「家康、江戸を建てる」門井慶喜

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祥伝社★★★

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家康は東京湾に流れ込んでいた利根川を曲げて、銚子の北あたりへ持っていかせた。これによって湿地だらけの関東南部が乾き、田んぼも作れるし人も住めるようになった。ついでにどんどん丘を崩して浅瀬を埋立てて、江戸の拡張。

という経緯はいちおう知っていましたが、これって想像するだに難事業です。たしか伊奈ナニガシという人が奉行になったと何かの本で読んだ記憶がありますが、関ケ原の後のトラブルで福島正則に横車おされて詰め腹切らされたのもたしか伊奈ナニガシ。同じ人だったのかどうか()。

ということで゛この利根川東遷のあたりを書いた小説があると知って購入(珍しい)。門井慶喜という作家は初めてです。直木賞受賞者らしい。

「家康、江戸を建てる」は短編連作です。江戸開府のころの重要事件として「流れを変える」「金貨を延べる」「飲み水を引く」「石垣を積む」「天守を起こす」の5テーマ。タイトルで見当つきますが、利根川東遷、慶長小判の鋳造、神田上水、江戸城の石垣切り出し、千代田城白壁の天守。みんな江戸初期の超重要案件です。

利根川に次いでは神田上水もけっこう面白かったです。江戸はまともな井戸が掘れないので、はるか井の頭の池から水をひき、途中で堰をつくってそこから分配。そして水道橋のあたりで堀をわたる・・・というか、堀の上を渡したから水道橋ですね。途中から暗渠になり、四方八方毛細血管のように水を配給。

そもそもが高低差を利用して水を流している(しかもあまり高低差がない地形)ので、いったん下げてしまうとあとが続かなくなる道理なんですが、ちゃんと工夫がしてあった。いったん下がったあたりで中継地点の桝をおき、この深い桝に水を流し込んで水位をあげる。あがったところからまた水を流す。ローマの市内に噴水があって、水が吹き上がっていますが、あの原理ですね。逆サイホン。賢いです。ただし、そのためには導管がきっちり密閉されていないといけない。当時の日本にはそういう技術があった。

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そうそう。問題の利根川東遷はどうやったかというと、ひたすら気長な努力で、伊奈親子三代が家業としてこれを続けた。利根川を途中でとめて東の渡良瀬川に流し、それをさらに塞いで東の常陸川(鬼怒川の支流になるのかな)とあわせる。かなりいいかげんな表現ですが、ま、だいたいそんな感じ。実際には少しずつ少しずつ進めていく。気の遠くなるような大事業です。

ただし成功したからといってたいした報酬もなく、伊奈家は幕末期でたしか七千石級の旗本として遇されていたみたいです。平和時の技術官僚はあんまり評価されない。といってあんまり成功しすぎると大久保長安みたいな目にあうから、難しいです。

巻末の解説で本郷和人(テレビなんかにもよく顔を出す)は「そもそも頼朝はなぜ関東(源氏の基盤)にちかい伊豆に流されたのか。家康はなぜ関八州への転地を強いられたのか」というテーマをあげていました。それらの答えとして「当時の関東ってのは、とんでもない僻地・荒地だったから」と主張。関東が豊かな土地になるなんて、誰も予想しなかった。だから軽視して関東へ流した。というところから筆をおこしている。

家康の場合は合ってる気もするんですが、頼朝の伊豆はどうなんだろ。そりゃ伊豆は田舎だろうけど、近隣にはそこそこ豪族もいた気がするし、たとえば上総とか安房とか、それなりの力があったんじゃないだろうか。清盛をはじめとする平氏のトップ連中は坂東を実力以下に軽視していたのかもしれないです。

関ヶ原は伊奈昭綱という人でした。 通称は伊奈図書。有能な官吏だったようであちこちに名前が出ていて、上杉景勝への問罪使なんかもやってます。これを殺すことになったから正則は恨まれた。後で祟る。利根川東遷のほうの担当は伊奈忠次。その没後は忠治、忠克と続く。徳川家臣団には伊奈一族という有能なテクノクラート系譜があったような印象ですね。

大久保長安って人も、実像にかなり興味があるんですが、資料がないんだろうなあ。冤罪、陰謀の匂いがぷんぷんします。大久保一族に対する陰謀説とか岡本大八事件とか、非常に怪しい。

そうそう。肝心なことを書き忘れた。最近の流行か、非常に読みやすい文体とストーリー展開です。本屋大賞の系譜ですね。 あっというまに読了。本代が少しもったいない。