコーヒーコーナー。もちろん金を払わない横着がけっこういます。でもそこに「目」の絵を飾ると、不思議なことに金を払う率が一気にあがる。現代人でも、見られているという意識があると、勝手なことができなくなるらしい。

どうして公平が必要なのか。それは助け合いの文化によるんだそうです。石器時代、果実を拾えた女もいれば、拾えなかった女もいる。どこかの地域の獲物が不作になっても、隣の地域では獲物がすこし多いこともある。完全独立採算で生活する連中と、可能なら援助しあう連中を比較すると、助け合い文化のほうが生き延びる確率が高くなるんだそうです。

ちなみにチンパンジーは時として「要求されれば相手を助ける」行動もとります。しかし自分から「気をきかせて援助する」ことはしません。この点でチンパンジーと人間はあきらかに違う。「明確な要求がなくても援助してあげる」のが人間です。

石器時代にもみんなが珍重した貝や石のネックレス、これも単なるファッショではなく「これだけプレゼントが多いんだぞ」という証拠だったとか。ネックレスは自分で作って自分で飾るものではなく、誰かにプレゼントされるもの。したがって何本ものネックレスをしている人間は交際範囲が広い。交際が深い。困ったときにも頼れるような親戚や友人の数です。

そういうわけで、そもそもの人間は助け合って暮らしていた。高邁な心なんかじゃなく、そうでないと生き延びることができなかった。助け合うことのできるDNAだけが成功したんでしょうね。

そうそう。アフリカ地溝地帯で樹上から草原に下りた原初の人類。けっこう上手にやってきたような印象もありますがとんでもない。ほんんどは上手にやれませんでした。どんどん食われてしまったり飢えたり。

そういえば昔「ヒトは食べられて進化した」という本を読んだことがあった。人類の歴史とは、食われる歴史であった。納得できる主張でした。猛獣に食われ続けた人類、それで言語能力を発達させたのかもしれない。あっちの山には豹がいるぞ。こっちの山には食い物があるぞ。この棒を使うと強くなれるぞ。一人じゃ無理だけど三人ならシカを狩れるかもしれない。

こうして人類は進化してきた。集団定住がすすんで、やがて農耕が普及してようやく「食料をためこむ」ことができるようになった。つまりは貧富の差がうまれ、身分が分けられ、平等の精神はそれほど重要視されなくなった。現代社会です。

そうそう、思い出した。飛び道具の話もあったな。初期なら投擲具の普及。やがては弓。獲物を狩るにも画期的だったし、戦争にも役立つ。棍棒で敵を殺すのと飛び道具で殺すのでは心理的な負担がまったく違うらしい。おまけに原初の部族社会というのは「身内には親切「「隣の部族は敵」というもので、人間の心のなかにはずーっと「親切にしたい」という心と「やっつけてやりたい」という心が共存している。どっちがどう発露されるかはケースバイケース。

ま、そんなふうな本でした。もっといろいろ書いてあったんですが、ほとんど忘れた。歳をとっての読書ってのは目の粗いザルで水をすくっているようなもんです。ガバッとすくって滴が残る。その滴が、ま、知識というか、わずかな記憶になってくれる。


天邪鬼の話なんか書いたせいか、子供の頃を思い出しました。

子供はオトナの言うことを聞きません。逆らいたくなる。イヤダ!と駄々をこねる。

「アマンジャク」と祖母はよく言いました。天邪鬼。「あのまじゃく」ではなくアマンジャクと撥音になったような気がする。醜くて小さな子鬼のような奴ですね。たいてい四天王とか仁王さんとか筋骨隆々に踏みつけられている。悪さをしなければいいのに、衝動を抑えきれないんだろうな。ちょっと悪事をすると、すぐ正義の味方の神将(だろうな、きっと)にとっ捕まって折檻される。可哀相に。

神将といえば、先日読んだ「神なるオオカミ」の中に二郎という半分オオカミみたいな犬が登場します。二郎真君の二郎。二郎真君は、たしか孫悟空と秘術をつくして戦う凛々しい神将で、調べたらいつも神犬を連れているんだそうです。名前が覚えやすいので、なんとなく記憶していました。中国でも有名な部類の神将らしいです。川に関係する神様。誰かの次男だったんでしょうね。

話がそれた。駄々こねとは違いますが、なんせ昔の子供なんで、そもそもが汚い。爪が伸びると祖母の目がひかる。「オニのような爪」が口癖でした。鬼は虎の皮の褌しめて鉄の棒もって爪が長いんですね、きっと。天邪鬼も黒くて長い爪だったらしい。悪いやつはみんな爪が長い。きちんと爪を手入れした悪人じゃイメージがわかないからでしょう。ついでに腕は毛むくじゃら。

伸びた爪は小さな握り鋏で切ります。力が入れにくくて、パチンパチンと爪が飛ぶ。紙を敷いた記憶もないから、縁側で切っていたのかな。

子供はみんな丸坊主が普通でした。ちょっと伸びると「浮浪児みたいだ」と難詰されます。浮浪児ってのは、上野あたりに群れていた戦災孤児集団ですね。戦後まだ日が浅い。まだ伸びてないもん、と抵抗したって無駄です。母親にしろ祖母にしろ、女性は子供の髪が短いのを好む。なぜでしょうかね。で、浮浪児のなりかかりは硬貨を握らされて、仕方なく表通りの床屋へいく。

バリカンで可能な限り短く刈る。可能な限りといっても、たぶん五厘刈り。子供としてはオトナっぽく二分刈りとかなんかにしたい気分なんですが、絶対に許してはもらえないです。必ず五厘刈り。刈ったあとはツルツルと頭が青光りします。それをみると女性連中は満足げに笑う。

だからどう、という話でもありませんが、ふと思い出しました。いつ頃までだろう、祖母の隣に布団を敷いて、背中越しにしなびた乳房をまさぐっていたような記憶もある。婆さまはたいていお地蔵さんのように静かに寝ていました。

やれやれ。ようやくNHK大河「花燃ゆ」が終わりました。

興味を失って見なくなった大河ドラマはこれまでもたくさんありましたが、積極的に「見たくない」と思ったドラマはこれが初めてです。

えーと、思いつくままに駄作をあげるとまず「天地人」か。カネツグが成人するまではそこそこだったんですが、理由不明で周囲がヨイショの嵐。おまけに「人を殺せない」とか泣きわめくし、そんな平和主義だったはずなのになぜかいきなり尊敬をあつめる名将になるし。で、歴史上の目立つシーンにはかならず顔を出す。途中で見捨ててしまいましたが、なんか後半では大坂城から千姫を脱出させたのもカネツグだったらしいですね。はッ。

その「天地人」もまだマシだったと思わせたのが例の「江」。これは早々にやめました。可愛くないガキが安土城でも大坂城でも走り回っては立ち聞き。おまけに明智光秀に説教したり、秀吉をののしったり。ま、そういうブッ飛んだ脚本を「すごいだろ」と勘違いする制作連中もいるってことで。

あ、「平清盛」もかなりのもんでした。でも大失敗作ではあったけど、少なくとも「やるぞ」という気持ちだけは感じられた。すべてうすっペらな思いつきでカラ回りだったけど。後白河の前で浮浪児みたいな舞をまったり、オレは誰なんだあと喚き続けたり、美女の髪を天然パーマにしたり、上皇に剣を突きつけたり、なぜか義朝と延々と太刀打ちしたり。おまけに優柔不断でアホな清盛が、晩年はいきなりダーク界に堕ちる。なぜだ。

で、今年は「花燃ゆ」。けっこう題材は悪くないと思ったんですけどね。これまであまり描かれることのなかった松下村塾の連中です。杉家の地味な妹の目を通した幕末の群像劇になるのかな。

そう期待したのがアホだった。ほんと、何を意図した脚本だったんでしょう。史実無視して創作はかまわないんですが、その創作部分が思いつきで最低で稚拙で、まったく意味不明だった。この人物はこういう性格で、だからこんな理由で行動する。そうした明確なキャラクターが一人もいませんでしたね。この大河にかかわった脚本家(4人もいた・・)は全員筆を折れ!といいたくなります。

そのうち中身がなくてカラッポなくせにしたり顔「志」とか「民のため」の説教聞くのが不快になってきた。主役の女優さんの顔まで嫌いになってきた。阿呆面の久坂玄瑞や高杉晋作にもうんざり。気味悪い杉家の面々も見たくなくなってくる。昼の時間なんかにうっかりNHKつけて、再放送らしいのが映ると汚いものを見たような印象で、あわててチャンネルを変えました。

こんなに嫌いになった大河、ほんと初めてです。どうしてこんな悲惨な脚本がつくれたんだろ。ようやく終わってよかったよかった。

★★ 講談社
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厚い上下巻です。返却期限が迫って、後半は駆け足速読。というより単なる飛ばし読みか。身もフタもない言い方すると、飛ばし読みでもさしたる問題はない本と思います。それなりに面白い本ではあるんですけどね。

えーと、文革で内モンゴルへ下放された知識青年たちが、そこで初めて本物の遊牧文化にぶつかる。羊や馬を養育し、ろくな睡眠もとれずに狼と戦い、冬は厳しい寒さ、夏は酷暑と蚊の襲来に苦しむ。

なんとなくモンゴルはずーっと貧しい草原と思っていましたが、もちろん草が生い茂る地域もあり、湖もある。ただし地表が浅いので、ちょっといじめるとすぐ不毛の沙漠になってしまい、なかなか回復しない。多数の馬がうろうろするだけでもヒズメに掘られて草が枯れてしまうらしい。

テーマは二つ。まず狼の子を掘り出して(メスは深い穴の中で子を育てる)、そいつを育てるというお話。野生狼が犬みたいになついてくれたら楽しいですね。大きくなったらモンゴル犬とかけあわせて新種のシェパードが生まれるかもしれない。

しかし狼の子はいつまでたっても狼です。餌をくれる主人にだけは多少気を許すけれども、それだって場合によっては牙をむく。噛みつく。鎖につながれて気が狂ったように騒ぎ、荷車でひっぱろうとしても死ぬまで抵抗する。絶対に服従しない。

夜、他の狼たちが呼びかける遠吠えを聞いて「ここにいるぞ」と自分もなんとか答えようとします。不器用に遠吠えを試みる。でもたぶん、目のあかないうちに親から引き離された子狼は「狼語」がわかりません。仲間として認めてもらえない。失意のうちに子狼は死にます。

モンゴルの高原では、狼は生態系のトップです。狼が黄羊(モウコガゼル)を食べ、タルバガン(シベリアマーモット)を殺し、野兎を狩る。住民たちにとって狼は天敵です。しかしだからといって狼を殺しすぎると、黄羊や野兎があっというまにはびこる。草原に穴を掘りかえし、草を食い荒らし、そうなると羊や牛、馬の放牧も不可能になる。しかし黄羊や野兎を殺しすぎると狼が飢えて、こんどは馬や羊を襲う。ようするに、バランス。何千年もの間、モンゴルの民たちはその微妙なバランスを崩さないように生活してきた。

しかし南からきた役人や兵士や農耕民たちにその理屈は通じません。草原は広大じゃないか。もっともっと羊を飼え、野兎を殺しつくせ、狼を全滅させろ。農地にしよう。食料増産は国家の大方針だ。指令に抵抗するのは階級の敵だ。そうやって、緑ゆたかだった内モンゴルの高原は沙漠になる。

ま、そういうことですね。かつての知識青年たちは今は都会で暮らしていますが、何十年ぶりに内モンゴルに戻ってみると、もうそこに草原はない。国境線の向こう、外モンゴルにはまだ緑が残っているようですが。

もう一つ。長い小説の最後のほうでは延々と中国史と「狼に学んだ遊牧民族」との関係考察がなされます。中国の歴史は常に「遊牧民族」と「農耕民族」の戦いだった。北の(狼の血をもった)遊牧民族が南に攻め込んで国家を建てる。しかし膨大な農耕文化の漢民族はその猛々しさをすぐに薄めてしまう。狼でなくなった国家は、やがて滅びる。そうやって折々に狼の血をまぜこむことでリフレッシュされ、中国ウン千年はなりたってきた。ま、そういうことです。

たしかに中国史をながめると、中原の北にもたくさんの国家が誕生しています。それが南に攻め込んだり、南から北伐したり。そうやって血や文化がミックスされる。たとえば始皇帝の秦なんてのは、どうみても遊牧民族系ですよね。三国志の曹操の魏だって、なんとなく北方系。元はもちろんそうだし、清もそう。唐もそれっぽい。「歴史をみると、つねに北の国家は南の国家より強い」だそうです。なるほど。

本筋と関係ないですが、大帝国をつくりあげたモンゴルはもちろんモンゴル民族。オスマントルコは突厥。民族大移動の引き金をひいたフン族はたぶん匈奴系だし、そのゲルマンの連中もたぶん遊牧系。さらにいえばローマ帝国も狼の乳によって始まった。帝国はすべて遊牧民族によっておこされた、らしい。


★★★ 中央公論新社
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たぶん幕末ごろの伊勢松坂。商家の内儀と女郎の因縁話です。

ストーリーの背景音としてお蔭参りの人々の群れ。松坂は伊勢参りの道筋です。通りがザワザワする中で商家の内儀は旦那の浮気が気になるし、女郎はなんとか陰の女から「表の妻」になりたいと願う。つまりは天の邪鬼がなんとか瓜子姫になり代わろうとするわけです。

瓜子姫のお話、子供の頃によく聞きましたが、唄が入るんですよね。♪瓜子姫の乗り駕籠に天の邪鬼が・・という唄。私の聞いた昔話では、瓜子姫は裏の柿の木に裸で縛りつけられました。いろんなバージョンがあるようで、殺されたり食べられたり、顔の皮をはがされてその皮を天の邪鬼がかぶる。

無事、皮をかぶり続け、騙しおおせて天の邪鬼が幸せに暮らすバージョンもあるようです。

で、この「瓜子姫の艶文」も、天の邪鬼の女郎がひかされて商家の内儀におさまったような感じでもあるんですが、ここで作者は時空変換をする。ほんとうにそんな出来事が起きたのか、それとも違う世界の話なのか、後を継いだのか入れ代わったのか、モヤモヤしている。謎。

そして最後はおどろおどろしい因縁話の決着。表通りでは最後までお蔭参りの狂奔、雑踏と唄。そうそう、最初から最後まで魔羅と奥の院と淫水と・・・えんえんと描写も続きます。なんせ女郎屋がメインの舞台なんで。坂東眞砂子らしい小説です。


そうか、知らない人もいるんだな、きっと。

瓜子姫のお話(いい加減バージョン)

瓜から生まれた瓜子姫。可愛い子に育ちました。
爺さんと婆さんが外出することになり、しっかり戸を閉めておきなさい。アマンジャクが来ても決して戸を開けてはなんね、と言い聞かす。

瓜子姫がトッカラピンカラと機を織っていると(いい子はたいてい機を織る)、もちろんアマンジャクがやってきます。「開けてくれや瓜子姫」「いーや、開けん。ダメと爺ちゃが言うてたで」「ほんなら開けんでもいいから、ほんの一寸、隙間をつくるだけでもいいから」「うーん、ほんの少しならいいか、ほれ、ほんの少し」

細い隙間にグイッと黒い爪を差し込んだアマンジャク、えーいガラガラッと戸を開けて、あっというまに瓜子姫をまる裸にして縛りあげます(食べてしまいます) 。

そこへ瓜子姫の評判を聞きつけた殿様(長者)から迎えの駕籠が到着。瓜子姫のきれいな着物を着たアマンジャクは、いそいそと駕籠に乗り込みます。しかし家から駕籠が進み始めると、木の上のカラス(スズメ)が唄を歌います。♪あれま、不思議、瓜子姫の乗り駕籠に乗っとるはアマンジャク・・・。ここで正体暴露とあいなります。

お話の締めは決まり文句。私の田舎では「イチがぶらーんとさがった」でした。どういう意味だろ。


★★★文芸春秋
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姜戎という作家の「神なるオオカミ」をボチボチ読んでいます。悪くはないけど読み出したらやめられない・・という本ではないので、なかなか進まない。ジュブナイルふうの翻訳があまり好かん。期限までに読了できるかどうか怪しい。

この本、文革でモンゴルに下放された知識青年が遊牧民の暮しにだんだん馴染み、やがてオオカミの子を飼う話です。そして都会育ちの下放青年はやたら「かつてのモンゴル兵の戦い方は賢いオオカミの戦術そのものだ」とか感動します。そうかな・・・と読み進むうちに「蒼き狼」を読みたくなった。井上靖です。

はい、ありました。本棚に埃をかぶっている。抜き出すとしっかりカバーがかかっていて、これを剥がすのも面倒なので写真は箱だけにしますか。えーと、昭和55年の第19刷、1100円

最初のほうはテムジン少年がいろいろ苦労する部分ですが、そこは省略して80ページあたりから読みました。敵対するメルキト部に新婚の女房をさらわれて、でもジーッと我慢。ついに30人ほどの手勢をまとめて殴り込みかけようと決心したところからでした。兵士も少ないしろくな武器もない。しかたなく付き合いのあったケレイト部のトオリルカン親分のところへ武器を借りにいく。すると意外や意外、兵1万を動かしてやろうと言われる。

もちろんトオリルカンにとっては渡りに舟、他部族を攻める絶好の口実をもらったわけです。「正義の味方」を標榜するため、さらに有力武将であるジャムカにも声をかける。1万+1万+30人が、メルキトの1万(程度だったかな)を攻め滅ぼして略奪する。ほんと、弱肉強食。

そして戦いが終わって略奪品や女を山分けしても、両軍は牽制しあってなかなか立ち去らない。若いテムジンは当初理解できなかったんですが、ようするに両軍とも相手をまったく信用していないわけです。退却するところを後ろから襲われたら危ない。だから動くに動けない。

なるほどね・・・とテムジンも賢くなる。そういう世界なんだ。礼儀は正しく、でも絶対に他人を信用しない。信用して殺されるのはバカだ。

それからテムジンのボルジギン氏族は急速に成長していく。たぶん苦労はあったんでしょうが、なんとかジャムカ親分を滅ぼし、トオリルカン親分もやっつけ、他のもろもろもぜーんぶ潰してモンゴル高原を制圧。西のナイマンを征服してからだったか、ついにクリルタイで「ジンギス汗(チンギスハン)」に推挙される。40代だったか50代だったか実際には不明ですが、けっこう歳はとってたようです

その後のことは、ま、周知の事実ですが、小説では長子ジュチへの愛憎、愛妾忽蘭(クラン)との緊迫感のある関係が面白いところです。もうひとつ、「矢のように突き進め」と指令された弟や将軍たちが、ほんとうに矢のように突き進む。なんせ、どこで止まれという命令がないわけです。アナトリアだろうがロシアだろうがブルガリアだろうがポーランドだろうが、やたらめったら突き進む。

いまさら「集合!」と命令かけても、戻ってくる武将もいれば戻らない連中もいる。ま、実際問題、戻れないんだろうな。老いたチンギスハンはいつになっても「自分の故郷はモンゴル」と思っているけど、他の連中からするとモンゴル高原ははるかに遠い。それぞれの派遣先では実質的に広大な王国を支配しているようなものだし、その土地々々の様式の邸に住み、華やかな服を着て珍しい食べ物に馴染んでいる。モンゴルでもチンギスハンの糟糠の妻は肥え太って歩くことさえままならない。

チンギスハンだけはあいかわらずモンゴル式のゲルに住み、モンゴル式の服を着て(たぶん)羊肉と馬乳酒を飲んでいたんでしょうね。自問自答します。若いころ、自分は貧しいモンゴルの女たちに豪奢な暮しをさせ、輝く宝石をつけさせると誓った。そのためもあって蒼き狼となって戦い続けた。いまの狼の子供たちの豊かな暮しを非難すべきではない。不本意ではある。しかし口には出さない・・・。

ちょっと哀しいお話でもありますが。井上靖の小説、みんなストイシズムの香気があるんですよね。

別件ですが、この単行本は文芸春秋刊。しかし文庫は新潮社です(そもそもの連載は文藝春秋だったらしい)。発行年度を考えると文藝春秋→新潮社→文芸春秋、かな。こういう不思議なこと、けっこうありますね。不思議。


酒を控えろと医者は言うけれど、ま、やめられないのが酒です。それでも以前にくらべると酒量がずいぶん減りました。意図してというより、だんだん飲めなくなったんだな、きっと。

しばらく焼酎にしていた反動か、ああ久しぶりに酒を飲みたいという気分になった。スーパーへ買い出しに行きました。いつもの3リットル徳用ですが、菊正ピンではなく白鹿です。ここ近年、このクォリティに舌が慣れてしまって、たまに高い酒を飲んでも美味しいと感じない。恐ろしい。

hormelspam.jpgで、たまたま通路で目に入ったのがランチョンミート。いわゆるスパム。棚にたくさん並んでます。

はい。子供の頃、魚肉ソーセージがけっこう好きでした。絶対に上品な味ではなかったけれども、いちおうは動物性タンパク質。まともなハムなんて食べる機会がなかったし、コンビーフは贅沢品。肉ももちろんご馳走です。その点、ソーセージはたしか3本で100円とか、安かった。マルハだったかな。

母が何かで入院していた間、自分で弁当をつくっていました。面倒なので、ソーセージを斜め輪切りにしてフライパンで炒めて塩コショー。そこにタマゴを1コ流す。ハムエッグのまがい物ですね。醤油をまわしたような気もする。けっこう美味しいし手軽。毎日こればっかり。

そんなわけで、なんとなく郷愁がある。もちろん魚肉ソーセージとランチョンミートは違いますが、なんか似てますよね。柔らかくてフニャフニャ得体が知れなくて。たぶん沖縄で食べたことがあったような。

「買ったよ」と家人に報告したら、じゃ今度お握りに乗せるのをやってみようと申しております。「え、そんなもの・・」と言われなくてよかった。

そうそう。パックは日本語表示で「沖縄ホーメル」という業者でした。Hormel Foodsの沖縄法人みたいな雰囲気(それとも提携かな)で、原産国アメリカという表示。たしかスパムは沖縄で人気、ハワイでもよく食べられていると聞いた記憶があります。ただし最近になって、国内販売(沖縄以外)のスパムはホーメルフーズジャパンという会社が伊藤忠と組んで売っているらしい。へー・・という情報でした。

PC使いながらチラチラ棋譜の進行ををみていた将棋竜王戦。予想通り渡辺明が勝利して4勝1敗、2年ぶりにタイトルを奪還しました。これで復位して通算10期目。なれ親しんだ「渡辺竜王」に戻りました。他にもマイナータイトルは持っているんですが「渡辺棋王」じゃどうも座りが悪かった。

ということで番勝負に勝ったのはいいんですが、なんか昔の切れ味がなかったような。他の公式戦でも最近は負けが多いので、たぶんトータルとしては不調なんでしょうね、きっと。

負けて高額賞金タイトルを1期で失ったのは糸谷哲郎という棋士。うーん、敗勢になってもよく粘ります。ボロボロになって入玉はしたものの、大駒をすべて失っているので、点数計算では負け確実。ようするにまだ完全に負けてはいないけど「素人相手ならともかくプロ相手で逆転は99.9パーセント不可能」という状況になった。あとはダラダラと希望のない手順をすすめることで負けが確定する。

しかし糸谷竜王、なかなか「負けました」を言わない。ギリギリまで粘って、時間切れ寸前5秒前になるととっさに延命の無駄手を指し、また1分の考慮時間を確保して、それもまた切れる寸前になって、とうとう「負けました」と頭を下げました。

通常、棋士はこんなクソ粘りをしません。みっともない。恥ずかしい。短刀一本もって洞穴に逃げ込んだけど、周囲には機銃をもった敵の小隊が囲んでいる。絶体絶命。それでも敵兵にむかって持っている短刀をエイ!と投げるようなもんです。投げたって相手にかすりもしない。

でもある意味、かえって清々しいのかもしれませんね。本人なりの美学。そういえば馬に歌をうたわせるというお話がありました。捕らえられて首を切られることになった泥棒が「1年の猶予をもらえれば馬に歌をうたわせます」と慈悲を乞う。「面白い、やってみよ。失敗したらもちろん処刑じゃ」と皇帝。厩舎係になった泥棒は夕方になると、馬の世話をしながら低い声で歌を教えます。毎晩々々うたいます。厩舎の仲間が不思議に思って聞きます。「なに無駄なことやってるんだ。馬が歌をうたえるわけないだろうに」

「いや、1年の間には何が起きるかわからない。皇帝が死ぬかもしれない。気が変わるかもしれない。大地震で国が滅びるかもしれない。なにより、ひょっとしたら馬が歌を覚えるかもしれないぞ

ま、そういうことなんでしょうね。何があるかわからない。カフカかな。それともアラビアンナイトかな。記憶に自信なし。夕闇せまる厩舎から細い歌声がきこえるという情景がきれいで、なんとなく覚えていました。

ちなみに「入玉」とは、お互いの王がどんどん進んで相手の陣地(3段以内)に入ることです。こうなると、どちらも歩など安い駒で次々と成り金を作り、王の周囲をガチガチに守ることができる。もう決着つけるのは不可能。そのため「入玉」になると、その時点で持ち駒の点数を計算して多い方が勝ち。飛車とか角など大駒は点数が高いので非常に有利になります。

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図は実際の終局の一手前の状態です。後手が歩をついてますが、まったく意味のない時間稼ぎ手です。

先手は龍や馬など大駒を使って敵陣の浮いている駒をすべてとりはらい、それからゆっくり入玉すれば勝ち。手数はかかりますが確実です。


携帯に着信音。たぶん役にもたたないお知らせメールだろうと思ったら、やややや、恐喝詐欺メールだった。

これはびっくり。噂には聞いていたけど本物ですか。PCメールには山ほどスパムが来てますが、携帯は初めてです。

「有料サイトの利用履歴があって料金未納である。今日中に連絡をいれないと法的手段にうったえるぞ」というもの。おお恐い恐い。

sms201512.jpgこっちは大昔のガラパゴス携帯。有料サイトにアクセスなんてしたことありません。SMSメールですから、たぶんいろんな番号に闇夜の鉄砲状態でやたらめったら発信してるんでしょうね。こりゃまた大変なことじゃ。

★★ 文芸春秋
okadamariko.jpg
何かでこんな本があると知り、図書館で探してみたらありました。借出して一読。

岡田茉莉子がとくに好きというわけではありません。ちょっとバタくさいというか、きつそうというか、あの頃だったら(何十年前か)どちらかというと若尾文子のほうが好きだった。今となってはどっちもどっちですが。気になって調べてみたら、岡田茉莉子は東宝、若尾文子は大映のニューフェースとしてデビュー。同時期です。1951年。昭和26年か。

ちなみにこの自伝、いろんな監督や俳優の話が出てきますが、共演したこともある若尾文子についての言及はあまりありません。関心がなかったのか嫌いだったのか、それは不明。

えーと、何か感想を書こうと思ったんですが、何もなし。比較的坦々とした、しかし詳細な自伝です。たぶん、出た映画をほとんど網羅している。個性があって、意志が強くて、強烈なプライドをもった女優。

自分で数年かけて書いた」と本人は言ってるようで、本当かもしれません。プロのゴーストが書いたらもう少し面白く盛り上げている。残念ながら高峰秀子とか岸惠子のような才気あるものではないです。資料本のような雰囲気もありました。


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