2019年10月アーカイブ

明治書院★★★
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借り出してから気がつきましたが、楊逸は日本帰化のたしか芥川賞作家です。ただし受賞作は読んだことがない。えーと、ちょっとコミックな小説でナントカ頭というやつ、獅子頭だったかな、そういう名前の料理をつくる料理人の話は読んだことがあります。独特の味があってけっこう面白かった。

というわけで、表題作も聊斎志異の飄々とした解題です。楊逸が選んだ編についてエッセーふうに述べ、蒲松齢の原文は黒田真美子という人が現代語に翻訳。楽しく読みました。

深夜、貧乏な書生とか受験生のもとに美女が訪れる。たいていキツネとか幽霊とかなんですが、でもなぜ、よりによってその書生が選ばれたのかは不明。で、いい仲になって、金品を得たり合格したり、いろいろあってキツネは消える。そういう話がひじょうに多いです。(そうそう。日本の幽霊は足がないから美女になれないという説も述べられています。牡丹灯籠のお露さんは例外なのかな。)

で、太宰の清貧譚でしたか、菊の精の姉弟の話。太宰のも悪くなかった記憶があるのですが、この本の翻訳のほうがなんか楽しめるような気がしました。うまく訳すと蒲松齢もいいんですね。

そもそも 円朝の落語のほうが中国の小説「牡丹燈記」の翻案だったらしい。だから足があった。なるほど。


八坂書房★★★
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常一ついででもう一冊。こっちは「宿、泊まる場所」の歴史的考察です。

はるか昔から現代まで、ずーっと日本の「一夜をすごす場所」について述べているんですが、すなおな感想として、旅って常に大変なんだなあと実感。それこそ「笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば・・」です。雨露をしのぐだけでも大変。ろくに食べず寝れずで歩き続ければ病気にもなる。行き倒れる。だいだい昔の日本人はとりわけ死を忌んだんで、旅人はまったく歓迎されなかった。疫病を運んでくるかもしれないし、場合によっては泥棒もするだろうし。よそ者。

都へ租庸調ですか、地方から食料もって上ってくるだけでも大変です。税をおさめて故郷へ帰るのはもっと難儀。政府が面倒みてくれるわけもない。旅は水盃、無事に帰ってこれる保証なんてなかった。道中、たくさん死んだし、たくさん失踪もした。

はるか時代を経てもずーっと事情は変わらず、旅は難儀なものでした。しかしその割りには、みんなよく旅をした。例の松尾芭蕉の一行なんてのも、なんとなく優雅な旅みたいな印象ですが、実体はなかなか大変だったらしい。所によっては泊めてももらえないし、食べるものにも苦労する。たぶん野宿もあったんでしょうね。いっぽうで絵とか落語とか特技もってあちこちフラフラしながら優雅に旅したケースもある。江戸時代なんかだと地方の目明しとか顔役博徒の家が狙い目だったらしい。

総じて庶民は旅が好きだった。あんがい宿賃は安かったようで、「一泊いくら」という合理的なスタイルが成立したのはかなり後期になってからのようです。基本は「こころばかりの謝礼」。たくさん払うか少しにするかはケースバイケース。

そうそう。本筋と関係ない挿話ですが、「言海」の大槻文彦は温泉が大好きだったらしい。どこそこの湯か気に入ると、30日でも40日でも滞在する。伊豆の下田なんて、静かで快適だってんで、3カ月以上も居続けた。泊り込んで、新鮮な魚をたべて(このへんは酒も灘から良いのが船で直接入った)、じっくりと大言海の校訂ができた。いい時代。

有名人ではあったものの当時の大槻センセイがどれだけ金持ちだったのか、それとも宿泊費が非常に安かったのか、けっこう微妙なところがあるようです。ちなみに大槻文彦は幕末の儒学者の三男。蘭学の大槻玄沢は祖父で、ついでですが玄沢は「解体新書」の杉田玄白・前野良沢の弟子です。こういう人たちの資力、現代の感覚ではなんとも見当がつかない


八坂書房 ★

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丹波の「元伊勢跡」の件。つい気になってこんな本を借り出してしまった。はい。宮本常一にしてはえらく難しいし、正直おもしろくもない内容です。ひたすら伊勢神社の歴史とナニヤカニヤを真面目に記述してある。人間が登場しないと、宮本常一さんの魅力も消えるんですね。

というわけでろくに読んでもいないんですが、たとえば「元伊勢外宮」。これは豊受大神社であって農耕神。早いころから日の神である天照大神と一緒になり、たぶん5世紀後半頃、雄略天皇の時に丹波国から遷宮したらしい。ただこれも一直線に「丹波」→「伊勢」というものでもなく、あちこちいろいろ寄り道した末に、最終的に伊勢に鎮座した。

で、こうした神体の移動はたぶん斎宮なんかが(名目上)仕切ったのかもしれない。もちろん女性だけが神体もって歩くのは無理なので、実際にはそうそうたる武将連中が周囲につきしたがった。しかもこの時代というのは、朝廷の勢力が大きく東へ波及した時代と重なる。

ちょっとマンガチックにいえば、斎宮が御神体を捧げ持ち、武将連中が(もちろん兵士をつれて)進軍する。まるでサッカーのスクラム突進です。スクラムの後から聖火をもった女性がついていく。ちなみに各地に神体を据えたということは、負けを認めた地元勢力からそれなりの土地の提供をうけたということですね。進駐軍。

こうしてスクラム突進で平坦になった後背地に、場所を選んで大きな基地を建設する。それがたぶん伊勢神宮。東国をにらむ拠点地なんでしょう、きっと。

ザッと読んで、この本の冒頭部分に書かれたこと、ま、そういう趣旨なんだろう・・と理解しました。正しい理解かどうかは保証できません。間違っていたら陳謝。それにしても読みにくかった。

ちなみに雄略天皇ってのは、ワカタケルとか彫られた鉄剣がそうです。獲加多支鹵大王。一応第21代天皇ということになっているそうです。ほとんど神話の時代ですね。

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