Book.14の最近の記事

今年書いた感想を見直してみると、★★★★評価はゼロでした。良い本に当たらなかったのか、それともこっちの感受性が鈍って新鮮な驚きがなくなったのか。

計70冊ほど書いてますが、実際に読んだのはザッと100冊強でしょうか。平均すると週に2冊。たいした量ではありません。老眼で長い読書が辛くなったのも原因のひとつでしょう。

で、★★★評価はたくさんあるんですが、これはサービス星3もあるし、本当は星4にしたいけど、ちょっと足りない・・というものもある。ということで記憶に残る★★★を拾ってみました。


ヴァスコ・ダ・ガマの「聖戦」

GamaHolywar.jpgのサムネール画像

著者はナイジェル・クリフ。学校で習う歴史ではコロンブスの航海を重視するのが普通ですが、しかし実際の影響という面からするとむしろヴァスコ・ダ・ガマかもしれない。ガマはアフリカを南下し、喜望峰をまわってインド航路を開拓した人です。

ちなみにコロンブスのスポンサーはスペイン。ヴァスコ・ダ・ガマはポルトガルですね。スペインは西へ西へと拡張し、ポルドガルは基本的に東へ東へと勢力を伸ばした。教皇の仲介で両勢力のテリトリー境界を決めたりしていますね。

ひたすら香料と財宝を求めてヴァスコ・ダ・ガマは航路を開拓したと思いがちですが、実はプレスタージョンの発見という重大な使命もあった。プレスタージョンってのは例の「東方に英邁な主君がおさめるキリスト教国家がある」という神話です。当時の人はかなり真剣に思い込んでいたらしい。中東にはイスラムが居すわって東西流通を阻害されているんで、これをなんとか挟み打ちにできないか。強大なプレスタージョンと提携できればそれが可能になる。つまりは聖戦の一環。

インド沿岸の港はイスラム首長が権威を振るっていた。でも調べてみると偶像をまつった寺院のようなものもある。イスラムが偶像を嫌うという知識はあったので、こりゃキリスト教の寺院に違いない、プレスタージョンは近くにいる・・・と勝手に思い込んだらしい。もちろんヒンズー教の寺院です。

で、さんざん馬鹿にされた(イスラムからすればポルトガルなんて野蛮人です)連中は、いきなり大砲装備の船で港を砲撃する。ずいぶん乱暴ですが、これが十字軍の感覚です。交渉ってのはお金と知恵でするもんだと思い込んでいた平和ボケのイスラム首長たちは、あっというまに降参。

こうしてインド亜大陸とインドネシアの島々は簡単に征服される。ただしポルトガルの冒険家連中は質が悪くて人数も少なかったんで、結果的にインドは英国にのっとられましたが。むしろポルトガルのような小国がこの時期だけは体力も考えず、よくぞ世界に雄飛した。そう考えるべきかもしれません。

ま、そんなふうな本でした。たぶん。


ぼくたちが聖書について知りたかったこと

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池澤夏樹が聖書学者にいろいろ聞いて書いた本、という形式です。

いろいろ知らないことがたくさん書いてありましたが、いちばん新鮮だったのは「古代ヘブライ語には「時制」がなかった」という事実です。これはびっくりした。

長ったらしい旧約聖書、ほんと矛盾だらけのゴッタ煮です。矛盾する記述がやたら多い。でも、それは我々が「時制」を当然として読んでいるからなんですね。誰が何をしたから子供の誰が何した。そういう因果関係で通常のストーリーは成立している。

しかし時制がないということは、そこには過去も現在も未来もない。すべての記述が並列なんです。そしてすべては神が語った言葉なので、それを分析したり、カードにしたり、一部分だけとりあげることはしない。ぜーんぶまとめてトータルが「聖書」です。おまけに古代ヘブライ語では「母音」を記さないので、どう読むかはかなり恣意的。したがって書かれた文字列に大きな意味はなくて、声に出して読まれたものに意味がある。

だから聖書やタルムードは、最初から最後まで声に出して読む。ぜーんぶ読んではじめて「聖書」。部分々々には意味がない。どう読むかは練習、暗記ですね。だから黒い帽子をたぶった髭の信者たちは頭を振り振り詠唱に励む。

そういうものであった聖書を、紀元前頃にギリシャ語訳する際、当然のことながら時制をつけて訳した。そのために矛盾がたくさん生じてしまったらしい。論理を無視した記述を、無理やり論理にあてはめてしまった・・・。なるほど、と理解できたような気もするし、やっぱり納得できないような気もします。難しいです。


中国鉄道大旅行


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ここ数年気に入っているポール・セローの本です。鄧小平の改革が始まって数年後の中国旅行らしい。

その数年で中国は激動の変化をとげた。善良な人民たちの参詣で盛況だった毛沢東の生家は閑古鳥。もう誰も訪れない。名所旧跡はどんどん観光パーク化して、拡声器が大音響のミュージックをかなでる。けばけばしいプラスチックの施設が乱立する。人民服を捨てた人民たちが笑いながら押し寄せる。

ポール・セローってのは底意地の悪いオヤジなんで、お目付役人が見てほしくない場所ばっかり行きたがる。最新式の工場にはまったく興味がなく、さびれた人民公社の跡を訪問したがる。あえて毛沢東について聞いてみたりする。みんな口を濁して、いやー、もちろん英傑だったけど、晩年はちょっとね・・・と誤魔化します。大人になった元紅衛兵たちは「おかげで勉強の機会を逸した。損した」とブツクサ文句を言う。

たしか旅の最後にチベットを訪れています。アホ外人のふりしてるけど、しっかり事前勉強してるんですね。チベット語日常会話ハンドブックなんかで学習。そして汚くて臭い連中の中にどんどん入り込んでいく。

汚くて臭くて貧しくて笑顔で頑固なチベット人ですが、心を開かせる奥の手があったそうです。ひそかに数十枚持ち込んだダライ・ラマの写真。これをこっそり手渡すとチベット人の表情がガラリと変化する。

中国よ、行き過ぎるな!というのが最後のまとめだったように覚えています。躍進はいいんだけど、この国は歯止めなく行き過ぎる。ほどほど中庸ということを知らない。見ていてハラハラしてしまう。どこまで突っ走るつもりなんだ・・・。


海賊女王

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皆川博子の小説。16世紀、実際にいたアイルランドの女海賊、グラニュエール・オマリのお話です。

アイルランドといっても西海岸。波濤荒く、たぶん岩と沼地だらけで貧困の地。作物作ったってどうしようもないので、このへんの氏族(クラン)は代々の海賊稼業が多い。もちろん海賊といてっも、いつも船を襲ってるわけじゃないです。襲撃して皆殺しってのは儲けも大きいですが、リスクもある。いつもやっていると子分の損傷が多すぎますわな。したがって平常は沖行く船から税金(通行料)をとるだけです。こっちの方が効率がいい。

たしか九鬼水軍なんかでは帆別銭(ほべちせん)といってたと思います。通行税であり、建前としては通行保護金。みかじめ料ですね。保護してやっからよ、銭を少し出せや。

で、だいたいは通行税を徴収し、たまに心得違いで遁走しようとする船がいると襲撃する。身代金のために捕虜にしたり、積み荷をぶんどったり。収奪品がたまると、国内はヤバいので、たいていスペインあたりで売りさばく。時々は折り合いがつかずに紛争もおきる。ま、ギャングですわな。

イングランドからすると重罪手配の海賊首領。アイルランドの連中からみれば地元のスーパーヒロイン。それがイングランド側の圧力に追い詰められて窮地におちいって手詰まり。最後は捨て身でロンドンまで請願に出向き、エリザベス女王に謁見をたまわった。これは史実らしいです。

エリザベスとグラニュエールがどんな内容の話をしたかは不明。常識的には「もう悪いことしません」と謝ったと思うんですが、許されて帰国してからもグラニュエールはブレることなく、相変わらず海賊業を続行。なんだか分かりませんが、けっこう痛快な話です。

そうそう。アイルランドへ侵攻したイングランド兵たち、無給だったらしいです。エリザベスはケチで有名ですが、ま、それだけでなく当時の常識でもあった。したがって兵士の糧食や給与はすべて現地収奪です。こういうシステムだったため、アイルランドの住民はイングランドに対して猛烈な敵愾心をもつ。ただ惜しむらく、スコットランドもそうでしたがアイルランドの連中もみんな独立心が高くて、要するに勝手気ままで統一戦線をつくれない。だからいつもイングランド兵にしてやられた。

逆に考えるとイングランドってのは、たぶんシステムとかルールとかを決めたら遵守する感性を持っていたんでしょうね。ゴルフにしてもテニスにしても、あんな訳わからないルールなのにゲームが成立している。個々のイングランド兵が特に豪勇だったとは思いませんが、でも集団戦に強かったとか。ま、勝手な想像です。


慶長・元和大津波奥州相馬戦記

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近衛龍春です。同じ感じで南部とか毛利とか島津とか、いろいろ書いてますね。タイトルの「大津波」はほとんど意味なし。時代を見て出版社が無理やり付加したんでしょう、きっと。

で、主役は相馬の領主・相馬義胤。相馬ってのは、伊達政宗にとってはいつも目障りな場所です。勢力としては伊達の相手にもならない小さいものなんですが、それでも完全制圧しようとすると難しい。なんせ伊達は周囲が敵だらけ(政宗の不徳の至り)で、一方にかかりっきりになると、チャンスだ!てんで他が攻めてくる。

ずっーと目の上のタンコブ状態で、相馬は生き延びてきた。そし太閤小田原攻めへの参陣もおくれて、あわや改易という危機にも瀕する。要するに天下の情勢がわからない、東北の片田舎の小領主。戦争といっても昔ながらのパターンで、農閑期にちょっと戦って、田んぼが忙しくなると和睦のくりかえし。

そういう小領主ですが、なぜかギリギリのところでいつも所領を安堵してもらえた。たぶん理由は「伊達に対する楯の役目」だったらしい。小領ながらも兵は強く、馬は優良。伊達が中央に悪い心をおこしてもしばらくの間は楯になってくれるだろう。そういう役割を歴代の政権から与えられて、ずーっと長らえた。面白い回り合わせです。


朝鮮戦争

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朝鮮戦争ものはいろいろ出版されていますが、これは児島襄のもの。史実うんぬんは知りませんが、読みやすく、理解しやすい朝鮮戦争記でした。

マッカーサーとトルーマンの対立とか、東京司令部にマッカーサーが神のごとく君臨していたとか、ま、このへんは知識の範囲でしたが、けっこう知らないことも多かった。

まず米軍が弛緩しきっていたこと。下っぱの兵卒はもちろん訓練不足で素人同然。もっと問題は将軍クラスの独善と情報不足でしょうね。みんな東京司令部の方ばっかり見ていて、現地を知ろうとしない。後半のエピソードですが「北朝鮮も韓国人と同じ言葉を話しているのか」と聞いた将軍までいた。いかにも無知独善のヤンキーです。

もうひとつは、朝鮮戦争が実質的に米国の戦争であったこと。当事者であるべき韓国軍はほとんど相手にしてもらえなかった。実際、韓国軍は統率もとれていなくてすぐ崩壊し、米軍にとってはお荷物のような感覚だったらしい。あちこちで韓国兵の戦車恐怖症エピソードが描かれています。北にはソ連からもらった優秀な戦車部隊があったけど、南に戦車部隊は皆無だった。そりゃ戦車は恐いです。経済インフラ、軍備などなど当時は圧倒的に北が強かった。

そういう貧弱な南朝鮮で、良くも悪しくもひとり頑張ったのがたぶん李承晩です。この人の存在(そもそもこの人の大統領就任は米国の責任)が韓国にとって、長い目でみて良かったのか悪かったのは微妙なところです。依怙地な反共主義者であり猛烈な反日論者であり、独裁者であり圧政者。少なくとも日本にとっては困った人が大統領になり、この人が強引に大韓民国を勝手に成立させてしまった。

米軍は中国が国境越えて参戦する可能性を過小評価していたようです。まさか来やしないだろうとタカをくくる。実際、毛沢東もかなり迷っていたらしい。そして現実に中国(義勇)軍と対面してからもその兵力をなめていた。所詮は劣悪装備で黄色いアジア人です。近代的装備で制空権を確保している米軍にとって、非常にイージーな戦争になる・・・はずだった。

マッカーサーの博打がラッキーに当たって仁川上陸。でも朝鮮北部の地形は山また山の連続みたいです。そんな狭隘な山道を米軍が堂々と能天気な隊伍をくんで進出していくと、夜中にチャルメラ鳴らして中国兵がおしよせる。殺しても殺してもウンカのごとく押し寄せる。空爆は地形のため効果があがらない。夜は冷え込んで氷と雪の世界。おまけに米本国では国民がこの戦争にあまり共感をもたない。

第二次大戦の帰還兵は英雄でした。でも朝鮮戦争の帰還兵にはだれも同情をもたない。あんなアジアの外れの山地で米国の子弟は何をしてるんだ・・・。泥沼のベトナム戦争の前駆ですね。

そして休戦。休戦交渉の当事者も米軍vs中朝軍です。韓国は蚊帳の外。この構図はいまも変わっていないようですね。もし北朝鮮が境界線を越えて南進してきたら、戦いの主導権を握るのはたぶん米軍。これじゃあんまりだ・・と韓国がクレームつけてたようですが、現在のところも依然「戦時の作戦統制権は米韓連合司令部」という形です。韓国にはとってかなりプライドを傷つけられる状況ですね。朝鮮戦争はまだ尾をひきづっている。というか、戦争はまだ形式的には継続中です。


ダーク・スター・サファリ

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これもポール・セロー。どうも好きみたいです。

この本のポール・セローはもう60歳を超したオヤジ。人間、トシとると感傷的になるんでしょうね。若いころ教鞭をとっていたアフリカのどこか( どこだったっけ)を再訪したくなった。多少は有名作家なんだし、学校に頼み込めばたぶん臨時講義ぐらいはやらせてもらえるだろう。センチメンタルジャーニーです。

青年時代のセローはたしか徴兵忌避で、海外協力隊(みたいなもの)でアフリカのどこかに行った。どこだったっけ。人食い大統領で知られた国です。えーと、はい、平和部隊でウガンダです。大統領はアミン。アミンが大統領になったんで、あわてて隣国へ逃げ出した。

私事ですが海外協力隊でアフリカに行っていた知人がいます。酒飲みながら聞いた話では、ウガンダ国境に近い村なんかでアミンの悪口を言うとかなり危ない。夜中に連行されて、拷問されて喰われてしまう危険もある。真偽のほどは不明ですが、何人かは喰われたという噂がある。

ま、それはともかく。

エジプトから延々と苦しい鉄道の旅を続けてきたセローは、ようやくウガンダの隣国、懐かしの地マラウイへ。若い教師だった頃のセローは同僚たちと「あと10年もしたらこの国も豊かになる」と話し合っていました。きっとそうなる。そうに違いない。信じていた。しかし現実のマラウイはいっそう貧しい国になっていました。

セローは怒り狂います。これがセローのいいところで、シニカルな表面を装っているけど、実はけっこう熱い。熱いオヤジなんです。図書館の本が盗まれ、職員住宅の壁が破れている。これは理解できる。無能な政府が予算を配分しないからだ。しかしなぜ廊下にゴミがあふれているのか。なぜ庭に雑草が生い茂っているのか。なぜ誰も掃除をしないのか

要するに、こうした貧困はアフリカ人自身のせいです。他に原因を求めてはいけない。だれかが援助してくれることだけ待ち続けて、自分たちはなにもしない。無為無策のまま援助物資で食べている。そんな民衆に希望なんてカケラもない。

善意の西欧が親切に援助の手を差し伸べてきたアフリカ。でもその援助がアフリカをダメにしているんじゃないだろうか。昔の河沿いの村は貧しくて、住民たちは手作りロープと牛皮のバケツで井戸から水を汲みあげていた。いままた訪れた同じ村には、錆ついた汲みあげモーターが転がり、トラックの残骸があり、切れたプラスチックのロープが捨ててある。そして住民たちは昔と同じように手作りロープと牛皮のバケツで井戸から水を汲みあげている。トラックはガソリンがないと動かない。モーターは修理できる人間がいない限り壊れたまま。

何も変わっていません。相変わらず土とホコリと貧弱な木々だけの村。ただ以前にはなかった残骸ゴミが余計に増えただけ。

ま、そんなふうな本です。そうそう。偉そうに演説しているセローですが、実はあちこちで良さそうな金細工とか土産物を買い込んでます。そういう意味ではふつうの人。で、旅の最後の南アでは一流ホテルに宿泊。やれやれと安心して施錠したバッグを預けて、レストランで美味い飯を食ったんですが、預けたバッグは消え去っていた。南アは文明国だったはずなのに・・・。残ったのはずっと身につけていた取材ノートだけ。取材ノートが残ってよかった。


アラブ500年史 上

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ユージン・ローガンの上下本。ただし下巻はあまり楽しくありませんでした。上巻も楽しい本ではないですが、ま、下巻よりはマシ。

えーと、まず16世紀、マムルーク朝のエジプト軍がオスマントルコと対決。ここでエジプト軍は大敗します。これを契機にオスマン大帝国が誕生。以後のアラブ世界はオスマンの支配下で生き続けます

マムルーク朝が隆盛を誇る前はどこだったんですかね。調べてみるとアラブ帝国ってのは、まずムハンマドの時代を経て拡大してウマイヤ朝。次がアッバース朝。他にもあるんですが、ま、次は大帝国とはいえませんがエジプト中心のマムルーク朝ですか。

で、マムルークを撃破してオスマントルコが大帝国となった。オスマンはアラブではないですが、一応はイスラムなので、なんとかアラブ世界も静かになった。しかし、やがてオスマンが西欧に浸食されはじめると、各地でアラブ民族主義が台頭。こういう見方でいいのかな。ちなみにアラブ人とは、概略アラブ語を話す人々です。

あるいは、台頭するのはアラブ民族主義なんて立派なものではなく、個々の氏族なのかもしれない。たいてい「ナニナニ家」という連中です。はっきりしませんが、たぶんムハンマドの系譜を継ぐ名家なんでしょうね。各地に勢力をひろげた一族、名家。そういう「一家」「氏族」が抗争しながらアラブ各地でテリトリーを拡げ、資産を蓄積する。そして第一次大戦後のアラブ分割では、各国の思惑でそれぞれバックアップしてもらった実力者が、国境線をひいたエリアの大統領や王様になる。

そんなふうに大きく眺めると、アラブ世界ってのは面白い。各国みんな親戚のようでもあり、ライバルでもあり、敵でもある。シーアとスンニという大きな違いもある。うまく利害が一致すると(OPECみたいに)団結して行動する。ときどき裏切るところもある。

イスラエルという国家は、最初からあったわけではないんですね。てっきり船に乗って「神の国家だあ」と乗り込んできたような印象でした。映画、栄光への脱出。実際には特定エリアへの植民計画だったそうです。パレスチナ地域に大量のユダヤ人を入植させて、だんだん入り交じらせる。しかし土地の購入とか接収とか、いろいろトラブルが発生する。暴力抗争が連続する。

そもそも無理な計画だったわけで、英国はイスラエルエリアを勝手に決めてしまいます。要するにパレスチナには泣いてもらいましょ、ということ。ただし全アラブがパレスチナに同情したわけでもなく、これを機会に残りのパレスチナ地区を自領にしようと策謀する王様もいたらしい。

でも国境線を勝手に引くなんてそもそもが無理筋で、さらに暴力とテロが連発する。草創期のイスラエルってのは、ほとんどテロ国家です。彼らに言わせれば自衛。生き残るために必死なわけで、あちこちで騒ぎを起こす。この頃の行動責任者たちが後で首相なんかになっています。

とどのつまり、結局薬局で英国は完全にサジを投げる。検討委員会にまかせて国境を決めた。何月何日。あとは勝手にしなさい。責任もたん。もう知らんもんねと宣言

その実効当日、周囲のアラブ諸国がいっせいにイスラエルに攻め込む。「知らんものね」って言うんだから勝手にさせてもらいますわ、です。ところがイスラエルは長年の独立抗争で十分な戦力を養っていた。武器も大量に保持していた。アラブの連中はいかにもアラブらしく勝手バラバラ、統一なく作戦行動する。その結果はイスラエルの圧勝。圧勝したイスラエルはチャンスに乗じて一気に国境線を拡大する。

多少は違うかもしれませんが、だいだいこうした経緯なんだと思います。詳しく歴史経緯を知ると、パレスチナ問題を安易に解決する方策なんてあるわけがない。読めば読むほど暗澹たる気持ちになるだけです。

★★★ 河出書房新社
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最近の刊行です。なんでこんな地味な本を借り出したか自分でもわからない。

内容はタイトルのままで、イチョウの2億年の物語。こんなに古い植物は他にないらしいです。シーラカンスの植物版、生きた化石。1億年2億年前には世界中に栄えていたイチョウの仲間ですが、たぶん氷河期の寒冷化で絶滅しかかった。あるいはイチョウの実を食べて運んでくれる特定の動物が消えて、その影響を受けたのかもしれない。

ということで、イチョウはほぼ絶滅しかかったものの、唯一、中国南西部の小さな谷間にしがみついて生き延びていた群生があった。そしてどうやら人間がこの木を気に入って、あちこちに植えてくれることでテリトリーを拡げたらしい。動物の代わりに人間が助けてくれたわけです。

したがって現在のイチョウは「裸子植物門イチョウ綱イチョウ目イチョウ科イチョウ属」。これだけで、他に仲間はまったくいません。天涯孤独な植物です。

中国の寺院の境内とか人家の近くに植えられ、だんだん広まって朝鮮半島、そして日本列島。日本に入ってきたのは800年くらい前ではないか。すると疑問になるのは例の鶴岡八幡宮の隠れ銀杏ですね。えーと、源実朝暗殺が1219年ですから、この頃の八幡宮に巨大なイチョウがあったとするのはちょっと怪しい。実際、吾妻鏡にもイチョウの記述はないそうです。公暁は単純に階段の端に隠れていた。

イチョウのエピソードが書かれたのはかなり後年になってからで、信憑性は限りなく薄い。たぶん、完全なガセネタでしょう。

それはともかく。長崎の出島に滞在したオランダ人が日本のイチョウに注目し、こんな不思議な木があるのかとびっくり。これを持ち帰ってヨーロッパにも広まった。そしてなんやかんやの末に泰斗リンネの元にも届き、リンネ爺さんが厳かに命名。Ginkgo biloba。bilobaは葉っぱが割れていることの意味だそうです。届いたイチョウは若木で、若いと葉っぱが割れてることが多いんだとか。Ginkgoはたぶん「Ginkjo」の誤り。ギンキョウ(銀杏)ですね。

こうやって世界中にイチョウは繁殖した。増えやすく、非常に生命力の旺盛な木だそうです。公害にも強いので街路樹にぴったりだし、黄色く色づくのも面白い。雌雄があるのも珍しい。もちろん実(というか胚珠)は食べられる。中毒の危険があるので、食べ過ぎには注意。

本筋に関係ないですが、実朝を殺した公暁、すぐ逮捕されたかと思っていましたが、実際には首を取っての逃走に成功し、有力御家人に謀叛を呼びかけたとか。結果的に反乱は成功しなかったわけですが、100%無謀な企てでもなかった気配がある。上手に根回ししていれば、ひょっとしたらクーデタ成功ということもありえたのかもしれない。知らんかった。

★ 早川書房
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「イリアム」の続編です。上下2巻。

ダン・シモンズの大風呂敷はいっそう広がって、収拾つかなくなる。で、要するにこの小説はトロイ戦争とオリュンポスの神々の抗争を描いてみたい。壮大な地球未来SF小説にしてみたい。ついでに自分の愛好する詩や作品ウンチクも語りたい。そういうことでしょうね。舞台回しはオデュッセウスの放浪とシェークピアのテンペストです。

準主役のオデュッセウスは時空を越えて放浪します。そしてオデュッセウスと地球の住民たちは謎のプロスペローや娘のミランダ、妖精エアリエル、怪獣キャリバンなどに遭遇する。このテンペストふうキャラは何故か魔法のような力をもっています。ただし魔法ではなく「量子ナントカ効果」です。「魔法」という言葉の代わりに「量子」を使ってるだけなんですけど、ま、それによってファンタジーではなくSFになる。ちょっと狡い。

そうそう。不死の英雄アキレウスは、殺してしまったアマゾンの女王ペンテシレイアを神々の再生槽で復活させることに成功。どうしてかというと、ペンテシレイアはアフロディテからもらった媚薬(No.9)を体に塗ってたんですね。殺してしまってからアキレウスはその香りを嗅ぎ、虜になってしまった。

アキレウスはペンテシレイアに執着している。ペンテシレイアはアキレウスを敵と思っている。で、生き返ったペンテシレイアはブツブツ言いながらアキレウスに同行します。アキレウスも「嫌な女が」とは思ってはいるんですが、なんせアフロディテのNo.9効果があるんで、一緒にいるしかない。

このへんけっこう面白かったです。ダン・シモンズってのは、あちこち気が利いて楽しい描写が多いんですね。ただ、それを圧倒するくらい、どうしょうもない大風呂敷と冒険活劇と感傷を繰り広げる。困ったもんだ。


★★★ 早川書房

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再読です。地球や火星を舞台にした疑似トロイ戦争ですか。ま、ダン・シモンズですから馬鹿馬鹿しく風呂敷を拡げた設定で、大活劇です。

で、お決まり、シェイクスピア愛とかプルースト愛があって、代表作(かな)のハイペリオン・シリーズではキーツ愛でしたね。さらにフランク・ロイド・ライト(建築家)にも愛をそそいでいた。

余計なことですが、そのハイペリオン・シリーズでは、超光速旅行のアイディアは秀逸だった。船の乗客はものすごいGに耐えられず潰れて必ず死んでしまうんですが、その細胞片から目的地でまた再生される。超光速の旅=死の苦しみと再生。何回もやっていると、精神的におかしくなる。すごいこと思いついたもんです。

で、戻ると、なぜ「イリアム」を再読したか。実はオリュンポスの神々のサイズを確認したかった。ちょっと前に書きましたが、ホメーロスの描く神々はいろんなサイズに相を変えたらしい。大きくなったケースとしては傷ついた超巨大な軍神アレースがどてーーーーーんと倒れたり。しかし通常の場合は8フィート程度とダン・シモンズは描写していました。2メートル半か。ときどきは12フィート程度にもなる。

ちなみに(前にも書きましたが)土井晩翆訳のイーリアスでは「武のアレースの、頸打ち四肢を弛ましむ。七ペレトラの地をおほひ・・・」というような訳になっています。新しい呉茂一訳のイーリアスでは「三町」。一町は60間、だいたい110メートル程度でしょう。面積単位では3000坪だそうです。実際に300メートル超の神が倒れたら、そりゃみんな迷惑します。倒れかかってから横になるまでもスローモーションみたいで、けっこう時間がかかるんでしょうね。大地震。

厚さ4センチを読み終えて、かなりウンザリしてますが、年末年始、たぶん時間もあるので続編の「オリュンポス」(こっちは上下巻) にも手をだす予定です。

話は違いますが、昔、時々上映されていた古代もののイタリア映画に登場の神々はみんなチープでした。洞窟かなんかの中で彩色の霧がかかってそこから重々しく登場する。ただし俳優はみんな現代人なんで、どうみても好色アントーニオとか粋がりカルロにしか見えない。女神ならモニカとかソフィアとか。

たいていはストーリーも下手くそで、面白くない映画がほとんどでしたね。蛇の足。

★★★ 講談社
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著者の名前はなんとなく知っている程度。もちろん初めて読みました。日系アメリカ人なのかな。

うん、良著ですね。副題が「人類以前からフランス革命まで」。上巻は中国、インド、イスラムの3つの地域(プラス西欧少し)を概説して、国家と政治体制を論じています。堅い内容ですが、叙述は論理的なので、意外に読みやすい。

簡単に説明するのは難しいですが、「国家」「法の支配」「説明責任」という3要素が必要なんだそうです。この3つを兼ね備えていればその国家は健全に発展する。国民はまあまあ文句いわずに生きていける。

こういう場合、たいていの本はメソポタミアあたりから始まって、ギャシャ、ローマと論評していきます。定番ですね。でもそれって、西欧型の自由民主国家が最高モデルであると最初から規定していない? 要するに今の自分たちのスタイルを規範にして、その規範を世界中にあてはめてる

ということで、フランシス・フクヤマの場合はまず中国をながめます。まっとうな「国家」を作り上げたのは秦です。世界で初めて、しかも画期的に早い段階で国家ができあがった。インドもメソポタミアも、西欧も、国家らしい国家なんてずーっと存在していなかった。

ただし中国の場合、国家はあったけど「法の支配」には問題があった。また政府による「説明責任」もなかった。専制国家がすべてを支配し続けてきたわけです。もちろん法はあったけど、それは国家(皇帝)の恣意的なものでしかない。国家だけが存在していた。文句いうやつは刑に処す。

その系譜の上に現在の中国もある。中華人民共和国は非常に堅固な国家です。ただし法はあってないようなもので、党が法を決める。もちろんその度に民意をはかる必要なんてまったくない。この点で、危うい部分があるんじゃないだろうか。民意(民衆のコンセンサス)に逆らった政治を続けると、いつか反乱がおきる。事実、中国三千年は、そうした連続の歴史です。

ちなみに「国家」には官僚制が必須です。官僚というのは、家柄とか部族内の引きではなく、あくまで能力によって仕事をします。その官僚たちが「仲間意識」で結託しはじめると、官僚制国家は破綻します。いまの中国、このへんも危ういところがありますね。

あっ、ちょっと整理しておきます。
「国家」とは、たぶん政府の意思がすみずみまで通って実行できること。
「法」とは、たとえ皇帝や政府であっても、ルールを勝手に破ることはできない。
「説明責任」とは、政府が問答無用で住民を追い出しての大規模ダム造成はできない。


こんなことと,適当に理解しました。

で、次はインド。なぜインドはなかなか健全に発展しないのか。インドの場合は社会(民意。民衆の文化)がべらぼうに強いエリアらしいです。そして法ですが、バラモンを頂点とするカースト制度のような社会体制が、圧倒的に支配している。クシャトリアが一応は国家を経営しようとしますが、彼らも決してバラモンには逆らえない。つまり国家に権力が集中していない。ただしバラモンは国家を支配しようとはしません。

インドに専制国家らしい国家が成立したことはほとんどない模様です。実質はずーっと部族やカーストの連合体だった。だから国家が強権発動して何かおしすすめようとしても、スムーズに運ばない。差別構成を破壊しようとしても、猛烈な抵抗に会う。今後もなかなか難しい。

で、イスラム。イスラムで比較的成功したのはオスマン帝国だけだった。その前にはエジプトも一応は成功しました。オスマンはバルカン付近の白人奴隷イエニチェリ、エジプトはたぶん黒海のあたりからさらってきたマムルーク。この連中を使ってそれなりの軍や官僚制国家を建設した。なぜ奴隷を使ったのかというと、部族や家族のしがらみがないからです。イスラム圏ってのは、この「しがらみ」がべらぼうにに強い地域みたいですね。

勝手な想像ですが、アラビア半島あたりのひとつの部族(たぶんムハンマドの系譜)が政権をにぎると、当然のことながら仲間内で中枢を固めようとする。そのうち違う部族も勢力を伸ばしてくる。部族と部族の権力争い。自分たちの権益だけが大切なんで、天下国家なんて言ってる場合じゃないです。それを防ぐためには、皇帝や国王だけに忠誠を誓う「奴隷」が役に立つ。そういう意味でイスラムの奴隷登用制ってのは画期的に賢かった。

ただし、奴隷も時間がたつにつれて「仲間」を大切にしはじめます。中国の宦官と同じですね。子供に資産は残せないタテマエなのに、うまく法を潜り抜けて権益継承を画策する。こうして皇帝・国王の力が失われていく。国家の崩壊。

で、最後は西欧。代表は英国ですか。こっちは何故か父系の部族主義が早い時期に崩壊したらしい。フクヤマはその理由をカトリック教会においています。つまり布教にいそしんでいた坊主連中が交差イトコ婚を「いけませんぞ」と阻止した。父系の交差イトコ婚とは「母系の従兄弟とは結婚できるが、父系の従兄弟はダメ」というルールです。また「死んだ兄の嫁さんとの結婚」なかんも嫌った。

なぜカトリックの坊主が交差イトコ婚を嫌ったのか。教理が理由かと思われがちですが、おなじキリスト教でも東方教会ではそんなことなかった。経済的な理由じゃないかとフクヤマは推察しています。

で、結果的に部族内の結婚が減ります。こうしてゲルマン風の厳密な父系社会が弱体化すると、結果的に「個人」が伸張する。ま、「家族・部族」が頼りにならないなら「個人」になりますわな。女性の権利がけっこう強くなり、女性が財産権を持ったり、子供が女系のファミリーネームを名乗ったり。

結婚の機会のない独身女性は遺言で修道院に財産を寄付する。個人のものなんだから、寄付して悪いか! 資産が「部族・家族」から離れて、教会のものになったわけです。時がたつにつれて修道院の握る資産はべらぼうなものになった。

こうして西欧型の個人社会が誕生。たまたま権力を握った個人は「貴族」になったんだろうと思います。各地に貴族がいっぱい誕生して、豊かな貴族と貧乏な騎士は契約をむすび住民を支配して封建制。各地に乱立。だから国王が権力を集中させようとする試みは非常に困難をきわめた。

そうそう。こうした社会(特に英国)では個人間のイザコザを調整するためのコモンローが重要な意味を持ちます。社会的なコンセンサス。だからいきなり国王が偉そうに命令しても、それに逆らう動きがかならずある。そういう意味で西欧型国家の発展というのは、あくまで西欧型でしかない。


正直、言葉にまとめるのは大変です。あちこち大切なことをいっぱいこぼしてますが、だいたいこんなふうな筋道だったような気がします。ようやく上巻が終わったので、今度は下巻も借り出してきますか。正月使って、ゆっくり読むかな。


senshibankou.jpg★ 幻冬舎

内外の偉人や歴史上の人物評+絵。大昔の「新選組」なんかと同じ趣向ですね。

ただ「新選組」の熱気や斬新さとくらべると、はっきり言って駄作です。二番煎じの粗製本。

とりあげられた人物に関してのウンチクやエピソードも、ちょっと関心のある人にとっては常識の範囲でしかありません。ん? 最後のあたりで紹介の沢村栄治だけは知らないことが多かったか。不世出の大投手として伝説的な人ですね。子供の頃には少年雑誌なんかでよく紹介されていました。

したがって知ってるのは「天才投手」「足を高々とあげるフォーム」「大リーガーの打者を叩きのめした」「召集された」「手榴弾を遠投した」「戦死した」という程度。」

なるほど。事情に関しては諸説あるようですが、京都商業を中退してプロ入りした。そのため形の上では「中等学校中退」あつかいで、遠慮なく召集の対象となった。もし卒業していたら、あるいは大学に進学していたら召集はなかった可能性もある。

プロ入りは読売の正力が強引に口説いたんだそうです。一生キミの面倒はみるとか言ったけど、もちろん後になってからは知らん顔。二度にわたる従軍では手榴弾を投げすぎ、肩を壊してからは役立たずあつかい。結果的に見捨てられ、見殺しにされたような格好らしいです。で、戦後は沢村賞として讃えられる。なるほど。

★★★ 新潮文庫
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ずいぶんカバーが汚くなってる。えーと、もちろん再読ということはなくて、3回目くらいでしょうか。4回までは読んでいない気がする。

あらためて通読。意外に細部を忘れていました。なんとなく記憶に残っていたのは(一応)主人公の小幡勘兵衛とか大阪城の女房衆である夏とかのお話。ま、どうでもいい部分です。肝心のメインストーリー詳細はほとんど記憶なし


この本では家康がずいぶん腹黒親爺として描写されています。ま、それに近かったことは事実でしょうけど。で、淀の方が完全にアホ扱い。これもほぼ正鵠を射ているんでしょう。他の人たち、たとえば大阪方の実質的責任者だった片桐且元なんかは可哀相な人です。一応は賤ヶ岳七本槍の武将なのに、似合わない時代に似合わないことをやらされて、両方からいじめられる。酷い目にあった。

大野修理という人もそうですね。なりゆき情勢から、まったく資質にあわない仕事をやる羽目になった。平和な時代に官僚やってれば、それなりに有能な人だったんでしょうけど。

真田信繁(幸村)という人、城に入った時点でどれだけ影響力というか勢力があったのか不思議です。父の昌幸は表裏比興の者として天下に名を轟かせたわけですが、次男の信繁ははてどれだけの名望があったのやら。たぶんゼロに近いでしょうね。いっしょに城に入った将兵の数もたいしたことはなかっただろうし。

それとも昌幸配下の兵はほとんどが浪人していて、それが次々と集まってきたんでしょうか。関ケ原終了の時点で長男の信幸は可能なら父の部下を全員召し抱えたかったでしょうが、やはり徳川家に対しての遠慮があって控えたのかもしれません。

真田信繁にしろ後藤又兵衛にしろ、大坂城首脳部からすればまったく信用できない連中でしょう。みんな食い詰めの浪人連中。ただそうした食い詰め浪人に頼るしかなかったのが大阪方の実情です。頼るしかないなら腹をくくって完全に任せればいいんですが、その度胸もない。常に中途半端に任せた。

冬の陣、夏の陣、真田や後藤、毛利勝永などが意外に善戦して、家康本陣にも迫ったというのは不思議な現象です。徳川方があまりに大軍すぎて、戦う意欲もあまりなかったと考えるのが正しいのかな。

とくに外様大名はあまり働きすぎても政治的によくない。だから形だけ陣を敷いて、形だけ戦っていた。そんなふうに自分たちはたいして本気ではないのに、空気の読めない真田とか後藤の死兵が目の色変えて突進してくるんで閉口した。そんなところでしょうか。徳川譜代の連中もみんな代替わりして、そろそろ軟弱平和ボケしかかっていたのかもしれない。

秀頼、最大の機会だった関ケ原では城からまったく出ることなく、結果的に三成を見殺しにした。冬の陣でもなにもせず。完全敗北しかなくなった夏の陣でようやく出陣しそうになったけど、ここでも母親に止められて結果的に無為。何もしないまま煙硝蔵の中で自害。不完全燃焼の人生です。ただ育ちが育ちなんで、それを悔しいと思ったかどうかは不明。

冬の陣のあとの信繁が、兄の部下を訪ねていろいろ父親の昔語りをしたとか、最後の突撃の前には娘を敵将(片倉小十郎)にゆだねて逃がしたとか、初めて読んだような気がします。そういう人だったんだ。


★★★ 筑摩選書
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(1)が文明の誕生、(2)が帝国の興亡。(3)もあるようですが、まだ借りていません。

要するに大英博物館の所蔵品からぜんぶで100点を選んで、それぞれについてウンチクというか歴史物語をする。そういう趣向です。あんまり有名なものは登場しませんが、写真は綺麗です。

うーん、何を書いたらいいのやら。それぞれ写真についてのお話はけっこう面白いんですが、一言で説明するのは難しい。そうそう。西欧中心の選出ではなく、アジアとか新大陸とか、けっこう地域をバラケさせています。日本も2回ほど登場します。縄文土器(世界初ともいう)についてと、あとは鏡だったかな。

ずーっと読んでいくと、必ずしも(学術的には)厳密な解説でもないような印象があります。けっこう著者の勘違いもあるようです。その代わり、非常に読みやすい。とっつきやすい。ま、綺麗な写真をながめて、なるほど・・・と納得する。それでいいんでしょうね、きっと。


★★★ 春秋社
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「自由と国家と資本主義」という副題もついてましたが、タイトルが長すぎる・・・。

松岡正剛という人、よく知りませんがネットの書評なんかは時折読むことがあり、ま、こなれた文章を書く人です。頭がいいんでしょうね。ただし「編集工学」というのは何のことやらわかりません。そういう、自分にとっては「?」な人。

で、この本はなんといいますか、歴史論というか、文明論というか、日本と世界との関係というか、これもまた一言では言えない。けっこう柔かめで面白い本ではありましたが、やはり読後に「?」が残る。

自分なりに吸い取ったのは、近現代の世界は良くも悪しく英国が主導してモデルの役割をつとめたということ。そして英国の力が衰えた後は米国モデルとなったこと。ま、そうでしょうね。

英国が国教会なんていう不思議かつ異質なものを作り上げ、英国が率先して帝国主義の世界観をもって発展。世界を率先して分割支配した。いいことも悪いことも、すべて英国のおかげ。英国の責任。それが今ではすべて米国のおかげであり責任になっている。

で、こうしたグローバリズムというんですか、世界の常識、英米式の経済ネットワークや世界観にどっぷり嵌まっていていいんだろうかという疑問があるんでしょうね。つまりは自由主義、民主主義、成長発展の道ですが、はてはて。世界中がこれしかない!と盲従してきたわけですが、この先には何が待ち構えているのか

エリザベス一世から現在まで。ぜんたいの半分ほどはふむふむと楽しく読みました。あとの半分は哲学やら文芸やらの話が多くて、わかったようなわからんような。そのうち文明論なのか社会論なのかコジツケなのか、不明な内容になる。なんせこっちはトシで頭の柔軟性がなくなっている。

そうそう。些細な部分ですが、日本は「新植民地」だそうです。国内に外国の軍を常駐させているのは植民地というしかない。で、日本が発展したのも混乱したのも支配者である米国の要求や押しつけによることろが多々。これはけっこう納得できました。

そんな米国さまの言うことをなかなか聞かない(ふりをしている?)TPPなんてのは、これからどうなるんでしょう。TPP交渉なんてアリバイ作りで、実はもっと早めに屈伏すると読んでいたんですが、甘利が意外に頑張っている。そんなに抵抗して大丈夫?と(もちろん皮肉まじりに)言いたくなります。

それにしても、大昔のテレビタックル、「アメリカ様」という言葉を初めてテレビで使ったハマコウは凄かった。たぶんそれまでは禁断の言葉だったんじゃないでしょうか。

内容とは無関係ですが、誤植が多いなあ。非常に失礼ながら、小さな出版社は総じて誤植が目立ちます(だから本を買う際は、半分は版元の信用で選ぶ)。それに腹立てたらしい人が、あちこちに鉛筆でマークをつけてて、これもうざったい。おまけに間違っていない部分にもけっこうマークがある。ま、その方にとっては「?」な単語や用語だったんでしょうけど。図書館本に書き込みはいけません。


★★ 白水社
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たぶん下巻は読まないだろうと思っていましたが、借り出してしまった。

下巻は大戦後の中東戦争から2010年 11年のアラブの春までです。さすがにISISの動きはまだ書かれていません。

なんせずーっと混乱の歴史なので、読み終えてしまうとどこで何が起きたのやら判然としません。とにかくゴタゴタし続けている。ぞそれでも記憶に残っている事を思い出してみると・・・。

まずエジプト、ナセルの台頭。演説の名人だったらしい。そして全アラブへの影響力は抜群。その陰にラジオがあったというのは初めて知りました。ラジオの時代だったんですね。遠く離れた国の民衆もラジオを通じてナセルの演説を聞くことができた。アラブってのはアラビア語を話す人たちのエリアだから、言ってることが理解できるわけです。心をかきたてられる。

ちょっと前だったらルーズベルトがラジオを駆使して(炉辺談話)国民に直接語りかけました。もっと後ならケネディがテレビを活用して当選を決めた。メディアと政治は思ったより深くつながっている。

アラブ諸国はとにかくゴタゴタしていた。言語も文化も同じなんだし、アラブ統一国家をつくろうという動きはもちろんあったわけですが、常につぶされた。それぞれの国にも事情やらエゴがあったわけです。また欧米諸国にとっても強力なアラブ統一国家の成立は非常に都合が悪いんで、常に邪魔をしてくる。

宗派が違う。シーア派とスンニー派だけでなくキリスト教徒の部族もいる。それぞれに首長が権益の根を張っている。首長といっても土着の有力者とは限りません。他の土地の首長なんかを英国とかフランスとかが自分の都合で応援して、落下傘式に大統領や国王にしてしまったりする。石油が出るかどうかで財政も違う。戦後になっても欧米やソ連、中国など大国がちょっかいを出す。更にパレスチナ問題やクルド人問題が絡んで、いっそうややこしくなる。

非常にザックリ言うと、要するに各国の政府が無能で強欲で自分勝手で、隣国同士が仲良くなんかできない。大統領は常に息子に世襲させようとするし、たまに実行される選挙は嘘だらけ。一時期のアラブ諸国は表面的には世俗的、準民主国家になりかけ、たとえば女性はスカートはいて闊歩していたけど、なんせ政治の根本が腐敗しているので民衆は納得できない。アラブ人は何百年も間ずーっと絞りとられ続け、プライドを傷つけられてきた。

こうしてなんとか世俗的に運営していこうとする政府に対して、絶望した過激派が抵抗する。その抵抗を徹底的に弾圧されると火がついていっそう過激になる。完全に絶望してしまったあげくの方策がテロ。統一スローガンとして共感を得るのはイスラム原理、イスラム回帰ですね。極端な方向性のほうが理解しやすいし支持を集めやすい。こうして肌を露出していた女性はまた髪をおおって歩くようになった。

常習的な自爆テロなんてのは、最後も最後の悲惨な反抗手段です。ただそのテロ組織も分裂していて、お互いが敵。アラブの春のうねりで強権政府を倒しても、その後にすわった政府はやはり腐敗している。軍がクーデタを起こす。トップにすわった将軍はもちろん永久政権をめざす。

どうにもなりません。でもアラブの場合はまだしもニュース価値があって、世界に報道されている。アフリカなんかはどうなんでしょう。たぶんもっと酷い状況のような気がする。酷いけれども、世界的なニュース価値はない。みんなあまり関心を持たないし、どこかの国でウン十万人が殺されたと聞いてもさほど驚かない。偉そうに書いていますが、私だって実はたいして関心はありません。

なんとか読み終えましたが、しみじみ暗い気持ちになる本です。著者は最後でなんか明るい見通しのような雰囲気でしめくくっていますが、現実にはその後にも混乱のシリア内戦が続き、ISISという新顔が登場しています。ガザ地区の紛争もまったく解決しそうにありません。「平和を」と唱えている欧米各国は武器をひそかに売りさばいて利益をあげている。

楽しい本ではありませんでしたが、読まないよりは読んでよかった。知ってどうなるのかと問われれば、なんにも役立ちません。でも読んでよかった。


★★ 白水社
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フィレンツェのメディチ家ってのは有名です。ルネサンス大スポンサー。去年フィレンツェに行ったとき迷い込んだウフィッツィ美術館の所蔵品はべらぼーな豪華さでした。たかがトスカーナ地方の支配者でしかないですが、毛織物と金融業ですごい財を蓄積したんですね。

しかしブイブイ言ってたメディチ家がその後はどうなったか。それは知りません。たいていの人は知らないと思います。で「こんなふうに衰退したんだよ」というのがこの本。

17世紀、フェルディナンド2世の治世から始まります。ちょっとディレッタント気味で悪い領主ではなかったようですが、ただ奥さんに頭が上がらなかった。で、息子(コジモ3世)の教育をその奥さんにまかせっぱなし。奥さんは信心深く(言葉を変えれば迷信深く)、もともとその性向があったコジモを極端な信仰の人にしてしまった。

信仰が悪いわけじゃないでしょうが、トスカーナのような微妙な位置にある領主としては、いろいろ問題が生じます。聖職者を大事に優遇しすぎる。町中が坊主だらけになってしまった。ユダヤ人をいじめる。経済活動が途絶えてしまった。市民がみだらな行動をとらないように厳重にしめつける。活気がなくなった。それとは関係なく、トスカーナ大公としての対外的プライドだけは過大。重税を課し、やたら金を使う。豊かだったはずのフィレンツェ市民とトスカーナは極度の貧困にあえぎます。

おまけにフランスからもらった奥さんとの相性が最悪で、水と油。気が強くて超活動的な奥方と、陰気でお寺参りだけが趣味の亭主です。まったくうまくいかない。で、子供3人産んでから奥方は勝手にフランスに逃げてしまった。修道院にこもって、というより修道院を牛耳って、勝手気ままに生涯を終えた。

残された子供は3人。長男はだらしなくて、結局梅毒(たぶん)で死亡。娘はドイツ(神聖ローマ帝国)の諸侯に嫁入り。気の弱い次男もカントリー志向の強情なドイツ女と結婚する羽目になって、うんざり自堕落に生き続ける。最終的にこのアル中の次男が次のトスカーナ大公を継いだんですが、子供を作る気もなくて、ここでメディチ家の跡継ぎは途絶える。

難しい時代だったんだと思います。フランス、スペイン、神聖ローマ帝国。そしてローマ法王。大国が複雑なチェスのような外交を繰り広げていて、甘い考えの小さな国なんかズタズタに食い荒らされる。で、コジモ3世はこれに対抗できるような人ではなかった。子供たちも意欲をもって建て直そうというような気持ちを片鱗も持っていなかった。なるようになれ・・という気分。

最後の大公となったジャン・ガストーネという人、実はけっこう興味深い人格です。何もやる気がない。手紙を読むと返事を出さなければならないから、手紙は読まない。体を洗うのは面倒だから洗わない。大酒飲んでゲロ吐いて、そのまま汚いベッドに寝る。権威という権威をコケにする。道化のような乱暴者たちを集めて馬鹿騒ぎするのだけが楽しみ。

こうしてメディチ家の支配する花のフィレンツェは終焉。ただし大量の財宝や美術品は、未亡人となってドイツから戻ってきたしっかり者の娘が「フィレンツェから持ち出してはならない」という条件でトスカーナ政府に寄贈する遺言を残したため、幸いなことに散逸をまぬがれた。

そのおかげで、世界中の観光客はフィレンツェを訪れるわけです。もし娘と息子が逆だったらどうなったか、それはまた不明。


そうそう。もう一人犠牲者がいました。コジモ3世の弟だったか叔父だったか。コジモとは正反対で陽気、享楽的。枢機卿になって、よく食べよく飲みよく遊び。生活を楽しんでいたんですが、メディチ家の跡継ぎが望めなくなったってんで無理やり還俗させられ、年取ってから望まぬ結婚をする羽目になった。本人は不幸だったし、結婚させられた若い娘にとってはもっと不幸。(享楽坊主だったからたぶん悪い病気をもっていた。恐怖の同衾)

結婚して数年で死にました。もちろん子供なんて作れませんでした。可哀相に。
(フランチェスコ・マリア・デ・メディチという人です。英語や伊語版Wikiには出てきますが、なぜか日本語版には記事なし。Francesco Maria de' Medici)

★★★ 白水社
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かなり分厚い上下巻です。今回は上巻だけ借り出し。上巻は16世紀初頭、オスマントルコがマムルークのエジプトを撃破したシーンから始まります。これでオスマントルコが帝国らしくなり、それまでアラブに勢力をふるっていたエジプトが退潮した。ま、マムルーク朝はその後(1800年前後)、ナポレオンのエジプト遠征でトドメを刺されるわけなんですが。

これ以後のアラブ世界はオスマン帝国という大きな枠の中で生き続けることになります。アラブ世界といっても西はモロッコとかチェニジアとか、中程にはエジプト、南にアラビア半島、そしてシリア圏、イラク・・なんとも広大です。そのためインタンブールに近いシリアなんかはオスマン帝国の官僚制にしっかり支配されていたけれども、地中海西部なんかの遠隔地は緩やかな支配しかできなかった。日本だったら畿内と蝦夷地のような相違でしょうか。税金だけ収めてくれればその地の太守が勝手にやっててもいいよ、という地域がけっこうあった。

で、そのうちオスマンも動脈硬化で帝国支配がうまくいかなくなる。帝国が衰えてくると英国、フランスを筆頭にしてロシアもイタリアもみーんなでちょっかいかけ始める。出遅れたドイツも必死になって手を出す。オスマンの威信が衰えれば、当然のことながら各地の太守や豪族、有力一族は勝手に動きます。ただし本質はナョシナリズムというより、下克上という感じでしょうか。自分が権力を握りたい。自分たちの一族で地域を支配したい。

そし英国やフランスはぬけめなく、こうした地方豪族を支援したり相互に戦わせたりして自国の影響力をどんどん強めていく。オスマンの言うことなんか聞く必要ないぜとけしかける。もちろん本音はドサクサ紛れの植民地支配です。

しかしトルコ帝国の威信は西欧諸国が思ったより強かった。なんせ何百年も続いてるから、そう簡単には気分を変えられない。これも日本だったら戦国時代の天皇でしょう。みんな軽視はしてるけどその権威を完全に無視することはできない。で、各地のアラブの首長たちが夢想してたのは、あくまでオスマン支配という枠組みの中で、でも実質的な自分の国(というか支配地域)を確立すること。

そして第一次大戦のあたりで、それまでの矛盾が表面化します。もちろん悪役は英国とフランスですね。強欲な分割計画を立てて、ぶんどり合戦。地方首長たちは英仏の援助で独立を果たそうとする。英仏は影響力を強めて完全に支配しようとする。複雑怪奇なスッタモンダと嘘八百まき散らしの末、ほとんどの地方は列強に分割支配されてしまいます。おまけにパレスチナには不思議なユダヤ国家の設立。

ということで、戦後は中東戦争が必須です。なんとなく最初からユダヤ国家が作られたと思い込んでいましたが、当初はパレスチナ人と混じり合う形の植民計画だったんですね。もちろんこんな計画がスムーズにいくはずもなく、二枚舌で困り果てた結果、イスラエル国として国境線を引くことにした。ここからここまで、ここに住んでるパレスチナ人は移住しなさい。実はその国境を決めた委員会も、これでうまくいくなんて思っていない。困ったことになるだろうな・・と思ってたけど、もう知るか。勝手にしろ

その「勝手にしろ」の結果が第一中東戦争です。イスラエル構想がそもそも矛盾のカタマリなんで、戦争で決着つけるしか方法はない。しかしいざ戦争になると意外や意外、イスラエルが強かった。大戦中にテロ活動をしっかりやってたし資金もあって武器弾薬をたっぷり持っていた。兵士も訓練ができていた。大戦中、英仏の好意で独立させてもらおうと、なるべく大人しくしていたアラブ各国は用意が調わずさんざんの敗北。おまけにアラブも一枚岩ではなく、それぞれの首長が思惑で動く。

ということで、新生イスラエルは「いまがチャンス!」と国境を拡大してパレスチナ住民を追い出します。その流れがいまに続いてるわけですね。もうどうにもならん。

いまの中東問題、要するに解決策なんてないですね。実際的には、欧米諸国がすべて武器輸出をストップする。そしてそれぞれ、勝手にしなさい!と放任する。剣と棍棒とせいぜい小銃で争っていただく。そのうちどこかがどこかを制圧して終わりになるでしょう。中世方式です。いちばん人的被害の少ない道筋はこれしかないだろうと思います。

いまのイスラム国なんてのも、人道うんぬんという立場を捨てれば、それなりに正しい筋道だと思います。欧米の思惑とは関係なく、アラブ人がアラブのことを決めようとしている。血が流れようが、奴隷制だろうが知ったことか。ただし連中に武器は絶対に売るべからず。しかし残念なことに石油という要因があるんで、難しい。困ったもんじゃ。

読みやすい本の上巻だけですが、実際にはけっこう時間がかかりました。

★★ 光文社
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遠野ではなく「遠乃」。要するに岩手のこの一帯が巨大な迷い家(マヨヒガ)になっているという設定です。

マヨヒガってのは、遠野物語ではけっこう魅力のあるお話ですよね。山奥で迷い込んだ立派な一軒家には人気がなくて、でもまだ火はともっているし湯も沸いている。だーれもいない。なんかそんなヨットの話がありましたね。えーと、マリー・セレスト号事件ですか。直前まで人がいた気配なのに、誰もいない。漂流する無人の船。

で、台湾で役人もやっていた「私」と土地の青年。どうも二人ともマヨヒガの虜になっているらしい。外界に出ようとしても、いつのまにか元に戻っている。脱出不可能。

遠乃には妻もいるし、村人もいる。だけどなんか違和感がある。フッフッと記憶がふっとぶ。3日くらい経過したかなと感じると、実はもう季節が移り変わっている。

とかなんとか。設定は非常に面白いと思いました。遠野物語さながら、子供が神隠しにあったり、年寄りが消えたり、山女が降りてきたり。

なかなか良さそうだな・・と読み進むと、終盤はなんか訳のわからない形になる。いちおうマヨヒガ出現の理由とか脱出方法なんかの解説はあるんですが、どうも無理筋です。ちょっと残念。


★★ 文藝春秋

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以前に読んだ児島襄の「朝鮮戦争」がけっこう良かったので、こちらも借り出し。要するに朝鮮戦争についてあまり知識がないんです。

ただし「ザ・コールデスト・ウインター」は米人ジャーナリスが完全に米国視点で書いた本です。そもそも原題が「America and The Korean War」。米国と朝鮮戦争、ですか。

児島襄の朝鮮戦争も読み終わって日がたつと細かい部分なんて完全に忘れてしまいました。ま、マッカーサーがタカをくくっていた。唯我独尊。おまけに李承晩が酷すぎたし、韓国政府もグズグズで内部もメチャクチャ。もちろんトルーマンや閣僚たちも政争にあけくれ、将軍たちも自分の見たいものしか見ないでマッカーサーに遠慮している。そういうところに北朝鮮軍が一気に侵入。

「ザ・コールデスト・ウインター」では、韓国軍の詳細や李承晩、韓国政府のゴタゴタにはさして関心がありません。その代わりマッカーサー、東京司令部の阿諛追従ぶり、大統領、政府幹部たちの性格や事情などなどが非常に詳細です。当初の米軍はなぜこんなに混乱していたのか、弱かったのか。なぜこんなに戦闘が悲惨になったのか。もちろん金日成や彭徳懐についても詳しいです。

で、ひとことで言うと、これはマッカーサー糾弾の書ですね。マッカーサーとその部下たちの無能と傲慢ぶりをいやというほど描いている。ま、それも仕方ないんで、当時のマッカーサーは神様でした。トルーマンの言うことさえ聞かない。しかも巧妙かつ政治的に動く。発信力もある。そこに共和党と民主党の足の引っ張りあいも重なる。あえて危険をおかして渦中の栗を拾おうとする政治家も軍人もいなかった。この本の中ではGHQのウィロビーとマッカーサーの寵臣アーモンド将軍がとりわけ糾弾されています。途中で交代のリッジウェイは非情ではあるが有能な将軍として描かれています。

そうそう。本筋に関係ないですが、インタビューを受けた士官たちの経歴で「ウエストポイントに入れてもらうため議員推薦をとる」というエピソードが何回も出てきます。てっきり裏口推薦かと思ったのですが、そうではなくてこれが公式だったみたいです。地区の議員の推薦がないと入学できないルールになっていたらしい。で、もちろんコネのある志望者が有利になる。ちょっと面白い仕組みです。

★ 文藝春秋
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藤崎慎吾という作家は初めて。要するに体長50mクラスの巨大クジラたちが深海に棲息していたら・・・というお話です。

深海で何を食べているのか(相当の量を食べないといけないはず)、どうやって呼吸しているのかというあたりは、あまり詳述がありません。なんか鳥のような空気袋(気嚢)をもっているから深海に何時間も沈んでいられるらしい。

また超低周波から超高周波まで発信できる。この巨大クジラたちが怒り狂ってレーザービームと化した超高周波攻撃をしたら・・・。ま、読んでのお楽しみ。

やけに盛りだくさんです。米軍の陰謀。原発廃棄物。怪しげなベンチャー企業。狂信イスラムの美少年(なぜか日本人)。イルカを偏愛する少年のような女(これも日本人)。そうですね、大昔の原潜もの、レッドオクトーバーのトム・クランシーふうでもあります。テクノロジー解説が多い。ちょっと多すぎる。

そこそこは読めましたが、評価というと・・・・。うーん。


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