ブラタモリの吉祥寺

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先週のブラタモリは吉祥寺。NHKが商店街の話でもあるまいしと思っていたら、井の頭の池やら玉川上水やら、後半は五日市街道沿いの短冊状の土地の話とか、予想外に面白かった。

明暦大火で焼け出された町民を住まわせるため(あるいは区画整理の都合で追い出すため)、このあたり、武蔵野の荒れ地を短冊形に区切って与えたんですね。19世紀アメリカの鉄道沿線の大規模土地分譲みたいなものか。わー、いいなと感じるのは現代の感覚で、当時はたぶん何もない原野。なにより水がなかった、たぶん。水があれば原野のまま放置されてはいない。

要するに武蔵野台地ってのは火山灰です。南側はともかく、位置の高い北側の台地は水に乏しくてあまり利用されていなかった。人々が住みにくい荒れ地。ここは想像ですが、玉川上水が貫通し、その分水を使えるようになってようやく新田構想(実際には新畑だけど)が現実的になった。

五日市街道沿いの短冊区割り、どこかに間口というか幅が36mと書かれていました。たぶん20間。で、奥行きは1キロとか、地形によってはそれ以上。えーと、トータルで何町になるんだろ。かなり広いです。

どうしてこんなに大盤振る舞いしたか。幕府の役人が親切ということはありえないですから、ま、それくらいのスペースにしないと生計が成り立たないということでしょうか。街道に面したところには家屋を建てて裏は畑。で、ずーっと奥はたぶん林です。木の実もとれるし、落ち葉は肥料になる。そして北側ならどん詰まりには玉川上水の分水(千川とか言っていた)がある。ここから水を引けます。お役人、しっかり考えて土地割りをしている。

たぶん、当座は決して楽な暮しではなかったんでしょうね。しかし井の頭のあたりが観光地・参詣地になって人が集まり始めると、短冊形の土地は利用しやすいです。要するに切り売りしやすい。たぶん一枚の短冊が何十軒にもなったんでしょう。このへんの推移を調べている研究者もいるようです。

それどころか吉祥寺駅のあたりの土地を持っていたお寺は、鉄道会社に駅用地を提供した功徳か、結果的にものすごい資産を得た。たしかこの禅寺、明治神宮についで全国3位の納税額だったような。なんか今でも駅周辺はみーんなこのお寺の借地だそうです。というわけで、吉祥寺の町割りとか雰囲気とか、功罪はともかくこのスーパー大家さんの意向をまったく無視することはできない。なるほどねぇ。

ちなみに明暦の大火ってのは、例の「振袖火事」です。お寺が火元で大火事になり、その結果として他のお寺がいい思いをした。因果は巡る水車。