「日露戦争史 1.2.3.」半藤一利

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平凡社★★★

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分厚い三部作ですが、中身は例のはんどう節。講談ですね。脱線も多く、そんなに堅苦しくはありません。

で、日露戦争というとどうしても司馬遼太郎の「坂の上の雲」。坂の上の雲はもちろん素晴らしいものだったけど、でも司馬さんに限らず小説家の癖で、どうしても英雄讃歌、主人公を持ち上げすぎる。児玉源太郎にしても秋山真之、あるいは東郷平八郎。みーんな格好よすぎる

もちろん現実は違います。「坂の上の雲」で描かれた爽快なエピソード、賛嘆すべき逸話、ほとんどがウソ八百らしい。盛りすぎ。やはりね。たとえばいちばん有名な三笠艦上、東郷の「右手を大きく左へ・・・トリカジいっぱい・・」。あれはどうも事実ではないそうです。本当の本当のところは不明ですが、どうやら参謀長の加藤友三郎が「トリカジにしました」と発声した。それを東郷が承認した。つまり加藤も東郷も、ここは左に大旋回しかあるまいと、同じ思いだったというんでしょう。

ただし、後になって東郷元帥を祭り上げる必要が生じて、いろんな連中が話を盛りはじめた。神格化。もちろん反対する人なんていません。

半藤さんは自称「歴史探偵」だそうですが、その「探偵」の目からすると、司馬さんがえらく持ち上げている満州の児玉源太郎もそんなに完璧ではない。もちろん東京の軍人・政治家、みーんなガタガタ騒ぐ凡人だらけ。ネタミやらソネミやら私利私欲、困った連中ではあったけど、それでも昭和の軍人や政治家と違って一定の合理的な思考ができた。それほど目がくらんでいない。リアリズム。

たとえば後年は困った連中の代表格になる元老山縣にしても、この日露の頃は驚くほど冷静でしっかりした判断ができた。

総じての感想。日露戦争では、政治家や軍人には「戦争逡巡派」が多かった。ま、冷静に見たら日本はロシアの敵じゃないですわな。それに対してイケイケどんどん戦争大賛成は新聞と国民。ちょうどいまの某半島と同じです。いい気になって新聞マスコミが煽っていたら火が大きくなりすぎて手におえない、火消しもできなくなる。仕方がないから時流にのってもっと油をそそぐか。大火事。

で、そしてここからは司馬さんと同じ見方になりますが、日露戦争を境にして日本から冷静で科学的な目が消えた。大砲や軍艦ではない、大和魂が大切なんだあ!とか。根拠ゼロの情緒論。肉弾総攻撃論。散兵線の花と散れ。

そして日露戦役でちょっと参加した経験をもった若い少尉なんか、その軍歴を勲章にして出世して昭和の戦争で主役となる。作戦を立案し戦を指導する。さらに、日露に参加もできなかったもっともっと若い秀才たちは、そうした精神論の中で育って、虚構の中でさらに頭でっかちになる。足元を見ないで突撃する。困ったことに、ぜーんぶ繋がっているんですね。

2019.12追記
げっ・・・この本、6年前に読んでた。おまけに巻1と2だけ。ほぼ同じこと書いてる。
モウロク。トシはとりたくない・・・。・・・