2019年6月アーカイブ

祥伝社★★★
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家康は東京湾に流れ込んでいた利根川を曲げて、銚子の北あたりへ持っていかせた。これによって湿地だらけの関東南部が乾き、田んぼも作れるし人も住めるようになった。ついでにどんどん丘を崩して浅瀬を埋立てて、江戸の拡張。

という経緯はいちおう知っていましたが、これって想像するだに難事業です。たしか伊奈ナニガシという人が奉行になったと何かの本で読んだ記憶がありますが、関ケ原の後のトラブルで福島正則に横車おされて詰め腹切らされたのもたしか伊奈ナニガシ。同じ人だったのかどうか()。

ということで゛この利根川東遷のあたりを書いた小説があると知って購入(珍しい)。門井慶喜という作家は初めてです。直木賞受賞者らしい。

「家康、江戸を建てる」は短編連作です。江戸開府のころの重要事件として「流れを変える」「金貨を延べる」「飲み水を引く」「石垣を積む」「天守を起こす」の5テーマ。タイトルで見当つきますが、利根川東遷、慶長小判の鋳造、神田上水、江戸城の石垣切り出し、千代田城白壁の天守。みんな江戸初期の超重要案件です。

利根川に次いでは神田上水もけっこう面白かったです。江戸はまともな井戸が掘れないので、はるか井の頭の池から水をひき、途中で堰をつくってそこから分配。そして水道橋のあたりで堀をわたる・・・というか、堀の上を渡したから水道橋ですね。途中から暗渠になり、四方八方毛細血管のように水を配給。

そもそもが高低差を利用して水を流している(しかもあまり高低差がない地形)ので、いったん下げてしまうとあとが続かなくなる道理なんですが、ちゃんと工夫がしてあった。いったん下がったあたりで中継地点の桝をおき、この深い桝に水を流し込んで水位をあげる。あがったところからまた水を流す。ローマの市内に噴水があって、水が吹き上がっていますが、あの原理ですね。逆サイホン。賢いです。ただし、そのためには導管がきっちり密閉されていないといけない。当時の日本にはそういう技術があった。

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そうそう。問題の利根川東遷はどうやったかというと、ひたすら気長な努力で、伊奈親子三代が家業としてこれを続けた。利根川を途中でとめて東の渡良瀬川に流し、それをさらに塞いで東の常陸川(鬼怒川の支流になるのかな)とあわせる。かなりいいかげんな表現ですが、ま、だいたいそんな感じ。実際には少しずつ少しずつ進めていく。気の遠くなるような大事業です。

ただし成功したからといってたいした報酬もなく、伊奈家は幕末期でたしか七千石級の旗本として遇されていたみたいです。平和時の技術官僚はあんまり評価されない。といってあんまり成功しすぎると大久保長安みたいな目にあうから、難しいです。

巻末の解説で本郷和人(テレビなんかにもよく顔を出す)は「そもそも頼朝はなぜ関東(源氏の基盤)にちかい伊豆に流されたのか。家康はなぜ関八州への転地を強いられたのか」というテーマをあげていました。それらの答えとして「当時の関東ってのは、とんでもない僻地・荒地だったから」と主張。関東が豊かな土地になるなんて、誰も予想しなかった。だから軽視して関東へ流した。というところから筆をおこしている。

家康の場合は合ってる気もするんですが、頼朝の伊豆はどうなんだろ。そりゃ伊豆は田舎だろうけど、近隣にはそこそこ豪族もいた気がするし、たとえば上総とか安房とか、それなりの力があったんじゃないだろうか。清盛をはじめとする平氏のトップ連中は坂東を実力以下に軽視していたのかもしれないです。

関ヶ原は伊奈昭綱という人でした。 通称は伊奈図書。有能な官吏だったようであちこちに名前が出ていて、上杉景勝への問罪使なんかもやってます。これを殺すことになったから正則は恨まれた。後で祟る。利根川東遷のほうの担当は伊奈忠次。その没後は忠治、忠克と続く。徳川家臣団には伊奈一族という有能なテクノクラート系譜があったような印象ですね。

大久保長安って人も、実像にかなり興味があるんですが、資料がないんだろうなあ。冤罪、陰謀の匂いがぷんぷんします。大久保一族に対する陰謀説とか岡本大八事件とか、非常に怪しい。

そうそう。肝心なことを書き忘れた。最近の流行か、非常に読みやすい文体とストーリー展開です。本屋大賞の系譜ですね。 あっというまに読了。本代が少しもったいない。


新潮社★★★
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読み残していた第2巻です。サラミス海戦でペルシャに大勝利し、アテネ黄金時代をきづいたテミストクレスは陶片追放され(ペルシャに逃げて厚遇された)、その後はペリクレスが主導しました。そしてペリクレスの歿後は混乱のデマゴーグ時代です。中心人物はアルキビアデス。長くいじいじ続いたデロス同盟のアテネと、ペロポネソス同盟スパルタの対立は、最終的にスパルタの勝利。アネテの時代はこれで終焉です。

ま、これだけのことなんですけどね。たぶん塩野さんが書きたかったテーマは「アテネの民主政治」だと思います。そもそも民主政治衆愚政治はどこが違うのか。これは難しいところで、どちらも主権は市民。あまり違いはない。だいたい本当に民衆の意向にばかり従っていたら、まっとうな政治運営なんてできるわけがない。

はい、「民衆」はいいかげんで、先を考えず、気持ちのいい言葉だけを好む。たとえば今の日本で消費税アップが本当に必要かどうか微妙ですが、過去の例からすると税金アップを強行した政府はたいてい潰れます。だから怖がって中途半端な軽減税率やらカード割引やら教育無償化やらを考える。

米国のコラムニストのボブ・グリーンだったかな。彼の父親は市の舗装整備かなんかを主張して市長にみごと当選。しかし実際に、市民に負担のかかる舗装工事を実行したらたちまちリコールされた。最初に賛同してくれた同じ市民が反対にまわった。舗装は欲しい。でも市民に負担をかけるような政策は困る。総論賛成各論反対。そういうもんなんでしょう。

アテネ民主制の黄金時代をきづいたペリクレスは、けっして「民主的」な人物ではありませんでした。出身からしてエリートです。そして汗くさい貧乏人は大嫌い。政治家ではあるけど、みんなと酒飲んだりご機嫌とったりするのも嫌い。自分勝手なことをいう市民たちを騙し騙し・・というか実に上手に誘導して、自分の思うような結論に導く。そうした軽業のような巧緻な話術を持っていた。だから形は民主制。実質は専制政治。これがうまくいった。

そしてペリクレスが死ぬと、その後はリーダーなき衆愚政です。次から次へとデマゴーグが煽動する。ポピュリズム。みんな口はたっしゃだけど、中身はない。アテネは混乱期にはいります。

そしてアルキビアデスが登場する。育ちがよくて大金持ちで、ものすごい美男子。すべてが魅力的。おまけに頭が切れて口がうまくて、戦争指揮も上手で、みんなに愛される派手な男。塩野さんもアルキビアデスに惚れてる気配がある。でもたぶん、何か足りないものがあったんでしょうね。節義とか、謙虚、たぶんそんな種類の特性。

優秀なリーダーさえいれば民主制アテネは機能します。失政続きで落ち込んでいたアテネ市民をたきつけ、シチリア遠征してシラクサ戦争をはじめる。戦争はうまくいきそうだったんだけど、いきなり(反対派の策動か)本国召還命令が届く。帰還すればたぶん死刑。大人しく従うようなタマじゃないので、するりと脱走した。当然ながらリーダーを欠いたシラクサ戦争はアテネの壊滅的な大敗北となりました。捕虜はほとんどが惨殺あるいはなぶり殺しにあった。

ちなみにアルキビアデスの亡命先はスパルタです。石頭の素朴なスパルタ人を味方につけるなんて朝飯前だったんでしょう。すぐに軍師みたいな位置について、やがてエーゲ海東海岸で大活躍。そのうちまた巧みな手品をつかって今度はアテネに輝かしい帰還・・・・したはずだったに、最後で失敗した。

で、以後のアテネは悲惨です。やることなすこと大失敗。戦に敗れ、スパルタに制圧され、アテネというポリスは実質的に消滅してしまった。

そうそう。本文中で塩野さんが面白いことを書いています。大雑把な主旨ですが「人々は決して戦争が嫌いなわけではない。ただ長引いて、しかも敗色濃いような戦争が嫌いなだけだ。だから一度の会戦で大勝利するような戦争なら大歓迎するし大好き」。簡単に勝つ戦争は好き。長引いて負ける戦争は嫌い。まったくその通りでしょうね。だから古今東西、乾坤一擲の短気決戦・大会戦の勝利者は英雄になれる。


ふだんは見ないのですが、ふと気になってNHK BSの「英雄たちの選択SP」を録画しました。タイトルは「大奥贈答品日記」。やたら有名な大奥御年寄である瀧山をとりあげるらしい。

よく知らないんですけどね、この前のNHK篤姫ではたしか稲森いずみが演じていた。年齢はまったく合わないけど(篤姫輿入れの頃の瀧山はたぶん50歳越していたんじゃないかな)、雰囲気がいかにもで、特に長煙管の吹かしかたが良かった。稲森さんって(あんまり見かけないけど) いい味の出せる女優さんと思います。

takiyamanishhi.jpgそれはともかく。昼食のあと時間をつくって、延々2時間近くを見てみました。瀧山が没したのは武蔵川口で、錫杖寺というところに墓がある。で、ないと思われていた直筆の日記がみつかった。ただし一般受けする感想日記ではなく、あちこちからの頂き物、贈り物のメモ帳。淡々と事実だけをまめに書き記しています。

こういう日記、すごい価値があるんですよね。京都の公家さんなんかが風聞を書き記したようなものは、けっこう主観が入ったり嘘がまじっていたりする。完全に信用しきるのが困難だったりするんですが、なんせ贈答メモです。ウソも誇張もないはず。(ほんの少しだけど可愛く自慢なんかも書き込んでいる。書きたかったんでしょうね)

瀧山が大奥に奉公にあがったのは文政元年(1818年)、家は小祿の鉄砲百人組だったかな。上がってからはあっというまに出世して、最終的には将軍付御年寄。家定、家茂の時代に権勢をふるい好かん慶喜が将軍になってからは(たぶんイヤになって)引退。江戸城引き渡しのあとに辞めたというのは事実誤認だったようです。(慶喜が妻子を大奥に移さなかったのは瀧山を恐れたからいう説もあり。二人は犬猿の仲だった)

日記の一部が紹介されましたが、いやー、すごいもんです。次から次へと贈り物が届く。天璋院から届いたり和宮から来たり、各地の大名連中からもひっきりなしに届きます。「通路」という表現が番組で紹介されましたが、特に用がなくても日頃から付け届けをしておくことで関係をつくれる。この関係がいざというときの強い武器になってくれる。だから「通路」。

takiyamanishhi2.jpgもちろん瀧山のほうからも細やかなお返しをする。要所々々はもちろん、御殿下がりの女中とか、火事にあった出入り業者、頼みごとのお礼。贈るのは金子のこともあるし、場合によっては手ずから火鉢で焼いたセンベイ3まいとか。

大塩の乱の原因ともいわれる大坂東町奉行の跡部良弼。これが責任とらされて逼塞しているのを助けたのも瀧山です。

13代家定の生母である本寿院が、実は跡部家の出で、ま、実家のことを頼まれて、尽力したということでしょうね。効験あらたか。跡部良弼はそれから二度にわたって留守居になったとかで、これはかなり異例の出世らしい。当然、本寿院からのお礼(の品)も届いています。

その他にも田安家のだれそれが甲州の領地替えを嫌って頼み込んできたり(もちろん叶えてあげた)、幕閣の方針を無理に変更させる力もあった。幕閣を批判するとかいうわけではなく、要するにたとえば田安の誰それ、瀧山にとっては子供の頃から知っている「ナントカちゃん」であるわけです。跡部を助けたのもそうで、本寿院さまの縁筋ですからね、かばうのが当然。

川口に引っ込んだ際には供衆が200人だったかな、豪勢だった。そのとき乗ってきた籠が錫杖寺に飾ってありました。思い切って豪華というものでもなく、ちょっと控えめに作った品のいい籠だそうです。

そうそう。子供がいなかったので可愛がっていた女中の家から夫婦養子をとって瀧山家を創設。後を託したようですが、その初代の養子が道楽者で「もってきた道具を売って生涯を暮らした」とのことです。だから現在はさほど多く残っていないんですが、ま、それくらいのすごい道具を持ってきた。きっと現代の価値なら数十億だったんでしょうね。

面白い番組でした。ただしズラーッと雁首そろえたお笑いゲスト連中はほんとに(心の底から)邪魔っけ。こういう番組、真面目につくっちゃダメなのかなあ。必要ないのにお笑いとかタレントを入れる。そもそもその「お笑い」がちっとも笑えないのがいけないんですけど。

久しぶりにテレビで国会中継をやるというので、少し視聴。参院の決算委員会です。もちろん立憲、国民、共産の時間だけで、他は時間の無駄。というより、見ても面白くないから

あの委員長、誰だろ。参院で大物の自民女性というと、あまり思い当たらない。山東昭子にしては太めだし。うーん。気になったので検索かけてみました。石井みどり。聞いたことあるような気もするけど、はて・・と調べると比例で当選2回。歯科医師会とか、そっちから出てきた人らしい。当選2回の割りには「答弁は完結に!」とか、割合はっきりシンゾーに注意していましたね。野田聖子よりも遠慮がなくて、言われたシンゾーが心外そうな顔していた。もう大きな野心もないからかな。それで忖度も斟酌もない。

(Wikiによると今年の選挙にはもう出ない予定だそうです)

で、ふと気になったのが現状の年金開始の年齢である65歳。ま、それをなんなら70歳からにしてくれる。遅らせれば支給額が増える。それどころか親切なことに、特にハガキで返事しなければ自動的に70歳希望ということにしてもらえる。

で、あの山田風太郎が冗談半分(つまりは本気も半分)に提案した安楽死、国立往生院の年齢は何歳だったっけ。70歳だったか、75だったか。本棚の文庫本「あと千回の晩飯」を開いてみたら、老人大氾濫予防として想定の年齢は65歳でした。なるほど。これくらいなら老人もまだしっかりしている。ちなみに書いていた山田風太郎は当時72か73のはずです。文庫の最初のほうで、市から長寿祝いとしてスタオルと金一封をもらったとも書いてある。そんな時代ですね。

集英社★★★
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泣かせの浅田次郎が筆をふるった短編集。というか、連続ものですね。暮れもおしせまった頃に収監の謎の白髪老囚人。六尺四方にしか聞こえないという「闇がたり」で、自分の半生を語る。この囚人、天切り松といわれた有名な泥棒で、ま、ネズミ小僧の現代版です。ちなみに「天切り」とは、大屋根の瓦を外して穴をあけ、座敷の奥深くから金品を盗み出すという超人技です。

明治の大親分、仕立屋銀次の子分だった目細の安(だったかな)のそのまた子分。大正昭和の頃の東京を舞台に痛快無比の大活躍。義賊が走る。ま、そんな趣向です。

とりあえず2冊を読んでみましたが、ただなんというか、少し若書きとでもいうか。浅田次郎だから面白いことは面白いんですけどね。ちょっと泣かせが弱い。義賊たちが少し自慢しいで鼻について、でしゃばり。よせばいいのにミエをきる。第二巻も三巻もすぐに読んでやろう・・というほどではないです。


PHP研究所 ★★
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これも書名通りの内容です。ま、ローマの歴史をザーッと概観したもの。こうした概観だと、かえってよく見える部分もありますね

たとえば軍人皇帝乱立でディオクレティアヌスが登場するまでのあたりは著者も「細かいことはどうでもいいです」と書いているくらい。さんざんゴタゴタしたあげくにディオクレティアヌスという皇帝が登場して、東西分裂につながる。

あまり深く考えず、ざーっと読んでそこそこ楽しめました。


朝日新聞出版 ★★
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副題は「習近平はいかに権力掌握を進めたか」。昨年の刊行です。

うーん、そうですね。読み終えた感想は「ま、予想通り」といった感じでしょうか。不満をいうと「意外性」「新事実」がほとんどなかった。共青同や上海閥がどうたらして、汚職撲滅運動の本質がどうで、ライバルだった誰がどうなって、忠臣のはずの誰それが見捨てられたとか・・・。

要するに太子党(革命功臣の二代目連中)とはいえ党の下積みから叩き上げた習近平は、省とか県の書記時代に知り合った連中を身近に引き上げてきた。それも「有能だから使う」というシンプルなものではなく、どれだけ自分に忠実で、しかも役にたつかという観点。

誰が出世して誰が出世しないか。ほんと運と才覚ですね。運でも才覚だけでも生きていけない。適当に習近平にゴマを擦る程度じゃだめで、やるなら徹底的に尽くさないといけない。滅私奉公。競争に失敗すれば左遷です。あるいは容疑きせられて(といっても事実やってるけど)逮捕。さすがに昔みたいに理不尽に追放=抹殺にはならない。

このままいくと、どうやら毛沢東・鄧小平に続く第三の独裁者になりそうな気配です。実質的には習近平王朝への道。ただし完全に成功するかどうかは、まだ不確定要素あり(個人的には、李克強首相がいつまで持つか。ひそかな興味をもっています。このまま第二の周恩来になるのか、なりはてるのか、それとも・・・)


毎日新聞出版 ★★★★
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なんとなく知ることの少ない戦争、第一次世界大戦の概説。良書です。

著者は歴史家ではなく、金融とか経済の専門家のようで、それあってか視点が斬新。非常にシンプルかつ坦々と広い視野から説明してくれます。たんなる戦史と勘違いしないように。

読了していろいろ目からウロコが落ちましたが、戦争の本質を「トルコ帝国のアジア側を西欧列強が再分割しようとしたもの」という意見の紹介は驚きでした。なるほど。

力を失った大帝国であるトルコの版図は、列強が押し合い引き合いする際の「分銅」として使われていた。ライオンと虎がケンカすると、劣勢な側は「じゃ、バルカン半島の東側をやるから許して」と差し出す。自分のものでもないんですけどね。そうやって勝負の景品のように使われてきたのがトルコ。

しかしヨーロッパ側(バルカンなど)の処理はとりあえず終了したので、いわば「余裕」や「遊び」がなくなった。で、列強は仕方なくナマの形で衝突せざるをえなくなり、それが第一次世界大戦。関心はアジア側に寄せられていて、このアジア・トルコの分捕り合戦を「中東問題」と称した。結果がサイクスピコとかバルフォア宣言とか。トルコにとってはえらい迷惑です。

要するにハプスブルグとサラエボがなんとかとか、ましてや皇太子を暗殺云々は単なるキッカケで瑣末なことらしい。当時、これが戦争になると思った人はほとんどいなかった。ましてやあんな長期の大戦争、総動員戦争になるとは、まったく予想外。なにしろ戦争勃発のニュースにもニューヨークの株式取引はほとんど反応しなかったらしい。みんなすぐ終わると思って、たかをくくっていたんですね。

感じたこと。

まずドイツ国民の多くは「負けた!」という実感に意外に乏しかった。膨大な数の兵士を失い、困窮もきわまっていたけど、少なくとも敵兵の侵攻をゆるさず、国土に攻め込まれていなかったし、軍部の宣伝も上手だった。その意外感、シコリが次の大戦につながる。絶対に払えない巨額の賠償を言い張ったフランスの責任もある(戦後、なんとか払える賠償金額をケインズが計算したけど、フランスの主張はその10倍以上だった)。

実際の所、ドイツがフランスを押し切って勝利を得る可能性も多少はあったらしい。ただドイツが思いこんでいたほどフランスは腰抜けではなかったということ。土壇場の土俵際でフランスは意外に頑張った

米国は最後の最後まで迷っていた。迷っていた米国の尻を叩いたのは(Uボートによるルシタニア号撃沈は当然ながら)実は日本の欲深行動も一因だったらしい。日本の中国進出やシベリア出兵がいかにも露骨で、米国の警戒感をあおった。しり馬に乗って美味しい思いをしようとする日本の行動はいかにも素人ふうで、とくに中国を刺激して深い恨みを買ってしまったことが後々まで響く。いわば周回遅れの帝国主義。日本は昔から外交オンチなんです。アベだけの責任ではない。

老獪な英仏、自信過剰のドイツ、途中で勝手に抜けた無責任なロシア。徹底的に迷惑こうむったトルコ。よせばいいのに地球の反対側で若者の血を流したオーストラリアとニュージーランド。なーんも深い事情を理解していない困ったちゃん米国。勘違いして儲けに走った日本。ま、そんな構図でしょうか。

また、大戦の直接の死亡者数より、スペイン風邪による死者のほうが圧倒的に多い。スペイン風邪(そもそもは米国発)は大量の米国兵士の渡欧とともに大流行し、軍から市民へ、市民から軍へ感染して世界中を吹き荒れた。流行は3回あって、その第2波でウィルスが一気に狂暴化したようです。大きい見積もりでは死者1億とも。


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