「昭和天皇と弟宮」小田部雄次

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角川選書★★
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長男はもちろん昭和天皇で、下は高松宮三笠宮、あとは内親王で清宮(すがのみや)。紀宮(清子)とは違うよ。たしかオスガとかオスタさんとか言われていたような。当時の婦人誌では人気があった。自分が記憶しているのはこのくらいです。

で、昭和天皇のすぐ下の弟が誰だったか。これがいつも迷ってしまう。あれやこれや呻吟して、ようやく最後に出てくるのが秩父宮です。なんせ新聞でもニュース映画でも見たことがない。(昭和28年に没。知らないわけです)

この本、要するにどんな弟宮がいて、天皇との関係がどうだったかを記しているだけ。ま、それだけという感じでした。秩父宮が兄に対して批判的だったらしいことは知っていましたが、実は高松宮もそうだった

図書館でみかける分厚い「高松宮日記」、格調ありそうで、興味を持ちつつも敬遠してきました。たしか細川護貞(細川元首相の父)がこの人の秘書かなんかをつとめていたはずですね。高松宮妃は徳川慶喜の孫娘(喜久子)。そのまた妹(喜佐子)は榊原に嫁いで、後年書いた本では、亭主が高松宮絡みで憲兵に睨まれて云々という記述がある。高松宮一派は和平策謀していると思われていたらしい。

そうそう。明治の頃やたら多かった皇族がバッサリ整理されたのは、大正天皇(というより貞明皇后)がボコボコ男の子を産んだからだそうです。初の一夫一妻制で4人の男宮。こんなにいるんなら、跡継ぎは万全。万一に備えての予備皇族は不要だ・・・ということらしい。当時でさえ皇族が多すぎていろいろ問題だった。中には困った皇族もいるし、弊害が目立ったんでしょう。

だいたい皇族の存在意義は何か。これを真面目に考えると非常に憂鬱なことになる。直系以外の皇族ってのは、要するに「保険」です。ただ起床して飯を喰って元気に過ごして寝るだけでいい。その他に何をする必要もない。「オレもお役にたつぞ」なんてなまじ動くとみんなが迷惑する。なにもしないのがイチバン。

昭和天皇の場合も最初は女の子ばっかり(4人)続いて心配だったけど、その後で男が2人。周囲はホッとしたらしい。ただその後、まさか一族に男が絶えるだろうとは、夢にだに想像できなかった。

実情に合わなくなったのなら、典範を変更すればいいだけなんですけどね。後継ルールが皇祖皇宗のころから不変というわけでもなし。男系がどうとか血筋がどうとか、不思議なことを言い張る連中がいるのが不思議です。

秩父宮は海軍へ行きたかった。でも「順番がある」ってんで陸軍。ちょっと可哀相です。ちなみに海軍へ行かされた高松宮は、実は馬が好きだった。