「杉浦日向子 増補新版」編集部編

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sugiurahinako.jpg河出書房新社★★★

文藝別冊 KAWADE夢ムックから刊行。サブタイトルが「生誕60周年 江戸から戻ってきた人」。ま、そういうことのようです。

中身はあちこちに書いたエッセイやマンガの切れっ端などですね。仲のよかった実の兄の寄稿もあります。これだけまとまると価値があります。彼女が言いたい「江戸」がけっこう理解できる。

若くして亡くなったことは知ってましたが、いったい何歳だったんだろ。えーと、46歳ですか。そんなに早かったんだ。豪華客船世界一周を理由に漫画やテレビから「引退」「隠居」していますが、実際は病気のためだったらしい。お兄さんが「妹は猫をかぶって、その猫がうまかった」という趣旨を書いています。隠居の理由も「意地」というべきか「猫」というべきか。

日大芸術学部を中退して()、稲垣史生の弟子になった。厳しいことで知られた時代考証のセンセイです。気に入られたらしい。で漫画を覚えて、ガロに描いたりする。血迷って荒俣宏と結婚。血迷ったのは杉浦なのか荒俣なのかは不明です。半年で離婚成立。

一般にはテレビの『コメディーお江戸でござる』で有名になったんでしょうか。ただし後年の爆発的な江戸ブームとは無縁のはずです。傘をかたむける「江戸しぐさ」とか、なんかヤケに売れましたが、あれはどこから火がついたのか。どうも奇麗事すぎました。

杉浦日向子によると、テレビで見る「長屋」は京都スタイルなので広すぎるそうです。太秦のセットを使っているから、あのサイズになる。実際の江戸の貧乏長屋は基本が3坪。つまり四畳半+土間です。へっつい(竈)はあったりなかったり。自前購入なので引越しするときは鍋釜へっついを持って移動した。

つまり原則、家で煮炊きはしないわけです。長屋は帰って寝るだけ。みんな外の屋台で食べた。外で社交した。外で時間をつぶした。それだけ外食費は安かった。

その代わり、着物とか煙管とかナベとか、モノは高かったみたいです。一生に買える着物の枚数は5~6枚だったんじゃないだろうか()。相対的に非常に高価で、今の物価で考えたらそれぞれ何十万円もする。火鉢買ったら百万円とか。だからなかなかモノは買わない。壊れたらていねいに修理する。それで修理専門業者が江戸の町中をうろうろしているわけです。モノは大事に大事に使う。

ついでに。江戸の娘は化粧しなかった。化粧して座敷に座っているのは関西の嬢はんだけ。江戸のオキャン娘はひたすら磨いた。特におでこ。ピカピカ光ってオトコの目玉が映りこむまで糠袋で磨いたそうです。ついでに。結婚しても仕事をする女は珍しくなかったけど、そういう場合、自分で稼いだ銭は自分で使えるのがふつうだった。江戸の女はかなり有利だった。

これもついでですが、所帯もつ際にはあらかじめ「三行半」を書いてもらうのがふつう。これでいつでも簡単に亭主を追い出せる。そして追い出された男は再婚するのが非常に難しかったらしい。「追い出されたやつ」という低評価になる。江戸のオトコは大変だった。

ここは卒業しないで中退だからカッコいい。昔の「仏文中退」と同じですね。

戦国期の「おあむ物語」ですか、たしか年頃になりかかった娘さん、そこそこの武将の娘なんですが、子供の頃につくってもらった草木染めの帷子(カタビラ)しか着るものがない。スネが出て恥ずかしい・・・という部分があったような。貴重だったんでしょうね。

そうそう。江戸っ子はなにかというと尻端折(シリッパショリ)して褌(フンドシ)を見せる。自慢だったわけです。いやいや、それどころか「褌、持ってるンだからな」という低レベルの自慢だったのかもしれない。褌も買えない連中がいっぱいたらしいです。なんせ高価だった。