Book.14の最近のブログ記事

今年書いた感想を見直してみると、★★★★評価はゼロでした。良い本に当たらなかったのか、それともこっちの感受性が鈍って新鮮な驚きがなくなったのか。

計70冊ほど書いてますが、実際に読んだのはザッと100冊強でしょうか。平均すると週に2冊。たいした量ではありません。老眼で長い読書が辛くなったのも原因のひとつでしょう。

で、★★★評価はたくさんあるんですが、これはサービス星3もあるし、本当は星4にしたいけど、ちょっと足りない・・というものもある。ということで記憶に残る★★★を拾ってみました。


ヴァスコ・ダ・ガマの「聖戦」

GamaHolywar.jpgのサムネール画像著者はナイジェル・クリフ。学校で習う歴史ではコロンブスの航海を重視するのが普通ですが、しかし実際の影響という面からするとむしろヴァスコ・ダ・ガマかもしれない。ガマはアフリカを南下し、喜望峰をまわってインド航路を開拓した人です。

ちなみにコロンブスのスポンサーはスペイン。ヴァスコ・ダ・ガマはポルトガルですね。スペインは西へ西へと拡張し、ポルドガルは基本的に東へ東へと勢力を伸ばした。教皇の仲介で両勢力のテリトリー境界を決めたりしていますね。

ひたすら香料と財宝を求めてヴァスコ・ダ・ガマは航路を開拓したと思いがちですが、実はプレスタージョンの発見という重大な使命もあった。プレスタージョンってのは例の「東方に英邁な主君がおさめるキリスト教国家がある」という神話です。当時の人はかなり真剣に思い込んでいたらしい。中東にはイスラムが居すわって東西流通を阻害されているんで、これをなんとか挟み打ちにできないか。強大なプレスタージョンと提携できればそれが可能になる。つまりは聖戦の一環。

インド沿岸の港はイスラム首長が権威を振るっていた。でも調べてみると偶像をまつった寺院のようなものもある。イスラムが偶像を嫌うという知識はあったので、こりゃキリスト教の寺院に違いない、プレスタージョンは近くにいる・・・と勝手に思い込んだらしい。もちろんヒンズー教の寺院です。

で、さんざん馬鹿にされた(イスラムからすればポルトガルなんて野蛮人です)連中は、いきなり大砲装備の船で港を砲撃する。ずいぶん乱暴ですが、これが十字軍の感覚です。交渉ってのはお金と知恵でするもんだと思い込んでいた平和ボケのイスラム首長たちは、あっというまに降参。

こうしてインド亜大陸とインドネシアの島々は簡単に征服される。ただしポルトガルの冒険家連中は質が悪くて人数も少なかったんで、結果的にインドは英国にのっとられましたが。むしろポルトガルのような小国がこの時期だけは体力も考えず、よくぞ世界に雄飛した。そう考えるべきかもしれません。

ま、そんなふうな本でした。たぶん。


ぼくたちが聖書について知りたかったこと

bokutachigasei.jpg池澤夏樹が聖書学者にいろいろ聞いて書いた本、という形式です。

いろいろ知らないことがたくさん書いてありましたが、いちばん新鮮だったのは「古代ヘブライ語には「時制」がなかった」という事実です。これはびっくりした。

長ったらしい旧約聖書、ほんと矛盾だらけのゴッタ煮です。矛盾する記述がやたら多い。でも、それは我々が「時制」を当然として読んでいるからなんですね。誰が何をしたから子供の誰が何した。そういう因果関係で通常のストーリーは成立している。

しかし時制がないということは、そこには過去も現在も未来もない。すべての記述が並列なんです。そしてすべては神が語った言葉なので、それを分析したり、カードにしたり、一部分だけとりあげることはしない。ぜーんぶまとめてトータルが「聖書」です。おまけに古代ヘブライ語では「母音」を記さないので、どう読むかはかなり恣意的。したがって書かれた文字列に大きな意味はなくて、声に出して読まれたものに意味がある。

だから聖書やタルムードは、最初から最後まで声に出して読む。ぜーんぶ読んではじめて「聖書」。部分々々には意味がない。どう読むかは練習、暗記ですね。だから黒い帽子をたぶった髭の信者たちは頭を振り振り詠唱に励む。

そういうものであった聖書を、紀元前頃にギリシャ語訳する際、当然のことながら時制をつけて訳した。そのために矛盾がたくさん生じてしまったらしい。論理を無視した記述を、無理やり論理にあてはめてしまった・・・。なるほど、と理解できたような気もするし、やっぱり納得できないような気もします。難しいです。


中国鉄道大旅行


chugokutetsudo.jpgここ数年気に入っているポール・セローの本です。鄧小平の改革が始まって数年後の中国旅行らしい。

その数年で中国は激動の変化をとげた。善良な人民たちの参詣で盛況だった毛沢東の生家は閑古鳥。もう誰も訪れない。名所旧跡はどんどん観光パーク化して、拡声器が大音響のミュージックをかなでる。けばけばしいプラスチックの施設が乱立する。人民服を捨てた人民たちが笑いながら押し寄せる。

ポール・セローってのは底意地の悪いオヤジなんで、お目付役人が見てほしくない場所ばっかり行きたがる。最新式の工場にはまったく興味がなく、さびれた人民公社の跡を訪問したがる。あえて毛沢東について聞いてみたりする。みんな口を濁して、いやー、もちろん英傑だったけど、晩年はちょっとね・・・と誤魔化します。大人になった元紅衛兵たちは「おかげで勉強の機会を逸した。損した」とブツクサ文句を言う。

たしか旅の最後にチベットを訪れています。アホ外人のふりしてるけど、しっかり事前勉強してるんですね。チベット語日常会話ハンドブックなんかで学習。そして汚くて臭い連中の中にどんどん入り込んでいく。

汚くて臭くて貧しくて笑顔で頑固なチベット人ですが、心を開かせる奥の手があったそうです。ひそかに数十枚持ち込んだダライ・ラマの写真。これをこっそり手渡すとチベット人の表情がガラリと変化する。

中国よ、行き過ぎるな!というのが最後のまとめだったように覚えています。躍進はいいんだけど、この国は歯止めなく行き過ぎる。ほどほど中庸ということを知らない。見ていてハラハラしてしまう。どこまで突っ走るつもりなんだ・・・。


海賊女王

kaizokujoou.jpg皆川博子の小説。16世紀、実際にいたアイルランドの女海賊、グラニュエール・オマリのお話です。

アイルランドといっても西海岸。波濤荒く、たぶん岩と沼地だらけで貧困の地。作物作ったってどうしようもないので、このへんの氏族(クラン)は代々の海賊稼業が多い。もちろん海賊といてっも、いつも船を襲ってるわけじゃないです。襲撃して皆殺しってのは儲けも大きいですが、リスクもある。いつもやっていると子分の損傷が多すぎますわな。したがって平常は沖行く船から税金(通行料)をとるだけです。こっちの方が効率がいい。

たしか九鬼水軍なんかでは帆別銭(ほべちせん)といってたと思います。通行税であり、建前としては通行保護金。みかじめ料ですね。保護してやっからよ、銭を少し出せや。

で、だいたいは通行税を徴収し、たまに心得違いで遁走しようとする船がいると襲撃する。身代金のために捕虜にしたり、積み荷をぶんどったり。収奪品がたまると、国内はヤバいので、たいていスペインあたりで売りさばく。時々は折り合いがつかずに紛争もおきる。ま、ギャングですわな。

イングランドからすると重罪手配の海賊首領。アイルランドの連中からみれば地元のスーパーヒロイン。それがイングランド側の圧力に追い詰められて窮地におちいって手詰まり。最後は捨て身でロンドンまで請願に出向き、エリザベス女王に謁見をたまわった。これは史実らしいです。

エリザベスとグラニュエールがどんな内容の話をしたかは不明。常識的には「もう悪いことしません」と謝ったと思うんですが、許されて帰国してからもグラニュエールはブレることなく、相変わらず海賊業を続行。なんだか分かりませんが、けっこう痛快な話です。

そうそう。アイルランドへ侵攻したイングランド兵たち、無給だったらしいです。エリザベスはケチで有名ですが、ま、それだけでなく当時の常識でもあった。したがって兵士の糧食や給与はすべて現地収奪です。こういうシステムだったため、アイルランドの住民はイングランドに対して猛烈な敵愾心をもつ。ただ惜しむらく、スコットランドもそうでしたがアイルランドの連中もみんな独立心が高くて、要するに勝手気ままで統一戦線をつくれない。だからいつもイングランド兵にしてやられた。

逆に考えるとイングランドってのは、たぶんシステムとかルールとかを決めたら遵守する感性を持っていたんでしょうね。ゴルフにしてもテニスにしても、あんな訳わからないルールなのにゲームが成立している。個々のイングランド兵が特に豪勇だったとは思いませんが、でも集団戦に強かったとか。ま、勝手な想像です。


慶長・元和大津波奥州相馬戦記

oshuusoma.jpg近衛龍春です。同じ感じで南部とか毛利とか島津とか、いろいろ書いてますね。タイトルの「大津波」はほとんど意味なし。時代を見て出版社が無理やり付加したんでしょう、きっと。

で、主役は相馬の領主・相馬義胤。相馬ってのは、伊達政宗にとってはいつも目障りな場所です。勢力としては伊達の相手にもならない小さいものなんですが、それでも完全制圧しようとすると難しい。なんせ伊達は周囲が敵だらけ(政宗の不徳の至り)で、一方にかかりっきりになると、チャンスだ!てんで他が攻めてくる。

ずっーと目の上のタンコブ状態で、相馬は生き延びてきた。そし太閤小田原攻めへの参陣もおくれて、あわや改易という危機にも瀕する。要するに天下の情勢がわからない、東北の片田舎の小領主。戦争といっても昔ながらのパターンで、農閑期にちょっと戦って、田んぼが忙しくなると和睦のくりかえし。

そういう小領主ですが、なぜかギリギリのところでいつも所領を安堵してもらえた。たぶん理由は「伊達に対する楯の役目」だったらしい。小領ながらも兵は強く、馬は優良。伊達が中央に悪い心をおこしてもしばらくの間は楯になってくれるだろう。そういう役割を歴代の政権から与えられて、ずーっと長らえた。面白い回り合わせです。


朝鮮戦争

chosensenso.jpg朝鮮戦争ものはいろいろ出版されていますが、これは児島襄のもの。史実うんぬんは知りませんが、読みやすく、理解しやすい朝鮮戦争記でした。

マッカーサーとトルーマンの対立とか、東京司令部にマッカーサーが神のごとく君臨していたとか、ま、このへんは知識の範囲でしたが、けっこう知らないことも多かった。

まず米軍が弛緩しきっていたこと。下っぱの兵卒はもちろん訓練不足で素人同然。もっと問題は将軍クラスの独善と情報不足でしょうね。みんな東京司令部の方ばっかり見ていて、現地を知ろうとしない。後半のエピソードですが「北朝鮮も韓国人と同じ言葉を話しているのか」と聞いた将軍までいた。いかにも無知独善のヤンキーです。

もうひとつは、朝鮮戦争が実質的に米国の戦争であったこと。当事者であるべき韓国軍はほとんど相手にしてもらえなかった。実際、韓国軍は統率もとれていなくてすぐ崩壊し、米軍にとってはお荷物のような感覚だったらしい。あちこちで韓国兵の戦車恐怖症エピソードが描かれています。北にはソ連からもらった優秀な戦車部隊があったけど、南に戦車部隊は皆無だった。そりゃ戦車は恐いです。経済インフラ、軍備などなど当時は圧倒的に北が強かった。

そういう貧弱な南朝鮮で、良くも悪しくもひとり頑張ったのがたぶん李承晩です。この人の存在(そもそもこの人の大統領就任は米国の責任)が韓国にとって、長い目でみて良かったのか悪かったのは微妙なところです。依怙地な反共主義者であり猛烈な反日論者であり、独裁者であり圧政者。少なくとも日本にとっては困った人が大統領になり、この人が強引に大韓民国を勝手に成立させてしまった。

米軍は中国が国境越えて参戦する可能性を過小評価していたようです。まさか来やしないだろうとタカをくくる。実際、毛沢東もかなり迷っていたらしい。そして現実に中国(義勇)軍と対面してからもその兵力をなめていた。所詮は劣悪装備で黄色いアジア人です。近代的装備で制空権を確保している米軍にとって、非常にイージーな戦争になる・・・はずだった。

マッカーサーの博打がラッキーに当たって仁川上陸。でも朝鮮北部の地形は山また山の連続みたいです。そんな狭隘な山道を米軍が堂々と能天気な隊伍をくんで進出していくと、夜中にチャルメラ鳴らして中国兵がおしよせる。殺しても殺してもウンカのごとく押し寄せる。空爆は地形のため効果があがらない。夜は冷え込んで氷と雪の世界。おまけに米本国では国民がこの戦争にあまり共感をもたない。

第二次大戦の帰還兵は英雄でした。でも朝鮮戦争の帰還兵にはだれも同情をもたない。あんなアジアの外れの山地で米国の子弟は何をしてるんだ・・・。泥沼のベトナム戦争の前駆ですね。

そして休戦。休戦交渉の当事者も米軍vs中朝軍です。韓国は蚊帳の外。この構図はいまも変わっていないようですね。もし北朝鮮が境界線を越えて南進してきたら、戦いの主導権を握るのはたぶん米軍。これじゃあんまりだ・・と韓国がクレームつけてたようですが、現在のところも依然「戦時の作戦統制権は米韓連合司令部」という形です。韓国にはとってかなりプライドを傷つけられる状況ですね。朝鮮戦争はまだ尾をひきづっている。というか、戦争はまだ形式的には継続中です。


ダーク・スター・サファリ

darkstarsafari.jpgこれもポール・セロー。どうも好きみたいです。

この本のポール・セローはもう60歳を超したオヤジ。人間、トシとると感傷的になるんでしょうね。若いころ教鞭をとっていたアフリカのどこか( どこだったっけ)を再訪したくなった。多少は有名作家なんだし、学校に頼み込めばたぶん臨時講義ぐらいはやらせてもらえるだろう。センチメンタルジャーニーです。

青年時代のセローはたしか徴兵忌避で、海外協力隊(みたいなもの)でアフリカのどこかに行った。どこだったっけ。人食い大統領で知られた国です。えーと、はい、平和部隊でウダンダです。大統領はアミン。アミンが大統領になったんで、あわてて隣国へ逃げ出した。

私事ですが海外協力隊でアフリカに行っていた知人がいます。酒飲みながら聞いた話では、ウダンダ国境に近い村なんかでアミンの悪口を言うとかなり危ない。夜中に連行されて、拷問されて喰われてしまう危険もある。真偽のほどは不明ですが、何人かは喰われたという噂がある。

ま、それはともかく。

エジプトから延々と苦しい鉄道の旅を続けてきたセローは、ようやくウダンダの隣国、懐かしの地マラウイへ。若い教師だった頃のセローは同僚たちと「あと10年もしたらこの国も豊かになる」と話し合っていました。きっとそうなる。そうに違いない。信じていた。しかし現実のマラウイはいっそう貧しい国になっていました。

セローは怒り狂います。これがセローのいいところで、シニカルな表面を装っているけど、実はけっこう熱い。熱いオヤジなんです。図書館の本が盗まれ、職員住宅の壁が破れている。これは理解できる。無能な政府が予算を配分しないからだ。しかしなぜ廊下にゴミがあふれているのか。なぜ庭に雑草が生い茂っているのか。なぜ誰も掃除をしないのか

要するに、こうした貧困はアフリカ人自身のせいです。他に原因を求めてはいけない。だれかが援助してくれることだけ待ち続けて、自分たちはなにもしない。無為無策のまま援助物資で食べている。そんな民衆に希望なんてカケラもない。

善意の西欧が親切に援助の手を差し伸べてきたアフリカ。でもその援助がアフリカをダメにしているんじゃないだろうか。昔の河沿いの村は貧しくて、住民たちは手作りロープと牛皮のバケツで井戸から水を汲みあげていた。いままた訪れた同じ村には、錆ついた汲みあげモーターが転がり、トラックの残骸があり、切れたプラスチックのロープが捨ててある。そして住民たちは昔と同じように手作りロープと牛皮のバケツで井戸から水を汲みあげている。トラックはガソリンがないと動かない。モーターは修理できる人間がいない限り壊れたまま。

何も変わっていません。相変わらず土とホコリと貧弱な木々だけの村。ただ以前にはなかった残骸ゴミが余計に増えただけ。

ま、そんなふうな本です。そうそう。偉そうに演説しているセローですが、実はあちこちで良さそうな金細工とか土産物を買い込んでます。そういう意味ではふつうの人。で、旅の最後の南アでは一流ホテルに宿泊。やれやれと安心して施錠したバッグを預けて、レストランで美味い飯を食ったんですが、預けたバッグは消え去っていた。南アは文明国だったはずなのに・・・。残ったのはずっと身につけていた取材ノートだけ。取材ノートが残ってよかった。


アラブ500年史 上

arabu500.jpgユージン・ローガンの上下本。ただし下巻はあまり楽しくありませんでした。上巻も楽しい本ではないですが、ま、下巻よりはマシ。

えーと、まず16世紀、マムルーク朝のエジプト軍がオスマントルコと対決。ここでエジプト軍は大敗します。これを契機にオスマン大帝国が誕生。以後のアラブ世界はオスマンの支配下で生き続けます

マムルーク朝が隆盛を誇る前はどこだったんですかね。調べてみるとアラブ帝国ってのは、まずムハンマドの時代を経て拡大してウマイヤ朝。次がアッバース朝。他にもあるんですが、ま、次は大帝国とはいえませんがエジプト中心のマムルーク朝ですか。

で、マムルークを撃破してオスマントルコが大帝国となった。オスマンはアラブではないですが、一応はイスラムなので、なんとかアラブ世界も静かになった。しかし、やがてオスマンが西欧に浸食されはじめると、各地でアラブ民族主義が台頭。こういう見方でいいのかな。ちなみにアラブ人とは、概略アラブ語を話す人々です。

あるいは、台頭するのはアラブ民族主義なんて立派なものではなく、個々の氏族なのかもしれない。たいてい「ナニナニ家」という連中です。はっきりしませんが、たぶんムハンマドの系譜を継ぐ名家なんでしょうね。各地に勢力をひろげた一族、名家。そういう「一家」「氏族」が抗争しながらアラブ各地でテリトリーを拡げ、資産を蓄積する。そして第一次大戦後のアラブ分割では、各国の思惑でそれぞれバックアップしてもらった実力者が、国境線をひいたエリアの大統領や王様になる。

そんなふうに大きく眺めると、アラブ世界ってのは面白い。各国みんな親戚のようでもあり、ライバルでもあり、敵でもある。シーアとスンニという大きな違いもある。うまく利害が一致すると(OPECみたいに)団結して行動する。ときどき裏切るところもある。

イスラエルという国家は、最初からあったわけではないんですね。てっきり船に乗って「神の国家だあ」と乗り込んできたような印象でした。映画、栄光への脱出。実際には特定エリアへの植民計画だったそうです。パレスチナ地域に大量のユダヤ人を入植させて、だんだん入り交じらせる。しかし土地の購入とか接収とか、いろいろトラブルが発生する。暴力抗争が連続する。

そもそも無理な計画だったわけで、英国はイスラエルエリアを勝手に決めてしまいます。要するにパレスチナには泣いてもらいましょ、ということ。ただし全アラブがパレスチナに同情したわけでもなく、これを機会に残りのパレスチナ地区を自領にしようと策謀する王様もいたらしい。

でも国境線を勝手に引くなんてそもそもが無理筋で、さらに暴力とテロが連発する。草創期のイスラエルってのは、ほとんどテロ国家です。彼らに言わせれば自衛。生き残るために必死なわけで、あちこちで騒ぎを起こす。この頃の行動責任者たちが後で首相なんかになっています。

とどのつまり、結局薬局で英国は完全にサジを投げる。検討委員会にまかせて国境を決めた。何月何日。あとは勝手にしなさい。責任もたん。もう知らんもんねと宣言

その実効当日、周囲のアラブ諸国がいっせいにイスラエルに攻め込む。「知らんものね」って言うんだから勝手にさせてもらいますわ、です。ところがイスラエルは長年の独立抗争で十分な戦力を養っていた。武器も大量に保持していた。アラブの連中はいかにもアラブらしく勝手バラバラ、統一なく作戦行動する。その結果はイスラエルの圧勝。圧勝したイスラエルはチャンスに乗じて一気に国境線を拡大する。

多少は違うかもしれませんが、だいだいこうした経緯なんだと思います。詳しく歴史経緯を知ると、パレスチナ問題を安易に解決する方策なんてあるわけがない。読めば読むほど暗澹たる気持ちになるだけです。

★★★ 河出書房新社
ichonokiseki.jpg
最近の刊行です。なんでこんな地味な本を借り出したか自分でもわからない。

内容はタイトルのままで、イチョウの2億年の物語。こんなに古い植物は他にないらしいです。シーラカンスの植物版、生きた化石。1億年2億年前には世界中に栄えていたイチョウの仲間ですが、たぶん氷河期の寒冷化で絶滅しかかった。あるいはイチョウの実を食べて運んでくれる特定の動物が消えて、その影響を受けたのかもしれない。

ということで、イチョウはほぼ絶滅しかかったものの、唯一、中国南西部の小さな谷間にしがみついて生き延びていた群生があった。そしてどうやら人間がこの木を気に入って、あちこちに植えてくれることでテリトリーを拡げたらしい。動物の代わりに人間が助けてくれたわけです。

したがって現在のイチョウは「裸子植物門イチョウ綱イチョウ目イチョウ科イチョウ属」。これだけで、他に仲間はまったくいません。天涯孤独な植物です。

中国の寺院の境内とか人家の近くに植えられ、だんだん広まって朝鮮半島、そして日本列島。日本に入ってきたのは800年くらい前ではないか。すると疑問になるのは例の鶴岡八幡宮の隠れ銀杏ですね。えーと、源実朝暗殺が1219年ですから、この頃の八幡宮に巨大なイチョウがあったとするのはちょっと怪しい。実際、吾妻鏡にもイチョウの記述はないそうです。公暁は単純に階段の端に隠れていた。

イチョウのエピソードが書かれたのはかなり後年になってからで、信憑性は限りなく薄い。たぶん、完全なガセネタでしょう。

それはともかく。長崎の出島に滞在したオランダ人が日本のイチョウに注目し、こんな不思議な木があるのかとびっくり。これを持ち帰ってヨーロッパにも広まった。そしてなんやかんやの末に泰斗リンネの元にも届き、リンネ爺さんが厳かに命名。Ginkgo biloba。bilobaは葉っぱが割れていることの意味だそうです。届いたイチョウは若木で、若いと葉っぱが割れてることが多いんだとか。Ginkgoはたぶん「Ginkjo」の誤り。ギンキョウ(銀杏)ですね。

こうやって世界中にイチョウは繁殖した。増えやすく、非常に生命力の旺盛な木だそうです。公害にも強いので街路樹にぴったりだし、黄色く色づくのも面白い。雌雄があるのも珍しい。もちろん実(というか胚珠)は食べられる。中毒の危険があるので、食べ過ぎには注意。

本筋に関係ないですが、実朝を殺した公暁、すぐ逮捕されたかと思っていましたが、実際には首を取っての逃走に成功し、有力御家人に謀叛を呼びかけたとか。結果的に反乱は成功しなかったわけですが、100%無謀な企てでもなかった気配がある。上手に根回ししていれば、ひょっとしたらクーデタ成功ということもありえたのかもしれない。知らんかった。

★ 早川書房
olympos.jpg
「イリアム」の続編です。上下2巻。

ダン・シモンズの大風呂敷はいっそう広がって、収拾つかなくなる。で、要するにこの小説はトロイ戦争とオリュンポスの神々の抗争を描いてみたい。壮大な地球未来SF小説にしてみたい。ついでに自分の愛好する詩や作品ウンチクも語りたい。そういうことでしょうね。舞台回しはオデュッセウスの放浪とシェークピアのテンペストです。

準主役のオデュッセウスは時空を越えて放浪します。そしてオデュッセウスと地球の住民たちは謎のプロスペローや娘のミランダ、妖精エアリエル、怪獣キャリバンなどに遭遇する。このテンペストふうキャラは何故か魔法のような力をもっています。ただし魔法ではなく「量子ナントカ効果」です。「魔法」という言葉の代わりに「量子」を使ってるだけなんですけど、ま、それによってファンタジーではなくSFになる。ちょっと狡い。

そうそう。不死の英雄アキレウスは、殺してしまったアマゾンの女王ペンテシレイアを神々の再生槽で復活させることに成功。どうしてかというと、ペンテシレイアはアフロディテからもらった媚薬(No.9)を体に塗ってたんですね。殺してしまってからアキレウスはその香りを嗅ぎ、虜になってしまった。

アキレウスはペンテシレイアに執着している。ペンテシレイアはアキレウスを敵と思っている。で、生き返ったペンテシレイアはブツブツ言いながらアキレウスに同行します。アキレウスも「嫌な女が」とは思ってはいるんですが、なんせアフロディテのNo.9効果があるんで、一緒にいるしかない。

このへんけっこう面白かったです。ダン・シモンズってのは、あちこち気が利いて楽しい描写が多いんですね。ただ、それを圧倒するくらい、どうしょうもない大風呂敷と冒険活劇と感傷を繰り広げる。困ったもんだ。


★★★ 早川書房
ilium.jpg
再読です。地球や火星を舞台にした疑似トロイ戦争ですか。ま、ダン・シモンズですから馬鹿馬鹿しく風呂敷を拡げた設定で、大活劇です。

で、お決まり、シェイクスピア愛とかプルースト愛があって、代表作(かな)のハイペリオン・シリーズではキーツ愛でしたね。さらにフランク・ロイド・ライト(建築家)にも愛をそそいでいた。

余計なことですが、そのハイペリオン・シリーズでは、超光速旅行のアイディアは秀逸だった。船の乗客はものすごいGに耐えられず潰れて必ず死んでしまうんですが、その細胞片から目的地でまた再生される。超光速の旅=死の苦しみと再生。何回もやっていると、精神的におかしくなる。すごいこと思いついたもんです。

で、戻ると、なぜ「イリアム」を再読したか。実はオリュンポスの神々のサイズを確認したかった。ちょっと前に書きましたが、ホメーロスの描く神々はいろんなサイズに相を変えたらしい。大きくなったケースとしては傷ついた超巨大な軍神アレースがどてーーーーーんと倒れたり。しかし通常の場合は8フィート程度とダン・シモンズは描写していました。2メートル半か。ときどきは12フィート程度にもなる。

ちなみに(前にも書きましたが)土井晩翆訳のイーリアスでは「武のアレースの、頸打ち四肢を弛ましむ。七ペレトラの地をおほひ・・・」というような訳になっています。新しい呉茂一訳のイーリアスでは「三町」。一町は60間、だいたい110メートル程度でしょう。面積単位では3000坪だそうです。実際に300メートル超の神が倒れたら、そりゃみんな迷惑します。倒れかかってから横になるまでもスローモーションみたいで、けっこう時間がかかるんでしょうね。大地震。

厚さ4センチを読み終えて、かなりウンザリしてますが、年末年始、たぶん時間もあるので続編の「オリュンポス」(こっちは上下巻) にも手をだす予定です。

話は違いますが、昔、時々上映されていた古代もののイタリア映画に登場の神々はみんなチープでした。洞窟かなんかの中で彩色の霧がかかってそこから重々しく登場する。ただし俳優はみんな現代人なんで、どうみても好色アントーニオとか粋がりカルロにしか見えない。女神ならモニカとかソフィアとか。

たいていはストーリーも下手くそで、面白くない映画がほとんどでしたね。蛇の足。

★★★ 講談社
seijinokigen.jpg
著者の名前はなんとなく知っている程度。もちろん初めて読みました。日系アメリカ人なのかな。

うん、良著ですね。副題が「人類以前からフランス革命まで」。上巻は中国、インド、イスラムの3つの地域(プラス西欧少し)を概説して、国家と政治体制を論じています。堅い内容ですが、叙述は論理的なので、意外に読みやすい。

簡単に説明するのは難しいですが、「国家」「法の支配」「説明責任」という3要素が必要なんだそうです。この3つを兼ね備えていればその国家は健全に発展する。国民はまあまあ文句いわずに生きていける。

こういう場合、たいていの本はメソポタミアあたりから始まって、ギャシャ、ローマと論評していきます。定番ですね。でもそれって、西欧型の自由民主国家が最高モデルであると最初から規定していない? 要するに今の自分たちのスタイルを規範にして、その規範を世界中にあてはめてる

ということで、フランシス・フクヤマの場合はまず中国をながめます。まっとうな「国家」を作り上げたのは秦です。世界で初めて、しかも画期的に早い段階で国家ができあがった。インドもメソポタミアも、西欧も、国家らしい国家なんてずーっと存在していなかった。

ただし中国の場合、国家はあったけど「法の支配」には問題があった。また政府による「説明責任」もなかった。専制国家がすべてを支配し続けてきたわけです。もちろん法はあったけど、それは国家(皇帝)の恣意的なものでしかない。国家だけが存在していた。文句いうやつは刑に処す。

その系譜の上に現在の中国もある。中華人民共和国は非常に堅固な国家です。ただし法はあってないようなもので、党が法を決める。もちろんその度に民意をはかる必要なんてまったくない。この点で、危うい部分があるんじゃないだろうか。民意(民衆のコンセンサス)に逆らった政治を続けると、いつか反乱がおきる。事実、中国三千年は、そうした連続の歴史です。

ちなみに「国家」には官僚制が必須です。官僚というのは、家柄とか部族内の引きではなく、あくまで能力によって仕事をします。その官僚たちが「仲間意識」で結託しはじめると、官僚制国家は破綻します。いまの中国、このへんも危ういところがありますね。

あっ、ちょっと整理しておきます。
「国家」とは、たぶん政府の意思がすみずみまで通って実行できること。
「法」とは、たとえ皇帝や政府であっても、ルールを勝手に破ることはできない。
「説明責任」とは、政府が問答無用で住民を追い出しての大規模ダム造成はできない。


こんなことと,適当に理解しました。

で、次はインド。なぜインドはなかなか健全に発展しないのか。インドの場合は社会(民意。民衆の文化)がべらぼうに強いエリアらしいです。そして法ですが、バラモンを頂点とするカースト制度のような社会体制が、圧倒的に支配している。クシャトリアが一応は国家を経営しようとしますが、彼らも決してバラモンには逆らえない。つまり国家に権力が集中していない。ただしバラモンは国家を支配しようとはしません。

インドに専制国家らしい国家が成立したことはほとんどない模様です。実質はずーっと部族やカーストの連合体だった。だから国家が強権発動して何かおしすすめようとしても、スムーズに運ばない。差別構成を破壊しようとしても、猛烈な抵抗に会う。今後もなかなか難しい。

で、イスラム。イスラムで比較的成功したのはオスマン帝国だけだった。その前にはエジプトも一応は成功しました。オスマンはバルカン付近の白人奴隷イエニチェリ、エジプトはたぶん黒海のあたりからさらってきたマムルーク。この連中を使ってそれなりの軍や官僚制国家を建設した。なぜ奴隷を使ったのかというと、部族や家族のしがらみがないからです。イスラム圏ってのは、この「しがらみ」がべらぼうにに強い地域みたいですね。

勝手な想像ですが、アラビア半島あたりのひとつの部族(たぶんムハンマドの系譜)が政権をにぎると、当然のことながら仲間内で中枢を固めようとする。そのうち違う部族も勢力を伸ばしてくる。部族と部族の権力争い。自分たちの権益だけが大切なんで、天下国家なんて言ってる場合じゃないです。それを防ぐためには、皇帝や国王だけに忠誠を誓う「奴隷」が役に立つ。そういう意味でイスラムの奴隷登用制ってのは画期的に賢かった。

ただし、奴隷も時間がたつにつれて「仲間」を大切にしはじめます。中国の宦官と同じですね。子供に資産は残せないタテマエなのに、うまく法を潜り抜けて権益継承を画策する。こうして皇帝・国王の力が失われていく。国家の崩壊。

で、最後は西欧。代表は英国ですか。こっちは何故か父系の部族主義が早い時期に崩壊したらしい。フクヤマはその理由をカトリック教会においています。つまり布教にいそしんでいた坊主連中が交差イトコ婚を「いけませんぞ」と阻止した。父系の交差イトコ婚とは「母系の従兄弟とは結婚できるが、父系の従兄弟はダメ」というルールです。また「死んだ兄の嫁さんとの結婚」なかんも嫌った。

なぜカトリックの坊主が交差イトコ婚を嫌ったのか。教理が理由かと思われがちですが、おなじキリスト教でも東方教会ではそんなことなかった。経済的な理由じゃないかとフクヤマは推察しています。

で、結果的に部族内の結婚が減ります。こうしてゲルマン風の厳密な父系社会が弱体化すると、結果的に「個人」が伸張する。ま、「家族・部族」が頼りにならないなら「個人」になりますわな。女性の権利がけっこう強くなり、女性が財産権を持ったり、子供が女系のファミリーネームを名乗ったり。

結婚の機会のない独身女性は遺言で修道院に財産を寄付する。個人のものなんだから、寄付して悪いか! 資産が「部族・家族」から離れて、教会のものになったわけです。時がたつにつれて修道院の握る資産はべらぼうなものになった。

こうして西欧型の個人社会が誕生。たまたま権力を握った個人は「貴族」になったんだろうと思います。各地に貴族がいっぱい誕生して、豊かな貴族と貧乏な騎士は契約をむすび住民を支配して封建制。各地に乱立。だから国王が権力を集中させようとする試みは非常に困難をきわめた。

そうそう。こうした社会(特に英国)では個人間のイザコザを調整するためのコモンローが重要な意味を持ちます。社会的なコンセンサス。だからいきなり国王が偉そうに命令しても、それに逆らう動きがかならずある。そういう意味で西欧型国家の発展というのは、あくまで西欧型でしかない。


正直、言葉にまとめるのは大変です。あちこち大切なことをいっぱいこぼしてますが、だいたいこんなふうな筋道だったような気がします。ようやく上巻が終わったので、今度は下巻も借り出してきますか。正月使って、ゆっくり読むかな。


senshibankou.jpg★ 幻冬舎

内外の偉人や歴史上の人物評+絵。大昔の「新選組」なんかと同じ趣向ですね。

ただ「新選組」の熱気や斬新さとくらべると、はっきり言って駄作です。二番煎じの粗製本。

とりあげられた人物に関してのウンチクやエピソードも、ちょっと関心のある人にとっては常識の範囲でしかありません。ん? 最後のあたりで紹介の沢村栄治だけは知らないことが多かったか。不世出の大投手として伝説的な人ですね。子供の頃には少年雑誌なんかでよく紹介されていました。

したがって知ってるのは「天才投手」「足を高々とあげるフォーム」「大リーガーの打者を叩きのめした」「召集された」「手榴弾を遠投した」「戦死した」という程度。」

なるほど。事情に関しては諸説あるようですが、京都商業を中退してプロ入りした。そのため形の上では「中等学校中退」あつかいで、遠慮なく召集の対象となった。もし卒業していたら、あるいは大学に進学していたら召集はなかった可能性もある。

プロ入りは読売の正力が強引に口説いたんだそうです。一生キミの面倒はみるとか言ったけど、もちろん後になってからは知らん顔。二度にわたる従軍では手榴弾を投げすぎ、肩を壊してからは役立たずあつかい。結果的に見捨てられ、見殺しにされたような格好らしいです。で、戦後は沢村賞として讃えられる。なるほど。

★★★ 新潮文庫
shiba-jouisai.jpg
ずいぶんカバーが汚くなってる。えーと、もちろん再読ということはなくて、3回目くらいでしょうか。4回までは読んでいない気がする。

あらためて通読。意外に細部を忘れていました。なんとなく記憶に残っていたのは(一応)主人公の小幡勘兵衛とか大阪城の女房衆である夏とかのお話。ま、どうでもいい部分です。肝心のメインストーリー詳細はほとんど記憶なし


この本では家康がずいぶん腹黒親爺として描写されています。ま、それに近かったことは事実でしょうけど。で、淀の方が完全にアホ扱い。これもほぼ正鵠を射ているんでしょう。他の人たち、たとえば大阪方の実質的責任者だった片桐且元なんかは可哀相な人です。一応は賤ヶ岳七本槍の武将なのに、似合わない時代に似合わないことをやらされて、両方からいじめられる。酷い目にあった。

大野修理という人もそうですね。なりゆき情勢から、まったく資質にあわない仕事をやる羽目になった。平和な時代に官僚やってれば、それなりに有能な人だったんでしょうけど。

真田信繁(幸村)という人、城に入った時点でどれだけ影響力というか勢力があったのか不思議です。父の昌幸は表裏比興の者として天下に名を轟かせたわけですが、次男の信繁ははてどれだけの名望があったのやら。たぶんゼロに近いでしょうね。いっしょに城に入った将兵の数もたいしたことはなかっただろうし。

それとも昌幸配下の兵はほとんどが浪人していて、それが次々と集まってきたんでしょうか。関ケ原終了の時点で長男の信幸は可能なら父の部下を全員召し抱えたかったでしょうが、やはり徳川家に対しての遠慮があって控えたのかもしれません。

真田信繁にしろ後藤又兵衛にしろ、大坂城首脳部からすればまったく信用できない連中でしょう。みんな食い詰めの浪人連中。ただそうした食い詰め浪人に頼るしかなかったのが大阪方の実情です。頼るしかないなら腹をくくって完全に任せればいいんですが、その度胸もない。常に中途半端に任せた。

冬の陣、夏の陣、真田や後藤、毛利勝永などが意外に善戦して、家康本陣にも迫ったというのは不思議な現象です。徳川方があまりに大軍すぎて、戦う意欲もあまりなかったと考えるのが正しいのかな。

とくに外様大名はあまり働きすぎても政治的によくない。だから形だけ陣を敷いて、形だけ戦っていた。そんなふうに自分たちはたいして本気ではないのに、空気の読めない真田とか後藤の死兵が目の色変えて突進してくるんで閉口した。そんなところでしょうか。徳川譜代の連中もみんな代替わりして、そろそろ軟弱平和ボケしかかっていたのかもしれない。

秀頼、最大の機会だった関ケ原では城からまったく出ることなく、結果的に三成を見殺しにした。冬の陣でもなにもせず。完全敗北しかなくなった夏の陣でようやく出陣しそうになったけど、ここでも母親に止められて結果的に無為。何もしないまま煙硝蔵の中で自害。不完全燃焼の人生です。ただ育ちが育ちなんで、それを悔しいと思ったかどうかは不明。

冬の陣のあとの信繁が、兄の部下を訪ねていろいろ父親の昔語りをしたとか、最後の突撃の前には娘を敵将(片倉小十郎)にゆだねて逃がしたとか、初めて読んだような気がします。そういう人だったんだ。


★★★ 筑摩選書
sekainorekishi100.jpg
(1)が文明の誕生、(2)が帝国の興亡。(3)もあるようですが、まだ借りていません。

要するに大英博物館の所蔵品からぜんぶで100点を選んで、それぞれについてウンチクというか歴史物語をする。そういう趣向です。あんまり有名なものは登場しませんが、写真は綺麗です。

うーん、何を書いたらいいのやら。それぞれ写真についてのお話はけっこう面白いんですが、一言で説明するのは難しい。そうそう。西欧中心の選出ではなく、アジアとか新大陸とか、けっこう地域をバラケさせています。日本も2回ほど登場します。縄文土器(世界初ともいう)についてと、あとは鏡だったかな。

ずーっと読んでいくと、必ずしも(学術的には)厳密な解説でもないような印象があります。けっこう著者の勘違いもあるようです。その代わり、非常に読みやすい。とっつきやすい。ま、綺麗な写真をながめて、なるほど・・・と納得する。それでいいんでしょうね、きっと。


★★★ 春秋社
sekaitonihon.jpg
「自由と国家と資本主義」という副題もついてましたが、タイトルが長すぎる・・・。

松岡正剛という人、よく知りませんがネットの書評なんかは時折読むことがあり、ま、こなれた文章を書く人です。頭がいいんでしょうね。ただし「編集工学」というのは何のことやらわかりません。そういう、自分にとっては「?」な人。

で、この本はなんといいますか、歴史論というか、文明論というか、日本と世界との関係というか、これもまた一言では言えない。けっこう柔かめで面白い本ではありましたが、やはり読後に「?」が残る。

自分なりに吸い取ったのは、近現代の世界は良くも悪しく英国が主導してモデルの役割をつとめたということ。そして英国の力が衰えた後は米国モデルとなったこと。ま、そうでしょうね。

英国が国教会なんていう不思議かつ異質なものを作り上げ、英国が率先して帝国主義の世界観をもって発展。世界を率先して分割支配した。いいことも悪いことも、すべて英国のおかげ。英国の責任。それが今ではすべて米国のおかげであり責任になっている。

で、こうしたグローバリズムというんですか、世界の常識、英米式の経済ネットワークや世界観にどっぷり嵌まっていていいんだろうかという疑問があるんでしょうね。つまりは自由主義、民主主義、成長発展の道ですが、はてはて。世界中がこれしかない!と盲従してきたわけですが、この先には何が待ち構えているのか

エリザベス一世から現在まで。ぜんたいの半分ほどはふむふむと楽しく読みました。あとの半分は哲学やら文芸やらの話が多くて、わかったようなわからんような。そのうち文明論なのか社会論なのかコジツケなのか、不明な内容になる。なんせこっちはトシで頭の柔軟性がなくなっている。

そうそう。些細な部分ですが、日本は「新植民地」だそうです。国内に外国の軍を常駐させているのは植民地というしかない。で、日本が発展したのも混乱したのも支配者である米国の要求や押しつけによることろが多々。これはけっこう納得できました。

そんな米国さまの言うことをなかなか聞かない(ふりをしている?)TPPなんてのは、これからどうなるんでしょう。TPP交渉なんてアリバイ作りで、実はもっと早めに屈伏すると読んでいたんですが、甘利が意外に頑張っている。そんなに抵抗して大丈夫?と(もちろん皮肉まじりに)言いたくなります。

それにしても、大昔のテレビタックル、「アメリカ様」という言葉を初めてテレビで使ったハマコウは凄かった。たぶんそれまでは禁断の言葉だったんじゃないでしょうか。

内容とは無関係ですが、誤植が多いなあ。非常に失礼ながら、小さな出版社は総じて誤植が目立ちます(だから本を買う際は、半分は版元の信用で選ぶ)。それに腹立てたらしい人が、あちこちに鉛筆でマークをつけてて、これもうざったい。おまけに間違っていない部分にもけっこうマークがある。ま、その方にとっては「?」な単語や用語だったんでしょうけど。図書館本に書き込みはいけません。


★★ 白水社
arabu500-2.jpg
たぶん下巻は読まないだろうと思っていましたが、借り出してしまった。

下巻は大戦後の中東戦争から2010年 11年のアラブの春までです。さすがにISISの動きはまだ書かれていません。

なんせずーっと混乱の歴史なので、読み終えてしまうとどこで何が起きたのやら判然としません。とにかくゴタゴタし続けている。ぞそれでも記憶に残っている事を思い出してみると・・・。

まずエジプト、ナセルの台頭。演説の名人だったらしい。そして全アラブへの影響力は抜群。その陰にラジオがあったというのは初めて知りました。ラジオの時代だったんですね。遠く離れた国の民衆もラジオを通じてナセルの演説を聞くことができた。アラブってのはアラビア語を話す人たちのエリアだから、言ってることが理解できるわけです。心をかきたてられる。

ちょっと前だったらルーズベルトがラジオを駆使して(炉辺談話)国民に直接語りかけました。もっと後ならケネディがテレビを活用して当選を決めた。メディアと政治は思ったより深くつながっている。

アラブ諸国はとにかくゴタゴタしていた。言語も文化も同じなんだし、アラブ統一国家をつくろうという動きはもちろんあったわけですが、常につぶされた。それぞれの国にも事情やらエゴがあったわけです。また欧米諸国にとっても強力なアラブ統一国家の成立は非常に都合が悪いんで、常に邪魔をしてくる。

宗派が違う。シーア派とスンニー派だけでなくキリスト教徒の部族もいる。それぞれに首長が権益の根を張っている。首長といっても土着の有力者とは限りません。他の土地の首長なんかを英国とかフランスとかが自分の都合で応援して、落下傘式に大統領や国王にしてしまったりする。石油が出るかどうかで財政も違う。戦後になっても欧米やソ連、中国など大国がちょっかいを出す。更にパレスチナ問題やクルド人問題が絡んで、いっそうややこしくなる。

非常にザックリ言うと、要するに各国の政府が無能で強欲で自分勝手で、隣国同士が仲良くなんかできない。大統領は常に息子に世襲させようとするし、たまに実行される選挙は嘘だらけ。一時期のアラブ諸国は表面的には世俗的、準民主国家になりかけ、たとえば女性はスカートはいて闊歩していたけど、なんせ政治の根本が腐敗しているので民衆は納得できない。アラブ人は何百年も間ずーっと絞りとられ続け、プライドを傷つけられてきた。

こうしてなんとか世俗的に運営していこうとする政府に対して、絶望した過激派が抵抗する。その抵抗を徹底的に弾圧されると火がついていっそう過激になる。完全に絶望してしまったあげくの方策がテロ。統一スローガンとして共感を得るのはイスラム原理、イスラム回帰ですね。極端な方向性のほうが理解しやすいし支持を集めやすい。こうして肌を露出していた女性はまた髪をおおって歩くようになった。

常習的な自爆テロなんてのは、最後も最後の悲惨な反抗手段です。ただそのテロ組織も分裂していて、お互いが敵。アラブの春のうねりで強権政府を倒しても、その後にすわった政府はやはり腐敗している。軍がクーデタを起こす。トップにすわった将軍はもちろん永久政権をめざす。

どうにもなりません。でもアラブの場合はまだしもニュース価値があって、世界に報道されている。アフリカなんかはどうなんでしょう。たぶんもっと酷い状況のような気がする。酷いけれども、世界的なニュース価値はない。みんなあまり関心を持たないし、どこかの国でウン十万人が殺されたと聞いてもさほど驚かない。偉そうに書いていますが、私だって実はたいして関心はありません。

なんとか読み終えましたが、しみじみ暗い気持ちになる本です。著者は最後でなんか明るい見通しのような雰囲気でしめくくっていますが、現実にはその後にも混乱のシリア内戦が続き、ISISという新顔が登場しています。ガザ地区の紛争もまったく解決しそうにありません。「平和を」と唱えている欧米各国は武器をひそかに売りさばいて利益をあげている。

楽しい本ではありませんでしたが、読まないよりは読んでよかった。知ってどうなるのかと問われれば、なんにも役立ちません。でも読んでよかった。


★★ 白水社
medicitasogare.jpg
フィレンツェのメディチ家ってのは有名です。ルネサンス大スポンサー。去年フィレンツェに行ったとき迷い込んだウフィッツィ美術館の所蔵品はべらぼーな豪華さでした。たかがトスカーナ地方の支配者でしかないですが、毛織物と金融業ですごい財を蓄積したんですね。

しかしブイブイ言ってたメディチ家がその後はどうなったか。それは知りません。たいていの人は知らないと思います。で「こんなふうに衰退したんだよ」というのがこの本。

17世紀、フェルディナンド2世の治世から始まります。ちょっとディレッタント気味で悪い領主ではなかったようですが、ただ奥さんに頭が上がらなかった。で、息子(コジモ3世)の教育をその奥さんにまかせっぱなし。奥さんは信心深く(言葉を変えれば迷信深く)、もともとその性向があったコジモを極端な信仰の人にしてしまった。

信仰が悪いわけじゃないでしょうが、トスカーナのような微妙な位置にある領主としては、いろいろ問題が生じます。聖職者を大事に優遇しすぎる。町中が坊主だらけになってしまった。ユダヤ人をいじめる。経済活動が途絶えてしまった。市民がみだらな行動をとらないように厳重にしめつける。活気がなくなった。それとは関係なく、トスカーナ大公としての対外的プライドだけは過大。重税を課し、やたら金を使う。豊かだったはずのフィレンツェ市民とトスカーナは極度の貧困にあえぎます。

おまけにフランスからもらった奥さんとの相性が最悪で、水と油。気が強くて超活動的な奥方と、陰気でお寺参りだけが趣味の亭主です。まったくうまくいかない。で、子供3人産んでから奥方は勝手にフランスに逃げてしまった。修道院にこもって、というより修道院を牛耳って、勝手気ままに生涯を終えた。

残された子供は3人。長男はだらしなくて、結局梅毒(たぶん)で死亡。娘はドイツ(神聖ローマ帝国)の諸侯に嫁入り。気の弱い次男もカントリー志向の強情なドイツ女と結婚する羽目になって、うんざり自堕落に生き続ける。最終的にこのアル中の次男が次のトスカーナ大公を継いだんですが、子供を作る気もなくて、ここでメディチ家の跡継ぎは途絶える。

難しい時代だったんだと思います。フランス、スペイン、神聖ローマ帝国。そしてローマ法王。大国が複雑なチェスのような外交を繰り広げていて、甘い考えの小さな国なんかズタズタに食い荒らされる。で、コジモ3世はこれに対抗できるような人ではなかった。子供たちも意欲をもって建て直そうというような気持ちを片鱗も持っていなかった。なるようになれ・・という気分。

最後の大公となったジャン・ガストーネという人、実はけっこう興味深い人格です。何もやる気がない。手紙を読むと返事を出さなければならないから、手紙は読まない。体を洗うのは面倒だから洗わない。大酒飲んでゲロ吐いて、そのまま汚いベッドに寝る。権威という権威をコケにする。道化のような乱暴者たちを集めて馬鹿騒ぎするのだけが楽しみ。

こうしてメディチ家の支配する花のフィレンツェは終焉。ただし大量の財宝や美術品は、未亡人となってドイツから戻ってきたしっかり者の娘が「フィレンツェから持ち出してはならない」という条件でトスカーナ政府に寄贈する遺言を残したため、幸いなことに散逸をまぬがれた。

そのおかげで、世界中の観光客はフィレンツェを訪れるわけです。もし娘と息子が逆だったらどうなったか、それはまた不明。


そうそう。もう一人犠牲者がいました。コジモ3世の弟だったか叔父だったか。コジモとは正反対で陽気、享楽的。枢機卿になって、よく食べよく飲みよく遊び。生活を楽しんでいたんですが、メディチ家の跡継ぎが望めなくなったってんで無理やり還俗させられ、年取ってから望まぬ結婚をする羽目になった。本人は不幸だったし、結婚させられた若い娘にとってはもっと不幸。(享楽坊主だったからたぶん悪い病気をもっていた。恐怖の同衾)

結婚して数年で死にました。もちろん子供なんて作れませんでした。可哀相に。
(フランチェスコ・マリア・デ・メディチという人です。英語や伊語版Wikiには出てきますが、なぜか日本語版には記事なし。Francesco Maria de' Medici)

★★★ 白水社
arabu500.jpg
かなり分厚い上下巻です。今回は上巻だけ借り出し。上巻は16世紀初頭、オスマントルコがマムルークのエジプトを撃破したシーンから始まります。これでオスマントルコが帝国らしくなり、それまでアラブに勢力をふるっていたエジプトが退潮した。ま、マムルーク朝はその後(1800年前後)、ナポレオンのエジプト遠征でトドメを刺されるわけなんですが。

これ以後のアラブ世界はオスマン帝国という大きな枠の中で生き続けることになります。アラブ世界といっても西はモロッコとかチェニジアとか、中程にはエジプト、南にアラビア半島、そしてシリア圏、イラク・・なんとも広大です。そのためインタンブールに近いシリアなんかはオスマン帝国の官僚制にしっかり支配されていたけれども、地中海西部なんかの遠隔地は緩やかな支配しかできなかった。日本だったら畿内と蝦夷地のような相違でしょうか。税金だけ収めてくれればその地の太守が勝手にやっててもいいよ、という地域がけっこうあった。

で、そのうちオスマンも動脈硬化で帝国支配がうまくいかなくなる。帝国が衰えてくると英国、フランスを筆頭にしてロシアもイタリアもみーんなでちょっかいかけ始める。出遅れたドイツも必死になって手を出す。オスマンの威信が衰えれば、当然のことながら各地の太守や豪族、有力一族は勝手に動きます。ただし本質はナョシナリズムというより、下克上という感じでしょうか。自分が権力を握りたい。自分たちの一族で地域を支配したい。

そし英国やフランスはぬけめなく、こうした地方豪族を支援したり相互に戦わせたりして自国の影響力をどんどん強めていく。オスマンの言うことなんか聞く必要ないぜとけしかける。もちろん本音はドサクサ紛れの植民地支配です。

しかしトルコ帝国の威信は西欧諸国が思ったより強かった。なんせ何百年も続いてるから、そう簡単には気分を変えられない。これも日本だったら戦国時代の天皇でしょう。みんな軽視はしてるけどその権威を完全に無視することはできない。で、各地のアラブの首長たちが夢想してたのは、あくまでオスマン支配という枠組みの中で、でも実質的な自分の国(というか支配地域)を確立すること。

そして第一次大戦のあたりで、それまでの矛盾が表面化します。もちろん悪役は英国とフランスですね。強欲な分割計画を立てて、ぶんどり合戦。地方首長たちは英仏の援助で独立を果たそうとする。英仏は影響力を強めて完全に支配しようとする。複雑怪奇なスッタモンダと嘘八百まき散らしの末、ほとんどの地方は列強に分割支配されてしまいます。おまけにパレスチナには不思議なユダヤ国家の設立。

ということで、戦後は中東戦争が必須です。なんとなく最初からユダヤ国家が作られたと思い込んでいましたが、当初はパレスチナ人と混じり合う形の植民計画だったんですね。もちろんこんな計画がスムーズにいくはずもなく、二枚舌で困り果てた結果、イスラエル国として国境線を引くことにした。ここからここまで、ここに住んでるパレスチナ人は移住しなさい。実はその国境を決めた委員会も、これでうまくいくなんて思っていない。困ったことになるだろうな・・と思ってたけど、もう知るか。勝手にしろ

その「勝手にしろ」の結果が第一中東戦争です。イスラエル構想がそもそも矛盾のカタマリなんで、戦争で決着つけるしか方法はない。しかしいざ戦争になると意外や意外、イスラエルが強かった。大戦中にテロ活動をしっかりやってたし資金もあって武器弾薬をたっぷり持っていた。兵士も訓練ができていた。大戦中、英仏の好意で独立させてもらおうと、なるべく大人しくしていたアラブ各国は用意が調わずさんざんの敗北。おまけにアラブも一枚岩ではなく、それぞれの首長が思惑で動く。

ということで、新生イスラエルは「いまがチャンス!」と国境を拡大してパレスチナ住民を追い出します。その流れがいまに続いてるわけですね。もうどうにもならん。

いまの中東問題、要するに解決策なんてないですね。実際的には、欧米諸国がすべて武器輸出をストップする。そしてそれぞれ、勝手にしなさい!と放任する。剣と棍棒とせいぜい小銃で争っていただく。そのうちどこかがどこかを制圧して終わりになるでしょう。中世方式です。いちばん人的被害の少ない道筋はこれしかないだろうと思います。

いまのイスラム国なんてのも、人道うんぬんという立場を捨てれば、それなりに正しい筋道だと思います。欧米の思惑とは関係なく、アラブ人がアラブのことを決めようとしている。血が流れようが、奴隷制だろうが知ったことか。ただし連中に武器は絶対に売るべからず。しかし残念なことに石油という要因があるんで、難しい。困ったもんじゃ。

読みやすい本の上巻だけですが、実際にはけっこう時間がかかりました。

★★ 光文社
toonomonogatari.jpg
遠野ではなく「遠乃」。要するに岩手のこの一帯が巨大な迷い家(マヨヒガ)になっているという設定です。

マヨヒガってのは、遠野物語ではけっこう魅力のあるお話ですよね。山奥で迷い込んだ立派な一軒家には人気がなくて、でもまだ火はともっているし湯も沸いている。だーれもいない。なんかそんなヨットの話がありましたね。えーと、マリー・セレスト号事件ですか。直前まで人がいた気配なのに、誰もいない。漂流する無人の船。

で、台湾で役人もやっていた「私」と土地の青年。どうも二人ともマヨヒガの虜になっているらしい。外界に出ようとしても、いつのまにか元に戻っている。脱出不可能。

遠乃には妻もいるし、村人もいる。だけどなんか違和感がある。フッフッと記憶がふっとぶ。3日くらい経過したかなと感じると、実はもう季節が移り変わっている。

とかなんとか。設定は非常に面白いと思いました。遠野物語さながら、子供が神隠しにあったり、年寄りが消えたり、山女が降りてきたり。

なかなか良さそうだな・・と読み進むと、終盤はなんか訳のわからない形になる。いちおうマヨヒガ出現の理由とか脱出方法なんかの解説はあるんですが、どうも無理筋です。ちょっと残念。


★★ 文藝春秋
coldestwar.jpg
以前に読んだ児島襄の「朝鮮戦争」がけっこう良かったので、こちらも借り出し。要するに朝鮮戦争についてあまり知識がないんです。

ただし「ザ・コールデスト・ウインター」は米人ジャーナリスが完全に米国視点で書いた本です。そもそも原題が「America and The Korean War」。米国と朝鮮戦争、ですか。

児島襄の朝鮮戦争も読み終わって日がたつと細かい部分なんて完全に忘れてしまいました。ま、マッカーサーがタカをくくっていた。唯我独尊。おまけに李承晩が酷すぎたし、韓国政府もグズグズで内部もメチャクチャ。もちろんトルーマンや閣僚たちも政争にあけくれ、将軍たちも自分の見たいものしか見ないでマッカーサーに遠慮している。そういうところに北朝鮮軍が一気に侵入。

「ザ・コールデスト・ウインター」では、韓国軍の詳細や李承晩、韓国政府のゴタゴタにはさして関心がありません。その代わりマッカーサー、東京司令部の阿諛追従ぶり、大統領、政府幹部たちの性格や事情などなどが非常に詳細です。当初の米軍はなぜこんなに混乱していたのか、弱かったのか。なぜこんなに戦闘が悲惨になったのか。もちろん金日成や彭徳懐についても詳しいです。

で、ひとことで言うと、これはマッカーサー糾弾の書ですね。マッカーサーとその部下たちの無能と傲慢ぶりをいやというほど描いている。ま、それも仕方ないんで、当時のマッカーサーは神様でした。トルーマンの言うことさえ聞かない。しかも巧妙かつ政治的に動く。発信力もある。そこに共和党と民主党の足の引っ張りあいも重なる。あえて危険をおかして渦中の栗を拾おうとする政治家も軍人もいなかった。この本の中ではGHQのウィロビーとマッカーサーの寵臣アーモンド将軍がとりわけ糾弾されています。途中で交代のリッジウェイは非情ではあるが有能な将軍として描かれています。

そうそう。本筋に関係ないですが、インタビューを受けた士官たちの経歴で「ウエストポイントに入れてもらうため議員推薦をとる」というエピソードが何回も出てきます。てっきり裏口推薦かと思ったのですが、そうではなくてこれが公式だったみたいです。地区の議員の推薦がないと入学できないルールになっていたらしい。で、もちろんコネのある志望者が有利になる。ちょっと面白い仕組みです。

★ 文藝春秋
kujiranooh.jpg
藤崎慎吾という作家は初めて。要するに体長50mクラスの巨大クジラたちが深海に棲息していたら・・・というお話です。

深海で何を食べているのか(相当の量を食べないといけないはず)、どうやって呼吸しているのかというあたりは、あまり詳述がありません。なんか鳥のような空気袋(気嚢)をもっているから深海に何時間も沈んでいられるらしい。

また超低周波から超高周波まで発信できる。この巨大クジラたちが怒り狂ってレーザービームと化した超高周波攻撃をしたら・・・。ま、読んでのお楽しみ。

やけに盛りだくさんです。米軍の陰謀。原発廃棄物。怪しげなベンチャー企業。狂信イスラムの美少年(なぜか日本人)。イルカを偏愛する少年のような女(これも日本人)。そうですね、大昔の原潜もの、レッドオクトーバーのトム・クランシーふうでもあります。テクノロジー解説が多い。ちょっと多すぎる。

そこそこは読めましたが、評価というと・・・・。うーん。


★★★ 平凡社
nichirosensoushi2014.jpg
全3巻。気にせず読み進みましたが、なんか馴染みがあるような気がする。念のために過去を検索してみたら、あらら、去年に読んでました。自分の記憶力に自信がなくなります。当時はまだ2巻組だったんだろうか。それとも3巻だけなかったとか。

ということで、1巻2巻のことはおいて、最後の第3巻。3巻は日本海海戦と講和が中心です。

やはりねえ。司馬さんの描いた数々の挿話とはだいぶ様相が違います。まず連合艦隊幹部たちは対馬ルートに自信を失っていた。どうも東郷も賛同していたらしい。それで「北へ移動しろ」という封密命令書を各艦にくばっておいて、何日何時に開封と告げてあった。

ギリギリだったんですね。明日は開封という段階でも誰だったか(第2艦隊の藤井?)だけが反対で、他はみんな北進論に傾いていたらしい。そこへ遅刻してきた島村速雄(舘ひろし)がもう少し様子を見ようと提案。これで雰囲気が少し変わった。で、うーんと迷った末に、東郷が「わかった、もう少し待つ」と決定した。

坂雲で描かれたように「来るっちゅうけん来る」というほどキッパリしたもんじゃなかった。バルチック艦隊がもう1日か2日遅かったら、連合艦隊は北へ移動していた可能性があったらしい。もしそうなったら、結果は大きく違っていたでしょうね、きっと。こういう事情だったから、坂雲のこのへんの説明もなんかスッキリしない形になったんでしょう。

また例の右腕グルリの東郷ターンもかなり疑問。最初の頃の資料では、参謀長の加藤友三郎が取舵を命令した。で「取舵にしました」と横の東郷に報告。東郷はウンとうなづいた。要するに最初から東郷と加藤の間では合意があったということらしいです。

ま、それでは東郷があまりカッコよくない・・・と誰かが考えたらしく、後になってあの荘厳な右腕グルリ神話が誕生した。

そうそう、もうひとつ。秋山参謀の「天気晴朗ナレドモ浪高シ」。どういう意図で付記したかはわかりませんが、実際には連合艦隊にとってあんまり歓迎すべき天候ではなかった。好条件なら「天気晴朗ニシテ浪高シ」のはず。やけに波が高いため、小さな駆逐艦なんかは沈没しそうな大騒ぎで、秋山が計画していた七段構えの最初のほうは実行不可能になったんだそうです。要するに駆逐艦なんかでバルチック艦隊の進路を邪魔したり、機雷を敷いたりという計画です。

そうやって乱しておいてから、おむむろに主力の戦艦で叩こうという予定だったのに、最初から主力同士の艦隊決戦になってしまった。困った天候だったんですね。

ただ実際には偶然のことから駆逐艦(鈴木貫太郎だったっけ)に進路を横切られたバルチック艦隊が勝手に右往左往して、団子状態になってしまった。非常にラッキーだった。

1巻からずーっと通して読むと、日露戦争ってのは非常にラッキーの連続だった。本当は負けてもいいような場面で、なぜか幸運が発動する。ロシアによくぞ勝った。冷静に考えると、あえて開戦に踏み切った当時の政府(陸海軍)の決定は合理的だった言えるのかどうか。いろいろ慎重に準備していたとはいえ、本質はヤケのヤンパチ、ヤブレカブレが、なぜか通用してしまった。

開戦と勝利は良いことだったのか、失敗だったのか、それは何とも言い難いような気もします。もう100年か200年くらいたたないと結論は出ない。


★★★ 集英社
Rochefoucauld.jpg
惜しみながらページを繰り、ようやく読了。楽しい時間でした。

三銃士の裏小説という感じもありますね。この本、小説という形でではなく、一人称、二人称を使い分けながら本人が語る自伝という仕立てになっています。ま、それでも創作です。

時代は宰相リシュリューのあたりからマザラン、王室はアンヌ・ドートリッュからルイ14世です。ということは新教徒旧教徒が衝突し、ラ・ロシェルの包囲戦があり、やがてフロンドの乱の大騒ぎ。

で、フランス屈指の大貴族であるラ・ロシュフーコー公爵(フランソワ6世)は、この騒ぎに加わるというより、重要な駒のひとつとして陰謀の限りをつくす。陰謀は大貴族の家業です。あっちで戦い、こっちに潜み、その間にはロングヴィル公爵夫人なんかといちゃいちゃしている。しばらく逼塞していると呼び出しがかかって戦争に行き、勇敢に戦っては負傷する。ただけど活躍しているわりにはさして報酬は得られない。

17世紀は「女の世紀」なんだそうです。たしかに次から次へと凄い女性(もちろん才色兼備、行動力も抜群)が出てきますね。しかし見方を変えると、17世紀は貴族没落の世紀でもあった。ま、リシュリューなんかの政治方針が王権の確立だったわけで、そのためにいちばん邪魔になるのが文句ばっかり言って利権要求している貴族連中。

農本主義から商業経済へ移行しつつある世紀でもあったんでしょう。領地の上がりで暮らしているのに、見栄で贅沢をしなくちゃいけないんで、貴族はどんどん貧乏になる。だから多くの貴族がヴェルサイユに集まったのは、宮殿内にいれば借金取りから逃げられたためだった。これは意外な解釈でした。なるほどねえ。

とかなんとか。八面六臂の大活躍をして、ただし報われることもなく、やがて痛風で苦しむようになった老年のラ・ロシュフーコーは、ようやく落ち着いて執筆を始める。グタグタ書いては知人に見せて、けっこう評判をとったのがマキシム(箴言集)。

ま、そういうことのようです。

ラ・ロシュフーコー家の使い走りにグールヴィルという男が出てきます。最初は赤いお仕着せ姿で走り回り、交渉事に抜群の才能を発揮する。金銭の工面にも強く、要領がよく、どこの誰に会っても認められ、そのうち馬車を乗り回すようになり、やがては(旧)主人だったラ・ロシュフーコー公爵なんか問題にならない資産家になる。

家柄や身分ではなく、才能だけで出世する男が出てきた。17世紀はそういう時代でもあったんでしょうね。


ぷねうま舎
yorehaki.jpg
小川国夫という作家は初めて。もちろん名前は知ってましたが、なんとなく近づけなかった。

で、分厚くて新品同様のこの一冊。分厚いのも新しいのも大好きなのでニコニコしながら手にはりましたが、うーん・・・・。きびしい。

旧約聖書仕立てという予想は当たりましたが、ヨレハなる予言者(預言者)が最初の方で殺される。あるいは殺されたと証言される。ヨレハはどうも悪の予言者(預言者)であるらしい。

で、ヨレハ様がどうたらこうたら。すんなり入りにくい文体。好きな読者にとっては素晴らしい味わいなんだろうけど、あかん。50ページもいかないで挫折です。

今回図書館から借りた3冊、みんな失敗でした。みんなハズレ。「興亡古代史」小林惠子もそうだったし、楽しめるだろうと期待したデュマもダメだった。


「赤い館の騎士」アレクサンドル・デュマ
ブッキング
akaiyakatanokishi.jpg
革命時代が舞台。共和派の元気な主人公が出てきて、闇の中から謎の美女が出てきて。その美女に再開して。しかも囚われのマリー・アントワネットがいて、それを救出しようとする騎士がいる。

デュマのものなら当たりハズレはないはずなんですが、これは没入できませんでした。不思議だなあ。しかもなんのことはない、前にも目を通していた。2008年。内容はまったく覚えてないので、たぶんこの時も挫折したんでしょう。


文藝春秋
kouboukodaishi.jpg
朝鮮半島や沿海州あたりを広い視野でながめた古代史・・・・だろうと思ったのですが、はて。

おそらく朝鮮半島と日本列島、古代は同じ文化圏だったんじゃないかと想像しています。対馬を間にはさんだ海は、遠いといえばいえるけど、でも近い。けっこうな行き来があったんだろうな。日本とか朝鮮とかいう明確な区割りもなかっただろうし、両方にまたがる国だって、きっとあった。そのあたりを俯瞰して解説してくれる入門書があったら楽しい。

というつもりでしたが、うーん、トンデモ本なんですかね。文春の本なので、あるていど信用したんですが。ひたすら縦横無尽に断定してくださる。で、そうした断定に残念ながら説得力がない。いくら素人相手の本であっても、もう少し順序だった論理の積み立てがほしい。あちこちの資料から都合のいい部分だけ拾って、勝手に創造力を羽ばたかせているとしか受け取れない。

5分の1くらい読んだ時点で諦めました。中国からだれかが日本列島南部に流れて、そこで権力を得て、それから半島にわたり、国王になり・・という按配です。実にダイナミック。あっ、記憶はいいかげんです。よく覚えていない。例の邪馬台国についても「奄美大島であろう!」とずいぶん簡単に決めつけとか。「南行」を文字通りに受け取った面白い考え方ではあるんですが、ちょっと素人目にも乱暴すぎる。

したがって★はナシ。

★★ 新潮社
Friedrich.jpg
塩野おばはんが何かまた出してるというので借り出し。フリードリッヒ2世か。いかにも塩野さんの好きそうな人物です。

とはいえ、フリードリッヒ2世のことなんて、実はほとんど知りません。神聖ローマ皇帝であり、エルサレムで休戦平和条約を結び、ローマ法王に破門された。その程度。ヒゲが赤かったかな。


・・・なるほど。塩野さんが好きな人物であることは理解できました。惜しむらくあまりいい資料が残ってないんでしょうね。さんざんローマ法王に敵対し、カトリック側から言えばとんでもない反逆者。同時代の諸公から見ても常識外れの施政をひく理解不能の皇帝。ちょっと時代に先行しすぎた。でも彼が生きているうちはドイツ周辺やシチリア、南イタリアは安定していた。ただしロンバルディアの都市連合だけは皇帝に抵抗したらしいです。なんせイタリア人だから。

神のものは神に、王のものは王に。南伊をふくむシチリア王国でフリードリッヒは官僚が運営する中央集権国家をつくろうと考え、そのためにまず官僚の育成から始める。そりゃ大変でしょう。ドイツでは有力な封建領主たちを官僚として取り込む作業をすすめた。ただ完全には成功しなかったようです。

どっちにしても神聖ローマ帝国やシチリア王国が安定を保てたのは、あくまでフリードリッヒというカリスマ権威の裏付けがあったから。で、彼が死んだ後はボロボロになってしまう。子供は父親ほど有能ではないし、まだ若いし。そしてなんといっても中世真っ只中、ルネサンスのはるか前ですからね。法王とカトリックの力はまだ強い。貴族たちは権利を主張する。国民は無知蒙昧。

というわけで、フリードリッヒという突然変異の先進改革は数十年の輝きをもって終焉。ここから本物の中央集権国家の成立まではまだまだ年月が必要です。この人の存在がどういう意義をもっていたかは不明。


★★ 中央公論新社
shugoshikushimatsu.jpg
続きものらしい2冊。藤本ひとみが幕末ものを書いていたとは知らなかった。

えーと、主人公は剣術一筋、脳筋の単細胞男。なんか理由があって家祿を失っているらしい少年です。で、会津藩の重職の息子である有能怜悧な若者の下僕のような仕事をしている。この二人、仲がいい。

脳筋少年は鍛えるために鉄下駄をはき鉄板縫い込みの猿股をはいてあほらしく修行。オレは武士だ。とにかく強くなりたい。

で、内容はマンガというかライトノベルというか、とんとん話が進みます。ついでに読者の便宜のため、会う人会う人がいろいろ解説してくれる。たとえば佐々木只三郎だったら「拙者は会津のなんとかの弟だが、故あってなんとかの御家人の養子になり、なんとかで修行して・・というわけだ」と背景説明。

というわけで背景は明快だし、薩長は悪辣だし、会う人物はみんな魅力的だし。ただし事実関係はけっこう細かいですね。よく調べている。というより、会津側の詳細事情なんて、あんまりどの本にも書かれていないせいかな。

とかなんと。それなりに楽しめましたが、たぶん再読するような本ではなんと思います。


★★ 岩波書店
orikaeshiten.jpg
宮崎駿のアニメ論、文化論などなど。あちこちに書いた詩のようなものとか、インタビューとか、対談とか、講演とか。多少のイラストやスケッチもあります。

この本の内容を説明するのは野暮ですね。簡単に説明できるものでないし。ま、ひとつ理解できたのは「子供には子供らしく笑ってほしい。子供らしく育つことできる時期は短い」という強いメッセージでしょうか。

要するに子供のためを思って手をかけすぎるな。先回りするな。何回も繰り返し書かれていますが、整備されていない(直線のない)公園というかスペースを作ると、子供たちは興奮して騒ぎ回る。自分たちで遊びを発見して遊ぶ。それが貴重なんだ。小学校の間くらい、勉強なんかさせないで、野性児のように遊ばせたほうがいい。

そうそう。埼玉か山梨のどっかの小山の名前が「広原」だったかな。つまり今は山だけど、昔は原っぱだったんだろう。現代の我々はつい「こんな杉とかカラマツばっかり植えて」と先人に文句たれるけど、それだって治水に実は役に立っている。またそもそもの最初から木があって、それを無残に伐採したわけでも、たぶんない。

自然は勝手に木を枯らしたり、草原を作ったり、営々と変化している。人間が偉そうに評論してちゃいけない。自然を「保護」しようなんて思い上がりだ。ただし「管理」は論外。だから難しいんだけど。


★★★ 文藝春秋
kyoudai.jpg
上下二冊。前から図書館の本棚に並んでいるのは知っていましたが、高島俊男さんが「お言葉ですが...別巻6」で評価していたのでふと読んで見る気になりました。

前半は文革篇。地方都市の血のつながらない兄弟が主人公です。県の中心となる程度の大きな町なんでしょうね。中国の県は日本の郡くらいと思います。その町も文革の狂騒にまきこまれ、父親は三角帽子をかぶせられて撲殺死。このへんのドタバタは莫言のそれに類似しています。というより、悲惨な文革期を描こうとしたら、こうした喜劇調にするしかないんでしょう。

莫言の小説と非常に似ているんですが、やはり違う。何が違うのだろうと考えてみると、まず「兄弟」では自然が登場しない。莫言の場合、自然描写が濃密で、ほとんどひとつのテーマのような印象を与えます。湿気と寒さと熱暑。べらぼうな存在感をもつ樹木や家屋や動物。自然がねっとりとまつわりつく。しかし余華の場合はあくまで主役は人間で、自然にはあまり興味がない

もうひとつは登場する人物たちがごく普通の村人だということ。例外として「福利工場14人の従業員」という連中も登場しますが、これは白雪姫の7人の小人のような脇役で、あくまで喜劇効果を盛り上げるための合唱隊的です。こういう表現、差し障りがあるのかもしれませんが、莫言の小説では青痣、足萎え、狂人、盲目・・・これでもかというくらい重要な登場人物で、これを身体障害者という言葉で簡単にくくるのはどうもピンときません。もっともっと差別的。でも村民たちは馬鹿にしたり苛めたりしながらも、ある程度折り合いをつけて共同体として生活している。60年前くらいの日本の田舎の感覚でしょうか。綺麗に言えば人間たちもまた「バリエーション豊かな自然」の一部です。

ちなみに莫言は11歳で文革を迎えています。もちろん学校にも行けない片田舎の貧農の息子(ただし出自は中農かな)。余華は医師の家だったようですね。たぶん杭州市で育って、文革時は6歳ですか。この本の主人公である兄弟と同じ年代です。

莫言と余華。同じようなトーンの小説に見えて決定的に違うのは、この年代と育ちの差にあるかもしれません。片方は嵐の中を必死に生きのび這い上がろうとする。片方は異様な光景を見聞きし、たぶん境遇も急変したでしょうが、まだ子供なので状況が完全には理解できていない。


で、小説の後半は開放経済篇です。実直な兄は町一番の美人と結婚し、野放図な弟は失恋して金儲けを目指す。兄は金属工場で働きますが、その工場が倒産。仕方なく肉体労働を始めたものの頑張りすぎて腰を痛め、あとは要領悪く転落の一途。最後は詐欺セールスマンとして国内を放浪します。

徹底的に楽天家の弟は廃品回収から身を起こし、日本製古着の輸入販売で一気にのし上がり、巨大なコングロマリットを築きあげます。美処女コンテストを開催したり、世話になった仲間を引き上げたり、独り暮らしをしている弟の女房に手をだしたり(ま、初恋の相手だったわけで)、好き放題。

しかし巨万の富を手にし、純金の洋式便所に座って糞をひりだしながら、もう果たすべき夢もない。虚しい。そして最後に思いついたのは大金はたいてソ連の宇宙船ソユーズに乗せてもらい、青い地球を眺めること。そのためにロシア語を勉強し、肉体を鍛える日々。それしかない。

開放経済篇は非常にテンポよく、すらすらすらすら読み進みます。ま、笑劇ですからね。じっくり立ち止まって熟読するような内容ではありません。すたすら馬鹿馬鹿しく進行します。作者に言わせると「喜劇だけど悲劇を内蔵している」展開。対称的に前半の文革篇は「悲劇的展開ではあるが内部トーンは喜劇」だそうです。そんな趣旨のことを後書きで書いています。

まったく蛇足ですが、読みながら兄は鈴木亮平(たまに見る花子とアンの真面目な亭主役)、弟はキャスターのミヤネ屋をイメージしてしまいました。ごめんなさい。なんか似ている気がしたもんで。


★★★ 英治出版
darkstarsafari.jpg
読みたいと思っていたポール・セローの本ですが、あいにく図書館には置いてない。かといって買うとなると3000円以上。躊躇していました。

ふと、図書館なら購入希望も出せるんじゃないかと気がつきました。小さな図書館ですが、不思議に特定系統のファンタジーだけが多く揃っている。これもたぶん熱心な人がせっせと希望を出しているからじゃないだろうか。ということで、ダメモト承知で「予約」を申請してみた次第です。でも、ま、無理だろうな。

意外。届きましたよと知らせが来ました。ただし新品ではありません。なんか図書館同士で融通しあうシステムがあるんですね。地の部分に都立図書館という蔵書印が押してありました。中辞典なみの厚さでずっしりと重く、1キロあるといわれても不思議ではない。えーと、696ページだそうです。

これを手にもって読んでいると、非常にくたびれます。負担がかからないように工夫していますが、それでも痛めた肩がまた痛みだした。はい。ここひと月ほど右肩にギックリが来てるんです。

で、途中まで読んだ「ラ・ロシュフーコー公爵傳説」は中断です。こっちは購入本。あわてずゆっくり読めます。まずは借り出し本から優先ですね。実は他にも分厚いのを借りてるんで、急がないといけない。

さて。

60歳を超したポール・セロー親爺が思い立ってアフリカ縦断の旅。若いころ兵士になるのを拒否して平和部隊でウガンダへ行き、しばらく英語を教えていたらしい。やがて例のアミンが台頭してきたので、危険を察して隣国のマラウイへ逃げた。アミン、もう忘れられているかな。ゴリラ並みの巨体で、人食いの噂が絶えなかった恐怖の大統領です。で逃げたセローはマラウイで大学の教員をしていた。

ま、そういう時代があった。郷愁ですかね。誕生日をアフリカで迎えたくなった。できれば若い頃に去ったマラウイの大学でちょっと特別講座を開くとかできたら嬉しいな。そんな気分もあって、エジプトから南下を開始。

ただしこの人の旅は基本的に列車とバスです。飛行機には乗らない。交通網の整備されていないアフリカで列車とバスなので、内心、途中で死ぬことも覚悟していたらしい。可能性はかなりあったでしょうね。実際、オンボロトラックを銃撃されたり、ザンベジ河の流域を丸木船で下ったり、ハイエナのうろつく野外で寝たり、いつのたれ死にしても不思議はない。

ルートとしてはエジプト → スーダン → エチオピア → ケニア → ウガンダ → タンザニア → マラウイ → モザンピーク → ジンバブエ → 南アフリカ かな。たぶんこの道筋です。だいたい大陸の東側をたどった。

アフリカについて何も知らないことに気がつきました。たとえばエチオピアには海がない。あれ?と思いましたが、海岸寄りはエトルリアという国になっている。エチオピアから独立したんですね。えーと、1993年だそうです。海を失ったエチオピアは大打撃。 (※ 訂正 エリトリアです。エトルリアはイタリーだ)

エチオピアではラスタファリアニズムという言葉。これも知りませんでした。ジャマイカで発生した「アフリカ復帰運動」のようなものでしょうか。当時の皇帝ハイレ・セラシエを神・救世主として崇め、ジャマイカから移民してきた。ところが皇帝は殺されてしまうし、なんか訳のわからないことになってしまった。

ケニアではヘミングウェイをさんざん罵っています。大嫌い。アフリカを見ようとしないで、ただ大型の獣を殺すことだけしか考えていない傲慢なマッチョ白人。彼にとっての土民はすべて従順な従僕でしかない。セローは若いころからヘミングウェイを嫌っていたらしい。この本の中でも豪華サファリツアーで訪れる観光客を徹底的におちょくっています。

だいたいポール・セローが毛嫌いしているのは、まず宣教師たち。「モスキート・コースト」でも宣教師は天敵でしたね。宣教師だけでなく使命感をもって「貧しい人たちに奉仕しよう」とキリスト教団体からアフリカに派遣されてきた若い人たちもたくさんいる。たとえばある女の子は飢えた子供たちに食事を与える仕事をしている。親にまかせたら横取りされるから、面倒でも子供に直接食事させるしかない。しかし徒労感。因業なセロー親爺はこうしたピュアな(?)若者との聖書論争も辞さない。え?お前の食ってるものはモーゼが禁止しているぞ、どうするんだ。

もちろん彼らは善意のカタマリです。善意ということなら、どこでもかしこでも見かけるNPOや支援団体の連中も同じ。しかしこうした支援は本当にアフリカの役にたってきたのか。ボロ車しか走っていないアフリカで、ピカピカ光る白いランドクルーザを見かけたらそれは支援団体のクルマに決まっている。こうしたクルマに乗っているのは「支援貴族」。貴族だから、現地人や汚い格好のセローが乗せてくれと頼んでも冷たく拒否する。けっして目をあわさない。たぶん理由は臭いからとか、せびられるからでしょうね。現地民と親しくしたいとはまったく思っていない。

こうした「支援貴族」。たんなる自己満足ではないのか。施しという優越感で目が曇っていないのか。

皮肉なことに、現地の住民も決して支援団体を好いてはいないし、しっかり利用してやろうとは思っている。古着や中古品など西欧からの大量の(善意の)支援物資は、どういうわけか地元の業者が一括して安く買いつけ、あっというまに店に並ぶ。現地民はメイド・イン・チャイナの新品ではなく、そうした古着を買い込んで着る。これを着ていれば、白人のセローでも目立たないし、泥棒に狙われる確率もぐーんと減る。

なぜアフリカは豊かになれないのか。35年前、マラウイの大学で若いセローたちは「あと5年か10年たったらこの国も変わるだろうな」と夢をもっていた。しかし35年後、建物はむしろ荒廃し、図書館の本は盗まれ、職員住宅は荒れ、教員は薄給に苦しんでいる。なぜだ!とセローは怒り狂います。政府の補助が少ないから(要するに横取りされて)建物が痛むのは理解できる。しかしなぜ廊下がゴミだらけなのだ。なぜ庭の草は伸び放題なのか。それを片づけようとか、整理しようとする人間がなぜいないのか。

どこの国の風景だったか、マンゴーの木の話が出てきます。炎暑の平原、さして大きくもない1本のマンゴーの木がポツンと残っていて、その木陰にアフリカの男たちがひしめきあって涼んでいる(男が遊んでいるあいだ、女衆はよそで腰を曲げて作業にいそしんでいる)。でもなぜ1本なのだろう。種を植え木を育てようと思った人間はいないのだろうか。そうすれば何年か後には1本ではなく、マンゴーの涼しい林ができる。

ま、仮に酔狂な男がいて木を植えても、ちょっと伸びたらすぐ燃料として斬られてしまうんでしょうね。それを知っているから、誰も無駄なことはしない。

以前はそこそこ豊かだったのに急速に貧しくなったある国。理由は明白で、流通や経済を支配していたインド人を追い出したからです。中小の製造業、小売り店を経営していたインド人たちが独裁政府の方針変更で強制的に追い出され、アフリカ人が接収する。しかしあっというまにつぶれる。

「オレたち、インド人みたいなことはできないからな」が理由。インド人はいつも「イチ、ニー、サン・・」と勘定して商売している。オレたちがそんなケチくさいことできるか。こうしてかつての商店街はゴーストタウンと化す。

ジンバブエなんかが典型ですね。白人経営の大規模農場が次から次へとアフリカ人に占拠され、経営者が追い出される。あるいは殺される。そして農場を占拠して自分のテリトリーを杭でかこったアフリカ人は、なにもしない。政府が種を支給しない。高く買い取ってくれない。トラクターを貸してくれない。燃料を支給してくれない。援助がない。こうしてかつて外貨を稼いでいた大規模農場は、今ではその日暮らしの零細自作農の寄せ集めになってしまう。零細農家が作っているのは換金作物ではなく、じぶんたちが食べるだけのわずかな作物だけです。余った土地は荒廃したまま。

広大な土地を支配し、数多くのアフリカ人を(たぶん)こき使ってきた農場主が(不法とはいえ)追い出されるのは、ある意味、大きな流れかもしれない。問題はその後。土地を獲得したアフリカ人たちに意欲がない。向上心がない。仕事をしない。土地が荒れるにまかせている。常に「なにかしてくれること」だけ期待している

国際支援がいけない。そうセローは思っています。貧しければ貧しいだけ同情をかえる。膨大な支援金が流れ込む。もちろんその大部分は政府閣僚がポケットにしまいこむ。住民も黙って座っていれば支援物資をもらえる。希望や意欲を持たず「もらう」ことに慣れてしまった人々はもうダメです。彼らが考えているのはなんとかして米国に行けないか。それだけ。米国に行けば楽に暮らせると思い込んでいる。

大きくなった都会はただ荒廃が広がるだけの場所で、いわばスラムの拡大です。むしろ田舎。もちろん何もない貧しい場所で、電気もない、井戸もない、耕作に向いた土地もない。しかし半世紀前に暮らしていたような、かつかつに貧しい生き方ならできる。実際、貧しいアフリカは半世紀前とまったく変わらない様相になっている。ただ違いは、あちこちにトラックの残骸とかプラスチックの残骸が転がっていることだけ。土とホコリと貧弱な木々だけだった土地に、あらたに「残骸」が増えた。それだけの相違。

列車の一等車の窓には貧民たちがむらがって物乞いをします。体の出っ張りほとんどゼロの痩せた少女。食べ物をあげようかと一瞬は迷ったものの、セローは拒否します。その少女は憎しみに満ちた目で、大きな石を何個も窓から列車に放り込みます。死んでしまえ。

いっそ50年前に戻ってもいいじゃないか。そんな考え方もできます。都会は捨てよう。文明がなんだ。電気もプラスチックのバケツも不要。支援団体に電動の汲み上げ井戸を作ってもらっても、やがて故障する。燃料がない。修理できない。結局もとのように手作りロープを使って牛皮のバケツで汲み上げる生活に戻ってしまう。それなら最初から牛皮バケツでいいじゃないか。そこから始めよう。

閣僚や高官たちが自分の子供たち(ほとんどは米国留学)に「アフリカに戻って仕事を続けろ」と言えるような国なら、まだ将来に希望がある。でも自分の子供たちは海外に居させておきながら、他人にだけ「アフリカに尽くしてください」と平気で言い続けていたら、その国に未来はない。

要するに、アフリカ人が自分たちで考え、自分たちで行動しない限り将来はない。これまではずっーと上から目線の押しつけと援助でした。ついでに武器供与なんかもありますね(これが最悪だけど)。こんなことを続けていても未来永劫ダメ。

という具合で、暗いお話です。セロー流に言うとアフリカは「暗黒星」ダーク・スター。でもなにしろセローなんで、滅入ったり、怒ったり、楽しんだり、恐怖におびえたり。ごく稀には快適な列車に乗って美味しい飯を楽しんだり。で満足して旅を終える寸前、一流ホテルで施錠して預けたバッグを盗まれる。実はあちこちで金細工や民芸品を買い溜めていたんです。身につけていた取材ノート以外はすべて消える。

いい本でした。

これで興味をもって調べてみたのが旅のルートとなった各国の貧困度。経産省の2014年資料で、2010年の1人当たりの名目GDPです。いまも大差はないでしょう、きっと。

・エジプト(2,771ドル 中所得国)
・スーダン(1,642ドル 低所得国)
・エチオピア(364ドル 貧困国)
・ケニア(887ドル 貧困国)
・ウガンダ(503ドル 貧困国)
・タンザニア(542ドル 貧困国)
・マラウイ(354ドル 貧困国)
・モザンピーク(473ドル 貧困国)
・ジンバブエ(457ドル 貧困国)
・南アフリカ(7,100ドル 中進国)

中所得国とか低所得国というのは、資料に書かれていたまま。こんな区分けになってるんですね。ちなみに2010年の日本は42,916ドルでした。

Rochefoucauld.jpg涼しくなったので、堀田善衛さんの「ラ・ロシュフーコー公爵傳説」。ちびちび惜しみながら読んでいます。なんとなく既読のような気がしていましたが、まったく記憶なし。

フランス西南部。初代の土着豪族フーコー殿がラ・ロシュ(岩の意)に城砦を築き、付近に勢力を伸ばすあたりから始まって、やがて跡取りがフランソワを襲名するようになる。ちなみに語り手はフランソワ六世です。ラ・ロシュフーコー公爵フランソワ六世。

ずーっと代々フランソワが続いて、カトリックとプロテスタントの泥沼抗争。いまようやくリシュリューが登場したあたりです。三銃士も参戦したラ・ロシェル包囲戦も勝利。このあたりで確かミラディが毒ワインを送ったのかな。そんなエピソードがあったような。

サーッと読めば読めそうですが、夕食前のひととき、なるべくゆっくりページをめくっています。新しいページを繰るたびにパリッとかすかな音がする。至福の時間ですね。

dokuzetsuka.jpg★ 中央公論新社

幕末から明治にかけて生きた不器用な旗本、大谷木醇堂という人のお話。なまじ多少の能力があったのに不運にも(と本人は思い込んでいる)まったく出世できず、ウジウジ文句たれつづけ。嫉妬と偏見に満ちた膨大なメモを残した。実在の人物らしいです。

レンズが歪んでいるだけに人物評はかえって面白い・・・はずなんですが、あまりにも偏っているため、読むのかちょっと辛い。ま、こんな人がいたと知っただけでもヨシとすべきか。



もうひとつ。

「教科書には出てこない江戸時代 将軍・武士たちの実像」山本博文
★ 東京書籍
edojidai2014.jpg
山本博文センセのウンチクものですが、こっちもあんまり感心せず。ちょっと内容が陳腐すぎたせいでしょうか。将軍の暮らし/大奥の暮らし/武士の出世/天皇と公家の暮らし・・とあるんですが、あまり楽しめなかったです。

そうそう。江戸時代の「勘定奉行」ってのは、現代人が想像するほどたいした役ではなかった。したがってヘボ作家が書くような、たとえば五千石の旗本が勘定奉行の地位を狙って暗躍・・というような筋書きは不可能。そんな格下の地位を画策するなんてことはありえない・・だそうです。要するに幕府の役職ってのは地位が低くて有能な連中のためのものだった。

wikiで調べてみたら、いわゆる「大身の旗本」ってのは、二千石、三千石クラス以上だったみたいですね。五千石の旗本だったらもう大いばり。ほとんど大名に近い。


★★★ 連合出版
shibasannomita.jpg
高島俊男のシリーズ、別巻6。

この人の文章は非常に好きです。叙述が非常に論理的。明晰というんでしょうか。ただし親切すぎるくらい懇切に書くので、こんなに書き込んでいたら進めないだろうと心配するほど。

で、司馬の話は冒頭の数章だけです。儒教文化圏の仕組みとかなんとか、司馬さんのエッセイをとりあげて説明している。ま、たしかに儒教=贈り物文化=収賄文化。これが悪いかどうかというと、なんともいえない。そういう社会の仕組みがあったっていいじゃないか。

ちょっとおかしかったのは、日本においては儒教=儒家が力をもち得なかったということ。儒教儒家が本当に力をもっていたのは戦国とか春秋の時代であって、それ以降はどんどん形骸化している。尻つぼみ。

したがって日本の儒家なんてのは、大昔の外国の形骸の尻尾をあーだこうだ言って飯を食っている連中にすぎない。だから日本の社会システムに浸透することがなかったし、儒家がいくら偉そうにしていても大きな害をなすこともなかった。これにくらべると数は非常に少数だけど国学のほうはいろいろ影響を及ぼして始末が悪い。

で、例によって(筆を控えればいいのに)小学館の姿勢とか河出(新潮社だっかたかな)の翻訳とかを苛めている。これを続けるからお金に縁がないんでしょうね。読む方は面白いけど。

後半は珍しく中国の作家について詳しく書いています。たしかに中国において良心的な作家として生き続けるのは大変なんだろうなあ。


なんとかイーリアスを読了。読了なんて言葉を使うのが不遜なくらいの飛ばし読みです。

chikuma01.jpg意外なことに、アキレウスがヘクトールの遺骸(さんざん引きずりまわしたけど傷はなし)を返し、トロイ側が悲しみながら火葬するところで終わってるんですね。したがってアキレウスの死は描かれないまま終了

ついでに次のオデュッセイアも冒頭を少し読みかけてみましたが、こっちは息子のテレマコスが父オデュッセウスを探す旅から始まっている。いきなりオデュッセウスの章ではないんです。意外でした。

このテレマコスの旅、実はアテナ神がずーっとサポートしている。かなりの依怙贔屓です。ま、オデュッセウスの放浪というのも海神ポセイドンの怒りが原因ですからね。トロイ戦争もオデュッセウスの放浪も、すべての原因は神々にある。

そうそう。トロイ戦で神々がそれぞれ人間に贔屓することは知ってましたが、ちょっとズルしすぎの感あり。怯えている武将にむりやり勇気を吹き込んで(結果的に)殺したり、贔屓が危なくなるとすぐ靄かなんかでかこんで安全地帯へ飛ばしてしまう。フェアーじゃないです。

神様同士の集団直接対決なんかもあったんですね。色気だけで喧嘩には弱いアフロディテがぶっ倒されたり、嫌われものの戦神アレスも傷つけられたり。傷つけられるとすぐゼウスのとこに駆けつけて泣き言をいう。それを聞いてゼウスはけっこう楽しんだり。

困ったもんです。人間たちは神様同士が対戦する壮大なチェスの駒。駒に自由意志はありません。駆り出されて戦って、あっさり死んでいく。ま、そういう趣旨というかテーマのお話なんでしょう、きっと。

本筋に関係ないですが、こうした神様たち、どれぐらいのサイズが本性だったんでしょう。もちん変幻自在でしょしが、だれかが倒れた箇所で「三町にわたって倒れ・・」とかいう表現もあった気がする。すると巨大ウルトラマン・サイズだったのかもしれません。ウルトラマン・サイズのアフロディテが色っぽいかどうかも問題ですが。


追記
再確認してないので自信ありませんが、呉茂一訳の「三町」は土井晩翆訳で「七ペレトラ」のようです。「ペレトラ」をネットで検索したけどヒットなし。古代ギリシャの面積の単位なんでしょうか。


★★ 出版芸術社
sfzenshu3.jpg
こんなSF全集が出てたんですね。出版芸術社という版元は知りませんでした。

中身は1980年前後のSF短編集で15~16本を集録。知っているのは新井素子、夢枕獏、高千穂遙、栗本薫、大原まり子などなどかな。田中芳樹、式貴士、岬兄悟、水見稜、火浦功、 野阿梓、菊地秀行などはまったく未読。若い頃からSFは大好きで東京創元社やハヤカワ、数百冊は読んでいたはずですが、この1980年付近からだんだん肌合いが合わなくなって遠ざかった。そうした個人的には「合わない」時代の作品集です。

この中で数冊以上読んだことのあるのは大原まり子くらいでしょうか。この人の雰囲気だけはけっこう気に入っていた記憶があります。なんかをタイトルにしたものとか、シノハラ・コンツェルンものとか。新井素子は吾妻ひでおとの合作ものだけ面白く読みました。愛の交換日記か。

それにしても、後書きにも書かれてますが、新井素子処女作(?)の「あたしの中の......」、よくまあこんな作品が賞をとった。星新一が強く押したということですが。時代なんだろうなあ。そうそう、未読だった大原まり子の「銀河ネットワークで歌を歌ったクジラ」も、あまり感動しませんでした。


★★ 筑摩書房
chikuma01.jpg
昔懐かしい筑摩の三段組全集です。けっこう読まれているらしくボロボロ。

うーん。それにしても三段組ってのは活字も小さいし非常に読みにくいです。こんなのを若いころは次から次へと必死に読んでたのか。目が悪くなるはずだ。

この巻はイーリアスオデュッセイアを集録。両方入ってしまうんだ。よく知りませんが訳者は呉茂一という人。もちろん韻文ではなく、散文の形をとっていますが、たぶん語順なんかはかなり元の調子を残しているんじゃないかな。したがって完全な散文のつもりで読むと、けっこう戸惑います。

また訳文がかなりくだけていて俗語感覚ですね。神々や武将の会話にしても、どっちかというと長屋の住人の会話みたいな感じ。重々しくて高尚というものではないです。かといって土井晩翆訳になると急に

 その進言に從ひてアガメムノーン統帥は、
 直ちに音吐朗々の令使に命じ、長髮の
 アカイア族を戰鬪に皆悉く招かしむ。
てな調子になる。これはこれで大変です。

ということで読み始めましたが、なかなか進みません。

で、途中ながらいろいろ感想です。

イーリアスの武将たちの戦いというのは、なんといいますか名誉をかけた部分もあるんでしょうが、どっちかというと財宝の奪い合いでもある。相手を殺したらすかさず鎧をはいで、それを部下にひかせた荷車にほうりこむ。そういう習慣文化だったんでしょう。鎧や金銀青銅の品々を奪う。女を奪う。羊や牛を奪う。そのために敵の男を殺す。集団強盗ですね。

ま、欲の皮のつっぱった王侯貴族がせっせと戦利品を奪うのはまだしも(そもそも戦争の目的の90%くらいは戦利品目当て)、戦いに参加した軍神アレースまでが倒した武将の鎧を必死ではごうとするのには驚きます。モノに不足してない神なのになんでじゃ。殺す=奪う。二つの行動が完全リンクなんでしょうか。高価そうな鎧を着た敵が目の前に倒れているのに、そのまま放置するなんてとんでもない。

まだよく理解できていませんが、当時の主要な武器は何だったのか。トネリコの槍がいちばん出てきますが、これは投げ槍なのか手槍なのか。印象としては両方に使い分けているような感じです。で、槍を投げて相手が倒れると倒れたのに足をかけて槍をグイッとひっこぬいて回収。そりゃ手持ちの槍の本数には限りがありまさな。

あと、剣も出てきますが、どうもこれは切るとか突くというよりぶっ叩くもののような気配がある。頭をゴーンと叩くわけです。青銅の剣だから、当たりどころが悪いと壊れたりもする。弓も使っていますが、これは鎧のすき間を上手に射ないと効果ないのかな。

そうそう。石も出てきますね。でっかい石を敵に投げつける。いったいどの程度の距離感で戦っていたんだろ。せいぜい数メートルという雰囲気です。よいしょ!と石を拾って、えいや!と投げる。のろ臭い戦闘です。

で、英雄たちの戦いだから、主要な武将以外の兵士たちがどんな戦をしたかはまったく不明。なーんもしていないような印象です。


★★ 新潮社
shugoro15.jpg
読んだ記憶がなかったので借り出し。

彦左衛門外記」はドタバタ喜劇です。主人公の若い旗本は、他の小説でもときどき出てくるキャラクターですね。若くてけっこう知恵がまわってよく動きまわる。相手役のお姫様もやはり常連のキャラ。無邪気で奔放で能天気で手ごわい。

後年になって肉付けされることが予想されます。たぶん早い時期に周五郎が書いた小説でしょうね。習作的な匂いがあります。

ただ肝心の大久保彦左衛門、これも馴染みのようなキャラですが、けっこう味がある。ま、ボケかかった彦左衛門が主人公に騙されて、虚構を本当と思い込む。思い込んで「天下のご意見番」になってしまう。そのへんが、ま、面白いといえば面白い。

花筵」は、ストーリーは消化不良の気味がありますが、そのまんま「日本婦道記」です。途中で重要人物になりそうで消えてしまう芸術家肌の男が出てきますが、大嵐の日には裸になって外に出て、そのへんの女をひっさらってどうのこうのしたい・・・というようなセリフがあります。原田甲斐もそんなことを述懐していたような。という意味で、このキャラも将来の重要キャラの原型。

ということで、ま、そこそこ面白いですが決して傑作ではない。周五郎ファンなら読むべき本と思います。


★★★ 早川書房
achilles.jpg
特に期待もせず借り出し。思ったよりよかったです。

視点となるのは平凡な男であるパトロクロス。アキレウスの竹馬の友です。パトロクロスは少年時代、アキレウスの父の城で暮らすことになり、そこで王子のアキレウスに出会う。で、仲良くなってしまう。

このへんの「仲良く」について、女性作家らしく深く想像推察。二人ともなぜか女に興味がなかったんじゃないか・・という設定です。二人の少年が出会うとビビッと電流が走る。当時のギリシャ、男性同士の愛はけっこう盛んだったのかもしれない。

で、アキレウスはもちろん半神半人の英雄です。ギリシャ最高の戦士であり神性をもっている。でも不死ではない。母親である海の女神テティスがアキレウスに伝えたのは「平凡人として長生きするか、英雄として短命に終わるか」の選択肢しかないこと。だからテティスはアキレウスが戦争に参加しないようにいろいろ策略をめぐらす。また「ヘクトルが死なない限りアキレウスが死ぬことはない」という神託もある。

トロイの勇将ヘクトルを殺しちゃいけないわけです。ヘクトルが生きている限り、アキレウスも無事。でも結果的に怒り狂ったアキレウスはヘクトルを殺してしまう。

どうしてヘクトルを殺したのか。それは親友パトロクロスがヘクトルに殺されたからです。ではどうして平凡人パトロクロスは豪勇のヘクトルに立ち向かったりしたのか。それは読んでのお楽しみ。

あんまりベタベタしていなくて、なかなか良かったです。期待にたがわずオディッセウスはなんとも狡智。アガメムノンは強欲で短慮。アキレウスは高慢で純粋培養で人情とか常識には縁がない。もちろん神々は無責任で身勝手に振る舞う。

ホメーロスのイーリアスを読み直してみたくなりました。たぶん学生時代あたりに一回通して読んだことがあったような気もしますが、なにしろ大昔、ほとんど覚えていないし。


★★★ 柏書房
odorokinoedo.jpg
江戸時代のウンチク本かと思って借りましたが、ちょっと内容が異なります。江戸末期から明治、ようするに現代の我々が忘れてしまったことどもを、福翁自伝とか徳川慶喜家の子ども部屋とか、よく目にするような有名著書から引用して解説している本でした。したがってへぇーという新発見もそこそこはありますが、知ってることも多々あります。

いちばん面白かったのは、たとえば江戸時代、将軍が老中首座の阿部正弘を「阿部」とか「正弘」と呼ぶことはなかった。こうした場合、必ず「伊勢」と呼び捨てにした。「伊勢守」じゃなくて「伊勢」です。また諸藩でも殿の御用で小姓が家老屋敷へ行ったときは同じように「安房」とか「備前」など呼び捨て。偉そうに立ち居振る舞いした。

理由は殿の御用だから、です。殿に成り代わっているわけですね。だから自分より目上の老臣に対しても敬意を払わない。こうしたときは小姓も内心気分がよかったらしい。江戸時代は敬意と差別の時代。この両者は同じものの両面です。これをキチンとしないと身分制度の根幹を崩すことになる。

このへんの事情を、権威者からの距離、権威者と自分の位置的な高さの関係、時間の関係で著者は説明しています。高さを例にとると、目下のものはどんな場合でも目上より高い位置にいてはいけない。だから謁見なら上段・下段で差をつけたし、同じ座敷内なら上座からの距離で差をつけた。どうしても同じ高さに位置しなければならないような場合は、目下が平伏し、権威者だけが立った。ハリスが江戸城にきたときは、畳を積み上げて高くしたところに椅子をおいて将軍がすわった。

なるほど。だから最近の大河での会話シーンがなんか違和感あるんですね。酷い場合は武士と武士が家の中で立ち話している。下手すると座っている目上に対して、立ったまましゃべる侍もいたりする。(えーと、天地明察でしたっけ、興奮した岡田准一が椅子にすわった水戸光圀の周囲をうろう歩きながら大声で騒いでいました。あまつさえ後ろにまわって肩ごしにわめいたり。よく手打ちにならなかった)

あともうひとつ。殿様という稼業が大変だったという話はよく聞きますが、想像以上だったらしい。風呂に入って湯が熱すぎても、傍にいる坊主に直接指示してはいけない。坊主は人間じゃないので、直接話すことは不可。そんな場合は「うーん、暑い、暑い・・」と独り言を言う。独り言を聞いた坊主が外に控えている小姓に伝えると、小姓があわてて入ってきて、水をうめる。

座敷に座っていて、気分がわるくてちょっと横になりたくても勝手にやっちゃだめ。やはり独り言を言うしかないです。食事の際、ご飯にネズミの糞が混入していても、それを黙って避けてはいけない。後で担当者が腹を切る騒ぎになります。そんなときは知恵を絞って、うまくフォローしてやらないといけない。大変です。面倒ならこっそり食べてしまうことですね。

たしか昭和天皇だったか、初めて柏餅をだした女官が「この葉は剥いて食べて」と言い忘れた。出されたものは好き嫌いなくすべて食べるのが帝王学。だまって葉っぱごと食べたと何かで読みました。後になって「あれは食べにくかった」と漏らしたとも書いてあったような。何の本だったか。

殿様関係の私生活は、実は明治期においてもあまり知ってるひとが少なかった。「表」の生活はけっこう知られていましたが、私生活である「奥」のことは窺い知れない。引退した奥女中なんかもよく秘密を守った。

たとえば徳川慶喜が謹慎をくらったとき、どこの部屋で謹慎していたのか。御座の間とか休息の間とか、いろいろ部屋があるらしいです。後年の座談会でインタビュアーの質問に慶喜がイライラするシーンがある。慶喜にすると公式の用に使う座敷で謹慎したなどど誤解されると困る。不遜ということになる。あれはあくまでプライベート空間である「休息の間」だ。インタビュアーにとっては些細なことなんでしょうが、慶喜にはこだわりがあったらしい。

慶喜といえば、後年の小石川の屋敷かな、ペットの餌にする蠅を探すため台所に出入りすることがあったそうです。孫(かな)の榊原ナントカ子がびっくりしたと書いている。自分たちだって台所なんてめったに出入りするもんじゃなかった。それなのに偉いお祖父様が・・・という話。

思い出したのが黒田官兵衛。大分前の回で確か侍女の部屋に入りこんでマッサージかなんかしてましたね。あれは酷すぎた。最近の大河は奇天烈なエピソードを勝手に作るから困る。考証は誰だったけ・・と調べたら小和田哲男でした。まともな学者なんでしょうけど、ちょっとNHKに対して妥協しすぎ。「江」も「天地人」もこの人の考証だった。押しが弱いのを便利に使われているみたいな印象です。



kankokunokyokasho.jpg★★ 明石書店

2010年検定ということなので、かなり新しい教科書の翻訳です。

前にロシア版の歴史教科書も読んだことがあります。ただし通読はさすがに無理で、前半だけだったかな。で、今回は韓国の高校生向け教科書。

中身の3分の2くらいは近現代史。日清戦争あたり以降ですね。それ以前の歴史に関してはあまり力が入っていない印象です。ま、半島にはなかなか統一国家が生まれないし、しょっちゅう満州あたりの新興国家が攻め込んでくるし、ゴチャゴチャしています。というより、半島を含めた広い東アジア北部で国が興ったり沈んだり侵攻したり、結果的に半島部分に統一国家が誕生し、それが続いたということでしょうか。その地域に住んでいた人々を称して朝鮮民族(あるいは韓民族)という名でくくった。

ごくあっさり簡略化するとゴチャゴチャ→新羅→高麗→(元)→高麗→李氏朝鮮→大韓帝国→日本統治→連合軍統治→(韓国・北朝鮮) かな。

ちなみにこの教科書では「朝鮮半島」ではなく「韓半島」です。ま、お好きにどうぞ。

ただ正直いうと、思ったよりは偏向していない感じです。もちろん日本は「奸倭」だったり「日帝」だったりしますが、そのくらいは想定内。ロシアに対しても中国に対してもそれなりに非難のトーンで描かれています。ただ「日帝」はちょっと別格の悪役という扱いでしょうか。抑えきれない感情が加わる。そうそう、米国もかなり悪者です。

通して読むと、半島国家ってのは大変なんだなあとわかります。というより島国である日本の方が例外なのかもしれない。

すぐ隣に中国がいる。馬鹿にしていた日本にも悪さをしかけられる。そのうちロシアも南下してくる。千載一遇の機会だった1945年にも日帝打破の実績をつくることができず、米国の管理下になる。おまけに朝鮮戦争で荒廃し、大統領は独裁だしクーデタは頻発するし、北には困った首領がいるし、豊かになったのはほんの数十年前。政治は混乱しているし国民は団結しない。

なるべく冷静かつ客観的に記述しようとはするものの、あんまり惨めな事実は強調したくないし、多少の成果は少し誇張もしたい。当然の気分です。

ほんと、大変です。それが実感できただけでもよかった。

tokyohatobanai.jpg ★ 武田ランダムハウスジャパン

東京という地名は特に関係なし。強いていえばオリエンタルでエキゾチック・・ということでしょうか。

で、ヘンテコリンな都市東京へ飛ぶ飛行便がトラブルになり、乗客はとある空港で夜を明かす。暇なんで、順番にお話をする。現代版アラビアンナイト、あるいはデカメロンですね。

語られるお話は、ま、現代感覚の童話です。ちょっとシュールなところもあるけど、さして感動的な内容でもありません。ま、それだけ。読んで損もしないけど、とくに得もしない。
shuugoroden.jpg★★ 白水社

山本周五郎といえば木村久邇典と思っていましたが、こんな人も書いている。ずいぶん分厚いし新しいし版元も白水社なんで、借りだし。

一読。けっこう飛ばし読みしました。この本、「周五郎の作品解説」ではなく、あくまで「周五郎という人間\論」なんですね。幼少期がどうだったとか、恩人に対する態度がどうだったとか、女がどうだったとか、勘違い男だったとか、かなり嘘つきだったとか、ストリンドベリがどうだとか。

あまり楽しい本ではなかったです。ほぉーという新事実もたくさんありましたが、なんか鬼の首をとったような自慢たらしい(そう感じる)著者の書きっぷりがイラついてきます。

なんやかんやの評論家や作家の文章をあちこちから引用しながら、なんとか自分の論拠を正当化してばっかり。(そういう印象が強く残る)

なんですかね、随所で弁解はしていますが、要するにこの人は周五郎が好きではない。対象を好きではない好例としては、たとえば猪瀬直樹の「ピカレスク 太宰治伝」なんかがあります。猪瀬はグチャグチャ悪口書いてますが「そりゃ性格合わないし、嫌いなんだろうなあ・・」と読者が納得できる。けっこ理詰めで楽しくスッキリ読める。本当は「愛憎」というべきなのかな。

どこが違うんでしょうかねぇ。「周五郎伝」は、なんか後味が良くないです。書かれていることは事実としても、気分の悪い本。周五郎伝ファンにはお勧めしません


★★★ 文春文庫
chosensenso.jpg
文庫で全3巻。読みごたえがあります。

子供のころは「朝鮮動乱」という名称で記憶していましたが、正直、細かいことは知りませんでした。せいぜいシーソーゲームのように戦線が上下し、最後は板門店で休戦。途中でマッカーサーが解任されて日本を去った。日本経済の復興にとっては強い追い風だったし、日本の再軍備も促進された。ま、その程度です。


なるほど。当時の韓国、北朝鮮に比べると経済的にも軍事的にも超弱体だったんですね。米ソによって暫定分割支配された時点で、北側のインフラがはるかに勝っていた。軍事力もケタ違い。

で、朝鮮軍の全面侵攻にあっというまにガタガタになってしまって、一気呵成に釜山まで追い詰められた。ただしこの朝鮮軍、朝鮮語を話せない兵士が多かったと書かれています。要するに中国で編成された朝鮮族系が主力の軍だったらしい。

こうした国外編成の軍隊は、たぶん実戦経験もあり、装備も(韓国軍にくらべれば)良好。おまけに韓国内には金日成を支持するゲリラもたくさんいた。当時の李承晩政権、はっきりいってかなり酷かったようです。韓国がいいか朝鮮がいいか、民衆にとっては判断の分かれるところだったでしょう。金日成英雄神話もまだ健在だったでしょうし。

とういうことで国連軍は半島から駆逐されそうになったけど、マッカーサーの大博打である仁川上陸が成功して一気に挽回。そのまま中朝国境近くまで追い詰めたことろで待機していた中国(義勇)軍がウンカのように参入。共産中国もまだ建国して日が浅い頃です。装備はべらぼうに貧弱。雪の中、綿入れ服にトウロモコシ粉と食料油の瓶を持参して、ドラやチャルメラを鳴らしながら人海戦術で押し寄せる。武器は手榴弾や迫撃砲が主役。

アメリカは大統領トルーマンと東京のマッカーサーが犬猿の仲です。で、国連軍(実質米軍)は韓国軍を完全に馬鹿にしている。韓国軍もそれなりに頑張ったんでしょうが、実戦慣れしていないし、なんか「中国恐怖症」「戦車恐怖症」の傾向があったらしく、すぐ逃走する。バカにしてる米軍もやはり練度不足だったり考えなしの能天気だったりで、勝つこともあるけどあっさり敗走もする。

完全に制空権をもっていた近代装備の米軍(白人)vs人海戦術・劣悪装備の中朝軍(黄色人種)。なんか読み進んでいるとだんだん気分が悪くなります。休戦会談の頃、「北朝鮮の連中も韓国と同じ言葉をしゃべるのか」と聞いた将軍がいたらしい。今でもそうですが、唯我独尊のヤンキー、現地の事情にまったく無知な連中が多い。ベトナムでもイラクでもアフガニスタンでも、ずーっと同じパターンが続いている。善意でお節介をして、ちっとも感謝されない。むしろ嫌われる。

休戦会談の取材も、最初のうちは韓国メディアは許可されなかった。中国、北朝鮮、米国のメディアはOK。韓国は不可。必死に交渉してなんとか代表取材を許されたらしいですが、要するに韓国はそういう扱いだった。当事者として認知されていなかった。

ま、ドサクサ紛れにいろいろ発生した韓国政府や軍上層部の汚職腐敗、民衆虐殺の事例も多々あったようです。哀しいですね。こっちは正義、こっちは悪逆。そうキッパリ言い切れればいいんですが、現実は往々にしてゴタ混ぜになっている。そうそう。米軍の要請(実質は強制)で日本の海上保安庁から半島に派遣の掃海艇がやられたりして、日本人も死んだそうです。知りませんでした。

こうして戦争の流れをみると、いまの韓国はよくまあ復興したと思います。狭い国土、乏しい資源とインフラ。あいつぐクーデタ。ベトナム特需とか日本からの援助なども大きかったんでしょうが、とにもかくにも漢江の奇跡をへて先進国の仲間入りをした。

まったく同意はしませんが、韓国が何かというと日本批判をしたがる気持ちもわかる。韓国関係の記事なんか見るとやたら「恨」という言葉が出てきますね。長い間、ずーっと酷い目にあってきたし、国内も混乱続き。アメリカに対しても、世話になったけど恨みも残る。この恨みをどうしてくれようか・・・てんで、そもそもは李承晩でしょうが、わかりやすい反日恨日を標語にして国家をまとめようとしてきた。ほんの少し前まで軍政同様の統治だった国です。日本にとって非常に迷惑な話ではあるものの、人間、なにかプライドや支えを持たないとやっていられないのも事実でしょう。

それにしても戦後、分割統治されたのが日本でなくてよかった。北海道東部を占領とか、あるいは下手すると東北以北をソ連という可能性もあったようです。ソ連の千島侵攻がもう少し早かったら・・・米国の政策がちょっと違っていたら・・・などなど、いろいろなタイミングと偶然の積み重なりで現在の日本がある。ひょっとしたら「朝鮮戦争」の代わりに「日本戦争」だった可能性だって、ほんの少しはあったかもしれません。


★★★ 角川文庫

chiwohauuo.jpg本棚からなんとなく抜き出して再読・・・再々読くらいでしょうか。

吾妻ひでおが迷いながらアシスタント修行、少しずつ商業誌にものせてもらえるようになりかけたころの自伝というか、風景というか。吾妻ひでお流のマンガ道。きっちり描かれた絵です。

最初にアルバイトしていたのは大きな印刷工場(たぶん大日本か凸版)。班長に尻を叩かれながら「奴々の型抜き」とか「ぐずり梱包」の作業をする。奴々は噛みつくし、ぐずりはぐずる。吾妻クンは仕事の要領が悪くて、ま、逃げ出します。そしてマンガ立志の連中と共同生活しながら、馬のいててどう太郎(板井れんたろう)のアシスタントに採用してもらう。採用されたけど給与が安すぎて喰えない。

いてて先生、とくにケチというわけじゃないんです。でも仲間に聞いたら「相場は3万円」と言われたんで、オレ、払いすぎてたんだとさっそく採用。ただしこれは泊まり込み飯付きの給与相場です。そのへんをいてて先生もよく知らない。吾妻くんも若いんで「安すぎます」という勇気はない。

途中でアポロ11号の月面着陸の話が出てきます。とすると昭和44年ですか。だいだい同じ時代、こっちも留年したりバイトしたりでゴロゴロしていました。だから描かれている貧しさとか汚さとか空腹とかは共有している。青春は腹が減って貧しくて汚くて、でも希望があった・・・とかあちこちで定番セリフになっていますが、あのころの青年たちに希望なんてあったのかなあ。そんなもの、なかったような気がします。

ま、吾妻ひでおのマンガが好きな人ならお勧めです。最初から最後まで擬動物化というか、自分と女の子以外のキャラはみーんな動物、あるいはロボット。常に空には巨大なサカナが泳ぎまわり、電柱には爬虫類がしがみついています。妖怪変化の心象世界。

★★ 新潮文庫

kochonoyume.jpg司馬遼太郎作作品、たいていは読んでいると思うんですが。これだけはなぜか読む機会がなかった。図書館に文庫4冊揃っていたので借り出し。

松本良順が一応は主役です。そのほかに関寛斎とか島倉伊之助(司馬凌海)が準主役でしょうか。本当のテーマは幕末の日本の医療というこになるんでしょうか。

松本良順という人、いろんな本にいろいろ出てきますが正直、あまり知識がなかった。なんとなく細身の闘士タイプのインテリかと想像していました。実際には「海坊主」とか「海賊の親分」みたいなタイプだったみたいですね。意外。

幕末の漢方医や蘭医の関係がよくわかります。ただしその蘭医も初期のシーボルト派、そのあとのポンペ派、さらにそのあとのウィリス(英国人)。それぞれ知識には年代による格差がある。まだコッホが細菌を発見する前の段階です。で、明治に入ってから英国派もドイツ派にひっくりかえされてしまう。なんせ科学の世界なんで、そこに政治的要素も加わってゴロゴロ急激に変化するわけです。

サブ主役の島倉伊之助という人、けっこう面白いですね。驚異の暗記力、語学力があったけれども人間関係を構築できない。人情の機微がわからない。会う人すべてに嫌われる。そのせいかどうか知りませんが、稼いだ金はすべて酒と女に使い果たす。最後はアホみたいな行動をとってあっけなく死ぬ。困った天才。

関寛斎という人の人生も興味深いです。とにかく名誉とか金になりそうな方向から必ず身を遠ざける。単に潔癖純粋というわけでもなく、財政関係の才能もあったらしい。けっこう人間臭さもあったはずなのに、順天堂から徳島へ行って藩医。戊辰戦役でも官軍サイドで活躍して、それからまた徳島に引っ込んで町医者。最後は北海道へ行って開墾する。そして最後はなぜか自死。悠々と死んだんじゃなく、なんか身内の金銭トラブルが原因だったらしい。かなりの高齢になってから死を選んだ。

人間の一生って、こうして上から眺めると不思議というか感慨のあるものです。上空から俯瞰できるのが時代小説の面白いところだと、たしか司馬遼太郎も言っていました。その時々、その人物が本当は何を思っていたのかは誰にもわからない。ただ文書に残った行動記録があり、あまり信憑性はないですが本人の書き記した意見とか他人が評したメモによって判断するしかない。

誰が幸せだったか不幸だったか、それも曖昧模糊。後世の人間が勝手に判断しているだけです。

★★★ 講談社文庫
hangyaku2014.jpg
上下2冊。下巻の途中までは荒木村重のお話。後半は明智光秀。どちらも織田信長に仕え、我慢しきれず、たまらず反逆。失敗。そうした武将の心の葛藤や推移なんぞを描いたものです。

史実うんぬんは知りませんが、さすがに遠藤周作の筆にかかると、二人の反逆までの心の動きが納得できます。というより、秀吉だって家康だって、機会があったら謀叛をおこした可能性が高い。ただ「まだ機は熟さず」と我慢しながら機会をうかがっていたにすぎない。

たしかに信長という難しい主君に奉公し続けるのは大変だったでしょうね。利用できる間は利用して、力を付けすぎたり増長の気配が見えたら潰す。佐久間信盛の追放なんかがいい例ですが、信頼されていたように見える柴田勝家だってそのうち「昔、弟に味方してオレに逆らったな」とか始末されていた可能性もある。

つまり、ちょっと先の見える武将ならみんなちょっぴりは謀叛の心を抱いていたはず。

いかにも面白そうな通俗エピソードはとりません。たとえば家康歓迎会で光秀用意のサカナが生臭くて蹴飛ばされた・・・なんて話はなし。光秀ほどの人がそんな不用意な料理を準備するわけがない。

また村重が大刀串刺しの饅頭をパクリと食べた・・もなし。覚悟して大口あけたところで刀をひっこめたということになっています。ま、そのほうが自然ですわな。食べたら口を切ってしまう。ただ、刀を突きつけられた村重は非常に屈辱感を味わった。

信長が主役ではないようですが、ここで描かれた信長の性格や行動はスッキリわかりやすいです。自分は神。他の連中はすべてゴミアクタ。けっして短慮ではないので、必要があれば、ご機嫌もとる。本人なりには気遣いしているわけです。すべて計算のうえで部下をこき使っているつもり。そして自分の「計算」が絶対に正しいと信じきっている。

その計算が、最後でちょっと狂ってしまった。それほど自分を恨んでいるとは思わなかった。あるいは、謀叛するほどの勇気があるとは思わなかった。是非に及ばず。

野球部の暴力監督が「あついは見どころがある。鍛えてやる」とか勝手に思って部員をしごく。しごき続けていたら、予想外、いきなり血相変えたその部員にバットでぶん殴られた。オレの心がわからないのか! わからないですわな。

そうそう。村重籠城の途中で、ちょっと小寺官兵衛が登場します。ほんのちょっとです。たいして親しくもない男(策士という評判)が、何をとち狂ったか城に乗り込んできたので、村重は会いもしないで土牢にぶちこむ。

牢の後ろはため池で、善助という部下が池をわたってきたとか、牢番かなんかの女房が洗い物とか官兵衛の世話をやいてくれたと遠藤さんは書いています。なるほど。こっらのほうが、なんとなく納得できます。

※ 牢番の女房ではなかったみたいです。ただ牢番にはいろいろ便宜をはかってもらった。

★★★ 文藝春秋
mosquitoc.jpg
父親と少年。いわゆる成長物語のジャンルでしょう。

父親は資本主義的な商業経済の風潮に強い反感をもっている。なんでも自分の手で作り上げたい。実際、なんでもやれる万能大工、発明家、技術者。現代版のロビンソー・クルーソー。強い意志をち、奥さんと子供4人を引き連れてホンジュラスの奥地へ移住を決意します。

ホンジュラスとかコスタリカとかって、メキシコの南の方の小国です。湿気があって貧しくて、ものすごい熱帯ジャングルのイメージがありますね。逆にいうと、文明に汚染されていない。考えようによっては天国。

ただし、その父親は間に合わせの粗末な小屋で、地面に寝っころがる原住民のような生活はしたくない。現地人みたいに木の実を採取したり、栄養価の偏ったキャッサバを食べたりすることは拒否する。そんなものを食べるくらいなら飢えたほうがいい。で、手際よく住居をつくり、水洗式トイレのシステムを構築し、畑をつくって用意した新品種の野菜や穀物を植える。大規模な製氷機もつくって熱帯の商品流通を改善しようと試みる。

要するに、自分の理想にかなった文明的な生活を志しているわけです。

非常に強い意志とリーダーシップの持ち主です。他の人間がすべてアホに見える。アメリカは破綻して滅びる(いや、すでに滅びた)と信じ込んでいる。ついでですが、のべつまくなしに大声で自分の見解をしゃべりまくる。けっして他人の意見を聞かない。そうした強権的な父親にずーっと盲従してきた少年は何を考えるか。どうやって自分自身を取り戻そうとするか。

題名のように、ひたすら蚊と泥濘とジャングルのお話。この小説の映画化はあまり成功しなかったそうですが、ま、当然でしょうね。暑苦しい。汚い。父親の饒舌がうるさい。

ま、そういう小説でした。ポール・セローの小説はだいたいそうですがが、あまり爽快感のない展開と結末です(旅行ものはまた別)。強いていえば子供たちの会話や、やりとりに味がある。このへんはいかにもセロー。


ホンジュラスからニカラグアのカリブ海側を「モスキート海岸」というんですね。知らなかった。湿気の多い沼地の連続、いわゆる熱帯雨林みたいです。



★★★ 新潮文庫
nagaisaka2014.jpg
もう何回目の再読になるのか。山本周五郎は読み込んでいると人生訓と人情話が鼻について飽き、しばらく離れているとまたふと手にとりたくなる作家です。

この「ながい坂」、おそらく周五郎の代表作の一つなんでしょうが、主人公の阿部小三郎(三浦主水正)に感情移入できるかどうかで評価がたぶん分かれる。

主人公は小禄の徒士組の子供として育ち、ある屈辱をキッカケにして子供ではなくなる。猛烈な向上意欲を持って必死に学問に励み、剣道にも入れ込む。要するに階級脱出、子供ながらもステップアップをはかるんですね。

非常に冷静かつ我慢強い性格です。自分を律する。若い主君に引き上げられて小姓組に入れられ、さまざまな部署で研鑽する。頭角をあらわし、荒蕪地の開拓を計画し、やがては藩政改革をめざす若い勢力の中心人物となる。最終的には城代家老。

だらしない肉親に対しては冷たい。子供の頃から「あれは自分の両親ではない」という思いを抱き続けてきた。けっして情が冷えているわけではないのですが、理で動こうとする。冷徹。切り捨てが容赦ない。

今回の再読では「老い」に興味が移りました。子供時代の小三郎は学問所の師である小出方正という人に親切にしてもらっています。更には江戸から下ってきた高名な谷宗岳先生の薫陶も受けます。豪農の隠居である米村青淵老にもいろいろ教えを乞うています。

こうした人生の師、みんな素晴らしい人なのですが、しかし小三郎が三浦主水正になり、壮年にさしかかる頃にはみんな老人になっている。

たとえば小出方正。いかにも田舎の町にいそうな温和で謙虚な学究肌。人の噂話など決してしないはずのその人が、だんだん抑制のきかない饒舌になる。死に際には「言い残したいことがある。来てほしい」と言伝てをよこす。未練。見苦しい。主水正はあえて臨終の言葉を聞きに行こうとはしません。

谷宗岳という学者も傲岸不遜、江戸では林家をのっとるくらいの大志を抱いていたはずの俊才なのに、老いてはひたすら酒に溺れ、だらしなくなる。弱さを抑制できない。見るにたえない。老残。

米村青淵という豪農の隠居も魅力的なキャラクターですが、やはり歳をとるにつれて欠点が見えてくる。三百年の歴史を持つはずの自家を「米村家の延々七百年」などと言い出す。豪気な人柄だったのに保身が見え隠れするようになる。

そういうものだ。ということなんでしょうね。ずっーと一つの像を期待し続けてはいけない。若いころと年取ってからと、同じ人間と思う必要もない。違う人間になる。それが当たり前。

城下町を経済的に支配する悪徳商人、五人衆。なかなかこれも悪辣で魅力的な連中なんですが、彼らとて歳には勝てない。オヤジは考えが古いなあと後を継いだ子供に馬鹿にされるようになる。時代が変わったんだよ。

いろんな読み方ができるんですね。また何年かたって再読の機会があったら、きっとまた違う視点から読むことができると思います。そういう意味でも素晴らしい一冊です。


★★ 新潮社
furutaiheiki.jpg
新潮から山本周五郎の長編小説全集なんてのが刊行になっているんですね。びっくりしました。借り出したのは第10巻、2014年とできたてホヤホヤです。

山本周五郎のものはたいてい読んでると思ってましたが、たまたま目についたこの「風流太平記」というのは知らない。借り出してみました。

「風流太平記」はいわゆる痛快大衆小説のジャンルでしょう。大藩の陰謀に立ち向かう青年武士たち。そこに絡む女。手助けする子供たち。べらぼうに甘いストーリー仕立てです。

登場人物たちは、いろんな小説に出てくるキャラクターがそのまま類似で出没します。というか、こっちのほうが原型なのかな。

確か「末っ子」というう短編に出てくる兄弟関係そのまま、ちょっと抜けた末っ子とそれを厳しく見る兄。あるいは凜とした武士の娘と、その正反対に色っぽい女。気の強い孤児の少女と男の子。武士もの、忠義もの、下町もの、岡場所もの、山本周五郎のテクニックが総登場。

これをすべて入念に書き描いたら、代表作になるのかもしれません。ただしボリュームが5倍から10倍は必要。

それなりに楽しめる一冊でした。

若い読者を意識しているのか、すべてのページに脚注がついています。こんな言葉にも注が必要なのか?と思えるものが大部分ですが、ま、親切であるに越したことはない。ただこうした場合の注記ってのは、けっこうな作業ですよね。どうしても辞書引きまくりみたいな役に立たない変な注もありました。

実は最初のほうの脚注。
三尺 = 三尺帯。長さが鯨尺で三尺の木綿の帯。・・一尺は約38センチ。

これにひっかかりました。現代では「三尺帯」というと、柔らかな生地の、いわゆる兵児帯のことですよね。そもそも長さ三尺で腰に巻けるのか。

調べてみたら本当に三尺だったらしい。当然のことながら二重は無理で一重だけです。職人さんなんかが簡易に三尺手拭いを帯に使ったという説もあるらしい。それが後年、たぶん明治になってから長いものも三尺と称するようになった。

へぇーと驚き。てっきり「バイトの注釈係を使ったのか」と疑ってしまった。


★★ 六興出版
sanada_kaionji.jpg
この本は未読だったことに気がついて借り出し。閉架から出してもらった本なので、けっこう汚れていました。古くて、ページを繰った後は手を洗いたくなる。

サッと一読。海音寺さんのものとしては、あまり出来が良くないです。武田勝頼が重臣の離反でどんどんボロボロになっていく頃からストーリーが始まり、当時の幸村は17歳程度。お決まりパターンですが、通りすがりの武田の姫君に心ときめかせます。

で、シラミたかりの汚い異能の少年と邂逅。猿飛佐助を連想させる男の子です。三好清海入道、伊佐入道、穴山小助らしい連中も登場します。

才能はあるけど若くてまだ理想主義的な幸村、リアリストの兄信之、出来すぎの感もある重厚な策士昌幸。武田滅亡、信長支配下での生き残り、本能寺の変の後の対処、徳川・北条・上杉という三大勢力の狭間での身の処し方などなどがメインです。

で、徳川と北条が手打ちとなり、上杉が越後に引き上げていくあたりで上下巻はオシマイ。期間も短いし、佐助は活躍しすぎだし、昌幸は凄すぎるし。貧しい時代らしく、でかいオニギリを貪り食べるシーンはたくさん描かれます。美味そう。

海音寺さん、この続きを書く気はあったんだろうか。仮に書いても、たぶんあまり面白い小説にはならなかったと思います。

ついでですが、真田昌幸はやはり岳宏一郎「群雲、関ヶ原へ」での描き方が好きです。愛嬌もある喰えない田舎オヤジ。理性ではわかっちゃいるのに、この昌幸に馬鹿にされると若い秀忠なんかはカーッと頭に血がのぼる。おまけに、昌幸は天下制覇とか関東一円の盟主なんていう大それたことはまったく考えていない。せいぜいで信濃一国の領主程度。その程度が田舎領主の夢想の限界。

上田の饅頭店のオヤジが「オレの夢は長野県一の饅頭屋になることなんだ」と言うようなものですか。東京進出とか総合菓子製造なんて想像だにできない。

そうそう。海音寺もので食べ物がなんとも美味しそうだったのは、「天と地と」の冒頭あたり、謙信のオヤジの為景が縁側でイワシの糠干しをオカズに何杯も飯をワシワシと食うシーン。イワシも数本だけ食べて残りをネコに投げ与える。あのイワシはいかにも塩がきつそうで、美味そうでした。ん? イワシだっただろうな。まさかメザシではないような。

tamagoomeguru.jpg★★★star.jpg ハヤカワ文庫

なんかにこの本のことが書かれていて、その感想が面白そうだったため借り出し。

レニングラード包囲戦の頃のお話です。屋根に上がった防空団の(といってもたいした仕事じゃない)少年たちが、夜空を落ちてくる落下傘を発見。落下傘のドイツ兵はもう死んでいます。

少年が死体から戦利品を獲得して大騒ぎしているところで、駆けつけた秘密警察にとっつかまってしまいます。ま、このままだと銃殺の可能性が大。戦時下略奪の罪かな。

で、この少年と、脱走容疑で放り込まれた若い兵士の2人がこわもての大佐から特別指令を受ける。木曜までにタマゴを1ダース確保してこい。タマゴは大佐の娘のウェディングケーキ用です。タマゴを探して戻ってこないと、取り上げられた食料切符を返してもらえない。包囲されたレニングラードで食料切符を持っていないということは、そのまま飢え死にを意味します。

どこといって取り柄のない少年(実はひとつだけあった)と、イケメンでモテて口もよく回る若い兵士。へんてこりんな漫才コンビがタマゴ1ダースを求めて戦時下の冬のレニングラードを歩き回る。ドイツ軍の包囲網を突破して雪の荒野と森を歩く。パルチザンと同行し、ナチス特別部隊の指揮官とチェスを戦わせる。悲惨な物語でもあり、漫画的な道中でもあり。

一種の成長物語でもあります。えーと、ビルドゥングスロマーンというのかな。楽しい本でした。

oshuusoma.jpg★★★毎日新聞社

相馬といえば若いころから伊達政宗にとっては宿敵、目の上のタンコブ。独眼竜ドラマではしょっちゅう相馬と戦っている印象があります。

しかし政宗が当主となった時点でも、すでに両者の身上は比較にならなかったようです。伊達は五十万石、相馬は五万石。伊達が本気になれば相馬くらい簡単に踏みつぶせるはずですが、なかなか全力をあげての侵攻はできない。

伊達政宗は周囲に敵を作りすぎた。南を攻めれば北がちょっかいかける。西に進めば東が騒ぎ立てる。したがって相馬が伊達を侵攻するのは無理でも、少なくとも専守防衛は可能。小領主といえどもハリネズミのように国境を守っていればなんとか過ぎる。

なんだかんだと局地戦で頑張っていると、そのうち農繁期になります。農繁期に戦争はできない。無理したら兵士がいなくなってしまう。あるいは親類連中(どこの大名もみーんな親戚)が仲裁に入る。そこで一旦和睦。そういうのが陸奥の戦争でした。

なあなあで戦ったり和平を結んだりしてきた陸奥の領主たちの感覚としては、伊達政宗だけが異質です。暗黙のルールが通じない新感覚大名。したがってこの本はいわば「独眼竜政宗」の別ストーリーとしても読めます。

伊達の伸張が周辺にとってはどんな恐怖だったか。政宗はリトル信長、プチ秀吉みたいな感じで嫌われもしたし、恐れられもした。結果的に相馬を残して周辺はみーんな伊達にひれ伏してしまった。で、相馬だけが頑張り通した。

主人公は相馬義胤です。そこそこ有能であり武威もあるんですが、とくに英雄豪傑ではない。状況が読めずタカをくくって小田原への参陣が遅れ、あやうく改易の危機にひんする。でも伊達への抑えという役割を認められてなぜか生き延びる。三成が助けてくれたようです。

ということで三成に恩義があるし、そもそも佐竹の子分(寄騎)みたいな立場だったんで、関ケ原でも家康の味方をするわけにはいかない。結果的に専守防衛をきめこんで何もしなかった。許してもらえると思うのが甘いわけで、これでまた改易。

しかし今回もまたいろいろあって、なんとか改易撤回、所領安堵。相馬は常に「伊達への楯」という役割を期待されて生き延びることができたようです。憎い伊達でもあり、伊達のおかげでもある。そして平将門の子孫という血筋を誇りに最後まで国替えさせられず、ずーっと頑張り続けることができた。そういう頑固で融通のきかない小領主のストーリーでした。

shimazukussezu.jpg★★ 毎日新聞社

近衛龍春ってのは確か最初に「上杉三郎景虎」を読んでけっこういいなと思い、次が「毛利は残った」、そして「南部は沈まず」かな。すごい作家ではないですが、地味な題材を掘り起こしてよく調べて書いてる印象。

ということで少し期待して借りたこの島津本でしたが、うーん、なんといいますか。

主人公、語りの視点は島津兄弟の義弘。希代の戦上手といわれる惟新入道です。朝鮮で武名を轟かせたり、関ケ原では有名な積極的撤退戦を演じたり。この惟新の子供(忠恒)が兄・義久(龍伯)の娘を娶って跡継ぎになったんですね。

けっこうややこしい関係です。龍伯と惟新は兄弟。惟新の子供が忠恒。龍伯の娘が忠恒の正室。その3人がそれぞれ違う領地にいて、仲違いしているわけでもないが、仲がいいわけでもない。忠恒と正室の間も冷えている。島津の跡継ぎは忠恒で決定・・・ともまだ言い切れない。3人の殿様が共同で薩摩を治めているような形です。

関ケ原では惟新率いる島津の軍勢は可哀相なほど少なくて、周囲から馬鹿にされています。しかし実は関ケ原だけでなく、朝鮮派兵の際にも島津勢は少なかった。要するに派兵するほどの財政基盤ができていない。国内がまとまっていない。派兵をよしとしない意見が強い。中央指令に背く恐さを実感できない。

秀吉の天下制圧に最後まで抵抗し続けたこともあって、要するに薩摩だけはまだ僻地のままだった。兵農分離なんてまったく無理で、おまけに九州成敗で所領をがっぽり減らされたため領民は貧乏のどんぞこ。貧乏だけどプライドの高い武士階級だけがやたら多かった。

田舎もんで貧乏でシステムが旧態依然の中世というなら、たとえば日本列島の反対側、南部なんかも同じような事情ですが、こっちは津軽というライバルがいた点で違いがありますね。津軽に先を越されちゃ滅びる・・という危機感がたぶんあった。それに比して薩摩は日本の南の端っこ。どん詰まりです。中央が遠すぎてとにかく情報が少ない。危機感がない。ここまで攻めてはこんじゃろ

ということで、兄の龍伯は守旧保守派の代表。弟の惟新は対外戦を担当したんで、否応なく目を開かざるを得なくて現実派。

龍伯は秀吉に恨みがあるので、その結果として家康派です。惟新は現実外交の成り行きで政権派。秀吉派、三成派。「派」というより、仕方なくそういう立場になってしまった。

ですから派兵された惟新が「もっと兵を送ってくれ」といくら懇願しても、国元の龍伯は出したくない。あるいは出す余裕がない。関ケ原でも「西軍について戦ったのは惟新の独断であり、島津総体としては無関係」という立場をとります。

有名な関ケ原西軍総崩れ後、惟新の「島津の退き口」。多くの歴史小説に書かれていますが、その詳細はこの本で初めて読みました。悲惨で延々と続く逃避行、通常の小説では無理です。そうそう、関ケ原でも隊伍を整えて堂々と敵中突破のように書かれることが多いですが、もちろん実際にはかなりバタバタ戦闘したらしい。時間もかかった。その後の山の中はひたすら暗くて陰惨、面白くない。

砂利山の中に大根を突っ込むようなもんですか。進めば進むほど皮が破れ、身が削られる。ボロボロ身を落としながら、なんとか大根の芯だけが砂利山の向こうに突き抜けた。それにどういう意味があるんだ?と考えると虚しいものがあります。ただ当時の価値観では意味があったんだろうし、惟新にとっても家来にとっても敢行するに値した。

などなど。読後感はあまり爽やかではありません。

田舎もんは天下の情勢なんて知りません。自分たちの周囲数里の肌感覚だけで生きている。朴訥で質実剛健な薩摩っぽ。逆に言えば我がべらぼうに強くて視野が狭い、協調性が乏しくて反抗的。基本的に主人の言いつけには従順だが、ヘソを曲げると躊躇なく逆らって損得を無視する。

いわゆる「薩摩男児」のシンプルで陽性な魅力と同時に、けっこう計算高くて陰湿な部分もたっぷりあるんでしょうね。幕末の薩摩藩の動きかなんかはいい例ですが、けっして単純外交ではない。非常に政治的。場合によっては悪辣。

この本でも最後のあたりで、いろいろダークな政治的処置が叙述されています。目障りだった伊集院一族の処分なんかもそうです。かなり暗いです。

★★ 角川書店
mitsukuniden.jpg
天地明察」を読んだ後でこの本のことを知り、買おうかなと一瞬は思ったこともあります。買わなくて正解。なんせ分厚くて高価で、えーと消費税アップで2052円。それほど高くはないか。

そこそこは面白いです。水戸光國(圀)という人物、家康の孫ですが逸話ばっかり多くて正確な事績をよく知らない。大日本史の編纂を始めたとか、犬皮を綱吉に献上したとか、家老を成敗したとか、明の遺臣を厚遇したとか、その程度。ちなみに犬皮献上で綱吉の勘気をこうむったというのは俗説で、かなり信憑性は薄いらしいです。この「光圀伝」でも否定されています。

家老刺殺からお話は始まります。なんで能衣装を着た光國が自ら家来を成敗したのか。その疑問は最後の最後になると明かされますが、はて、なんといいますか・・。

通してのテーマは「大義」ということになるんでしょうかね。水戸家の三男(実質次男)がなぜ跡目を次ぐことになったのか。そこから「義」の問題が発生する。ややこしい人です。というわけで最初から最後まで「義」が絡んできて、正直、かなりうっとおうしい。

えーと、光國というのは猛虎、あるいは熊みたいな人間らしいです。戦国の臭いを濃厚に残す武人。生涯に手ずから何人も人の命を絶っている。なおかつ激情家で詩文が好きで儒学に入れ込み、経済的に不自由のない御三家の世子として育った。良き父親母親兄弟親戚に恵まれ、世間の評判もよくて権威も持ち、それを行使することに遠慮もなかった。

一種の偉人ということになるんでしょうか。少し前に生まれていれば戦国の英雄になったかもしれないし、あるいは早々に滅びたかもしれない。もっと後に生まれていれば、たとえば吉宗に反抗した尾張宗春のように幕府にこっぴどく弾圧されたかもしれない。幸いまだ戦国の余韻がかすかに残り、御三家の権威が保たれていた時代に生まれ、理想を追って好きなことをして藩の予算を使いまくって、ま、惜しまれて死んだ。

冲方作品らしく、登場する人物のキャラはくっきりしています。ストーリー展開もわりあいシンプル。宮本武蔵とか沢庵和尚も出てきますが、違和感はありません。けっこう楽しめる部分も多かったのですが、なんせ主題が「義」なんで、この点だけが疲れました。


★★★ 新潮社
goya1.jpg
たぶん前に読んでると思うのですが、完全に忘れているので再読。

大げさに表現すると涙が出そうです。数ページ読んだだけで気分がよくなってくる。文章がまっとう。きちんとした日本語で書かれている。ある程度の作家なら当然のはずですが、最近こうした格調ある日本語を読んだ記憶がない。

別に気取ってるわけじゃないんですよね。けっこう平俗な単語や表現も多いんです。でも行間から品のよい香りが漂ってくる。たぶん主語・述語・修飾語・目的語の関係がきっちりしているのだと思います。そうした良質な日本語から最近はいかに遠ざかっていたか。

明晰という言葉があてはまるのかな。うん、明晰な文章と言うべきでしょうね。

内容も面白いです。ピレネーの南の僻地スペインとはどんな地形で、どんな気候・国土なのか。レコンキスタとは何だったのか。文明化とフランスやイタリアとの関係。その国土に暮らす民衆の貧しさと頑迷さ。新大陸から豊富に流入した金銀がなぜスペインを豊かにすることができなかったのか。

そうしたスペインの土壌に生まれた精力抜群で怒りっぽくて身勝手な男、ゴヤがいかにのしあがっていったか。地位と金をつかもうとあがいたか。そのあたりが第1巻「スペイン・光と影」の内容です。


daichichukai.jpg★★ NTT出版

読んだ人の数が多すぎたのか紙質のせいか、扱いにくい本でした。紙にコシがないのかな。所々ページがくっついてめくりにくい。

ジブラルタル、ヘラクレスの柱から出発して海伝いに右回りの旅でスペイン、フランス。ここからコルシカ、サルディニア、シチリアと島を巡ってイタリアへ。その先の旧ユーゴはけっこう不穏です。苦心して乗ったり降りたりフェリーを使ったり。しかし途中であきらめて(疲れて)いったんは脱出。

少し休んでからは招待キップをもらって(なぜか)豪華クルーズの旅です。楽な旅をして悪いか。クルーズですから地中海の観光地を飛び石伝いにしてギリシャからトルコ。しかしイスタンブールで船を降りてからは、また汚い船や列車でシリア、イスラエル、エジプト、チュニジア・・・。

スムーズに海岸線を列車で通過というわけにはいきません。地中海の東部は危険地帯だらけなんで、あっちに避難したりここは船を使ったり、また元に戻って旅を続けたりグチャグチャ。おまけにリビアやアルジェリアは危険すぎてスキップです。

1990年代のたぶん初頭ですか。まだ貧しい国が多いです。コルシカ、サルディニア、シチリアなど島々の貧しさは、ま、予想通りですが、ギリシャはうるさくて品のないギスギスした国だし、トルコ人は比較的おとなしいけど所詮はトルコだし。シリアは恐怖政治の真っ只中。先代アサド(いま内戦報道でよく見る首が長くて頭の細長いアサドの父親)がシリアに君臨独裁していました。イスラエルだけは清潔で文化的だけどみんな神経症でピリピリしている。兵士が疲れ切っている。楽しいところではない。

読み終わってみると、なんか苦いものが残ります。シベリア鉄道とインドと東南アジア、中国の旅のようなカタルシスがない。というか、シベリア鉄道だって東南アジアだって悲惨なんですが、まだしも小さな希望のようなものが感じられる。きっと少しずつ良くなるはず・・・という微かな雰囲気。

それがこの地中海国家には感じられないんですね。あと30年たってもコルシカやシチリアが楽園になるような気はしないし、旧ユーゴ地域にも解決の展望がなさそうだし、レバント国家群は下手するともっと酷くなっているかもしれない。すぐ近くの西欧諸国が(比較すれば)豊かになっているから、いっそうその悲惨さが目立つ。

そういう意味では楽しい本ではありませんでした。

★★★ 光文社
 
kaizokujoou.jpgずーっと前に「とびきり哀しいスコットランド史」というのを読んだことがあります。血が熱くて勇敢で大局が見えなくて規律にしたがうのが嫌い。イングランドにジワジワ苛められては蜂起し、かならず仲間割れして壊滅する。

まとまって協力すれば対抗する力は十分あるのに、決して協力しない。「妥協はしないぞ!」と偉そうに見栄はって、そして殺される。シーザー時代のゲルマン人、そのまんまです。哀しい歴史。

スコットランドだけでなく、もちろんアイルランドもそうでした。(たぶんウェールズもそうなんでしょうね。関係ないけどウェールズ気質については「ウェールズの山」という本が秀逸でした。笑えて感動もある)

でまあアイルランド。島の東側のアイリッシュ海側はけっこう平地もあって、そこそこ農作もできたみたいですが、大西洋側は岩だらけ。なーんもない。あるのはコンブだけ。ちょっと内陸に入るとひたすら湿地と泥炭で、べらぼうに不毛。貧しい土地に小さな氏族が角突き合って暮らしている。

そんな島の西側の小さな氏族(クラン)。代々の海賊衆で、その娘が超オテンバ。海賊家業に才能があって、だんだん周囲の信頼を集めて力を蓄えた。海賊ったって、つねにドンパチやってたら割にあいません。基本は平和裡な「通行税」の徴収。もちろん素直に税金払わないときは躊躇なく海賊に変身するけど。ぶんどり品が溜まればリスボンあたりまで遠洋航海して交易もします。

そのオンナ海賊、グラニュエール・オマリあるいはグレイス・オマリー。イングランド側から見たら指名手配No.1の海賊女酋長ですが、アイルランドでは唄にもうたわれる大ヒロイン。で、晩年になってからイングランド勢に攻め込まれて困ったことになり、しかたなくエリザベス女王に請願した。実際にロンドンまで行って謁見を得たというのも史実らしいです。

ただしエリザベス女王とどんな話をしたのかは不明。たぶん頭を下げたと思うんですが、なんか上手に話をまとめて、アイルランドに帰ってからも、まったく反省なしに海賊業を継続。したたかです。

グラニュエールだけでなく、エリザベスだってやはり海賊の女王として知られています。ドレイク船長なんかに免許状を与えてせっせと稼がせた。うまくカリブ交易のスペイン船あたりを拿捕すると収益はべらぼうに大きかったみたいです。そしてべらぼうに大きな収益の大半はエリザベスの懐に入った。元手を使わず儲けられる!と大喜びだったんでしょうね。それもあってスペインが怒り狂った。

そもそもイングランドによるアイルランド支配がなかなか進まなかったのは、進駐軍が乱暴だったこともある。イングランド政府ってのは貧乏です。したがって兵士の給与も基本はゼロ。給与ぶんは現地で収奪確保するしかない。で、兵隊は荒し回ったり殺したり盗んだり奴隷にしたり。エリザベス女王もケチで有名ですから、その状況は変わりません。

はい。うまく反イングランドで全土が纏まればそれなりの戦いになったんでしょうが、なんせ哀しいアイルランド。たまに大規模反乱してもタイミングが合わないし、お互いに反目しあって消耗する。そこをイングランドにつけこまれて大量殺戮。ズルズル現在の形になってしまった。

・・・というのが主なストーリーです。語り手はスコットランドから出稼ぎにきた若い傭兵で、女海賊の忠実な従者になってしまった。そしてイングランド側の語り手はロバート・セシル。エリザベスを支えたウィリアム・セシルの次男で、ジェームス1世の時代まで活躍しますね。足が短くて身長は5フィートしかなかったそうです。

そして主要な語り手ではないですが、ロバート・セシルのライバルは美男子でエリザベス寵愛のエセックス伯。アイルランド総督として赴任し(もともと思慮のない人間なので)大失敗します。洋の東西を問わず、美男子でかつ賢明という例、非常に少ないですね。

そうそう。本筋に関係ないですが、大砲は鉄製よりも青銅製のほうが珍重されたとか。鉄製といっても鋳鉄だからでしょうね。青銅製の大砲を低い甲板に何門も装備した船は(製造費もたいへんだけど)非常に強力だった。ちなみに上甲板に大砲を置けば簡単だけど、重心が上がってしまうので得策じゃない。片舷斉射なんかしたら(そもそも斉射は無理だけど)ひっくりかえってしまいます。

上下二冊。派手な表紙とタイトルを裏切って、思いがけず楽しい本でした。皆川博子、また何か探して読んでみようかな。
 
★★ 連合出版

kanjinokanyou.jpg久しぶりに高島俊男本。

慣用音ってのは呉音でも漢音でも唐音でもない読みのことだそうです。へぇー。

要するに、間違い。誤解。根付いてしまった習慣ですか。代表的なものでは「消耗」とか。これは「ショウコウ」と読むのが正しいらしい。いつの頃からか右側のツクリの音にひかれてしまって「モウ」と読むのが定着した。誤読なんですが、でも、今更そんなこと言ったってしかたない。

名前だけは知ってる江戸時代の太宰春台センセなんかも「誤用はたくさんあるが、だからと言ってコトを荒らげるのは大人げない」てなことを書いてるそうです。昔から、ずーっと言葉は移り変わり続けた。

そうそう。「三ヶ所」なんかの「ヶ」。これを「読み方は カ だろ」ってんでわざわざ「三カ所」と書く人がいるけどこれは大間違い。「ヶ」は「箇」から取ったものなので「三カ所」じゃ意味不明になる。正しくは「三箇所」、読みやすくするんなら「三か所」なんだそうです。へぇー。

とかなんとか。けっこう難しいお話が続きます。で、中頃は洪積世・沖積世。洪水で積もったから「洪積世」はともかく、沖に積もって「沖積世」じゃ意味をなさない。どうしてこうなったか、とか。細かい理由はともかく、そもそも中国において「沖」という字は使用例が非常に少ないらしいです。せいぜい数例。要するに中華文明は海を無視している。海なんか嫌いだあ。

後半は肩の凝らないエッセイです。これもなかなか良かったです。例によってですが、軽井沢の話の成り行きでなぜか中村真一郎が槍玉に上げられてます。高島さん、どうしてもケンカしないと納まらない人みたいです。あは。

★★★★ 文藝春秋

chugokutetsudo.jpgポール・セローってのはどんなタイプの男だったんだろうと少し興味があり(悪い趣味だ)、ネットで画像を検索してみました。イメージとあんまり違っていたらイヤだな。

ほー。若いころはけっこう美男子です。うーん、たとえばマルチェロ・マストロヤンニ。知らんか。昔の渋い二枚目イタリア俳優です。これを2割引きにしたくらいの感じかな。歳とってからは、そうですね、少し険のあるシラク(元)大統領とか。どっちにしても押し出しのいい男。書かれたものから想像できるような内省ヒネクレモンの雰囲気はあまりない。

で、この「中国鉄道大旅行」。セローが中国をウロウロしたのは開放改革路線から数年後。社会がガラガラガラッと変貌を遂げようとしているタイミングです。ちょうど胡耀邦が転落しかかって、趙紫陽がまだ実権を持っていた時代。

かといって外国人が自由に旅行できるほどは開けていません。ちょっと微妙な地方への旅はお目付役が付きます。お目付は各地の観光名所とか公共施設とか、自慢の場所へ案内しようとしますが、セローはまったく興味なし。そんなことより庶民と自由に話をしたい、人民公社はどうなってる、と嫌なことばっかり要求する。隙をみては自由行動してしまう。お目付役、セローに振り回されているうちにだんだん鬱になっていく。妙におかしいです。

そうそう。毛沢東人気は完全消滅してたみたいです。「偉い人ではあったけど、歳とってからはボケてたから・・」というのが多くの評価らしい。ちょっと前まで全国から参詣者で賑わっていた毛沢東記念館はもう閑古鳥が鳴いている。全国の大書されていたスローガンはみんなペンキで塗り潰されている。激しいです。もちろん元紅衛兵たちもガラリと豹変。時間を無駄にして勉強の機会を逸してしまった・・・とブツクサ文句言ってる。

目からウロコだったのは、中国には大きな樹木がない、自然がない、という観察。要するに山があれば山を削る。林があれば切り払う。丘があれば段々畑をつくる。可能な限り耕地にしてしまう。そういう中国四千年の営みの結果として、肥沃で実利的で人工的な景色が延々延々とひろがってしまった。

観光地もそうで、たちまち階段を作り道路を作り安っぽいプラスチッチで覆い大音響で音楽を流し、中国流に作り替える。そこへ全国から人民が押し寄せる。痰を吐く。大声でおしゃべりする。すべてにおいて彼らはやり過ぎる。節度というものを知らない。常に過剰に行動する

このセローの観察は面白かったです。なんとなく感じていたことをズバッと指摘してくれた。

で、そうした耕作延々四千年の中華地帯以外の辺境はどうかというと、ひたすら不毛で悲惨。セローは極寒の黒竜江省で鬱になり、わずかに伝統の残った青島でホッとし、最後はチベットへ。

チベットの章は非常にいいです。半分壊れかかった(精神がです)運転手の三菱ギャラン(これは横転で壊れかけた)でラサへ。ハリウッド級のアドベンチャー旅行。そして貧しくて汚くて臭くて頑固で笑っているチベット人たちに共感。彼らの心を解く魔法のアイテムは隠し持ったダライラマの写真(お土産用に50枚も持参した)でした。これを1枚プレゼントするとたちまち閉ざされた扉が開かれる。

セローって、非常によく下調べしてるんですね。中国語を話す。無知なふりをして挑発したりもする。ラサではチベット語日常会話ハンドブックと首ッ引きで歩き回っています。だいたいは常識的かつ冷静。シニカルな大人として対応しているんですが、でもときどきは感情発作がおきる。激昂する。抑えられなくなる。食用の小鳥を買って空に解放する。飯を食わせろお湯をよこせとケンカをする。

すばらしい本でした。「中国よ、行き過ぎるな!」というのが最後の言葉。


あと読んでみたいのはアフリカ縦断の「ダーク・スター・サファリ」かな。図書館にはないようなので、アマゾンを探してるところです。ただ刊行まもないせいか、まだかなり高価。迷うところです。

bakugenshinzui.jpg★★★ 中央公論新社会

吉田富夫は莫言の著書をたくさん訳している人です。初期のものはまた別の訳者で、えーと、藤井省三という人が多いかな。

ま、最近刊行のものはたいてい吉田富夫訳だし、親交もあるらしい。ノーベル章をもらったんで中央公論が喜んで、こうした本になったんでしょう。

前半の半分以上は、莫言がどんな人物でどんな本を書いているかという紹介。後半は日本各地やストックホルムでの莫言の講演録です。それぞれ面白い。ま、このところ莫言にはまっているせいもあるんですが。

「豊乳肥臀」で当局の逆鱗にふれ、かなり苛められた。投獄も覚悟したらしい。しかしその後もスレスレのきわどい内容を書き続け、ノーベル賞をもらったので、ま、今後は安泰。

でも単に安泰というわけではなく、いろいろゴマ擦りもしているらしい。なんか毛沢東の言葉を集めて一冊の本にする(いいかげんな言い方ですみません。詳細は忘れた)というイベントでは、何も文句言わずに一部執筆を担当したようです。要するに当局による踏み絵ですね。こんなときには決して逆らわない。

たしか文芸協会の副会長かなんかやってたはずですが、これも想像とは違って十数人いる副会長の一人。しかもほとんど実権のない名誉職らしい。でも「辞退する!」なんて言わないで唯々諾々と従うのが莫言です。長いものには巻かれろ。

徹底的にしぶとい農民スタンス。青臭くない。まず飯を食う。安らかに暮らす。しかし積極的に迎合はせず、可能な限り小説の形で体制批判を続ける。正義に燃える文芸家たちからは「体制側だ」と文句言われているようですが、党にとっても実は扱いにくい作家でしょうね。

そうそう。ノーベル賞の授賞式というのが1週間も続く大変なスケジュールだったとは知らなかった。かなりハードなものらしいです。式典の途中、隣に座っていた山中教授が莫言の膝をそっと叩いて「今だよ」と起立のタイミングを知らせてくれたらしい。よかったです。(もちろん莫言、小学校中退なんで外国語はダメです。式典進行、何を言ってるかぜんぜん理解不能だったでしょうね)

★★★ 日本放送出版協会
nohonjinninatta.jpg
ミトコンドリアDNA、Y染色体から見た日本人のルーツのお話。

非常に読みやすい本です。これだけまともな日本語で書かれた啓蒙書は珍しい。懇切丁寧でなるほどなるほどと読み進めるんですが、なんといっても複雑なハプログループの系統の話なので、だんだん頭の中がスパゲッティになります。しかたないですね

なんとなく理解できたこと。

いわゆる縄文人のDNAは、九州・朝鮮半島あたり一帯で共通する。要するに現在の国境とは無関係で、全体としてひとつのDNA圏だったのかもしれない。

基本的には縄文人が住んでいたところに、東北アジア系の弥生人が混血という「二重構造論」が正しそう。しかしそんなにシンプルなものではなく、けっこうグチャグチャ複雑になっている。

母系(ミトコンドリア)からすると、現代日本人の多くは朝鮮半島や中国の北部とつながりがある(意外!)。しかし男系(Y染色体)ではこれと一致せず、大きなへだだりがある。

先進技術をもった弥生人が半島を渡って一気に日本列島を侵攻というパターンなら、東北アジア系のY染色体が圧倒的多数で、ミトコンドリアは縄文系になりそうです。つまり縄文のオンナが弥生のタネの子供を産む。

しかし実際は違うようで、ここから想像できるのは、弥生人が単身赴任の戦闘集団じゃなくて家族を伴って住み着いたのでは。つまり平和的な進出。あるいは徐々に自然な混血

あともう一つ。Y染色体のバラツキということは、大陸ふうの民族大殺戮とか住民の根絶やしがなかった証左になる。オトコの系統がたくさん生き残ってるというのは、そういうことなんでしょうね。

こうして書いていても整理ができない。ゴチャゴチャになる。ま、要するに日本人ってのはいろんな系統が集まった雑多なものである。これだけは間違いなさそう。


negaiboshi2014.jpg★★★ 河出書房新社

アルフレッド・ベスターの中短編集を発見。河出の「奇想コレクション」シリーズです。比較的新しそうな本ですが、たぶん未訳を集めたものなんでしょう。それにしても何故ベスターなんだろ。

ベスターというと「虎よ、虎よ!」とか「分解された男」とか。詳細なストーリーはまったく覚えていませんが、雰囲気だけは残っている。ちょっと暴力的で時間旅行とかテレポーション、サイコものが多かったかな。かなり面白いSFだったような。

で、この「願い星、叶い星」。なるほどねえ。短いものは星新一のショートショート感覚だったりします。さすがに古くささはあるものの、でもカビが生えるほどではない。えーと、1950年代に活躍してたんですか。アスタウンディングとかギャラクシィ誌が元気だったころですね。

各短編、わりあい詰まらないものもあるし、結末の予想できるものもありますが、中では「昔を今になすよしもがな」が良かったかな。ありがちな地球最後の男と女の話ですが、すんなりロマンチックな方向には進みません。はっきり言えば、二人とも尋常じゃない。狂ってきている。その狂い方がなんというか、魅力がありました。

かなりボリウムのある中編「地獄は永遠に」は、自分としては好みじゃなかったです。

taishoroman.jpg★★★ 原書房

大正時代というのはなんとなくホンワカした印象があります。日露戦争が終わって一流国扱いとなり、ロマノフ朝は崩壊し、第一次戦争では濡れ手に泡で好景気。満州事変もまだ起きていない。ま、相対的には平穏かつ幸せな時代です。

ここで取り上げられた内容は当時の新聞を賑わした情死や政治家非難、政変、陰謀、疑獄、テロ事件、貧困の数々などなどの裏面、詳細。知らないことも多くてそれなりに面白くページを追えるんですが、ずーっと通して読み終えるとなんか暗い気持ちになります。暗澹。陰鬱。これを「大正ロマン」などと言っていいんだろうか。

なんというか、よかれ悪しかれ明治の束縛・節制が破れて、庶民も女も政治家も、すべての人間の欲望・欲求が一気に吹き出した時代ということなんでしょうね。自由になった。主張することが恥ずかしくなくなった。個人尊重。好き勝手をやったっていいじゃないか。

精神の束縛が薄れて自由な行動を求める・・という意味では確かに「浪漫」ではあるんでしょうが。

ただナマな形で噴出した欲望は節度がなくて、男女の仲でも金銭でも野心でも、非常にグロテスクです。同時代の人たちはどう感じていたんだろ。平成の世と似たり寄ったりで、「ま、いい時代でござんしょ」とか言ってたんだろうか。それとも絶望したり憤っていたんだろうか。

正直、あんまり後味のいい本ではなかったです。

たとえば「坂の上の雲」ではストイックに軍拡に邁進していたように描かれる海軍ですが、実はその当時でも海外の軍艦製造会社から膨大な贈賄を受けていた。貧乏軍人が艦政本部に移転になると、急に家が建つとか、常識だったらしい。

あっ、表紙写真ですが、たぶん左の軍礼服は桂太郎。右の女は柳原白蓮かな。そういえば白蓮、ちょうど朝ドラにも登場してますね。仲間由紀恵。
・・・・ではなくて、正しくは松井須磨子みたいです。失礼しました。白蓮に似ているなあ。

bunmeitosenso.jpg★★ 中央公論新社

ぎっしり詰まった上下巻ですが、珍しく上巻だけ借り出し。ずっしり重量があるんです。読み始めてみてダメだったらダメージが大きい。それで上巻だけ。

なかなか面白い本でした。しかし訳が硬いです。硬いというんじゃなくて、こなれてないのかな。とにかく読みにくい。調べてみたら訳は「歴史と戦争研究会」とかで、筆頭監訳者も戦史関係の人でした。なるほど。

何故戦争はおきるのか。戦争は避けられないのか。そのへんがこの本のテーマです。で、結論は「避けられない」。人類が人類として誕生したときから戦争は宿命だった。理由は資源の奪い合いです。資源ってのは、要するに食べ物とか女とかですね。食べて、生きて、性欲を満足させて、その結果として子孫をたくさん残す。そのためには闘争・戦争は必須。

なんなとく旧石器時代の人間は広大な土地をうろうろしながら平和に生きてきたような印象がある。なんせテリトリーは広いんです。あえて争う必要はない。

しかしこれは妄想というのもので、どんなに広くても「良い狩場」はたくさんありません。仮にたくさんあっても、その場合は好環境でポコポコ子供が生まれるから人が増える。結果的に人口と資源の関係は常に変わらない。いつだって食うのにヒイヒイ言ってる状況なわけです。

荒れた土地なら、広大なエリアにぽつんぽつんと人が暮らす。豊かな土地ならギッシリと暮らす。どっちにしても「食い物が足りない・・」という状況です。もっと縄張りを増やしたい。チャンスがあったら強奪したい。

ここで重要なのはコスト計算です。たとえば猛獣同士、なぜ死をかけて争うことが少ないかというと、得られる利益にくらべてコストが高いから。多少の強弱はあっても、相手にも爪があり牙がある。本気で戦ったら自分だって傷つく。もし傷ついたら喜ぶのは周囲の連中で、ラッキー!ってんで、よってたかって自分をいじめる(あるいは食べる)に決まっている。だからめったに本気の死闘はしない。

というわけで、ほとんどの動物も人間も、お互いに戦います。ひとつだけ違うのは、人間は相手を殺すまで戦うということ。なぜなら人間は道具を持っているから。こっそり後ろから石でガツンとやれば、報復をおそれずに相手を殺すことができる。最初の一撃が致命的な力を持っている・・・というのが、道具を持った人間の特殊性です。

オーストラリア原住民などの部族抗争をみると、もちろん数十人のクラン同士が正々堂々と戦うこともあります。ただし、よく見ると、みんな遠くからワーワー喚いたり槍を投げたりだけで、めったに接近戦にはならない。一種の戦争ゲーム。お祭り。こういう戦争で人が死ぬことはまずない。

人が本当に死ぬのは急襲です。たいていは夜。こっそり忍び寄って、居住地を一気に襲う。この夜討ちでは、相手の部族を全滅させることもあります。男と老人はすべて殺して、若い女だけは戦利品として持ち帰る。若い女は生殖の相手にもなるし労働力としても使える。

要するに、相手が強そうな場合、拮抗している場合は戦わない。相手が非常に弱い立場の場合だけ急襲して全滅させる。全滅させるのは、報復されないためですね。抹殺してしまうのが安全保障上、いちばんの良策です。もし多数を逃がしてしまうと、こんどは逆に自分たちが夜襲されるかもしれない。怖くて夜もオチオチ眠れません。

実際の戦争のキッカケはいろいろです。女の取り合い。縄張り争い。身内を殺された復讐。首長のメンツ。黒魔術に対する報復。あるいは、専守防衛では危険だからと思い切って(防衛のための)先制攻撃。理由はいくらでもあります。

旧石器時代、死亡の原因の非常に多くが「殺人」。15%くらいは暴力によって死んだ。男性だったら25%くらいだそうです。したがって農業の開始によって戦争が始まった・・というのは完全な虚構で、むしろ狩猟採集時代のほうがやたら戦争していたらしい。

で、農業牧畜が始まると今度は「守る側」と「攻める側」が明確になります。定住して富を蓄積している集団を、飢えた遊牧民が襲うようになる。ワーッと攻め込んで羊をかっぱらっていく。場合によっては皆殺しにして女や穀物をかっさらっていく。黒沢の七人のサムライの世界ですね。これじゃたまらんので、農民は寄り集まって防御力を高める。大きな集団になると防壁をつくる。都市国家になる。

話はズレますが旧約にでてくる「エリコ」はそうした非常に古い城砦集落だったそうです。紀元前8000年紀というからえらく古いです。ヨシュアのエリコ攻城ストーリーは典型的な牧畜民による都市襲撃ですね。

で、「国家」はもちろん戦争を起こします。ただ国家はやたら戦争をしているようですが、調べてみるとトータルとしての死亡率は案外低くなっているそうです。国家という大きな暴力装置の誕生によって、個人間や家族間などの小さな闘争は激減した。ときたま国家としての戦争は起こすけれど、それでも戦争によって死亡する市民の数はかなり低くなった。たとえば悲惨な近代戦でも実は人口の数%程度が死亡するレベルらしいです。えーと、いまの日本なら100万人とか200万人程度でしょうか。すごい数だし自分は死にたくないですが、狩猟採集時代の死亡率にくらべるとまるで天国であるらしい。

というわけで、人間と戦争は密接に結びついている。これを完全になくすことは非常に難しいかもしれない。

ただ幸いなことに(?)現在は保有する武器が高性能になりすぎています。使用することのリスクがべらぼうに大きくなっている。で、本気の戦争をするのは、狩猟採集の時代から(というよりサルの時代から)相手を完全にやっつける目算のあるときだけでした。相手を完全に壊滅させる計算が成り立たない限り、たとえば核兵器は使えません。

相手が弱いとみると攻撃する。相手が強そうならケンカはしない。それが人間の本性ということらしいです。だからアフリカとかインドとか、宗教や民族対立を(名目上の)理由として大量殺戮が発生しますが、常に「強い側」が「弱い側」を殺しつくす。力が拮抗している間は大きな戦争にならない。

という流れからすると、核保有国がたくさん増えてしまったことは安全保障的には良いことになるんでしょうか。ただし「止まるためには走り続ける必要がある」という鏡の国のアリスの赤の女王理論があるんで、軍拡競走・安全保障にかかる費用はとめどがない。そしてあまりにコストがかかりすぎると、かつてのソ連のようにその国家は破綻する。

平和のためには、すべての国家リーダーが「賢くて冷静で計算ができる」という大前提が必要のようです。

みんな、賢いかな。ま、たぶんこんなことが書かれている本なんだと思います。

★★★ 日本経済新聞出版社

toshohei2014.jpg著者は大昔のベストセラー「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を書いた人らしい。なんせ読んでないので詳しくは知りません。

で、ヴォーゲルが退職して暇になってから調べだしたのが鄧小平です。良くも悪しくも現代中国の方向を決めてしまった政治家ですね。ちょっとレベルは違うものの、日本の吉田茂とか田中角栄にも似ている。

鄧小平。要するに毛沢東の有能忠実な部下。一時期は不遇だったが、毛沢東の復権と共に返り咲きして権力中枢へ駆け上がる。しかし毛沢東の意向に逆らうことも多く、だんだん機嫌をそこねることが増える。

走資派として文化大革命でも攻撃の対象となったけど、依然として「使える奴ではある」という毛沢東の評価はあったらしい。なんとか殺されずに生き延びる。周恩来のヒキもあり、やがて復権。

しかし頼みの周恩来の死後は、第一次天安門事件(周恩来追悼)の責任を問われてまたまた失脚。今度は江青一派に叩き落とされた。尽くしたはずの毛沢東は知らん顔。

そして毛沢東の死後、四人組が逮捕されてから再々度の復権を果たして、以後は第一人者として社会主義下の市場経済を導入。いろいろ批判はあるものの中国を経済的に豊かな国家に導いた・・・。。

べらぼうに厚い上下巻です。知ってることも多いですが、こうして通読するとやはり感慨がありますね。中国の政治ってのはひたすら権謀術数。大きく右派・左派という流れはあるものの、鍵となるのは首脳部の人間関係。根回しをどうするか、どう流れを作るか。指弾されないためにはどう保身をはかるか

絶対権力者の下で生き残り、自分の考えを少しずつ通し、最終的に権力を握るってのはものすごい能力が必要なんだと実感します。高く評価して育てたはずなのに、政治的に必要とあれば胡耀邦趙紫陽も情け容赦なく潰す。14億(だったか)の中国が豊かになることは必要だが、あくまで国家が第一。党あっての中国。趣旨が一貫していたんでしょうね。だからロシアやルーマニアの轍を踏まずにすんだ

大昔、機会があって(遠くからですが)趙紫陽を見たことがあります。たまたま見ただけなんですが、それだけでちょっと親近感がある。政治家が選挙でひたすら握手戦術をとるのは理解できますね。一回握手しただけで、かなりの好感を得られる。そうそう、ほんの数時間ですが(近い空間で)田中角栄の近くにいたこともあります。良い悪いは別として非常に魅力のある人でした。

そういうわけで第二次天安門事件の後、趙紫陽の左遷・軟禁ニュースは個人的に失望でした。これで民主化の流れは途絶えたのか・・・。ただ、あのときの鄧小平の冷徹な決断が中国という一党独裁国家にとって正しかったか間違っていたか、それは永遠にわからない。

ぼんやり考えたのは、この本は莫言の「転生夢現」とか「蛙鳴」あたりと平行して読むべきだということでしょうか。「現代中国の父 鄧小平」は党政府中央部の政争や生き残りを描いたいわばマクロのお話です。そうした雲の上の中央の動きが地方の末端まで少しずつ波紋をひろげたときに「転生夢現」とか「蛙鳴」の世界になる。

党中央のナントカ局長が「集団農業の見直しには理がある」とかいう論文を発表すると、そのうち山東省高密県東北郷の村役場の陳さんが外国タバコを自慢げに吸い始める。「適正な人口政策展開を学習しよう」とか誰か高官が新聞に書くとと、そのうち真面目な田舎の女医さんが懸命に二人目の胎児を堕胎し始める。子供のいる父親を脅してパイプカットして回る。

ま、そうやって中国はエネルギッシュかつユラユラ揺れながら歩み続けてきた。そして沿岸地域を先頭に欲と野心と欲求不満にあふれた豊かな大混乱の時期を迎えている。ようするに国土が広すぎる、人口が多すぎる、それが最大問題。そんな気もしてきます。今まではうまくやっきてたと党政府は自負しているようですが、あふれる14億人。コントロールするにはちょっと多すぎます。

★★ 草思社

jinrui10mannen.jpgちょっと前に読んだ「人類20万年 遙かなる旅路」。アリス・ロバーツという美人学者が書いたかなり通俗的な本でしたが、どうもこの人はスティーヴン・オッペンハイマーとかいう学者の影響が強いらしい。いわば弟子筋。で、その元祖オヤジ、オッペンハイマーの方も読んでみようということです。

内容的にはアリス・ロバーツとほとんど同じような主張でした。現生人類の先祖はアフリカからアラビア半島南端を通って出て行って、アジアへ。そしてそこから東南アジアやら、あるいはシベリア、アメリカ、ヨーロッパやらへ拡散した。成功した出アフリカは1回限りという説です。

美人版イモトみたいに世界実況報告ふう構成のロバーツ本とは違って、堂々たる論陣です。かなり柔らかいんですが、それでも最初から最後まで堂々と自説がいかに正しいかを表明している。強引そうな人です。権威なのかな。

懇切かつ論理的(たぶん)なので、比較的読みやすいんですが、なんせ最初から最後まで同じ調子で「これこれの説があるが妥当ではない」「ミトコンドリア系譜はこのように分岐した」「Y染色体からも同じことが言える」「これこれであると考えるのが妥当であろう」てな調子。

正直、飽きてきます。

わかったこと。
・成功した出アフリカはかなり最近のことである。(先行の脱出は失敗した)
・アフリカから直接ヨーロッパ半島へ移動した連中はいなかった。欧州人はクロマニヨンの子孫ではないし、多地域進化説は論外。
・当時の気候や地形の変動を考えることは非常に重要である。
・なぜか北米よりも南米の方に古い証拠が多く残っている。逆転。北米定住者はいったん死滅して、その後にアラスカあたりから再度移動した人々が拡散したらしい。
肌の色が白いとか黒いとか、そんなもん、あっというまに変化する。たいした問題ではない

てなことかな。日本とか韓国とか、あのあたりはけっこう人類の重要な通り道というか終点、吹き溜まりだったらしい。したがって日本列島に住んでるのはかなりのゴタマゼ雑種。

この本とは関係ないですが、子供の頃、もっともらしいアイヌ・コーカソイド説もあって信じてました。もちろんガセ。最近の研究では琉球人と本土和人とアイヌ、非常に近いらしいですね。

★★ 一灯舎

sekainomeisakuwa.jpg予想していたようなマーガレット・ミッチェルの伝記ではなく、「風と共に去りぬ」の歴史です。

知ったこと。
・ニューヨークの編集者が原稿をトランクに詰めて奪うようにもって行き、列車の中で読んで大感動・・・という有名な通説はかなり疑わしい。

・ミッチェル側はもっとゆっくり手直しして完成したかったらしいがダメだった。

・まだ未完成に近い手書き原稿を、かなり無理して出版したらしい。出版社側にいろいろ都合があった模様。「出版してやるんだからグズグズ言うな」といった感じ。

・出版社からするとミッチェル夫妻はかなり困った原理主義。ミッチェルに言わせれば「契約どおりきちんとやってほしい」ということなんだけど。

・ことある毎にミッチェル側は口を出す。自由にしたい出版社とは衝突しっぱなし。

・ミッチェル側は版権関係には非常にうるさかった。言葉を変えれば、ナアナアを許せない超真面目な人たち

細かいズルも許せない性格なので、訴訟沙汰は数多くあった。訴訟をかかえこんだミッチェル側は疲れ果てた。

・ただし出版社サイドや映画プロデューサー側も、けっこうズルしていた雰囲気。版権料を誤魔化したり、勝手なイベントを計画したり。

・なんかで読んだ「レットのモデルはミッチェルの最初の夫」という説は、ミッチェル財団からは承認されていないらしい。

・日本での最初の刊行は、版権料なしの出版だった。当時の法律ではそれで問題なかった。お礼に日本人形を贈られたミッチェルはグチグチ厭味を言っている。

・ま、どうでもこうでもミッチェル夫婦や親戚、後継の財団は長期にわたって巨額の版権料を手にした。出版社や映画会社も大儲けした。

ningenbanji2014.jpg★★ 筑摩書房

山田風太郎の雑文集です。簡単にまとめれば、要するにそういうことです。もちろん面白いですが、中身はたいていどっかで読んだことのあるようなものが多い。

ところで山田風太郎、いつ亡くなったんだろ。気になって調べてみました。あらら、もう13年近くも前になるのか。糖尿だったのかパーキンソンだったんのか、それとも・・・と調べてみましたが、どこかに「肺炎」とありました。お年寄りの肺炎ってのは、ようするに最後のキッカケですよね。詳細不明ということでしょうか。

ま、どういう亡くなり方でも所詮はたいした問題ではない。本人のエッセイネタによく使ってますが、勝手気ままによく長生きしたと思います。いい人生。いい老後。

★★ 早川書房

ryutonobutou1.jpg図書館にあったので借り出し。巻2と3は既読です。

英語版(A Dance with Dragons)も持っているのですが、気力が続かず中断中。小鬼の川下りのあたりでストップしています。なんか陰険な謎の人物が登場していて、これが何者かまだ不明。この分を飛ばして訳本の巻2と巻3を読んだので、なんか分かったような分からないような。

という次第で、訳本の巻1を発見したのでパクっと食いつきました。うんうん、なるほど。そうだったのか。ようやく繋がった。理解しました。

この「竜との舞踏」は長大な「氷と炎の歌」シリーズの第5部ということになります。全7部という構想ならそろそろばら蒔いた餌を回収しなければならないのに、あははは。なんかマーチン御大、更に大風呂敷を拡げつつありますね。こんなに拡げてどう収拾をつけるのか。

正直、第5部はあまりワクワクしません。あっちでもこっちでも手詰まり感がただよう。異国の女王はイジイジダラダラしてるし、北の壁の若い隊長も悩んでいる。片腕の騎士も行方不明。クラーケン王子は超悲惨な感じで、海賊オヤジも不調。子供は半分植物になってしまうし。これからどうするんだか。

(関係ないけど酒井昭伸氏の訳、やりすぎじゃないかな。固有名詞が懲りすぎで疲れる。あんまり感心しません。ついでに言えば、表紙の絵はちょっと恥ずかしいレベル・・)

次の第6部(The Winds of Winterかな)ではトントンと進んでほしいものですが、たぶん期待薄。

tachibana_hon.jpg★★ 中央公論新社

こういう「書棚シリーズ」が刊行されていたみたいですね。今もあるのかな。要するにその人の本棚をカメラマンが精密に撮影する。背表紙だけでなく、その並べ方やどんな本と一緒になっているかも撮影する。物書きの頭の中身。秘部公開みたいなもんです。

で、立花隆の書棚。ネコビルとかいう建物をまるごと借りたか建てたかして、その中はひたすら本だらけです。ちょっとした図書館付きの仕事場ですね。

この本、とにかく分厚いですが、どうも写真ページが主のような雰囲気です。グラビアかオフセットか知りませんが、読んでいると指に色粉が落ちるような印刷。で、ひとしきり写真ページを並べた後で立花隆が「この本はねぇ・・」とそれぞれの経緯やウンチクを語る。膨大な蔵書、すべてを精読は無理と思いますが、少なくともザッとは目を通しているようです。もちろん部分的にはボロボロになるまで読んでいるものもある。

経済的に苦しかった(たぶん)時代には場所がなくて(たぶん)処分もしたようですが、余裕が出来てからはすべて保存してある。秘書にまとめて買わせたものもあるでしょうし、贈呈本もある。それにしても量がすごい。読んだ本をすべて並べておけるなんて、いいなあ。本好きの人ならみんなそうだと思いますが、これ、かなわぬ夢です。

うらやましいです。量だけでなく、その読書テリトリーの広さにもあらためて驚嘆。

★★ 講談社

kuroohi.jpg「黒王妃」とはカトリーヌ・ド・メディシスです。当時の文化都市フィレンツエから田舎者のフランスへ嫁ぎ、宮廷文化を一新させた人。聖バルテルミー虐殺指令の責任者ということになっていますね。

例によって佐藤賢一調の語りですからちょっと鼻につく部分も多いですが、この人、たしかによく調べています。それに釣られていつも借り出してしまうんだけど。

面白かったこと

・カトリーヌは美人じゃなかったし、スタイルも悪かった。でもそれだけでなく、後ろ楯だったローマ法王(クレメンス7世)が早々に死んでしまったため、嫁ぎ先であまり力を持てなかった。

・亭主であるアンリ2世の愛妾が住んでいたシュノンソー城を観光したことがあります。当然のことながらお城の解説には「この城でひっそり暮らしていたディアーヌは、カトリーヌの怒りをかって追い出された」と書いてありました。ま、事実関係はその通りですが、この二人、ずーっといろいろあって因縁の関係。可哀相なディアーヌ・・とばかりは言えない。

・カトリーヌは子供をたくさん産んだけど、みんなあんまりデキがよくなかった。アレクサンドル・デュマに「王妃マルゴ」という本がある(読んでいない)けど、このマルゴ(マルグリット)って、カトリーヌの娘だったんですね。知らんかった。

・ギーズ公って二人いたのか・・。こっちゃにしていました。フランソワとアンリ。どっちも非業の死ですが、なんとなく知っていたブロワ城で暗殺されたのは息子のアンリだった。

・聖バルテルミーの虐殺ってのもユグノーとカトリックの対立だけでなく、実はの王権そのものを揺るがすような貴族間対立の状況があった。そうした危機に対応した宮廷内のアンチクーデターですね。ただこんな急に乱暴ことをされるとはユグノー側はまったく予想していなかったみたいです。

・この事件の後、シャルル9世は死んで四男のアンリ3世。ギーズ公アンリ、ナバラ王アンリとの三つ巴で「三アンリ」時代です。そしてギーズ公暗殺、アンリ3世の暗殺でヴァロワ朝は終焉。後を次ぐのはナバラ王アンリのブルボン朝です。このへんの経緯、あらためて新鮮でした。もともとうろ覚えでもあるけど、すっからかんに忘れてた。

★★ 文藝春秋

nakimushi03.jpg何部まで読んだか記憶が定かではなくなってましたが、この第参部、パラパラっと見たら赤壁あたりの内容のようでした。借り出し。

感想としては、いかにもこのシリーズらしい内容だなあ・・ということ。これじゃ意味不明ですね。

酒見賢一はたしか「陋巷に在り」で知って、けっこう興味を持った作家です。フレッシュでしたね。ただこれ続編になるにしたがってだんだん荒唐無稽の度合いが増して、最後のほうは何が何だったか自由自在ハッチャカメッチャカ。その破天荒というか羽目外しが、この「泣き虫弱虫・・」では最初から大手を振っています。

読むのは嫌だというほどではないけど、真面目に読むとけっこう草臥れる。変質者・孔明ヤクザ孫権組外道集団・劉備グループがグチャグチャに抗争するストーリーです。

何を書いてるかわからんと思いますが、じっさいわからん小説です。あはは。

★★★ 小学館

池澤夏樹が秋吉輝雄という比較宗教学者に教えてもらうという形になっています。旧約聖書の専門家らしいですね。

この二人は親戚で、親しい間柄です。ただ秋吉氏は啓蒙書を書かない人らしいので、どっちかというと池澤が秋吉氏の深い知識を世間に紹介してあげようという意図があったみたいです。

bokutachigasei.jpgで、本書。タイトルの雰囲気とは違って、非常にまっとうというか、かなり専門的につっこんだ内容です。ある程度聖書について予備知識がないと、辛いかな。「素人なんで・・」と言ってる池澤がえらい知識持ってるから、そこのレベルを出発点にして話が始まる。書かれていることをすべて理解するのは至難です。

とかなんとか弁解はともかく、面白い本でした。

個人的に目からウロコが落ちたのは
・古代ヘブライ語には「時制」がなかった。
・古代ヘブライ語では「母音」を記さない。


これは実に面白い話です。時制がないということは、概念として過去も未来もない。すべて現在。大昔に誰が何をした結果として何があった・・ではなく、いま現在もそれがある。時間軸ではなく、並列というか、いまもあちこちに同時代的に展開している。。うーん、うまく説明できない。何言ってんだ?という人は本を読んでみてください。

で、そういう古代ヘブライ語の聖書を地中海文化圏の共通語であるギリシャ語に翻訳するとき、どうしても修正というか、時系列の観点が挿入され、訳者がある程度編集する必要がある。またヘレニズム的な観点からすると、矛盾するような事例がいっぱいあっちゃ困るんで、整合性をとる必要がある。片方を採用すると片方を捨てる。こうしてギリシャ語翻訳の時点で、内容は非常に変化してしまった。

逆に言うと、そもそもの聖書は矛盾だらけのゴタゴタだったということですね(たとえば雅歌なんて何故入れてあるんだ)。でも「矛盾はおかしい」と考えないのが古代ヘブライ語文化。すべて侵すべからざる神の言葉と事例ということなんで、たかが人間が勝手に編集しちゃおこがましい。

それじゃ不便きわまると思いますが、聖書とかタルムードとか何でも書いてあるんで、その時々で都合のよい部分だけピックアップして指針とするぶんには問題ない。そういう柔軟性があるからユダヤ人も現代に生きていけるわけです。都合のいいところだけ抜き出すのは問題ない。ただし原典を修正することは不可。面白い文化ですね。

母音を記さないんだそうです。要するに「KB」が「カバ」でもいいし「クボ」でもいい。それじゃ読み方がバラバラになって困るんで、「記述された文字」ではなく「読み」が重要になる。そのテキストをどう読むかはひたすら伝承。最初から最後まで必死になって声に出して読みます。頭を振りながら必死に詠唱しているシーン、映像でときどき見かけますね。

また「時制がない」ことも関連してか、長い聖書の中から特定の章を抜き出して珍重はしない。カード化しない。あくまで最初から最後まで通して読む。トータルでひとつの「聖なる書」になる。

他にも目ウロコはたくさんありました。前から感じていた旧約聖書の訳のわからない箇所やその理由が解明。はい。いい本を読むことができました。


★★★文藝春秋

yomeiichinen.jpgこの人の小説を読むのは初めて。あんまり期待しないで読みました。

なるほど。飽きずに読めます。よく書かれてますね。うまい作家なんだ。

主人公は二枚目半の俳優で、根はけっこう真面目なんだけどプレイボーイという売り方をしている。ま、そりゃ女は嫌いじゃないけど・・というところ。奥さんと別れて、現在も美女三股かけて遊んでます。

その順風満帆な俳優がいきなり肺ガンの宣告。余命1年。まだ35歳なのに。さて、どうする。

かなり甘いストーリーですが、でも登場人物のキャラは立ってますね。弱小プロダクションの社長とか脚本家=監督とか。清楚イメージで売ってる肉食系のベテラン女優とか。なかなか味はあります。そうそう肺ガンの治療や進行についてはかなり詳細です。なるほどねえ。

読んでる間はたっぷり楽しめる本でした。★★★

★★ 三修社

genshigerumanmizoku.jpg古代ゲルマン民族というと、金髪碧眼、戦斧をかかげて裸になって突進してくるアホな野蛮人という印象がありますわな。あるいは近世近代になると、背が高くて融通がきかず、勇敢で理詰めな連中という印象。極端に違います。

要するにカイザルの時代の野蛮人、あるいドイツ騎士団とかワグナー、プロイセン参謀本部です。

どっちも違うよ・・というのが著者です。もちろん崇高な英雄なんかではなかったし、かといって裸で髭だらけで大酒のんで騒いでる野蛮人でもなかった。いつも裸で暮らしていたわけでもないし、それなりの固有文化をもっていた連中。

まずゲルマン民族とは何か。純粋ゲルマン民族なんていないんだそうです。発祥は完全に解明されないないもののいわゆるインドゲルマン語族(インドヨーロッパ語族)。これがドイツ北部あたりに侵攻してきて、土着の巨石文化族と混交したのがゲルマン民族。印欧語族はあっちこっちで混交して、それぞれ雰囲気の異なる文化をつくりあげていた。

ゲルマン民族は背が高かった。ではどのくらいかというと、カイザルの頃はたぶん170cm台じゃなかったかと著者は推察します。巨人ではないんですが、なんせローマ人は背が低かったから、彼らからみるとゲルマンは大男で力も強かった。ローマ兵士にとってゲルマン人はやっぱ恐怖だったんですね。

ゲルマン人は定住しません。ほんとうは定住したかったんだけど、いろいろ都合があった。天候不順とか大水とか寒いとか。で、ゾロゾロと移動しては定住の土地を要求した。もちろん要求しても地元民からは拒否されます。そこで戦争。あるいは野心にかられたローマの将軍が、悪いことをしてない(はず)のゲルマンを殲滅する。奴隷に売りさばく。奴隷はいい金になります。ゲルマンの男は兵士として優秀だったし、金髪の女奴隷は非常に人気があって高価に売れた。

通読した印象では、困った連中ですね。力はあるのに団結できない。政治的なセンスがない。軍団同士が対峙すると、つい我慢できなくなって勝手に突進する。たまに勝っても、勝利を利用することができず、お祝い騒ぎにあけくれる。あるいは葬式に泣きくれていて、機を見るに敏なローマ軍に殺される。

時折すぐれたリーダーが出て団結するとものすごく強力になるんですが、ゲルマンのリーダーは「王」ではないようです。完全な指導権がない。「進め!」と命令しても、「うんにゃ嫌だ」とどこかの部族が反対する。リーダーがあんまり偉そうにしていると暗殺される

なんのかんのあったんですが、結果的にゲルマン人はライン川の東を確保します。ローマ軍団はライン川とエルベ川の間の土地をなんとか占有したかったのに、結局はできなかった。仕方なく「ローマはラインの境界まで後退」と決定。こうしてラインの西はローマ文化、東はゲルマンという区分けができた。それが良かったのか悪かったのかは、いろいろ言い分があるようです。

ローマは結果的にゲルマン人に侵攻されてしまいました。少子化もあってかジワジワとゲルマン系の兵士が増えてしまったし、最後は西ローマ帝国の滅亡。後に誕生したフランク王国なんかはもちろんゲルマン系です。

著者はたぶんドイツ人のようです。いっしょうけんめい「公正に解説」しようとはしているようですが、言葉の端々にゲルマン贔屓がにじみます。ま、当然でしょうね。


「考えすぎた人」清水義範
kangaesugitahito.jpg★新潮社

そうそう。清水義範の「考えすぎた人」も読みました。要するに「お笑い哲学者列伝」だそうです。

ただし著者も中で弁解しているように、哲学者がどんな論を展開しているかを説明するだけで面倒になる。書くのも大変だったでしょうが、読むのも大変。なんとか茶化そうとする試みも成功せず。珍しく失敗作かな、と思います。テーマが悪かった。


★★★ 早川書房

ryutonobutou.jpgGeorge R.R.Martinの A Dance With Dragonsを買ったのは2年前。大型ペーパーバックの上下2巻本です。で、その上巻にとっかかってある程度は進んだんですが、なぜか続かなかった。ティリオンが巨大大陸の河をダラダラ下っているあたりで止まってしまいました。

ずーっとA Song of Ice and Fireシリーズを読み続けてます。この「A Dance With Dragons Part1」が何冊目になるのか。えーと、6冊目か。

 A Game of Thrones (Book 1)
 A Clash of Kings (Book 2)
 A Storm of Swords (Book 3-1 Steel and Snow)
 A Storm of Swords (Book 3-2 Blood and Gold)
 A Feast for Crows (Book 4)
 A Dance With Dragons (Book 5 Part1)

という順番です。ちみなに上下分冊になっているのは英国版だけ。米国版はまとめて1冊になっているようです。さぞや分厚いんだろうな。

ま、中断はしているけどこれから長い(だろう、たぶん)老後、また読み始める機会はあるさとタカをくくってましたが、先日と図書館でハヤカワ書房の「竜との舞踏」を発見してしまった。あらら。もう翻訳が出てたのか

ただしあったのは巻2と巻3だけ。ちょっと迷った末に借り出しました。巻1は後で借りる機会もあるし、読まなくたってかまわない。巻1の後半部分のストーリーは知らないけど、ま、2巻から読んで訳がわからないということもないでしょう、きっと。

dragon1-2.jpg原書読んでるのに翻訳を先に読んで気にならないか? はい。ぜんぜん気になりません。どっちかというと、楽ちんでありがたい。ただし読後感はぜったいに原書ですね。1行1行に味があって、たまらないです。

特に今回のハヤワカ翻訳は訳者が途中で交代という事態になって、かなりゴタゴタしました。前は岡部宏之、途中から酒井昭伸。どっちも達者な訳者と思うのですが、持っているテイストがかなり異なります。とくに酒井訳で固有名詞を大幅に変更してしまったので、違う小説のようになってしまった。人名の「ケイトリン」→「キャトリン」くらいならならまだ脳内翻訳可能ですが、「ナイツウォッチ」→「冥夜の守人」となると雰囲気が完全に違ってしまう。

ま、なってしまったことは仕方ない。我慢して読むしかないです。

で、2巻3巻を通読。うーん。マーチン御大、ずいぶん風呂敷を拡げてしまったなあ。どんどん話を拡大拡散してしまって、はて、これをどう収拾しようというのか。サーセィは好き勝手やりそうだし、ドラゴンは言うこときかないし、海賊は元気だし、ジョンは大変だし。おまけに北へ行った子供はナニになってるし、苦虫かっつぶした王弟もナンな状況だし。新しいターガリエンは出てくるし。あんまりスッキリするところのない巻でした。

当初の構想ではBook 7までだったとと思いますが、無理ですね。少なくてもBook 9くらいまで伸びそう。おまけにマーチン御大、最近は書くのをサボって楽しいHBOドラマにやたら顔を出してるようだし、巨大な太りすぎはあいかわらずだし、こりゃダメだ。話を拡げに拡げて、そこで突然オシマイ。で、誰か野心家の若手が「構想メモを元にして続編執筆!」とかになりそう。

困ったもんです。なんとか完結まで持っていってほしいなあ。

★★★ 新潮社

nakasoneyasu.jpg著者は「中曽根康弘」です。構成としては複数の政治学者(かな)が「中曽根先生」にインタビューして、そのやり取りを記述というものですが、もちんろ本人(あるいは側近)がしっかりチェックしたものなのでしょう。したがって著者と名乗っても問題ない。

旧制中学・高等学校時代の回想から始まり、高文8位の優秀成績で内務省へ。そして海軍。戦後はまた内務省に復帰。

中曽根といえば売り物が「海軍主計中尉」の経歴です。てっきり中尉で退役した人かと思ってましたが、当時の特例でエリートが軍に入るといきなり中尉にしてもらえたらしい。なるほど。またどれだけ実戦経験があるのかなあと不審でもありましたが、一応はあったんですね。艦船に乗ってドンパチも経験している。ただし多くは陸上勤務です。いわゆる内政畑。敗戦の頃は少佐だった。

ということで、内務省をやめて政治家を志して、いわゆる「青年将校」として派手に動き出す。最初から吉田茂のやり方には反対だったみたいです。

で、いろいろあれこれ。自分がどう外交を考えていて、どう対処したか、非常に記憶力がいいみたいですが、ところどころ「忘れた」「覚えてない」「それは違うと思う」という部分もある。本当にそうなのか、かなり怪しい気がしますが。ま、仕方ないか。

言動内容の印象は、意外にバリバリの右翼政治家でもない。強いていえば中道右派くらいでしょうか。あるいは時代によっては中道左派ともいえる。要するに自分なりの政治理想を持ったリアリスト。

たとえば核搭載の米艦船が日本に寄港したかどうかと。これは「トランジット」という解釈でした。タテマエはともかくそりゃトランジットくらいはあるだろうという現実的な言い分です。「密約」ぐらいはあっただろうさ。

核兵器に関してもそうですね。現実として核兵器を持つのは難しいし、あえて持つ必要はない。しかし「日本にはいつでも核兵器を持つ力があるぞ」と誇示することは外向的に非常に有効だろう。そのほうが得です。

ま、あっちこっちで韜晦してるし我田引水部分も多いですが、なかなか面白いインタビュー本でした。この人、まったく外務省の役人を信用してないんだなあ。

そうそう。石油危機の際の「日の丸原油」。これを断行したときに、初めて国際石油メジャーの真の力を知ったんだそうです。メジャー=米国そのもの。それに絡んで、田中角栄はメジャーの逆鱗に触れたんじゃないか・・と(ごくあいまいにですが)示唆しています。こうした陰謀説があることは知ってましたが、まさか中曽根までが言うとは。信憑性、あったんですかねえ。

昨年読んだ本、ぜんぶで何冊だったのか。うーん、たいしたことはなかったですね。数字としては95エントリー。ダブッてるものもあるし、逆に再読があったりメモしなかったりもあるんで、実際に読んだ冊数は110から120冊くらいでしょうか。3日に1冊くらいのペース。

ghosttrain.jpgその中で★★★★を付けたのはたった2冊。「ゴースト・トレインは東の星へ」と「極北」でした。(他にも★4にしようかどうか迷った末の★3は5冊くらいはあったか)

「ゴーストトレイン・・」はポール・セローの旅行記ものです。ロンドンから東欧、スタン国群を通ってインド、東南アジア、日本。そしてシベリア鉄道で帰還。若い頃に書いた「鉄道大バザール」の惨めなルートをたどる続編というか、再現ですね。

内容はかなり主観的というか、いいかげんです。かなり面白く誇張している。誇張はしているけど、けっこう核心をとらえてるんで、そんなに腹は立たない。あっ、アーサー.C.クラークのファンだけは立腹するかもしれません。スリランカで悠々自適というイメージのあった大作家ですが、実際に会ってみた印象は、うーん、困った親爺です。

もう一冊の「極北」のマーセル・セローは、偶然ながらこのポール・セローの息子です。タッチもまったく違うし、こっちは近未来もののSF小説ですが、でも乾いた描写が非常によかった。文明崩壊の後のシベリア北東部、極寒の地で銃に身をかためた主人公が生きていく。

kyokuhoku.jpgストーリーそのものはたいして意味ない感じです。ひたすら叙述の美しさ。厳しさ。無慈悲な暴力と生命力。読後感の素晴らしい本でした。

今年ははて、どれくらい読めるか。視力が弱ってメガネが疲れるようになってるんで、ちょっと減りそうな気もします。ま、仕方ないですね。


そうそう。★3ではありますが、4つ★候補の次点はヒラリー・マンテル「ウルフ・ホール」の続編である「罪人を召し出せ」かな。訳が気が利いて楽しい本でした。

コニー・ウィリスの「オール・クリア」もいいんですが、なんか分冊の仕方と刊行時期で間延びしてしまった感あり。やっぱ本は間をおかず一気に読まないといけませんね。
★★★  白水社

GamaHolywar.jpg副題は「宗教対立の潮目を変えた大航海」。期待を越えて面白い本でした。

はるか昔、学生時代に佐藤輝夫さんの講義を聞いたことがあります。たしか早稲田に在職だったと思いますが、他の大学へ「出張特別講義」もしてくれたわけです。この講義に出席すると簡単に単位がもらえるというので、(もちろん高名な先生でもあるからですが)学生がぎっしり詰めかけた。

講義内容は「ローランの歌」だったと思います。何世紀のことか判然としませんが、要するにシャルルマーニュの親類だったかの勇猛な武将ローランがサラセンの大軍と戦って死んだ。死んだけどなんとか侵攻を防いだのかな。

長い講義なので、途中で休憩。佐藤さんが学生に「ここ、タバコ吸ってもいいの? 駄目? そうか・・・」と聞いていたのを覚えています。教室でタバコを吸うこともあったような時代です。隔世の感。

で、この叙事詩と似通った事件はたくさんあったようで、何回もサラセン(これはイスラムの蔑称だったみたいですね)がピレネーを越えてフランスへ侵攻していた。キリスト教圏とイスラム圏の境は混沌としていたわけです。

しかしその後、キリスト教国家群が対イスラム十字軍に狂乱する。なんとなくエルサレム奪還運動だけが十字軍と思いがちですが、西の外れのイベリアの小国群は半島からイスラムを追い出す方向で動いていた。レコンキスタ。けっこう長い期間にわたったムーブメントのようで、その最後の締めくくりが15世紀末のグラナダ陥落です。

とかなんとか。で、独立国家となっていたポルトガルは、ジブラルタル対岸のアフリカに攻め込むことを思いつく。かなりいいかげんな計画だったみたいで、ゴタゴタしたあげく結局は失敗。

でも代々のポルトガル王はあきらめません。サラセンが強いのなら、例のプレスター・ジョンと協力して挟み打ちにすればいい。プレスター・ジョン神話って、本気で信じられていたようです。エチオピアかアジアかインドか、とにかくどこかに強大なキリスト教国家があり、その信仰篤き王がプレスター・ジョン。会うことができて同盟を申し入れれば断るはずがない。とにかくプレスター・ジョンの居場所をつきとめろ。

ポルトガルがインドへの喜望峰航路を開拓しようとしたのは、通説になっているインドの香料を求めただけではない。むしろインド(たぶん)のキリスト教国家と接触し、それによって中東のイスラム勢力を挟み打ち。息の根を止めてしまおうという壮大な十字軍計画だった・・・というのがナイジェル・クリフの説らしいです。


面白かったこと。

まず情熱に燃える禁欲的な航海王子エンリケ。実像は通説とかなり違っていたらしい。本人は船に乗ったことはなかったし、それほど大規模な施設をつくったわけでもない。ただし非常に政治的な判断力を持っていた。迫害されていたテンプル騎士団のポルトガル支部をうまく乗っ取るような措置をとり、その財力を活用することに成功。本人が騎士団長になったんだったかな。

ヴァスコ・ダ・ガマ航海の数年前にコロンブスが「インド」を発見していました。ただ、コロンブスの航海は歴史上の大偉業ということになっているけど、実際にはヴァスコ・ダ・ガマのインド到着のほうがはるかに影響が大きかったんじゃないか。

ヴァスコ・ダ・ガマはさんざん苦労して喜望峰をまわり、インド西海岸のカリカットに着きます。でも現地に勢力をふるっていたのはイスラムの首長たち。ろくな土産物も持たずに能天気な交渉をしようとしたガマは完全に貧乏人扱いされて馬鹿にされます。ま、そうだろうなあ。

金はない。知識もない。お土産もない。ヒンズー寺院を見て「キリスト教会だ!」と勘違いするような(ムスリムが偶像を嫌うという知識はもっていたから))困った連中です。ただ、ポルトガル人には武器があった。長い間イベリアで戦争してましたからね。ずーっと臨戦態勢だったんで武器だけは発達していたらしい。とくに石の砲弾を発射する大砲の威力がすごかった。

困ったことにポルトガル人には「インドの常識」が通用しません。なにかというと民間船を拿捕して強奪する。すぐ人質をとって、拷問して、情け容赦なく殺す。町を焼き払う。これも「十字軍」と考えれば納得がいきます。すべての行為は神の祝福を得ているんだから、堂々と殺戮して堂々と盗む。しかも戦果はべらぼうに大きくて、金銀香料などなどが山ほどある。

というわけで、数年のうちにポルトガルは大艦隊を派遣するようになり、インドに橋頭堡を築き、居留地を建設し、インド沿岸を征服する。インドネシアにも進出して香料を確保する。大成功。

惜しむらくの問題点はポルトガルが小国で、たいした人口がなかったこと。こんな大展開するにはちょっと無理があったんでしょうね。本国の食い詰め連中がインドに行って王族のように贅沢をする。堕落もするし、仲間割れもする。結局、そのうち自然崩壊。その後を襲うのは、しっかりもののオランダや英国です。

英国船がなんかの拍子にお宝満載のポルトガル船を拿捕してみたら、船倉の宝物が半端じゃなかったんで、貧乏性でケチなエリザベスが驚愕してしまった。海賊は信じられないほど儲かる。交易の利益は莫大である。うーん・・てんで、これが東インド会社につながり、中国のアヘン貿易にもつながっていく。

そうそう。このポルトガル宝船の中身、英国の港に入ったとき、象牙や香料などのお宝はたっぷり積んであったけど、女王命令で物品リストを作ってみたら、なぜかあったはずの宝石箱だけが紛失していたとか。智恵のまわるやつが途中で抜き取ったんでしょう。いつの世にもはしっこい奴がいる。

アーカイブ

最近のコメント

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうちBook.14カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリはBook.13です。

次のカテゴリはBook.15です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

OpenID対応しています OpenIDについて