Book.16の最近のブログ記事

今年は雑読エントリー数が75。少ないです。★★★★評価なんてあったかな?と検索かけてみると、それでも一応はありました。えーと8冊ですか。ま、そんなもんでしょう。


「三四郎」 夏目漱石

sanshiro2016.jpgなんで読もうと思ったのやら。田舎青年が東京に出てきてマゴマゴする姿が楽しい。気負いやら気後れやら狼狽やら。青春小説ですね。そうそう、なぜか人気らしい「坊ちゃん」、こっちを青春小説と称するのは奇妙な気がします。ついでには言えば「心」もあまり感心しません。漱石らしくない。

ただ若い頃の読み方と年取ってからでは変わりますね。子供の頃は美禰子さんが神々しく映った気がします。落ち着きはらって胆がすわって、若い女とは思えない。小説なんだから当然、三四郎と美禰子は恋愛関係になるんだろうと思っていたら、あれれ、なんか変だなあ。

人生経験経てから読むと、なーんだ、若い三四郎はからかわれているんだ。からかうという言い方は少し違うかな。要するに美禰子に振り回されている。ただし美禰子が自覚して男どもを振り回しているとは限らない。天然自然、それが「女」なのかもしれない。三四郎がグイッと迫ったら、ひょっとしたらの可能性があったかもしれないし、ダメだったかもしれない。

野々宮さんの妹でしたっけ、頭の鉢の開いたよし子。どこにも美人と書かれていないし、よし子が三四郎に好意を持っているとも書かれていない。でも読んでいるほうとしては、勝手にそう受け取ってしまう。面白いものですね。こういう小説はやはり★★★★にするしかないです。



「醒めた炎 木戸孝允」村松 剛

sametahonoo2016.jpg久しぶりに全巻通して読みました。とにかくマメで気がついて親分肌で忙しい人だった。充実しているともいえるし、生き急ぎすぎたともいえる。享年45。イライラして胃を悪くして、たぶん怒り狂いながら死んだ。

何回も書いてますが、明治の最初の10年間、よくまあ国家の形を保てたものです。薩長の政治家・首脳はみんな若僧で思いつきで自分勝手に動き回って、よくまあ国が潰れなかった。酷税に苦しんだ国民、よくまあ我慢した。もちろん暴動や蜂起もあったようですが、組織だったものに発展しなかったのが不思議なくらいです。明治維新とこの明治初期、ものすごいラッキーに恵まれたんでしょう。

話は違いますが、最近は関ヶ原の勝敗も、どうも「運」の固まりだったような気がしてきました。事後評価としては西軍の戦意のなさとかグズグズぶりが強調されますが、双方の陣構え図をみると、どう考えたって家康が突出しすぎている。本陣のあった桃配山ってのは、常識外れに西に寄った場所なんです。わざわざ自分から袋のネズミになっている。ずーっと東の南宮山にいた毛利とか長宗我部なんかが、もし気を変えて(可能性は十分ある)その気になれば完全な包囲・殲滅戦になっていた。

ただ、実際にはそうならなかった。吉川広家は動かなかったし、広家が動かないので毛利秀元も山の上に留まっていた(宰相殿の空弁当)。気の利かない長宗我部もボーッとしていた。そして決断を伸ばしていた小早川も最終的には動いた。ま、そういうことです。結果的には「さすが神君」と家康は祭り上げられますが、本当はかなりヤケだったんじゃないか。イチかバチかの賭が当たった。

大きな戦とか国家運営とか、たまたまの偶然とかラッキーがあんがい大きな要素になるのかもしれないです。ユゴーのワーテルロー戦評価に通じますね。前日からの雨で砲車が動けなかった。援軍として駆けつけるべきグルーシー元帥が気の利かない男だった。気圧の具合でお腹の疥癬が悪化したウンヌン。


「大聖堂」レイモンド・カーヴァー


daiseido2016.jpg村上春樹がよくひきあいに出すレイモンド・カーヴァーの短編集です。

どういう筋でどういう内容・・と詳細を書いても仕方ないような作家ですね。ひたすら雰囲気だけで読ませる。これといってオチがあるわけでもないし、特に叙情的というものでもない。ほんと、説明しにくいです。そうそう、表題作の「大聖堂」は、あんまり好きになれませんでした。

ちなみに書かれている題材はほとんどがアル中、離婚、失業などなど。日常が少しずつ壊れていく。読後感は悪くないけど暗いです。4評価は甘くて、実質的には3と4の中間くらいかな。




「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」矢部宏治

nazekichito.jpg故ハマコーが喝破したように「アメリカ様に逆らえない」はなんとなくの常識ですが、では日本は米国の植民地なのか。そこまでではないにしても「準属国」なのか。

実際には、ことあるごとに米国や米軍が口出ししてくるわけではないようです。そこまでは露骨ではない。しかし「安保法体系」なるものが戦後の日本を支配してきたのは事実。具体的には日米安保とか地位協定とか密約とか、細かなことなら日米合同委員会とか、複雑に糸が張りめぐらされている。事実上、こうした「体系」に逆らうような動きは不可能なんだそうです。すべてが米国の強制ではなく、日本側からの追従・迎合も多い。

仮に政府の専断に怒った民間団体が訴訟を起こしても、政府は絶対に負けない。負けないような形が整っている。だから役人は強気で行動する。役人は負ける側には決して立ちません。おまけに司法は最終的に必ず味方をしてくれる(高度に政治的な事柄に司法は関与しないという最高裁判決がありますね)。そういう形を戦後数十年、しっかり作り上げてきた。なるほど、という説明でした。

ちなみに意外だったのは日本上空の管制権。けっこうなパーセンテージのルートが米軍専用で、日本の旅客機は立ち入り禁止(だから羽田発の航空機は海側に出て行く)。これは知っていましたが、本当は「米軍機は日本上空すべての飛行権をもつ」のだそうです。

ついでですが、米国が日本を守っていると考えるのもかなり甘い。どっちかというと「日本が敵対しないように監視している」というのが近いんじゃないだろうか。ちなみに国連には「敵対国条項」がいまだに残っているんだそうです。日本とドイツは敵対国。これがまた戦争を起こさないように監視するのが国連本来の役目でした。

「連合軍」はUnited Nations、「国連」もUnited Nations。つまり国際連合などど綺麗な言い方ではなく本当は「連合国連盟」とでも称したほうが実情に合っている。それなのに敵対国の尻尾を引きずっている日本が常任理事国になろうと運動しているらしい。奇妙な状況なんでしょうね。



「お言葉ですが別巻6 司馬さんの見た中国」高島俊男


okotobadesuga_b6.jpgこの人のはたいてい面白いですが、すぐ漢字やら言語の話になるのが困る。それが専門なんだから仕方ないですが、やはり漢字絡みの話になると内容がなかなかに難しい。その点、この別巻6は比較的読みやすいです。

高島俊男という人。とにかく「やりすぎでしょ」と心配になるぐらい権威を切りまくる御老人です。作家や評論家を叩く程度ならわかりますが、飯のタネである大手出版社まで攻撃する。そりゃ敬遠されるでしょうね。ただその切り方が痛快無比で遠慮がなく、ついニヤリと笑ってしまう。

この一冊もいろいろなテーマが盛り込まれていますが、たとえば日本で歴史を贋作というか、強い影響力、勝手なイメージを作り上げてしまった元凶は3つあり、日本外史、司馬遼太郎、NHK大河ドラマなんだそうです。これは非常に納得でした。

ついでですが、日本の「儒学」はいちおう幕府から公認厚遇されていたようですが、実際にはクソの役にもたたない。その代わり害毒ももたらさなかった。それに対して国学は一見マイナーふうなのに浸透力があった。困ったことになまじ影響力をもったために非常に害をなした。本居宣長とか平田篤胤一派でしょうね。これも非常に納得しました。



「戦争と平和」トルストイ

sensotoheiwa.jpgうーん、これを★★★以下にするわけにはいかないよなあ・・という理由で★4です。そこが「名作・古典」というもの。

それにしてもこの歳でよくまあ再読しようなんて考えた。同じような「名作」でも、たとえばば罪と罰をまた読もうという気にはならない。同じトルストイでもアンナ・カレーニナや復活なんかは手をつける気にならない。大昔、つい懐かしくてジャン・クリストフを買ったけど、いまだにページを開いていない。その代わりモンテ・クリスト伯は何回も読んでいるしレ・ミゼラブルもけっこうな回数読んだ。どこが違うんでしょうかね。

で「戦争と平和」、久しぶりに読んで、やはりナターシャはあんまり好きになれなかった。ついでにピーターってのも、昔からあまり好感持っていません。アホくさい。ま、そんなことは作者が百も承知のわけで、それでも読ませるのが名作の所以なんでしょう、きっと。

だんだん好きになるのは強欲なワシーリー公爵とかヤクザなドーロホフ。ボリスという青年もけっこう好きです。そうそう、ナターシャの姉さんと結婚したケチな男もいいですね。名前は忘れましたが実に似合いの夫婦。

それはそれとして、なかなかに面白い本でした。読んでよかった。最初に読んだのが大学受験後の春休みで、ようやく読めるぞォーという解放感。何日かかったのか。コタツに座りっぱなしでずっしり重い筑摩の細かい活字にとりつきました。読み終えてしばらくボーッとしていた記憶がある。

大昔の大学の一般教養(般教)でとった国文学概論、当時人気だった助教授が「名作ってのは、読み終えると1週間くらいはボーッとするもんです。世界が変わる」とか言うていました。納得です。



「マオ 誰も知らなかった毛沢東」ユン・チアン


mao2016.jpg例の「ワイルド・スワン」のユン・チアンです。意外な事実が多かった。というより自分が何も知らなかったというべきかな。

例の長征、単なる逃亡だろうとは思っていましたが、なぜその結果として共産党が大きな力を得たのか。そこのところが分からなかった。不思議です。

この本で理解した限りでごく大胆に言うと、まず国民党が自壊した。失望を買ったんですね。それに代わるものは何か?というと、可能性として共産党しかない。

そんな中、地方組織から権謀術数の限りを尽くして毛沢東がのし上がってきた。方法はシンプルで、とにかくハッタリと嘘。思い切って大胆にやります。そして反対派を徹底的に殺した。もちろん文句をいう農民も無慈悲に粛清。権力を握った。独裁ですね。そして田舎に籠もったため、都会の若者たちには実態が伝わらず、まるでマルクス主義の理想郷のように喧伝された。

ちょうどオーム教団です。腐敗した国民党に絶望し、熱に浮かされた都会の青年たちが延安に吸い込まれていく。そこから(生きて)出てくる連中はいない。神話だけが先行して中身が見えない。実際には逃げようとした連中はたくさんいたけど、みんな殺された。不思議な熱気があったようです。

毛沢東という人、やはり天才なんでしょうね。嘘を言うことに躊躇がない。邪魔になる連中を抹殺することにもためらいがない。いかにも恨みをかって暗殺されそうですが、見事なくらいに臆病で保身に走る。そしてひたすら宣伝々々。宣伝し続ければ嘘も真実になる。

例の大躍進。農民がどんどん餓死した理由の一つは、失政でただでさえ乏しい食料を海外輸出し続けたからのようです。ソ連から高価な武器を買いたいけど、貧しい中国にはほかに輸出するものがなかったから食料を売った。その結果人々が死ぬことにまったく関心がなかった。1億死のうが2億死のうが、それがどうした。(悪い意味で)傑出した人間です。

そうした毛沢東に抵抗する者はいなかった。いたことはいたようですが、みんな途中で(周恩来のように)くじけた。くじけなかった者は抹殺された。



「老生」賈平凹

rousei.jpg中国にも素晴らしい作家はたくさんいる。ひょんなことから莫言を読み始めたのがキッカケで、高島俊男さんの紹介する作家リストなどを参考に、図書館で発見するたびに少しずつ読んでいます。この賈平凹もいい作家でした。

「老生」は年齢不詳の弔い師(弔い唄をうたうのが仕事)を狂言回しに、国共内戦、土地改革と人民公社、文化大革命、そして開放期。一つの村に住む人々の愛や欲望や憎しみ、殺し合いをずーっと追ったものです。現代中国ではこういう大河スタイルの小説が非常に多いですね。他に書きようがないのかもしれない。党を直接批判せず、しかし婉曲にでも抵抗の姿勢を見せるのは非常に難しいのだと思います。

そうそう。記述の背景として、山海経(せんがいきょう)の読解があります。意図がわからないし成功しているとも思えないのですが、たしかに奇妙な本らしい。まさに怪書。ひたすら天下の山や海、そこに住む怪物や産する鉱物を延々と記述している。こういう内容の本だったのか・・と知っただけでも凄い。ほんと、中国にはなんでもある。



「群雲、関ヶ原へ」岳宏一郎

murakumo2016.jpg関ヶ原ものの定番ですね。登場人物がいったい何人いるのか。それぞれの武将がそれぞれの思惑で必死に生き残りをかける。卑怯な奴もいるし、バカ正直もいる。うまく成功した武将もいるし、なぜか失敗してしまったものいる。文字通り「命をかけて」の駆け引きであり、どっちが勝つかの読み勝負。そうした大小の「群雲」たちが関ヶ原の一点へ向けて収斂していく。司馬遼太郎とはまた違った味で、傑作と思います。

登場する人物みんなが必死に生きているからか、読後感は爽やかですね。家康は不器用で愛嬌があるし、三成はもっと不器用で傲岸不遜だけど、可愛いところもある。完全なヒーローなんていないし、悪人も敵役もいない。唯一、上杉景勝だけがちょっと綺麗に描かれすぎで、これは作者のエコヒイキでしょう。

さすがに何回も読みすぎて、どこかの章を読み出すと「ああ、こういう話だったな」とすぐ思い出す。すぐ思い出してしまうのは詰まらないですが、それでも時折は読み返す本です。




★★ 日経文芸文庫
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裏切り者といえばふつう小早川秀秋ですが、それじゃヒネリがなさすぎる。ひょっとして吉川広家かな?とも思って借り出しましたが、ちょっと違った。

主人公は小早川秀秋と増田長盛です。長盛ってのは奉行衆の一人ですね。たぶん近江派の実務官僚で、大和のあたりに所領があったはずです。で、三成なんかとは仲が良かったとみなされる。秀吉の没後というと三成ばっかりがクローズアップされますが、この増田長盛とか長束正家前田玄以とか、どういう人物だったのか。何をしたのか。けっこう勢力もあったはずです。

岳宏一郎の「群雲、関ヶ原へ」では増田長盛、かなり要領よくたちまわり、会津成敗のタイミングにもせっせと家康に情報提供しています。珍しいことではないですが二股膏薬。西軍の後方支援事務をとりながら東軍にも便宜をはかる。しかし結果的にうまくいかなかったような・・・と思ったら、やはりそうでした。

敗戦処理では予想に反してかなり危ない状況になる。領地も城も失い、かろうじて命だけは助けられて蟄居。うんざりして最後は自分から死を選ぶことになっていますが、これは初見でした。官僚ではあったけど、根っこの部分はやはり戦国武将だった。

もう一人の裏切り者、小早川秀秋の場合は「返り忠」じゃなく、最初から東軍に味方していたという設定。たしかにそういう見方も可能でしょうね。家康の味方をする予定だったのに、あいつが悪い、あいつが邪魔する。結果的に不本意ながら西軍になってしまった。だからグレて松尾山に陣どった。

それにしては勝敗を決することのできる1万5千の大軍、山を駆け下るのがあんなに遅れたのか。そのへんは読み終えてもまだ釈然としません。やはり日和見といわれても仕方ない。

近衛龍春、ちょっと多作になりすぎた感もあります。


★★★ 早川書房
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楽観論による人類未来展望です。

人類発祥以来、なぜ特定のグループだけがこんなに繁栄できたのか。それは脳細胞が急に増えたからではないし、農耕を知ったからでもない。ひとえに「交換」によるものだと主張します。

なるほど、という説得力はありますね。小さな集団がどんなに頑張っても、食べるだけで精一杯。たとえば石器をつくるにしても、そんなにエネルギーを割くわけにはいかない。なにしろ忙しいですから。ササッと割って叩いて、ある程度使えるものができればそれで十分。もう少し工夫してみたいなあ・・と思っても「おい、狩りにいくぞ」と言われればそそくさと出かけるしかない。

しかしグループの構成員が多くなると、専門家の生じる余地が生まれます。あいつは狩りは下手だけどナイフを作るのは上手だからなあと許してもらえる。そうやって効率のよい石器を作ることができるようになる。結果的にグループ全体の獲物も増える。ただし環境が変化して獲物が少なくなれば、「専門家」に只飯を与える余裕はなくなり、すべてもとの木阿弥。発明・新技能は消え去り、それが共通の「文化」になることはない。

理由は不明ですが、そのうち「交換」という概念が生まれる。あるグループは狩りに専念する。あるグループは漁が得意。あるグループはケモノの皮をつかって暖かい衣服を作れる。自分たちだけですべてをまかなう自給自足にくらべて、はるかに効率がよくなる。しかも専門技術はどんどん進化し、伝承される

交換とは、いわば他人の労働時間を買うことです。同時に、自分もまた他人に時間を売る。分業制。ふつうの人間がいわば何人もの「奴隷」を使い、同時に自分もまた他人の「奴隷」になる。そして多くの学者たちが主張するよりはるか早期に「交換」は成立していたのではないか。交換という文化が一般化すると、そこに「都市」が誕生する。交換の中核となる場所があると、非常に効率がよくなります。

著者の主張では、「農耕がひろまって都市が誕生」ではなく「農耕普及以前の段階ですでに都市が誕生していた」ということのようです。栗林を育ててから三内丸山が成立したのではなく、交易拠点として三内丸山が誕生し、その後で栗林を造成した。

というわけで、人類はひたすら「交換・交易・分業」によって繁栄してきた。ただしそれを邪魔する存在もあり、たとえば強権国家、商業の規制、詳細なルール作り・・などなど。大きな国家が誕生して国内が平和になると交易がさかんになり、栄えます。しかし必ず過度の王権や官僚や宗教、重税、支配者の強欲によって規制・阻害される。規制されて自由な発明・商業が力を失うとやがて国家も滅亡する。

国家は大きくなりすぎないほうがいい。ただしあまりに小さく分割されるとそれはそれで関税障壁が多くなりすぎて衰退する。だから中国史でみると強大な「明」は衰退した。むしろ三国時代のほうが発展していた。つまり最低限、自由な交易を保障する程度のドングリ国家がたくさんある状態が望ましい。

インターネットで世界中がむすばれた現在、いわば世界中の人間たちが交易可能な状況です。どんな発明でもアイディアでも、あっというまに伝播する。すべてはどんどん改良され、世界中の人間の欲望は果てしない発展へと猛進する。

要するに、国家は民主主義的環境と最低限の安全を保障してくれるだけでいい。政治家や官僚はそれ以上余計な干渉をするな。レッセフェール。欲望というエンジンで世界は無限に発展している。これまでもそうだったし、これからもそうだろう。

ま、そんな主旨の本でした。これから人類や地球がどうなるのか、いろいろ悲観論は多いですが、著者はすべてを一蹴します。人類には知恵がある。欲望がある。たとえば豊かになると人口膨張はおさまります。石炭、石油。どんどん使えばいい。農作物から燃料を作るなんて本末転倒で食料高騰と森林破壊をまねくだけ。コストが合わなくなれば必ず他のアイディアで出てくるはず。そもそもいつの時代でも悲観論者は大きな顔をしてきた。そうした評論家・学者・政治家の言葉が正しければこの世界は何十回も破滅していたはず。

そういうわけで、ちょっと乱暴な感じもありますが、なかなかに面白い一冊でした。少なくとも論旨は明快。人間=交換する動物、ということですね。


★★★ 新潮社
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本棚にあったのを発見して、ふと一読。

都会の(麻布・肉体派)中学生が松本高校へ入り、山に感動し、前から知り合っていた女学生(東洋英和)と結ばれ、そして空襲で彼女を失う・・・というお話。現代版、ダフニスとクロエーです。ただし背景は戦争末期であり、空襲であり、空腹であり、バンカラな旧制高校の寮です。

北杜夫がごく若い頃に書いたもののようです。「幽霊」が処女作ということになっていますが、それよりも前。本人も「若書き」と記していますが、確かにかなり粗い。恥ずかしくなるような粗さです。

ただ数十年後、北杜夫はその原稿を読み直して、捨てるに忍びなくて後半を書き足した。したがって前半と後半、微妙にタッチが違うものの、ま、「若書き」の雰囲気を可能な限り残したという感じです。

なかなかに読後感のいい本でした。そもそも北杜夫ってのは、こういう小説を書く人なんですよね。


★★★ 講談社
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書き下ろしのようです。「最後の戦い」ですから、主人公は長宗我部盛親。大坂城にこもった武将です。

長宗我部と島津はよく似ていますね。それぞれ四国、九州を併呑する寸前に秀吉のストップがかかった。片方は南海の僻地、片方は九州南端。よく言えば勇猛果敢であり、悪く言えば視野が狭くて遅れている。誤解を恐れない言葉で表現するなら、野蛮人。

長宗我部といえば元親ですが、島津戦役で期待の長男をなくしてからボケたというのが定説です。それから例によって跡目を決めるのにグズグズして、結果的に三男(だったかな)の盛親と孫娘(長男の娘)を結婚させることにした。叔父と姪の結婚です。ちょっと近すぎるので、反対も多かったんですが、たぶん最愛の長男の血筋を残したかったんじゃないか。

つまり、盛親はたいして期待されていなかった。ま、そういう解釈です。

なんせ土佐の田舎もんなんで、政治的な外交感覚に乏しい。で、関ヶ原での立ち回りに失敗して、心ならずも西軍に属する。なーんもしないうちに敗軍ということになって、土佐へ逃げ帰る。で、かなわぬまでも徹底抗戦・・・の決断もできず、マゴマゴしているうちに改易。

島津にとって、この長宗我部の扱いは非常に参考になったらしい。同じ轍を踏むまいとして島津は粘りに粘る。結果的に島津は温存です。島津が得をした。長宗我部は大損した。こんなことなら関ヶ原で決断して突撃するんだった。もしそれができたら結果は違っていたかもしれない。えーい、悔いが残る。

ま、その後はご存じのとおりで、寺子屋の師匠をしていた盛親は請われて大坂城に入る。冬の陣、夏の陣、それなりに奮戦しますが、最後はどうにもならず脱出して、捕まって、二条城の城門にさらされてから首を刎ねられる

この時代、上手に世の中を渡るってのは難しいですね。不本意な人生を送ってしまった武将のお話でした。近衛龍春、そういう辺境の気の利かない武将を好んで書いています。


★★★ 集英社インターナショナル
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ノンフィクション作家と歴史学者の対談です。読みごたえはないけれども、けっこう面白いヒントがたくさん。

ま、簡単にいうと、室町時代を知ろうとしても古文書があまりない。ないところを必死に研究するのも悪くないですが、むしろ「現代の室町時代」つまり東南アジアの僻地やソマリアなんかを調べると同じような文化が残っている。そっちの方が効率がいいんじゃないか。

たとえば室町時代の「足軽」は、いわば僻地ソマリアのテロリスト連中。要するに略奪しか食う手段を持たない底辺層です。だから応仁の乱が始まると、それまで頻発していた徳政一揆が、ピタリと消えた。足軽連中がみんな戦に駆り出されたからなんでしょうね。「徳政だあ・・」と騒ぐ暇がなくなった。つまり「徳政一揆とは搾取された民衆の怒りが・・」というキレイゴト史観では無理がある。

ついでですが、ソマリアでは「客」が非常に威張る。ホストは無条件にゲストを歓待しないといけない文化らしい。だからイスラム過激派が外国人を襲うんだ、という話になります。政府の面目を失わせるためにはゲスト、つまり外国人を襲うのがいちばん効果的。ゲストを守れないとホストの面目はまるつぶれになる。

独裁者、大麻生産地を管理しているマフィア、それを売りつけている米国のギャング。彼らの支配地域は非常に平和で、概して犯罪も少ないそうです。効率的に大麻を生産させるにはまず平和が肝心。もちろん麻薬なんぞ徹底禁止です。ギャングもそうですね。売人が麻薬に手を吸ったら商売にならないし、ドンパチが多発すると警察に睨まれる。文句を言わせず、効率よく、平和に。ですから「独裁は悪、そんな支配下の住民は不幸」と単純に言い切れるかどうか。

独裁者(マフィア)とは、いわば室町戦国の領主でもあります。やっていることの正否はともかく、彼らにとって領内の平和は絶対に必要だった。特に書かれてはいないですが、かつてのフセインのイラクが不幸だったかどうかという問題ですね。かなり難しい。少なくともたった一つの価値観ですべてを判断してはならない。

ちなみにタイでは、農民から税をとるのが非常に難しい。重い税を課すと、すぐ一家でいなくなってしまう。室町の「逃散」ですね。国土が広くて農地がたくさんあるから、どこででも米を作れる。税金の重いとこで辛抱して耕作する必要はない。しかし日本の場合は「どこででも・・」が難しくて、耕作に適した土地なんて、そうそうはない。つまり領主にとって非常に管理しやすい条件が整っていた。

しかし領主の決めた「掟」がストレートに通用していたかというと、たぶん違う。表向きの「掟」とは別に、民百姓たちが暗黙のルールとして維持してきたルールもあった。たとえばの話が「鉄火起請」とか「湯起請」とか。そんなバカな・・という裁判ですが、実際にはさほど熱くはしなかった気配もある。要するに「形作り」ですね。起請をすることで、ナアナアの決着がつく。真面目にやったらみんな大怪我してしまいますから。そうした表と裏を上手に按配して暮らしてきたのが室町の人々じゃないだろうか。


そうそう、余計な話ですが、信長が叡山を焼き討ちしなかったら大変なことになっていたという述懐には笑った。焼き討ちがなかったら膨大な資料が残された可能性があるということです。研究者からすると、資料がない(古代)のは困るけど、多すぎる(近世)のもまた困る。多すぎると資料の山の中に埋もれる結果になり、。そういう意味で中世というのは、一生かければ全体を概観することができる程度の資料なので、歴史研究者にとって手頃なんだそうです。なるほど。


★★★★ 新潮社
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ふと気が向いてこの分厚い上下本を。いったい何回読んだのか、カバーがボロボロです。上巻なんかずいぶん前からむき出しになっている。

ご存じの方はご存じでしょうが、関ヶ原の決戦へ向けて右往左往する戦国群像劇です。書き出しは蒲生の移封決定から。そして上杉景勝が越後から会津へ移る。登場人物は何十人いるか数えたこともないですが、主役というか登場回数が多いのは家康、景勝、石田三成など。もちろん前田利家、真田昌幸、黒田官兵衛なども主要メンバーです。

内容はいわゆる通説+独自資料。それを土台にして著者がそれぞれの人間性を自由に解釈して叙述する。武将たちの思考と行動はあくまで戦国ふうであり、しかし決して類型化しない。みーんな自分第一、生き延びるために必死。嘘もつくし裏切りもする。特に悪い奴もいないし、善人もいない。人間臭さが非常に魅力的です。

たとえば家康はけっこう愛嬌があります。ウナギのように胴長で、嘘が下手で不器用で吝嗇で、ずーっと律儀を売り物にして過ごしてきた。臆病なんだけど、追い詰められると意地になって居直る。ヤケになる。関ヶ原で本営をあんなに突出させたのも、たぶん半分はヤケです。死ぬか生きるかの大博打。

三成はだいたい想像通りの正義漢ですが、決して善人なんかじゃない。べらぼうな策士。そして超有能。あんまり嫌われてるんで、逆に家臣たちには妙に愛されている。庇護の対象という感じでしょうか。かなり可愛いです

あまり知られていないマイナー武将たちを描いた章が特にいいですね。たとえば選りすぐりの寵童たちを着飾らせて連れ歩くのが好きだったバブリーな安国寺恵瓊とか、思案のときには唇の薄皮を剥く癖のあった海賊衆の九鬼嘉隆とか。息子たちを犠牲にしてまで、敢えて展望ゼロの大坂城に入った老将(氏家行広)とか。人間ってそういう部分、あるよなあと感じさせる。

奉行職筆頭格だった浅野長政もいいですね。彼の目には太閤の死後、次は家康ということが分かりすぎていた。しかし豊臣と徳川が対決した場合、自分の立場は非常に難しい。なにしろ長政は高台院(北政所)の義理の弟です。というわけで、訳のわからない家康暗殺計画に連座させられたとき、内心喜んで身をひいた。関東に隠遁したんだったかな。政争の表面から姿を消し、家康に従う形になれた。で、豊臣政権で要職にあった人物としては非常に巧みに生き延びて、たしか息子は和歌山城主。

で、著者によると秀吉にとって「木下一族」は信頼できる縁戚でもあり、目障りな集団でもあった。この一族のリーダーは正妻の北政所です。女房の実家関係というのは頼りにもなるけど、あんまり図に乗らせたくない連中でもある。こういう視点はなかなか面白いですね。

同じ木下一族として、伏見城の責任者だった木下勝俊という人も登場。えーと、なかなか面倒ですが、たぶん松の丸殿(京極竜子)の連れ子で、秀吉の指示で木下家へ養子にやられたという解釈。したがって小早川秀秋とは一応兄弟。北政所が義理の叔母。この時代、縁戚関係が非常に複雑です。

で、東西手切れで三成が伏見城を攻めた際には、攻める側が小早川秀秋、守る側が木下勝俊。やってられないです。軟弱な勝俊はさっさと逃亡した。あるいは家康が派遣した守将の鳥居元忠に追い出された。その後はいろいろあって、結果的には叔母さんの庇護のもと、悠々と歌を詠んで過ごした。けっこう有名な文化人らしいです。

この本、何回も読んでいると、著者の解釈がちょっと強引に感じる部分も出てきますが、ま、それでも名著であることに変わりはない。司馬遼太郎の「関ヶ原」あたりを先に読んでおいたほうが楽しめるかもしれません。

それにしても「群雲、大坂城へ(仮題)」はまだか。


★★★ 講談社
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フランス革命を描くとき、どうしてもパリが中心になります。しかし実際には、フランスはパリだけでなく、地方都市もあるし田舎もある。ということでロワール川下流の都市ナントで暮らす貴族やブルジョワ、庶民はどう受け止めたのか。激動をどう生き延びたか。

ま、そういう設定で、しっかり調べ上げた小説です。しかし皆川博子ですから中身はドロドロ、ネチネチした濃厚な文体とストーリーで話は進みます。上巻の舞台はナント、下巻は主としてロンドンかな。

ちなみに「クロコダイル」はワニ。なんというかメタファーとして登場するワニ(実態があるものも、ないもの)はやたら出てくるんだけど、それがいまいち明確ではない。おまけに成功しているような気もしない。訳のわからないワニなんて存在しなくてもいいのに、著者はえらくワニにこだわっている。

そうそう。たぶんロベスピエールの仲間だったらしいジャン=バティスト・カリエという人物、初めて知りました。パリからナントに派遣されて革命委員会を組織、強大な権力を持っていたらしい。不満分子を片っ端から逮捕してさっさと処刑する。とくにナントの周辺は王党派が軍団を組織して激しい戦闘になり(ヴァンデの乱=これも初耳)、大量の捕虜の始末に困ってボロ船に乗せてロワール川に沈めるという案をひねりだしたのがジャン・カリエ。

収容する牢獄もないし、ギロチンはけっこう手間がかかるし、銃殺は弾丸がもったいない。川に沈めるのがいちばん手っとり早い。最初のうちは隠匿していたけど、最後の方はおおっぴらだったらしい。数千人を沈めた。さすがに後日、問題になったようです。「共和国の結婚」とも称され、男女を裸にむいて抱き合わせて縛って放り込んだという説もありますが、さすがにこの真偽は怪しい。

ついでですが、悪名高い秘密警察のジョセフ・フーシェもやはりナントの出身です。フーシェって、高校生のころにたしかツヴァイクの伝記もので読んで、しっかり記憶に残りました。革命期の怪物ですね。激動の時代の生き残りの達人。ナントって、けっこう有名人を生んでいる。だいぶ前に家内といっしょにロワール地方の城を巡ったことはあったけど、せいぜいトゥールまで。ナントまでは行けなかった。

で、上下巻を読み終えての実感。本筋とは無関係ですが、この時代のフランスや英国に生きた貧民でなくてよかった。ほんと、貧しそう。飢えていそう。痛そう。寒そう。凍えそう。比較的最近、18世紀から19世紀の英仏なんですけどね。アジアやアフリカはもっと大変だったんだろうし。人類の歴史、庶民が生きることは常に厳しかった。


★★★ 早川書房
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レン・デイトン、もちろん名前は知っているし読んだこともあるはず。しかし何を読んだか・・というと確かには思い出せない。要するに、すごく感動したことがないのかな。

この「SS-GB」は、歴史IFものの警察小説です。ドイツ占領下のロンドン、ヤードのアーチャーと呼ばれる警視が殺人事件の解決に活躍。実際、もしヒトラーがソ連にちょっかいかけず、真面目に英国攻撃を続けていたら早期に勝利していたかもしれない。ま、けっこう可能性はあったでしょうね。

で、その場合、ドイツは英国に駐留し、国防軍や親衛隊が統治。ソ連とは独ソ条約の友好関係を保ち、米国とは緊張感をもちながらも敵対はしない。英国王はロンドン塔に幽閉されている。娘のエリザベスなんかは海外に亡命している。

読み始めの最初の頃は英国駐在のSS(親衛隊)幹部とスコットランドヤードの関係がよくわかりませんでしたが、そうか、要するに日本だったら警視庁の警視と進駐軍の関係なんだ。表面上は協力しあっているようでも、もちろん実権は進駐軍にあり、絶対に反抗は許されない。周囲からは進駐軍におべっか使っている・・と非難されながら、それでも警察は警察。公務員としての仕事を果たさなければならない。

そして進駐軍の士官たちは貴重な陶磁器や家具、美術品を買いあさり、ブローカーや闇商人が暗躍する。どんどんベルリンへ運び出す。成り金も登場します。町並みはまだ空襲に破壊されたまま。市民はそうした景色や収容所へ連行される人たちの悲惨を見ないようにして暮らしている。つまり「目を半分つむって」生活している。

で、この小説を理解するカギになるのはドイツ国防軍と親衛隊の敵対関係ですね。お互い蛇蝎のように嫌いあっている。幽閉された国王の身柄は親衛隊が管轄しているんだけど、国防軍としてはそれが非常に面白くない。戦争とは国家と国家の衝突。衝突の主力はそれぞれの国軍である。勝ったほうの国軍が敗戦国の元首を管理管轄するのは当然だろうという感覚。それなのに何で怪しげなSSがのさばっているんだ。SSなんて、要するにヒトラーの私兵じゃないか。メンツがつぶれる。

そうそう、小説に登場する主要なSS幹部は二人。一人は連隊指揮官、もう一人は師団指揮官。これが正式名称らしいですが、一般的にいうと大佐と将軍に相当するようです。将軍は少将か中将か、ちょっとわかりませんでした。

ちなみに関係ないけど、沙漠の狐ロンメルは国防軍の将軍です。だから今でも人気がある。


★★★ 早川書房
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ル・グィンは大好きな作家の一人です。大昔に読んだ短編集「風の十二方位」は良かったなあ。もちろん長編もいいです。西海岸あたりの未来を舞台にした「オールウェイズ・カミングホーム」以外は()みんな好きです。ゲド戦記ものもいいし、ハイニッシュとかいう一連のシリーズもいい。男になるか女になるか未定の両性人の「闇の左手」とか。

で、「世界の誕生日」は短編集です。収められたほとんどがハイニッシュもの。かつて栄えた人類が宇宙に散らばって、そこで独自の文明を築き上げる。成功した世界もあるし、原始的な段階に止まった惑星もある。

表題の「世界の誕生日」は、インカとか古代エジプトあたりをモデルにした神権政治の国のお話で、ちょっと長めの中編。皇帝(神)の娘と息子が結婚して次の神になる。そこへやはりエクーメンふうの使節が宇宙船で来るんですが、しかしこの連中は何もできない。そういう意味ではハイニッシュシリーズとは違うのかな。何もしないけど、宇宙船の来訪をきっかけに神の帝国は崩壊してしまう。

「世界の誕生日」というのは、皇帝(つまり神)が毎年決まった日に踊ることで、太陽の運行が定まる。つまり世界を毎年々々誕生させる。そういう意味。どうもかなり暑い世界のようです。宇宙船で来た連中はみんな皮膚ガンになってしまう。

「オールウェイズ・カミングホーム」はフェミニズムというか、要するに女臭さが強すぎたんでしょうね。アーシュラおばさん、女同士の関係を描くとベッタリ濃密すぎてどうも辟易します。
 

soremoikkyoku.jpg★★ 水曜社

副題は「弟子たちが語る「木谷道場」のおしえ」。

有名な囲碁木谷道場のお話です。列伝ふうに十数人の棋士たちをとりあげ、そうした弟子たちの証言で構成した本。プロ棋士だけでなくアマチュアとか出入りの床屋さんなんかの証言もあります。

悪くはないし、それなりに面白いのですが、うーん、ちょっと新鮮味がない。というか、雰囲気、情緒がなんか物足りない。期待をもちすぎだったかな。


ところで木谷道場と加藤正夫のことを書いた本、精霊の宿とかなんとかいうものだったと思うんだけど、正しい書名が思い出せない。なかなか読ませる好著だったんだけどなあ。うーん、歯がゆい。

・・・「精魂の譜」だった。 かなり違ってた。副題が「棋士加藤正夫と同時代の人々」。いい本でした。


★★★ 文藝春秋
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戦前の東京郊外の中産階級が暮らす赤い屋根の小さな洋館。戦争のことなんて気にもせず日々の生活にいそしんでいます。奥様と女中はたまに銀座に出かけては洋菓子を食べ、洒落たお土産を買って帰る。懐かしき日々。

先に映画を(もちろんテレビで再放送)見てしまったので、なんというか、人物がみんな松たか子やら黒木華になってしまう。あ、青年デザイナーの役だけは吉岡秀隆じゃなくて、誰か別のイメージ。あのドラマ、吉岡クンだけは場違いだった。

映画もよかったけれど、小説はもっと良かったです。奥様の浮気の部分はさして比重が多くない印象。あくまでテーマは自分と美しい奥様が過ごした甘美な月日ですね、たぶん。戦前の中産階級の、ちょっと背伸びした暮しぶり。そして女中のもつ「ある種の賢さ」と葛藤と小さな嘘のお話。

年取った主人公のもとに出入りする甥っ子の次男。彼の「暗い足音のせまる戦前」論はちょっと練れていない生硬なセリフまわしで、どうかなとも感じますが、ま、瑕瑾。作者はこれで直木賞をとったらしい。

★★★ 青土社
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副題は「最後の英雄クアナ・パーカーの生涯」。

西部劇時代、強かったインディアンはアパッチとかスーとかシャイアンとか、ま、そういうイメージです。駅馬車や列車を襲うのはたいてい羽根飾りをつけて弓をもった集団です。馬に乗った百人くらいのインディアンが奇声をあげていっせいに襲いかかる。

ジョン・フォードの「駅馬車」はたしかアパッチ。リトルビッグホーンの戦いはスー族かな。あんまり自信はないですが線路が開通していたり、駅馬車の行き来する街道があったりしたのは、たぶん中西部も北のほうじゃないだろうか。

しかしこの本の著者(ジャーナリズム畑の人らしい)によると、最大最悪のインディアンはコマンチだった。何かの本(たぶん「センテニアル」)で「馬泥棒のコマンチ」という表現があったような。馬=コマンチ。早い時期から馬の飼育に習熟し、機会があれば何百頭、何千頭の馬を盗み出す。そもそもは北のほうにいた部族で、インディアンの中でもかなり原始的な暮しをしていたマイナー部族だったけど、南下して馬を手に入れてから一変して、あっというまに大部族になった

ただしコマンチが全盛期に活躍したのはテキサス周辺でした。例のアラモ砦うんぬんの後の戦争でテキサスはしばらくの間、準独立国家で、要するに合衆国に入れてもらえず、継子あつかい。だからテキサスのことなんて、他のアメリカ人にとってあまり関心がなかった。テキサスそのものに関心がないんだから、テキサスで暴れているコマンチにもあまり興味はない。ま、そういう事情のようです。

この本、白人とインディアン(先住民族)の描き方、わりあい公平と思います。フロンティアの白人たち、ほとんどは困った連中です。文字も読めず、インディアンをシラミあつかいし、条約を作っては欲にかられて裏切り。土地がほしい。西進をやめるつもりなんかゼロ。ま、だいたい想像通りです。

しかしコマンチも決して「高貴な戦士たち」なんかではない」。条約を提示されれば「プレゼントがもらえる」と喜び、ただし遵守するつもりは毛頭ない。そもそも条約の意味が理解できないんです。一人の戦闘隊長がなんか誓ったからといって、なんでオレたちまで拘束されるんだ。意味わからん。そもそもいえば、インディアン部族に「首長」がいると思った白人が勉強不足。インディアンは基本的に全員平等で、西欧的な意味での「統率者・代表者」はいなかった。

で、機会さえあれば馬を盗み、集落を襲っては男女かまわず皆殺し。ただ殺すだけではなく楽しんでなぶり殺す。役にたたない赤ん坊ももちろん殺す。ただし5歳とか8歳くらいの子供だけは連れさって部族の仲間に加える。人口拡充策です。馬に乗った生活のせいかコマンチは出生率も低くて子供が少なかった。

それが悪いとか残酷といわれても困ります。そういう文化だった。まともなコマンチなら生まれたときから戦いを学び、馬を見たら盗み、敵に会ったら襲う。失敗すれば自分が殺される。ただ死ぬんじゃなくて、これもなぶり殺しです。お互いさま。

というわけでコマンチがテキサス中を蹂躙した。テキサスだけでなく数千マイルを縦横に移動し、たまにはメキシコ湾ちかくの大きな町まで侵攻したこともある。ただし略奪した大量の財宝(食料、布、家具、etc・・)をえんやこら持ち帰ろうとしたんですぐ追跡された。インディアン、欲張り。

コルトの連発銃が普及するまでは、むしろコマンチのほうが強かったんですね。単発銃で1回撃つあいだにコマンチは5~6本も矢を射てくる。コマンチを討伐するはずの民兵もなかなか「馬に乗って攻撃する」という発想を持てなかったんで、いつも負けていたらしい。有名なテキサスレンジャーが登場してようやく潮目が変わるものの、その連中も当初はほとんど食いはぐれた浮浪集団みたいなものだった。

そうしたコマンチでひときわ強力なバンドの統率者がクアナ・パーカーという残酷な若い戦闘隊長。子供のころにさらわれてインディアンとして育てられた白人娘の息子(この母親のストーリーも有名らしい)。要するに母は白人、父は酋長。これが強くて勇気があって、賢かった。最後の最後まで抵抗し、そして最終的には降伏。降伏してからは政治力と交渉力を発揮してなぜか「インディアンの代弁者」になってしまった。やがて数千ドルを費やした豪邸をたて、東部の有名人やテディ・ルーズベルトまでその家でもてなした。

知らないこと、多いです。


★★ たちばな出版
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西域ものです。登場するのは4世紀の僧 法顕、6世紀の宋雲、前漢の張騫、そしてヘディン、19世紀のヤクブ・ベクという地方反乱の首謀者。

このうちなんとなく知識があったのは張騫とヘディンくらいですね。法顕は名前に聞き覚えがある程度。宋雲はよう知らん。ヤクブ・ベク? なんじゃそれは。

知っているといってもヘディンは例のさまよえる湖ロプノールだけです。誰の本だったか。井上靖かな。豪腕の探検家という印象でしたが、実際には探検している時間より中国の官憲と折衝したり金を集めたりしている時間のほうが長かった。ま、そういうものでしょう。張騫も匈奴の捕虜になってダラダラ暮らしている時間のほうが長かったようだし、みんな信じられないくらい辛抱強い。

西域といえば求法の僧たちですが、それにしてもなぜ彼らはいつも西回りで何年もかけて行ったんでしょう。これは少年時代からの疑問でした。南回りとか、船に乗ればもっと近いんじゃないだろうか。

たとえば西遊記の一行、苦労して魔物たちと戦いながらついに天竺へ到達したわけですが、いざ到達してしまうとあとがイージーすぎる。えーと、孫悟空たちはたしか膨大な教典をプレゼントしてもらって、観音様の雲にのってヒューッと帰国。しかしこの本によると法顕は南回りの船で帰っている(ちなみに玄奘三蔵はまた陸路で帰国したようです)。

もうひとつ。求法僧たちは道中たいてい酷い目にあって、必死の思いでインドに入ります。どう考えても多量の金銀を持っていたとは思えない。それなのにインドに入ってから苦労したという話を聞かない。たいてい歓迎されて、多量の教典得てスムーズに帰国している。不思議だなあ。ヨレヨレになった汚い外国人一行がインド北部あたりの村にたどりついて、そこから簡単に有名寺院に迎え入れられたり王に会えたというのがわからない。

不思議です。


★★★ 早川書房
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半年ほど前に映画「オデッセイ」を見て、いろいろ疑問が生じました。ただし原作の「火星の人」ではしっかり書かれているらしいとの情報があり、そんなら読んでみるか。

図書館には在庫が2冊。ただし予約20人待ちだったかな。多すぎるんで、諦めました。しかしそれから何カ月かたって、念のため予約待ちの人数を確認したら2人に減っている。うん、それなら予約を入れておくか。

という経緯で、ようやく借出し。

なるほど。完全にハードSFですね。理系はまったくダメ・・・という読者は辛いかもしれません。少なくとも水素二つと酸素一つで水ができるとか、その程度の知識は必要。小説の中でも電圧の話とか速度の話とか、計算もけっこう出てくる。

映画で変だなと感じたこと、けっこう解決しました。まず戸外で回収した糞便ですが、もちろん匂いません。マット・デイモンが臭そうにしたのは映画版のサービスです。また戸外放置の糞便ではバクテリアは死んでいます。しかしいろんな有機物がたくさん残っているので、バテクリア繁殖のエサにはなる。そして種になるバテクリアは地球から持参の少量の土の中にいます。適当な水分さえあれば土壌細菌はどんどん増殖する。

マット・デイモンが火をつけるのに使った木の十字架。これは最初に着火させるために使用しただけであって、あとは勝手に燃えてくれるらしい。燃料は少しずつ滴り落ちるようにされていたようです。

そうそう。この作業で水素を作り、それを少しずつ燃やしたわけですが、いくら水素が危険であっても、たっぷりの酸素さえなければけっして爆発しない。ところがマット・デイモンは呼吸をしているんで、呼気の中に酸素が混じっている。ここを見逃したために酸素量が多くなり思わぬ水素爆発が起きた。

また原作では、ローバーの天井に穴をあける作業中にもトラブルが起きています。ただしこのトラブルの理由(電流・配線)はちょっと複雑と思われたのかな、たしか映画にはなかったと思います。またローバー横転事故とか、ソーラーパネルの発電量を危険域まで落とす砂嵐襲来の挿話もなかったような。

一方で母船の速度を落とすための空気吹き出し、まさかと思ったら原作にもありました。こんなに減速してしまってその後の火星スイングバイがうまくいくのか。かなり疑問ですが、ま、理論的に一応は可能なのかもしれません。

その代わり、映画では面倒そうな爆弾作り、実際は単純なものでした。丈夫なガラス容器に砂糖を入れ純酸素を満たす。周囲はゼロG。重力がないので砂糖は細かな粉末となり、非常に燃えやすい。そして中に通じた導線をショートさせる(電源スイッチを入れる)だけで大爆発。なるほどねえ。

そうそう、宇宙服に穴をあけてのアイアンマン飛翔はさすがにありませんでした。これはいくらなんでも難度が高すぎて荒唐無稽になってしまう。


★★★ 新潮社
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近衛龍春はなかかに読めるので、目につくと借りることにしています。何を読んだかな。奥州相馬島津南部毛利。たしか上杉で三郎景虎もあった。比較的マイナーな武将をとりあげ、よく調べて書き上げています。へぇーと感嘆すること多し。

で、今回は大島光義という武将。マイナーすぎて名前も知りませんでしたが、信長、秀吉、家康に仕えて97歳まで現役だった。弓一筋、名手として知られ、なんせ93歳で関ヶ原に参戦したというんですから凄い。

鉄砲全盛の時代に逆らって弓にこだわった人のようです。頑固だけど、結果的には小さな大名になり、大往生した後は子供たちが所領を分割してそれぞれ旗本となった。

自主的に分割したのか、あるいは幕閣の方針で分割させられたのかは不明。幕府としては大名の数を減らしたかったのも事実のようです。


★★★ 早川書房
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シリーズらしい文庫3冊が本棚に積まれていたので、とりあえず刊行の古いものから手にとりました。なるほど。こんな作家がいたんだ。

この本を説明するのは難しいです。たぶんハンガリーの田舎らしい場所が舞台。時代は第二次大戦の真っ最中です。そこへ母親に連れられて双子の男の子がやってくる。都会ではもう食料が手に入らない。田舎ならまだなんとか食べられる。アルプスの少女ハイジの少年版とも言えるし、あるいは佐賀へひきとられたB&Bの島田洋七。ただし二人組で、洋七が二人いる

ハイジの祖父は村でも嫌われ者の孤独な依怙地だったし、ガバイ婆さんは貧しいながらも楽天的な節約合理主義者でした。で、「悪童日記」の婆さんは超絶的に強欲で暴力的で、まるで魔女です。実際、亭主を殺したという黒い噂もある。ただし働くことは厭わない。「働からざるもの食うべからず」を唱えながら孫たちを過酷にこき使う。

双子はくじけません。お互いにサポートしあいながら食い物を奪い、自立し、厳しい自主トレに励み、盗み見をし、万引きをし、好色な司祭を脅し、しかし憐憫の施しものは受けない。二人だけに通じる誇りを持って生きている。そして、この二人の(どちらが書いたかはわからない)日記の形式でお話は進みます。

文体がなかなかいいですね。子供の文章のようにシンプルで、乾いている。感情を記述しない。事実だけを書く。暴力があり、血が流れ、飢え、ちょっとした善意とそれを大きく越える悪意。

面白い本に出会った気がします。★4つにマケてもいいような気もします。続編も読む予定。



「ふたりの証拠」アゴタ・クリストフ
★★ 早川書房
「第三の嘘」アゴタ・クリストフ
★★ 早川書房

futarinoshoko.jpg続編です。

ま、要するに双子の二人が書き綴ったノートはいったい何だったのか。それは真実の記録だったのか、それとも・・・・というお話。

「ふたりの証拠」は双子の片割れが国境を越えて何年後かのストーリー。そしてさらに何十年か経過したのが「第三の嘘」。ちょっと雰囲気は違いますが、芥川の「藪の中」ですね。どう解釈するか、どう受け止めるかはたぶん自由。なかなか面白い小説でした。

「第三の嘘」後にもまた刊行された本があるらしいです。ただし続編とも言い切れない模様。しかし舞台や時代は同じなのかな。




★★★ 文藝春秋
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なぜか本棚にあったので一読。なるほど、「色彩を持たない」というのは、そういうことだったのか。一応は納得。

それなりに楽しく読みましたが、うーん、感想は難しい。とくに傑作というわけでもないし、かといって駄作と切り捨てるのもナンだし。そろそろ老境にさしかかりつつある作家が、ま、好き勝手に書いた。書きたいことを書いた。いろんな要素がやたら詰め込まれていますが、ま、詰め込んだだけという気もします。

そうそう。今回はマラソンの代わりに遠泳です。同じようなもんなんでしょうね。主人公は例によって几帳面に歯を磨き、アイロンをかけ、サラダを食べる。双子ではないですが二人の少女が登場します。

ま、そういいう小説です。


「悪と仮面のルール」中村文則
★★ 講談社
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中村文則は「掏摸」というのがありました。孤独で冷静で有能。ハードボイルドふうのタッチでした。

今回も、ま、同じようなもんでしょうか。「悪」とか「人間を殺す」というふうな重いテーマです。テーマが重いので、ついつい説明が多くなる。登場人物がえらく長広舌です。

そこそこ面白かったですが、あんまり傑作という気もしません。もちろん読んで損したという駄作でもないですが。



★★★ 早川書房
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超有名だけど実像がよくわからないクレオパトラ7世。その生涯を詳細に描いた本です。小説ではなく、勝手な想像を抑えた筆致。著者はノンフィクション作家らしい。

だいたい色白だったのか、浅黒かったのか。黒髪かブラウンか、美人だったかどうかも不明。いろんな歴史家やら評論家たちが勝手に書きまくってますが、そのほとんどがクレオパトラの死後何十年もたってからのもので、信憑性に乏しい。プルタルコスが英雄伝を書くのは百年ぐらい後です。

おまけにこの連中はみんなローマ人(ローマ文化圏人)なんで、かなりバイアスがかかっている(カエサルとアントニウスを誘惑した毒婦!)。キケロは同時代ですが、この人は動きが政治的すぎて、情勢によって言うことがコロコロ変わっている。まったく信用できない

で、ステイシー・シフの描いたクレオパトラ7世は、当時最高の教育を受けた才女。世界一の富を誇ったカリスマ女王。弁舌はたくみで何カ国語を流暢に話し、場合によっては冷酷にもふるまえる。生きながらの女神です。イシス神の化身。

面白いことにプトレマイオスのエジプトでは、女性の権利がかなり強かった。財産権があり、表舞台での発言も許されていた。おまけにプトレマイオス朝では親子兄弟の殺し合いが日常茶飯。伴侶は王族から求めるのが伝統で、王女と王子が結婚して共同統治することも珍しくない。そうなるとケンカもするし、陰謀も渦巻くし、ま、大変です。タフでないと生き残れない。

で、意外だったのは、当時のエジプトは世界一豊かな国だったこと。確かに「シチリアの小麦」とか「エジプトの富」とか、そういう表現がよくありますね。農地といってもナイル川の周辺だけと思うのですが、その豊穣がすごかった。金とか宝石とか、たぶん上流のスーダンやエチオピアあたりから運ばれただろうし、近隣とも交易が盛んだったんでしょう。

それに反してローマは大軍事国家だったけど、内乱続きで金がなかった。金がないと戦争もできない。ということでクレオパトラはカエサルにもアントニウスにも大盤振る舞いでプレゼントする。数百隻の軍船とか、数個軍団とか。膨大な費用がかかったと思うけど、当時のクレオパトラにとっては屁でもなかった。この程度の金で安全保障がキープできるんなら安いもんだわ。エジプト、軍事的には弱かったんでしょうね。たぶん兵士も漕ぎ手もみんな金でやとった外国人でしょう。

クレオパトラがカエサルやアントニウスに惚れていたかどうか、判断の難しいところです。ギブ&テイクの関係だったとしても不思議ではない。しかしアントニウスは政治的判断を誤って、生まれた子供を認知したり、オクタヴィアヌスの姉を離婚したり、領土をクレオパトラにプレゼントしたり、ローマ人の反感を買うようなことばかりした

賢いオクタヴィアヌスはアントニウスに宣戦布告するのではなく、みんなが納得する「悪女」クレオパトラを標的にします。攻め込まれではたまらないので、クレオパトラはアントニウスにしがみつく。

ちなみに有名なアグリッパとのアクティウムの海戦、たいした戦いでもなかったとステイシー・シフは推察しています。実際には、対決を避けて(軍団を置き去りにして)クレオパトラとアントニウスが逃げた。アントニウスは、どうも腑抜けというか、まともな判断ができなくなった感じがある。ヤキがまわった。あるいは、最初から優柔不断、たいして才能のないマッチョ将軍だったのかもしれない。

で、結局は冷静なオクタヴィアヌスの勝利。敗残の女王を捕虜にして凱旋式のさらし者にするのも魅力的なプランだったけど、下手するとローマ市民が同情する可能性もある。ちょっと危険な賭。うーんと迷うところです。自殺してくれてホッとしたんじゃないか。

ちなみに毒蛇に乳房を咬ませて死んだという説はかなり怪しいそうです。おそらくはかねて用意の毒薬での死。こうしてプトレマイオス朝は滅んだ。ついでですが負けがこんでくるとアントニウスの友人や側近、クレオパトラの重臣、みーんな裏切ります。クレオパトラが自殺したとき近くにいたのは忠実な侍女が2人だけ。この2人もたぶん同じ毒で死にます。


★★★ 講談社
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岩井三四二は「光秀曜変」「あるじはXX」シリーズ、「三成の不思議なる条々」などを読みましたが、この「異国合戦」がいちばん生き生きと馴染んでいる印象です。

舞台は九州肥後と博多、鎌倉、高麗の開京(だったかな)、そして元の大都。九州の主人公は例によって「蒙古襲来絵詞」の竹崎季長です。季長しかいないのかという感じもありますが、ま、他の武将に比べて材料が多いんだから仕方ない。少なくともこの本では季長を英雄扱いしていないだけマシですか。いかにも当時の田舎御家人らしく、ひたすら土地がほしい、金がほしい。そのためには武功がほしいと野心に燃えている。そうした人物です。

で、鎌倉編は評定衆・御恩奉行の安達泰盛。季長が直訴した相手です。時宗を支えてそれなりに頑張っていましたが、この元寇の後の霜月騒動ではライバル平頼綱に滅ぼされる運命にあります。鎌倉時代って、ほんと陰謀と乱と粛清が多いですね。かなり陰惨。

ま、季長のような貧乏御家人からすると異国来襲は絶好のチャンスです。敵の大将首をとる。可能なら捕虜にする。それも無理なら先陣一番駆け。とにかく目立たなくてはいけない。焦り狂って戦います。で、恐かったけどなんとか必死に先陣駆けして、怪我をして、でもきちんと大将に申告して書類に記してもらったはずなのに、鎌倉に通達してもらえない。怒り狂います。

高麗を舞台としたパートの主役は高官・将軍である金方慶という人。元にいじめられ、有能とはいえない王を補佐しながら、なんとか高麗の社稷を保とうと苦労する。フビライが命を発するたびに膨大な数の軍船を作らされ、壮丁を軍役に徴発しなければならない。国はほろびる寸前。倭人ども、変に抵抗しないであっさり降伏すればいいのに、迷惑な・・。

この当時、高麗は忠列王という人だったようですが、苦し紛れに「私を征討軍の責任者に任命してほしい」と直訴したりもしています。要するに主導権をとりたい。そうしないと、フビライ側近とか親元派閥の言いなりになってしまう危険がある。ま、さすがに直訴は効かなかったようです。

昔の定説とは違って、鎌倉の指示のもと、日本防衛軍はかなり善戦したようです。すぐに一騎討ちを捨てて、騎馬による集団戦法もとった。被害は甚大だったけど、部分的には優勢にも立ったらしい。ただし文永の役はたぶん元からすると小手調べ。あんがい抵抗が強いので、いったん撤退しようとして、帰路で大風に吹かれた。神風というほどの風ではななかったようですが船が壊れて多数が死んだ。。

弘安の役では規模を拡大し、高麗を主力とした東路軍、旧南宋を主力とした江南軍の二手に別れて来襲。しかし日本側もしっかり準備していたので、簡単には進めない。ぐずぐずしているうちに、本物の台風で、かなりの数が沈んだ。シーズンもシーズンです。ずーっと海に浮かんでいたら確率としてそのうち大風にも吹かれます。南宋軍、長江で水戦に慣れているつもりだったけど、九州の台風は予想外だったらしい。

ちなみにフビライは諦めず何回も再侵攻を計画したようです。しかしその度にベトナム遠征とかなんとかハプニングがあり、どうしても実現しない。で、そのうちフビライが没して、日本征服の夢もついえた。よかったよかった。


「太閤の巨いなる遺命」岩井三四二
taikonoooinaru.jpg★★ 講談社

同じ作者で、これは大阪の陣の前後。舞台はシャムです。当時、シャムにもけっこう日本商人たちが住んでいたんですね。で、その界隈で関ヶ原浪人たちが集まって何やら画策しているらしい。いったい何事か、と、これまた侍あがりの商人が探索する。

で、探索の結果は・・・・それほど仰天でもないです。ま、打倒家康ということで何かを作っている。で、その何かが何してどうなって何になる。さして感動もなし、傑作ではないような気がします。


★★★★ 中央公論新社
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賈平凹という人、中国では莫言とならぶ有名作家らしいです。ただしまったく読んだことがなかった。

もうかなりの年配らしく、後書きではちょっと歩くとすぐ息があがるとか書いています。やれやれと道端に腰を下ろして、妻子が文句いうのも気にせずタバコを吸う。で、紫煙を漂わせながら来し方を思う。そんな心境が「老生」というタイトルになっているのでしょう。

本の内容は国共内戦期、土地改革と人民公社、文化大革命、そして開放期を描いた4つのストーリーです。舞台は西北部の陝西省。かなりの僻地らしいです。その地域の小さな村々がどんな具合に翻弄されたか。村人がどんな具合に欲望に身をまかせ、罵りあい、足を引っ張りあい、泣き、殺し合ったか。

雰囲気はかなり莫言のそれに似ていますね。賈平凹は陝西省、莫言は山東省。ひたすら土俗的。暴力的。同じようにユーモラスでもありますが、もう少し毒っ気がある

語り部は百歳を超えたかもしれない放浪の弔い師。死者が出たとき弔いの唄をうたう慣習があるらしいです。そしてもう一つ、死に瀕した老弔い師の住む洞窟の外では、謹厳な教師が少年に山海経を教え込んでいる。山海経(せんがいきょう)、書名だけはぼんやり聞いた気もしますが、ひたすら中国というか世界の山々や海、産物と奇獣神獣について延々と解説した奇想天外な書物のようです。初めて知りました。

訳者は吉田富夫。現在刊行されている莫言の小説は、大部分がこの人の訳です。登場人物はみんな訛りのきつい田舎言葉でしゃべり、独特の雰囲気をかもしている。そうした雰囲気が原書の訳としてふさわしいのかどうかは不明で、半分くらいは作者と訳者の共著のような印象になっています。

なんか説明になっていないようですが、なかなか面白い本です。そんなに厚くないですが、読了するのにけっこう時間がかかる。機会があったら他も読んでみたい。

そういえば、莫言の「転生夢現」「白檀の刑」を読んだときも、つい★4つを付けてました。こういうスタイルの小説、好みなんだろうか。


★★★ 小学館
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飯嶋和一という作家は初めてです。かなり読ませますね。中身が濃いけれども、坦々と進む。ちょっと違うものの吉村明のような感じでしょうか。人物造形が複雑ではなく、良い人、卑劣な人、善意の人、狭量な人、だいたいパターンが定まっている。

「狗賓童子の島」は幕末から明治、島民が松江藩の郡代(代官)を追放した事件(隠岐騒動)が一応の主題です。その少し前に大阪では大塩の乱が起き、加担した高弟の長男は15歳になるのを待って隠岐に流される。少年は島で医術を学び、あくまで流人としてコレラや傷寒、麻疹の治療に専念する。

時代です。ひっそり生きてきた隠岐の島民も、だんだん外界との交流が増えるにつれて流行り病も上陸するし貨幣経済にも苦しむ。米価は高騰する。島は貧しいです。おまけに支配を預かっている松江藩は旧態依然の役人根性で、ひたすら搾り取ることしか考えていない。

こうして窮乏がすすんで切羽つまったところで大政奉還。島の中は天朝派と出雲グループに別れます。ただし出雲グループといったって、根っから親松江というわけでもなく、なりゆきやら立場で仕方なく松江藩に従っているのがほとんど。で、「維新で年貢半減」のプロパガンダを信用した島民や「隠岐は天朝支配になった」と思った庄屋連中たちが松江藩の代官を追い出して自治政府をつくった

もちろん維新政府もたいして定見があるわけではないし、年貢半減はすぐ取り消しになるし、おまけに「当座は松江藩が隠岐を管理せよ」と命じたんで、大騒ぎです。大義名分をえた松江藩は隠岐上陸。大砲まで打ち込んで制圧した。と、朝令暮改で、こんどは鳥取藩か長州藩が隠岐を管理という雰囲気になったけど、まだ正式命令はない。引っ込みがつかない松江の奉行は撤退拒否。

まるでマンガみたいですが、結局は同情的な長州藩や薩摩藩の軍艦まで港に入ってきて最終的に松江藩は折れます。たぶん帰国してから責任者の松江の奉行は処分されたでしょう。なんやかんや。隠岐は鳥取藩が管理することになったようですが、前より良くなったかどうかは不明。まったく変わらないか、下手するともっと苛政になった可能性が高いですね。世の中の仕組みはまったく変わらない。

大筋から外れますが、大塩平八郎の乱制圧で活躍した内山彦次郎という名前が出てきます。ん? なんか見覚えがある。なるほど、新選組に暗殺されたという大阪西町奉行所の「悪与力」ですね。相撲取り乱闘事件で新選組の恨みをかったという説が有力です。ただし内山彦次郎は名与力であるという説もあるんで困る。誰かが良い人だったか評判の悪い人だったか、それすらも明快ではないのが歴史というものです。


★★★ 文藝春秋
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子供の頃に読んだ冒険小説。ヨーロッパのどこかで暮らすクロマニヨンの話でしたが、その小説では近くの谷にゴリラみたいなのが住んでいる。ネアンデルタール人です。子供心に「そんなバカな」と思っていました。ネアンデルタールとクロマニヨンは完全に入れ代わったんであって、両方が同時代に共存するなんてありえない。まるで恐竜とホモサピエンスが一緒にいるようなもんだ。

ついでですが、なんかで金髪のクレオパトラを見ました(映画だったか小説だったかは記憶のかなた)。これも「アホか」と思ったわけです。クレオパトラはエジプト人じゃないか。黒髪に決まっている。

もちろんどっちも間違ってはいません。クレオパトラが金髪というのは少し怪しいですが、プトレマイオス朝はマケドニアの血筋です。たいていは黒っぽい髪色だったでしょうが、仮に明るい栗色があっても間違いではない。ひょっとしたらもっと明るい色の髪だってあったかもしれない。

また、ヨーロッパのネアンデルタールって、3万年くらい前まで生き残っていたらしい。3万年といったらごく最近ですね。決してクロマニヨン登場で一気に消えたわけではない。もしお互いが憎しみあい、争っていたならこんなに長いあいだ共存することは無理でしょうね。友好的だったか敬遠しあっていたかは不明ですが、とにかく棲み分けしていた、多分。

そう考えると、ネアンデルタールと現世人類(クロマニヨンはその一部)が交雑することがあっても不思議はない。説としては、性徴のあらわれる前のネアンデルタールは現世人類に似ていたともいいます。ネアンデルタールから見ると「子供っぽいやつだな」、現世人類からみると「ごっつい奴だな」程度。仲良くしたのか襲ったのかは知りませんが、ま、子供が生まれることもある。

ということで、現世人類のDNAにネアンデルタールのそれが残っている・・・と実証しようとした学者グループがいる。なんとなく名前だけは知っているマックスプランク研究所の連中で、さんざん苦労して小さなネアンデルタール人の骨からDNA配列を再現。現世人類のDNA配列の何パーセントだかはネアンデルタール由来であることを発表した。ただしアフリカの人類にはこれがほとんどないそうです。

そうした経緯や苦労やら自慢やらを延々と書き綴ったのがこの本です。たいして興奮するようなものではないし、どちらかというと退屈な内容です。ただ通して読んで理解したのは、DNA配列再現という作業がいかに大変なものかということ。最近やたら見聞きする「犯人のDNA」なんかは資料が新鮮なので割合スムーズらしいですが、何万年も前の骨から再現しようとすると、とにかくバクテリアや細菌やらが混じっていてグチャグチャになっている。そして必ず資料に触れた人間のDNAも混入している。空気中の雑菌も入る。

なんと言いましたか、少量の資料を入れてスイッチ押すとどんどん増殖してくれる機械があるらしいですね。前に福岡伸一の本でそのへんを理解したつもりだったんですが、もう思い出せない。えーと、ポリメラーゼ連鎖反応。PCR。たぶんこのPCRはどんどん進化して、なんか凄い金のかかる巨大なシステムになっているらしい。おまけに増殖してもエラーがやたら出るので、信頼性のある配列を決めるには膨大な数の再試行をする必要がある。このへん、適当に書いています。あんまり信用しないでください。よく理解できていないので。

それはともかく。ネアンデルタールの遺伝子が現世人類に紛れこんでいるということは、生まれた子供が現世人類の子供として育てられたということです。そして他の男とか女とかと一緒になって、また子供を生む。はて。

ネアンデルタールと現世人類が近くに住んでいたとした場合、すぐ思いつくのは現世人類の男がネアンデルタールの女を襲ったというケースです。これはいかにもありそうですが、しかしやがてネアンデルタール一族は死滅するので、遺伝子が残るはずがない。逆にネアンデルタールが現世人類の女を襲うとか、あるいは一緒に暮らすとかしないと無理です。一緒に暮らした場合は、妊娠した女が元の仲間のもとに戻る。あるいは子連れで帰ってくる。

なんか変だなあと思いますが、それを解決するのは「中東説」というものらしい。アフリカを出て中東付近をウロウロしていた頃の現世人類は、まだたいして知恵を持っていない。近くにいるネアンデルタールとどっちが優勢とはいえないような状態だった

これなら同等で、お互いに遺伝子交換があっても不思議ではないです。で、その後の現世人類は(ネアンデルタール遺伝子をとりこんだまま)どんどん強くなって増え、薄まってきたアンデルタール遺伝子もある時点から平衡状態になり、やがて何万年かの後、ネアンデルタールを追いやる。あるいはネアンデルタールが自滅する。

なるほど。現世人類は武器を使えて賢い。ネアンデルタールは鈍臭くてアホ。そういう思い込みがあるうちは、ネアンデルタールDNA混入説は受け入れられないけど、同等と考えれば納得可能ですね。ちなみにネアンデルタールも現世人類も、どちらもホモサピエンスと称する説もあるらしいです。この場合、しいて分けるなら現世人類は新ホモサピエンス。


★★★★ 講談社
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毛沢東に対する嫌悪に満ちたです。例の「ワイルド・スワン」の著者。つい先日は「西太后秘録」を読みました。

書かれていることはかなり衝撃的です。決めつけがきついなあと思える部分も多々ですが、でも(たんなるカン)8割から9割くらいは真実じゃないかな。もちろん異論をとなえる人はたくさんいるようです。

高校時代、社会の教師は時間が余ると毛沢東を礼賛していました。偉大なる長征とか、国共合作でいかに国民党が卑怯だったとか、共産党兵士は農民から針一本、糸一筋も盗まないとか、理想郷の延安時代とか。いくらアホな高校生でも「ほんとかな」とかなり疑問に思うレベル。

この本で描かれているの毛沢東は野心に満ち、恥を知らない男です。同情とか共感能力が根本から欠如している。恐喝と策略でのしあがり、仲間うちでは巧みな弁舌(というより屁理屈)でライバルを蹴落とす。すべてウソだらけ。スターリンよりすごい。天才ですね。しかも悪運に恵まれた。

延安以降の毛沢東についてはぼんやり知識がありましたが、それ以前のもろもろは初めて知ることが多いです。なるほど、初期の共産党設立期にそうやって目立ったのか。例の長征、ボロボロになって逃げたんだろうとは承知していたものの、それどころではなかった。権謀術数の固まりです。コミンテルンの権威と組織の命令系統を実に上手に利用し、ライバルや兵士を意図的にひたすら殺して地位を築いた

文中、やたら「誰それはスパイだった・・」式の記述が多いのは少し閉口しますが、ま、 西安事件の詳細とか、なぜ強かったはずの国民党軍が簡単に崩れたのかとか、なかなか面白かったです。要するに蒋介石という人間、ちょっと古いタイプで情を大切にした。冷酷果断になれなかった。思い切りが悪い。ナアナア感覚で政府を運営していたから酷い汚職政治がはびこり、支持を失った。

で多くは共産主義の理想に憧れて国民党を見放した。ただしこの時代、党に走った連中はみんな酷い目にあったらしいけど。赤軍派とかISですね。外から見ると、なんか理想的でかっこよく見える。宣伝力。なんせ共産党の根拠地は田舎なので、実情がよくわからないし、で、中に入ってしまったらもう抜けられない。地獄。かなりの連中が抹殺されたらしい。

主席となってからは、なんとか中国を軍事大国にするため腐心した。国民のためにではありません、自分のプライドを満足させるためです。ソ連からせっせと武器を輸入し、軍艦、戦車、あげくは核施設やミサイル。しかし極端な貧乏国なので、代価として農産物を貢いだ

例の大躍進、餓死が蔓延している時代にも、せっせと食料を提供していた。ま、人民がどうなろうと関心なかったので(それなりには合理的な政治思想です)、人民なんて、たとえ半分になっても大問題ではない。放置していればまた増えるだろ、きっと。人が死ぬのはいいことだ。土地が肥える。

そうそう、なんとなく人気のある周恩来も、超有能だけど完全に毛沢東の犬になりさがった哀れな男(何回か抵抗しようとしたが挫折)という評価です。他にも何人か反抗しようとした部下や政治家はいたけど、ことごとく抹殺されている。毛沢東は病的に用心深かった。

不思議な男ですね。ファションとか贅沢に関心はゼロ。風呂はきらい。家族や家庭には無関心。歯は磨かない。全国に専用別荘を作りまくったけど、みんな防御に特化した無粋なコンクート造りで、外観や快適さは無視。自分は京劇が好きだったけど、人民には禁止した。寝ころがって本を読むのが大好きだったけど、人民の本は取り上げた。ダンスと水泳だけは好きで、ただしダンスは夜伽の女を選ぶのに好都合だったから。後年はダンス場の横に連れこみ専用寝室まで用意させた。

正直、読み終えて気分の悪い本でした。それにしても、周恩来、もう1年生かしておきたかった。実質的には毛沢東に殺された(ガンの手術をさせてもらえなかった)と書かれています。


★★★ 光文社
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岩井三四二という作家、「あるじはXX」三部作とか「三成の不思議なる条々」を読んでいます。よく調べていて達者な人ですが、うーん、なんか足りない。あるいはなんか多すぎる。

「光秀曜変」は要するに、なぜ光秀が謀叛したのか、謀叛したあとなぜマゴマゴして後手々々にまわってしまったのかの謎解きです。

信長だったか信忠だったか「光秀のような男が攻めてきた以上、もう逃げ道なんかあるはずない」と諦めたと伝えられています。用意周到、深謀遠慮、それだけ武将として信用があった。しかし現実には、本能寺のあと、なんかやることが鈍い。不思議です。

本能寺のとき、光秀は何歳だったのか。55歳というのが通説みたいですが、実はあまりよく分かってなくて、63歳、67歳なんて説も出てきた。もし60代だったとしたら、いろいろ面白い可能性が出てきますね。もうかなりの年齢だし、ひょっとしたら認知症になりかかっていたのかもしれない。

ま、そういう解釈です。読み終えると光秀がちょっと哀れになってきます。


★★★ 講談社
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ユン・チアンは数十年前ベストセラーになった「ワイルド・スワン」の著者です。清末から改革開放時代まで混乱の中国三代の女性を描いた本でした。たしか祖母が軍閥首領の妾、母が党員、自分は紅衛兵だったかな。

で、この本のテーマは西太后です。たいていの場合は清を混乱に導いたワガママ女、則天武后に匹敵する残忍というふうに描かれることが多いです。こうなると反対の立場から見たくもなるわけで、浅田次郎の「蒼穹の昴」なんかでは、逆に妙に善い人にしてしまって、訳のわからないものになってました。養子である光緒帝にたいする「愛情」とかなんとか、変なコジツケ。

比べると「西太后秘録」の西太后は比較的まっとうです。北京を逃げる際には珍妃を井戸に放り込ませるし、死を覚悟すると光緒帝に毒を盛る。義和団の乱ではミスして反乱側に乗ってしまう。けっこう失敗もしています。しかし全体としては硬直した政治をなんとかしようと努力した。北洋艦隊の予算を流用はしたけど、それほど多額でもなかった。国家を強くするため、果断に改革も実行した。

果断というのは少し違うかな。著者によると、西太后は辛抱強かったらしい。コトを荒立てないように、ジワジワとゆっくり進める。自分に楯突いた政治家でも簡単に殺したりはしないで、閑職に追いやった。主観的には慈悲深い・・というべきなんでしょうかね。かなり卓越した政治家です。

ちなみに「戊戌の変法」の推進者といれわている康有為や梁啓超に対してはかなりきつく書いています。野狐とか、日本のスパイとか。もちろん日本の伊藤博文に対しても厳しい。描かれている日本は明確な意志をもって中国進出を計画してる信用できない国家。ま、清の立場からすればそうか。

それにしても代々の皇帝が揃いも揃って役にたたない。ま、がんじがらめの儒教文化と固陋な宮中システムのせいでしょうね。子供のうちはとにかく女(官女)と宦官(下僕)と爺さん(師)しか顔を見ることがない。皇帝の前ではいかなる者も座ることは許されない。立つかひざまづくか。うっかり立ったまま喋ってしまった通訳がいたけど、手ひどく罰せられたようです。

そうそう、義和団絡みで北京から西安への脱出。西太后も光緒帝も雨の中寒さに震えながらボロボロで逃げた。しかしそんな際でも、次の宿泊予定地の県長にはマニュアル通りの通達が届いている。着るものはナントカカントカで生地は絹のナンカトカで食事は満漢全席で・・・。ムチャです。

県長、指示を受け取らなかったことにしようかとも思ったけど、それでも食えるものをかき集めて鍋3つ分の粥を作らせた。作らせたけど、あっというまに飢えた兵士たちに食われてしまった。鍋ひとつ分だけは必死で守ったそうです。箸がなかったので光緒帝はキビかなんかを削って使った。

ついでですが、西太后は「タマゴが食べたい」と言い出した。これまた県長が指示して、なんとか民家から5コ集めた。茹でたのを西太后が3つ食べたそうです。残った2つは光緒帝にまわした。寒い・・と言うので、仕方なく県長の母のものだった古着を着せた。西太后が漢服を着たのはたぶんこれが最初にして最後。こういう細かい部分がなんとも面白いです。


★★★ 東京大学出版会
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著者は霊長類学者。ゴリラの本をたくさん書いていますね。テレビなんかにもよく顔を出します。

で、最近は管理職としての仕事がどんどん増えて、たしか去年か今年か京大の総長になったはずです。本人が喜んでいるかどうかは不明。少なくともアフリカでの現地リサーチなんかやれる立場ではなくなって、たぶんフラストレーションが溜まった。以上はもちろん勝手な想像です。

ということで、現地に行けないのならまた本でも書くか。「家族」というキーワードで最近の定説やら研究成果をずーっと概観してまとめたような一冊です。版元が講談社や文春ではないので、軽易に読める一般啓蒙書ではありません。といって論文でもない。あんまり一般向けのサービスしないで、自分の言いたいことを書いた。ま、そんな感じ。ひたすらサルと類人猿の話です。

したがって内容を簡単にまとめるのは無理ですが、いわゆる「通説」もどんどん変化しているですね。たとえば「人間は狩をすることで脳が大きくなった」説はもう受け入れられない。どっちかというと「脳が大きくなったんで上手に狩ができるようになった」らしい。ではどうして脳が大きくなったのか。

ずいぶん前に読んだ「ヒトは食べられて進化した」という本。つまりマッチョ親父たちに好かれた「Man the Hunter」説はもう人気がなく、「Man the Hunted」説がいまでは定説になっているらしいです。小さなルーシーたちが石で豹を殺したと考えるより、豹に食われないようにおびえて暮らしていたというほうが納得できる。

食われないために集団生活し、言葉を発達させ、共感を高めるために「音楽」を利用した。先日読んだ新聞記事では、ルーシーは木から落ちて死んだ可能性が高いとか。不器用だったんでしょうか。

ちなみに表紙のイメージほど柔らかい本ではありません。騙されないように。

どうでもいいことですが、いわゆる思春期の急速な肉体変貌、あれは脳にもう栄養分を分ける必要がなくなって(それまでは脳の成長が優先だった)、ようやく体の成長に資源を振り向けることができるようになったということらしい。つまり産道の関係で小さな脳(成人にくらべて)で産まれた子供は、まず脳をどんどん成長させる。一段落して、ようやく今度は体の成長。成長というのは「子孫を残せる体」になるということです。

なるほど。思春期に勉強しすぎると体が成長しない・・・という迷信も、あながちウソとは言えないのかな。思春期には勉強なんかしないで、スポーツやりなさい。




★★★ 幻冬舎
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奥田英朗ですから手慣れたもんです。デパートの外商に勤めるナオミと、学生時代から仲のいいカナコ(主婦)。二人がある男を排除(要するに殺す)するお話です。「殺害」ではなく「排除」という言葉を使う。

庶民にとって馴染みのないデパートの「外商」の雰囲気をまず紹介してくれる。なかなか面白い。ついでに在日中国人の女社長(とうぜん、やり手です)との付き合いで、話が発展していく。グジャグジャした夫の実家の事情やら田舎の父母やら、ま、「そうだろうな」というストーリーが続いて、やがて殺人。犯罪そのものは罪悪感なく、あっさり実行されます。

で、小さなテーマになっているのがDV、家庭内暴力です。ん、なんか他の作家にもあったな。荻原浩の「冷蔵庫を抱きしめて」。流行っているんだろうか。奥田英朗と荻原浩、似ています。どっちも達者なストーリーで、読んで損はしない。新刊を発見すると借り出すことにしています。

楽しめる一冊でした。


★★★★ 新潮社
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何十年ぶりかに「戦争と平和」を少しずつ読みましたが、読み進むにつれてストーリーの断片を思い出してくる。

なるほど、たしかアンドレイはナターシャと婚約するんだったか。でも若いナターシャが駆け落ちして、婚約は解消。で、なんやかんやあってピエールとナターシャが一緒になるんだったか。ピエールってのは、何回読んでもイライラする困ったちゃんです。

ボルコンスキー家の不器量なマリアは、たしかニコライ・ロストフと結婚したような。じゃあソーニャはどうなるのか。これが記憶から消えている。そのまま日陰の花のように暮らしたんだったか。で、ロストフ家の長女、空気を読めない長女のヴェーラは、おそらく実際的なベルグと結婚する。たぶん、似合いの夫婦なんでしょう。

そうすると最初のほうで登場したロストフ家の居候ボリスはどうなったのか。これも実際的なしっかり者ですから、それなりに上手に世渡りするのかな。出世して、頑張っている没落貴族の母親を幸せにしてあげる。

貧乏な母親といえば、この小説にはドーロホフという魅力的な悪役がいます。この人の家も貧乏。後半はどうなったんだろう。記憶なし。

それにしても貴族が多い。知識階級=貴族という感じ。貴族でないのは商人か農奴で、こっちは一気に無知階級になる。で、戦争と平和はほぼすべてが貴族階級のお話ですね。ごく一部が農奴階級とのお話。貴族といっても、顕官もいれば貧乏人もいる。ドーロホフなんてのも、なんとなく没落貴族のような印象があります。そうじゃないと、たぶん賭博仲間と付き合ってもらえないでしょうね。

ニコライと軍でいっしょだったデニーソフという士官なんかも、気の迷いでナターシャに求婚してるから、たぶん末端の貴族階級なんでしょうね。で、第4巻では将軍になっている。将軍?と驚きますが、なんか佐官とか将官がすべからく大安売りです。近代的な軍制度が先入観にあると、当時のこうした人事のいいかげんさが理解できません。たしかボリスもすぐ大佐かなんかになってるし。


で、何週かけたんだか、なんとか読み切りました。もちろん著者が延々と繰り延べる愛とか人生とかの長大演説部分はかなりいいかげんな読み方です。1行々々しっかりなんてとんでもない。

思い込みと相違して意外だったこと。まずソーニャですが、容貌について「丸顔」という描写あり。へー、そうだったんだ。細っこいネコ娘かと思い込んでいた。また天然系色男のアナトーリですが、これも後半で「太っている」という描写を発見。なるほどねえ。

それからナターシャは駆け落ち実行犯ではなかった。未遂。しかしソーニャはやはり貧乏籤をひきます。「あだ花」なんだそうです。あっさり、ひどい決めつけだなあ。

総じてナターシャにしてソーニャにしてもアンドレイにしても、もちろんマリアとかニコライとか、完全な人物として描かれている登場人物は一人もいません。みんな狭量な部分もあるし、意地悪だったり自己本位だったり。その代わりエレンとかアナトーリとかイッポリートとか、悪役も案外いい味があるじゃないかと思わせたりする。

読み終わって、やれやれとページを閉じて、なかなか大変だったけど通読できてよかった。こんな本を採点するのは無理があるんですが、ま、★3というわけにもいかない。やはり★4ということになるんでしょうね。それにしてもなぜ著者は「トルストイ」なんだろ。「レフ・トルストイ」ではないんですね。


★★ 青土社
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 エッセイ集。著者は質の高いSFやホラー系、推理小説を書いている人で、えーと「硝子のハンマー」「青の炎」「新世界より」「悪の教典」などなど。けっこう読んでるなあ。

で、エッセイですが、うーん、これはダメです。本人も「もうエッセイ集は出さない」と巻末で宣言してます。合わないんでしょうね。

なんというか、つい「面白くしよう」という気が働くんでしょいうか。そう思ったぶん、書かれたものは面白くない。平凡きわまるものになってしまう。残念でした。


★★★★ 連合出版
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シリーズは何冊か読んでいますが、この巻がいちばん面白かった。

なんでだろうな・・と考えてみると、要するに専門である「漢字」「音韻」などの話が比較的少ない。漢字の話も悪くはないんですが、やはり専門的すぎるんですかね。完全には理解できないし、読んでいると疲れてくる。

それにしても高島俊男ってのは、恐いもの知らずでバッサバッサと切り捨てる。困った爺さんで、敵ばっかり作っている。もう少し筆致を押さえれば世の中を上手に渡れたんでしょうが、イヤなんでしょうね、きっと。遠慮なく作家や評論家、訳者をやっつけるだけでなく、有力出版社にも噛みつくから、なかなか大変。このシリーズも「連合出版」というマイナー出版社(たぶん。偏見です ※注)からしか出させてもらえない。金持ちにはなれません。

たとえば儒学の話。そもそも儒学ってのは、春秋戦国の後、統一国家をまとめるのに都合のいい思想なので、いわば国家宗教になった。それなりに有用ではあったが、以後の中国二千年、なーんも発展せず、どんどん劣化して社会を停滞させ、害悪をなしていく。日本の場合は四書五経は輸入したけど「儒教文化」には関心なかったので、そんなに悪くはなかった。つまり日本の儒者はまったく有害ではなかった。害をなすような力が皆無だったから。その点、国学は困ったことになまじ影響力をもったために非常に害をなした。

そうそう。日本で歴史を贋作するというか、影響力、勝手なイメージを作り上げてしまった元凶は3つあり、日本外史、司馬遼太郎、NHK大河ドラマなんだそうです。坂本龍馬なんて「維新の功績としてはまったく何もしていない」とバッサリ。それを司馬遼太郎が魅力的な英雄象を描いて「日本の常識」にしてしまった。ただし高島俊男の良いところは「だからけしからん」とは言わない。そういうもんでしょ、と諦観している。

この人のものの見方、かなり好きです。

労組の連合ではなく、旅関係の本をよく刊行している出版社みたいですね。無知。知らなかった。

あゃゃ、この本、前にも読んでた。2年前。なんとまあ。モウロク。言葉もなし。


★★ 新潮社
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三河物語ってのは、例の大久保彦左衛門が書いたものですね。もちろん読んだことはありません。で、わずかに知っているのは講談だったか落語だったか、天下のご意見番として硬骨の言動をとったという伝説。ついでに出入りの魚屋、一心太助。

ということで、小説の形態をとっているけど多少は知識を得られるかなと「」三河物語を借り出した次第です。上中下の3冊。

なるほど。要するに徳川家臣団、大久保一族の歴史なんですね。酒井とか本多、榊原、井伊などに比べるとマイナーですが、それでも有力な一族だった。で、家康の晩年に一族の大久保忠隣が小田原城主。このへんが絶頂で、たぶん大久保長安事件絡みで(おそらく本多正信が動いた)失墜。

ただし著者の解釈では、家康の長男信康の処理に関して(長い年月にわたって恨みを残していた)家康が報復したようにも受け取れる。信長の詰問に弁解せずあっさり信康を切り捨てようとしたのが、当時の使者だった酒井忠次。このとき大久保の代表である忠世も同行していたという。

ま、ようするに有力家臣というのは、けっこうな力を持っていたわけです。家康といえども、家臣の意向を尊重するしかなかったんでしょう。

で、大久保忠隣失脚の後、大久保一族はずーっと冷や飯を食わされる。いわば冷や飯食いの武功派代表が後の彦左衛門です。

宮城谷昌光がどんな具合に書いたのか興味があったんですが、正直、ちょっと飽きる内容です。一族の長老たちはみんな「出来すぎ君」で、人間味に欠ける。幼少の彦左衛門も聖人君子みたいだし、家康も有能すぎる。

そういう瑕疵はありますが、戦国末期の家臣団がどんな雰囲気だったのか。細かい部分が面白いです。とくに家臣団を二分した三河一向一揆のあたりは、他に詳細に描いた本を知らないてめ、興味深かったです。


★★★ 集広舎
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中国人作家の近未来小説です。SFというにはちょっと違うような。

発表されたのは1990年代初期らしい。もちろん発禁本。時代なので、設定がちょっと古いかな。たぶん台湾ではまだ民進党政権が誕生する前だった。

ある日、中国共産党総書記が凶弾に倒れます。そして軍の一部と党中央が対立し、あいまいな形で一種のクーデタが成立する。当然のことながら、広大な中国は分裂して、地方政権が次々とできあがる。周辺部は独立を画す

小説としては、ま、二流でしょうね。暗殺者が跳梁し血が流れ、美女が迫る。まるで「小説というのはこうでないといけない」という固定観念を持っているかのようです。しかし小説として二流であっても、中国の意思決定構造がどうなっているのか、地方と北京はどういう関係なのか。人民の意識や周辺国との関係は? そのへんの内情が実は面白い。

ひとくちに「中国13億」といいいますが、それがどんな意味をもつのか。後半、混乱に乗じようとした台湾を叩くため、北京は核ミサイル攻撃を決意する。それがキッカケで中国は米ロの同時制圧攻撃を受け、政権は崩壊。内乱。政権崩壊ということは、全土のシステムがなくなるということです。人体にたとえれば神経系統が消え、動脈が止まり、結果的に食料生産・流通システムが崩壊する。

13億人が飢えたらどうなるんでしょう。


中国全土で原始的手段でなんとか細々と養えるのはせいぜい3億人だそうです。残りの10億人は死んでもらうか、でなければ国外へ追いやるしかない。10億人が脱出しようとしたら、どんな事態になるのやら。そのへんをリアルかつ悲惨に描いたのがこの小説の後半のテーマです。

脱出の先は、広大な国土があるところ。具体的にはシベリア、オーストラリア、ヨーロッパ、アメリカとカナダです。日本や韓国は狭すぎて考慮外。

入れまいとして地雷で警備する某国の国境に押し寄せるのは数千万人の難民暴徒です。万の単位なら銃や砲撃で対処できる。しかし数千万の侵入を防ぐことは物理的に不可能です。針ネズミのようにガチガチに設置された地雷地帯に、死を覚悟した老人たちが数百人ずつ行進してくる。もちろん吹っ飛びます。その次にまた数百人が行進してくる。残っていた地雷が爆発します。しかし、また数百人が行進してくる。こうして国境に回廊が切り開かれ、その後を数百万の飢えた難民が押し寄せてくる。

まるでレミングですね。オオカミやライオンもレミングの行進を止めることはできない。1億人が押し寄せて、たとえ2000万人が殺されても残りはまだ8000万いる。昔の毛沢東がそんな主旨のことを言っていましたね。仮に中国がミサイル攻撃をうけてン億人が死んでもまだン億の人民が残る。決して滅びることはない。短波ラジオの北京放送で聞いた記憶がある。何億だったか明確な数字は覚えていません。

どこかのサイトで読みましたが歴史的には、中国前漢の末期は6千万くらいの人口だったらしい。ところが後漢光武帝の頃で2千万。3分の1に減少。中国の悠久の歴史の中ではこの程度は珍しくもない。いま、13億が3億になってもまったく不思議なし。

ま、これが「黄禍」です。

ちなみに島国である日本は上手にたちまわって、戦前の黒龍会みたいな組織が主導して旧満州付近を自国のものにしてしまっています。日本にとって国土拡充は悲願だそうで、日本ってそういうイメージなんでしょうかね。


★★★ 光文社
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この前、直木賞をとったので図書館の本棚はカラッポかなと思ってましたが、未読本が残っていました。「明日の記憶」。表紙を見ると渡辺謙主演でドラマになってたようですね。奥さん役は誰なんだろ。

えーと、要するに若年性アルツハイマーのお話です。いきなり記憶の糸がプツンと切れてくる。プツンともいわないでも、最近の記憶が消えてしまう。主人公は広告代理店の管理職。PCやITが苦手で困ったもんだと思っている世代でしょうか。娘がもうすぐ結婚します。

周囲には、特に悪人もいないし、善人もいない。ま、ふつうの会社、普通の家庭。たいした趣味はないけど下手な陶芸なんかやってて、奥さんを海外旅行に連れて行く約束がいつになっても果たせない。内心、悪いなあと考えている。ありがちな話。で、まだ50歳過ぎたばっかりなのに、いきなり発病。

どんどん病状が進行します。必死になって、あらゆることをメモする。それでも忘れる。取引先からクレームがくる。恥をさらす。部下も疑いの目を向け始める。上司にチクった部下がいたらしく、閑職にまわされ、仕方ない、正月すぎたらいさぎよく辞職するか。先を考えてデイケアセンターを探したりもする。

そういう暗い話なんですが、なんせ荻原浩だから、ところどころニヤリとさせられます。最後は奥多摩だか秩父だかの山奥へ入って、これも仙人みたいな痴呆気味の陶芸職人の家に一晩泊まる。帰りの爽やかな山道、若い女性に出会う。彼女の名乗った名は実は奥さんと同じ。でも、彼にはそん記憶ももうありません。現実なのか、幻なのか。

それだけ・・・です。たぶんこれから症状はいっそう進行し、やがて亡くなるんでしょう。ま、それも仕方ないじゃないか。重いテーマですが、読後感は悪くないです。


★★★★ 集英社
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著者は学者やジャーナリストではなく、たぶん出版人。したがって「専門家」ではないようです。戦後日本では居心地のいい中道リベラルの感覚を持って暮らしてきた個人が、ふと疑問をもっていろいろ調べてみた。ま、そういう体裁をとっています。

内容はタイトルの通り。書かれていることの半分くらいは、断片的に既知の事柄でしたが、あとの半分くらいは意外や意外の事実。平易な口調で、事実を整理して並べていくと、今の日本の意志決定構造が見えてくる。なるほどねぇ。

細かいことは実際に読んでもらうしかないですが、骨子としては「安保法体系」なるものが戦後の日本を支配してきた。ことある毎に米国とか米軍が露骨に口出ししてくるというわけではありません。しかし実際には日米安保とか地位協定とか密約とか、細かいことを決める日米合同委員会とか、巧妙に糸を張りめぐらして、結果的にこうした「体系」に反するような動きは不可能になっている。

すべてが米国の押しつけではありません。日本から要請したものもある。少なくとも日米が同意したことは事実。

こう書くとまるでトンデモ本、陰謀論のようですが、そうではない。きちんと法律や密約(実質的には条約と同じです)で決められてる。もし市民から訴訟が起きても決して負けない。負けないことが分かっているから役人は強気で行ける(役人は必ず負けない側に立ちます)。おまけに司法は最終的に必ず味方をしてくれる。高度に政治的な事柄に司法は関与しないとい最高裁判決が出ている。

(あの鳩山が基地移転問題で、外務省、防衛省、内閣府だったかな、6人の役人を集めて極秘会議。内容は秘密厳守でこれから頑張ろうな・・と言ったその翌日、さっそく新聞にリークされてしまった。役人が鳩山に従うわけがない。可哀相にというか、アホか、というか)

そうそう。敵対国条項なるもの、いまだに残っているんだそうですね。戦後作り上げられた国連、訳し方にゴマカシがあって、実は国連も連合国も同じ「United Nations」です。戦争に勝った連合国がそのまま国連。したがって敗戦国であるドイツと日本を戦争のできない国にするという使命がある。ドイツ、日本がまた戦争を始めそうなら、全員ですぐ叩く。

戦後70年もたってまだ敵対国か・・という感じですが、なんせ条項が生き残っているんだから仕方ない。米軍が日本を守ってくれるというのは大きな錯覚で、米国は米国の利益のために日本に基地を置く。米軍は100%作戦行動の自由を持つ。日本が不穏な動きを見せたら、すぐさま叩き潰す。そう思っているというより、そうした行動が可能な「オプション」「選択の可能性」を決して捨ててはいないという考え方が正しいのでしょう。

東京の上空に米軍設定の飛行禁止エリアがあることは知っていましたが、実際には日本の上空はすべて米軍の空だそうです。どこでも自由に飛ぶ権利を持つ。要するに日本は現在も実質的占領地。飛行を禁止しようとするとたぶん訴訟になって、日本は負ける。そういう法体系になってるんだから仕方ない。

ずいぶん昔、テレビで故・ハマコウが「アメリカ様に逆らっちゃいかん」という言葉を発したときは驚愕しました。こんな正直な発言を初めて聞いた。でもたぶん自民党の政治家や司法省・外務省の幹部にとっては常識なんでしょうね。

いい本でした。


★★★集英社
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読み直し。もちろん前にも読んでいます。調べてみたら2004年と2012年でした。

熊野の巫女頭にして別当の娘、おまけに源為義の子供。美人で歳をとらない。そういう八百比丘尼のような女性が主人公の伝奇ファンタジーであり、歴史ものなんですが、さすがに三回目にもなると気になる部分が変化してきます。

まず、当時の熊野参詣の道筋。京からはたぶん大阪へ出て、そこから延々と紀伊半島の西側を南に下りる。で、ずーっと下りてから海岸に沿って東南にまわり、田辺。田辺という場所、なんとなくもっと北の印象でしたが、実際には半島の南端に近いんですね。

ここが熊野への入り口だった。なるほど。あとは山道です。参詣客を呼ぶために田辺は熊野本宮への道を整備した。田辺の実力者が有名な湛増です。田辺ってのは、本宮の勢力圏だったらしい。

で、山道を行くと本宮。本宮から新宮へは川下りで行く。逆に新宮から本宮へは川船を引かせて遡る。そして新宮の南には那智があり。本宮、新宮、那智がいわゆる熊野三山です。たぶん元々は違う系譜だったんでしょうが、いつのか頃から神仏習合で同じものとしてとらえられるようになった。まとめるためのシャッポが「熊野権現」です。

そうそう。例の熊野牛王符。どうして諸国の武将までこの誓紙を尊重したかというと、誓いに背くと神罰・仏罰があらたかだった。ま、解釈としては、熊野のカラス連中が全国をまわって制裁したんじゃないか。山に潜むヤタガラスの末裔ですかね。ひっそり毒殺するとか。そうすることで熊野の権威を保てる。

とかなんとか。今回は各社それぞれ利害の反する部分はあるものの、そうはいっても「熊野三山」としては対外的にまとまる必要がある。田辺の湛増が清盛にとりいることは悪くないが、かといって完全に平家ベッタリは危険。安全保障のため、源氏にも顔を繋いでおく。

そうした熊野の宣伝政治外交みたいな部分が面白かったです。総括する「熊野別当」も本宮・新宮がだいたい交互に担当していたようですし。


★★★ 集英社
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いったい何の話だと思いましたが、ま、ようするに動物園の飼育係のお話。動物の心を翻訳するのが飼育係の役目だ・・という理屈です。

昔の動物園、子供心に嫌いではなかったけど心にひっかかる部分がいつもありました。ひたすら寝そべっているライオン。イライラしている虎。神経症のようにクルクル回っているレッサーパンダ。狭いプールの中に沈んでいる巨大なカバ。立ちつくしている象。

あんまり幸せそうには見えませんでした。狭いオリの中の囚人ですからね。じゃ、どうすればいいんだ。

20年ほど前ですか、旭山動物園について(テレビ番組で)知ったときは、非常に感動しました。ペンギンに自由に歩かせる。鳥のように水の中を飛翔させる。アザラシがガラス越しに人間を観察する。

形態展示」から「行動展示」への転身。その動物本来の暮らし方を可能な限り再現する。動物に幸せになってもらう。「環境エンリッチメント」というんだそうです。

ということで、この本では4例。氷を模した白いコンクリートの上ではなく緑の丘で営巣するペンギン。新入りを群に入れて融和を図った(当然、アツレキも生じる)チンパンジー、自由に空を飛ぶアフリカハゲコウ(たまには失踪するけど)、旧舎から新舎への引越しを本人に決断させたキリン(なかなか引越ししてくれない)。

なかなか興味深かったです。特にキリンが非常に神経質だというのは面白かった。新舎へのたった7メートルの通路をキリンは通ることができない。新しい環境は彼らにとって恐怖なんです。強制するとストレスが残る。この例でも、最終的には好物で釣って背後を締め切って引越しさせたんですが、そのキリン、釣りに使われた餌を以後は食べなくなったらしい。恨みの餌。

痩せていたキリンに新鮮な好物の葉を与えると喜んでせっせっと食べます。それまでは簡単に手に入るイモとかリンゴとか食べさせていたわけです。たしかに本来の棲息地の植物に似た葉っぱなら喜んで食べるし栄養価も低くて健康にもいい。でもそうした食物を手に入れるにはべらぼうな費用がかかる。大変です。

エンリッチメントは理想です。しかしお金がかかる。しかも動物のことだけ考えてたら商売にならないし、来園した客が喜んでくれないといけない。下手すると閉園になる。大変です。


ちなみに、本当いうとキリンという動物、あまり好きではありません。長い黒い舌をベローッと出されると気味がわるい。頭の悪そうな動物だと思っています。



★★★ 中央公論新社
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このまえの「大聖堂」に続いて村上春樹訳の短編衆。

雰囲気はまったく同じです。アル中と不和と離婚と暴力、ようするに人間が壊れていく姿を坦々と描きたいらしい。深みがあるとも言えるし、ちょっと冗長ともいえる。

初出のほとんどは当時の編集者によって大幅に原稿削除(ものによっては半分以上も)されていたとかで、そのへんもいろいろ後書きで書かれていますが、ま、さして興味なし。この版は原稿復活の完全版です。

ちなみにタイトル忘れましたが、誕生日ケーキの話は「大聖堂」とかぶっています。

個々のストーリーはともかく、中の一編、仲良し中年4人組が年に一回、数泊で釣りキャンプする話は面白かった。深い山の中へ行って、途中で車を置いて延々と歩き、渓流で釣りをして酒を飲んで釣りをして酒を飲む。すごい楽しみにしているわけです。

ところが渓流に裸の女の死体がひっかかっている。うーん、うーん困った・・・無視しよう。そのうち一人が(気をきかせて?)死体を川岸までひっぱってきて縛りつける。流れたらまずいと思ったんでしょう。ただしその死体に関しては見えないことにして、あいかわらず釣りをして酒を飲んで釣りをして過ごす。山を下りてからさすがに警察に電話をする。

連中、それが変だとはまったく考えていないわけです。生きてるんならともかく、死んでるんだ。どうしろっていうんだ。死体のために、せっかくの楽しみをやめるのか

なんとなく納得できる論理でもあります。ただし、奥さんはそう感じない。そこから先はカーヴァー流の展開になるんですが。


★★★ 角川書店
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まず間違いなく楽しめるのが荻原浩です。で、今回は金魚姫。リュウキン(琉金)です。

今を去ること千数百年前、中国のどこかで婚礼服姿の若い娘が身投げして死んだ。そして詳しい理屈は不明ですが、なぜか娘はキンギョになった。赤い服を着て死んだんで赤いキンギョ。

で、時を経てその金魚が日本の夜店で拾われて、なぜか金魚姫として出現する。中国育ちの姫ですから、日本語はかなり不自由。食べものについてもよく知らないし、賑やかな外に出ると緊張する。見栄っ張りなんで、家でせっせとテレビを見ては、ろくでもない勉強して現代生活を学ぶ

ま、ストーリーはどうでもいい気がしますが、この金魚姫がけっこう可愛いんですね。言葉づかいも変だし、我が儘だし、きまぐれに金魚に戻ったり姫になったり。ちなみに人間の姫になるときは、必ずずぶ濡れです。周囲が水浸しになる。かなり迷惑。

気楽に読める本でした。


★★★ NHK出版
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過去、地球上には5回の大絶滅があったんだそうです。寡聞にしてカンブリアの頃の断絶と、例の恐竜大絶滅程度しか知りませんでした。原因はいろいろで、天体の衝突だけではなく、海の酸化とか大規模な寒冷化とか、それぞれ別個の理由が考えられているそうです。

で、読み進むうちに最新の種の大絶滅傾向はどうも人間が原因ではないか。化石燃料も大きな理由ですが、実はもっと早期、要するに人類がはびこりだしてから一気に周囲が大変化した。いわば現在は「人新世」とでもいうべき時期にある。

たとえばベーリング陸橋を通って新大陸へ移動した人間たち。喜んでわっさわっさとマンモスを殺した・・・というイメージとは少し違うんだそうです。試算によると、10人くらいが年に1頭のマンモスを殺すだけでもやがてマンモスは死に絶える。マンモス狩りは大変なんで、時々頑張って殺す。いわばボーナス食料です。たぶん普段はもっと狩りやすいシカとかトナカイとかを殺していた。

年に1頭レベルでなぜ絶滅したのか。こういう大きな動物は「自分が狩られる」というリスクを計算しないで進化してきたからです。「周囲を狩る・食べる」「自分は狩られない」という前提で出産数や子育て時間を決めているんで、ちょっとした要因で 計算が違ってしまう。マンモスだけでなくスマトラサイとかライオン、トラなんかも同じ。人類が増えてきたため、もう未来がなくなった。

直接殺すだけでなく、交通機関の発達でいまや世界中の生物は縦横に運搬され続け、かきまわされる。外来種の氾濫。かつてのパンゲア大陸の分裂で多様な生物が生まれた歴史をちょうど逆まわし。急速に世界中の大陸が一箇所にまとまり、多様性がなくなり、どんどん平均化する。種の数が激減する。生物的な新パンゲア大陸の実現

もちろんいつの時代にもこうした変化はありました。生物はなんとかそれに適応して生存してきた。ただ問題になるのは「変化の時間」で、ゆっくりならいいんですが、進化的な対応策をこうじる余裕がないほど迅速に殺されると、もうどうしようもない

6度目の大絶滅は現在進行中のようです。たぶん、原因となった人類も同時に滅びるんでしょうね。その後に登場するのは「ジャイアントラット」かもしれない。(ネズミはやたらはびこっている)

読みやすく、明快な啓蒙本です。ちょっとした拾い物でした。


★★ さくら舎
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さして考えず借出し。山本七平の70年代あたりに書いたものを集めたようです。当時は常識だった言葉にも今では詳細な解説がついている。たとえば「日ソ漁業交渉」とか。知ってるつもりでしたが、はて200海里問題って何が焦点なんだったっけ。あんがい覚えていない。担当大臣は誰だったっけ。

で、収録されているのは、ま、タイトル通りのテーマなんですが、時間がたつと薄れるもんですね。山本七平の独特の論理建てがたいして斬新にもうつらない。

いろいろ述べていますが、面白かったのは、日本は先進国である中国や西欧から文化文明を取り入れる際、どっぷりはまらない性格があったということ。しっかり入学して、丸ごとしっかり勉強したりはしない。いわば聴講生のように、自分の興味のある部分だけ採用する学生だった

かなり自分勝手。要領がいい。偏っている。だから「世界」を理解しているようで、実はたいして理解していない面が多々ある。決して「グローバル」じゃないんです。日本の常識と世界の常識は違う。それをわきまえて外国と付き合わなくてはいけない。

ずいぶん前に亡くなった父が「日本は中国からたくさん学んだが、三つのものだけは採用しなかった。宦官。纏足。靴の三つ」とか能書きたれてました。確かにそうです。こうしたものも丸ごと採用すれば優等生の「文明国」になれたんでしょうが、辺境の島国は頑固に拒否した。その点が朝鮮半島とは方向性が違った。

たぶん、いまでも日本は普遍的な文明国ではないのかもしれない。ほんの少しだけど、ズレでいる。外交交渉がスムーズに運ばないのは、そこに理由がある。


★★★★ 中央公論新社
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村上春樹がよく言及する作家レイモンド・カーヴァーの短編集。まったく読んだことないと思っていましたが「ささやかだけど、役にたつこと」だけはたぶん既読。パン屋と誕生ケーキと交通事故の話です。ただし後半の数ページはなんか違っていたような気がする。

カーヴァーってのは発表後もまめに手をいれる人だったらしいので、その違う版だっだのか。暗い結末だったような記憶でしたが、この翻訳ライブラリー版は少し明るく締めくくっている。不明。

粒選り良質の短編が揃っています。特にオチはないけど柔らかく坦々と深淵を描く。アル中、離婚、失業を描いたものが多い。★3つにするか4つにするか迷うところですが、えい、オマケだ。大盤振る舞いで★4つにしてしまえ。

中でもアリゾナの賃貸アパートに引っ越してきた家族を描いた「」、依存症治療センターで出会った煙突掃除夫の話「ぼくが電話をかけている場所」、余韻の残る短編です。カーヴァーってのはいい作家ですね。ただし表題の「大聖堂」はあまり好みに合いませんでした。

また、本棚にあったら借り出してみようかな。


★★★★ 中央公論社
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全4巻。何カ月かかけて少しずつ読み進み、ようやく最後までいきました。何回目かな。調べてみたら2003年に巻2と巻3だけ再読している。全巻通しては20年ぶりくらいかもしれない

村松剛の文体はいいですね。品がある。読み心地が爽やか。どうやって木戸を調べたんだろうと疑問に思っていましたが、どうも「松菊木戸公伝」という膨大な資料があるらしい。木戸は若いころから日記をつける習慣があったようで、かなり詳細です。ただしページ見本を見ると、こりゃ簡単に読めるようなものではありませんね。

木戸というのはマメな人だったらしく、毎日々々人と会い、話を聞き、人の世話をしては酒を飲む。勉強をする。日記をつける。もちろん女遊びもする。忙しいです。大変だ。忙しく暮らして天下国家を憂いて鬱屈して胃を痛くして、たぶん胃ガンで死んだ。享年45歳。若いです。

通読しての感想ですが、明治10年までというのは、ほんと、何がどう転んでもおかしくない時代だった。伊藤とか大隈とか井上、板垣、江藤・・・どいつもこいつも書生気質で勝手なことばかりやる。若いですからね。ひょいと思いつくとすぐ走り出す。英国領事館を焼き討ちしようぜ・・のノリで簡単に朝鮮出兵を画策し、台湾へ勝手に乗りだす。

これだけみんなが勝手なことをやり、策謀したりライバルを蹴落としたり和解したり金を浪費したり、各地で一揆や暴発がくりかえされながらなんとか国が保たれた。木戸と大久保という薩長のリーダーがケンカをしながらも決定的な危機になると協力しあったというのが日本にとっての幸運だったんでしょう。

で、木戸は明治10年に死ぬ。西南戦争の真っ只中です。大久保は明治11年に死ぬ。この二人が良くも悪くも荒療治をやって明治国家の大筋路線をつくり、だからその後はたぶん大隈とか伊藤とかの二流が適当に運営できた。

こんな程度の短い文章で感想を書ききれるもんじゃないですね。また10年くらいしたら読み直ししないといけない。生きていたらの話ですけど。


★★ 柏書房
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ロンメルの攻勢をかわすため、北アフリカの英軍は有名マジシャンをリーダーとしたカモフラージュ部隊をつくり、大がかりな偽装作戦を実行する。戦車をトラックに見せかけ、軍港の位置を移動させ、スエズ運河を消し、ハリボテ潜水艦を浮かべ、ボロ船を巨大軍艦にする。

ま、ある程度は可能な話で、いちおうは「事実」と称したノンフィクション仕立ての小説ですが、でも、かなり怪しい。調子がよ過ぎるというか、ま、ハリウッドB級冒険映画のノリです。

前に読んだコニー・ウィリスの「ブラックアウト」だったか「オール・クリア」だったか、(タイトルは違うけど一続きの小説です)、英国ケント州でゴム戦車をふくらませる偽装作戦の話が出てきました。もちろん大変な労働です。

原っぱにダミー戦車を置くだけでなく、上空を飛ぶ偵察機から本物に見えるように、草の上にキャタピラ(履帯)の跡をずーっと付けていく。跡がないとゴム戦車であることがすぐバレでしまう。(この「スエズ運河を消せ」でも、上空からみた「影」にこだわっていますね。影が自然でないと、すぐバレる。

ケント州のゴム戦車は、たしかノルマンディ作戦を隠匿するためのカモフラージュだったような気がします。意外な場所に大規模な戦車部隊が隠れているというような。第二次大戦ではけっこうこうした偽装が多用されたようです。


岩井三四二という作家、前に読んだのは「三成の不思議なる条々」。なかなか達者な人です。面白く読めるし調べもきっちりしている。ただ、ちょっと軽いので好き嫌いが別れるかもしれません。で「あるじはXX」の三部作を同時に借り出しました。


arujiwanobu.jpg「あるじは信長」 PHP研究所 ★★★

信長を主人にもってしまった家来たちはどうだったのか。名のある武将なんかではなく、無名の中間管理職や下っぱ侍にとって、信長という主人はラッキーだったのか、アンラッキーだったのか。

出てくるのは信長の近習や右筆、小者、昔から織田家とつきあいのあった神社の神職などなど。ま、たいていの人は、不運あるいは残念な結果となっています。可もなく不可もない生涯じゃ小説にならないのも理由ですね。

考えてみると戦国末期というのは無数の中小企業が整理統合された過程です。本筋本流に乗ってずーっと成功した人間なんて非常に少ない。たいていはどこかで会社が倒産したり、吸収されたり、リストラがあったり再就職したり。何が幸運で何か不運かなんて、人生が終わってみないとわからない。

大変な時代です。


arujiwahide.jpg「あるじは秀吉」 PHP研究所 ★★

「あるじは信長」と同じコンセプトの短編集ですが、こっちは多少の知れた武将も登場。藤吉郎の義理の兄である弥助、子飼いの虎之助、川筋の親分だった小六どなど。彼らにとって藤吉郎(秀吉)という男は、どう対処していいのか困る存在だったでしょうね。小馬鹿にしていた貧相な小男が、どんどん果てしなく出世していく。驚嘆はするけど、だから全面的に尊敬できるかというと、はて・・・。

そうそう。蜂須賀小六から見た黒田官兵衛がけっこう面白かった。なんか要領のいいやつで、ビッコひいた瘡頭で、悪巧みのカタマリでどうも信用できない。しかし現実には秀吉に気に入られている。

気に入らないなあ、なんか理不尽で世の中がおかしい・・・と思っていた部下は多かったでしょう。ただし、そうした不満を不器用に爆発させてしまうと、あれれ、たちまち成敗されてしまう。こんなバカな。


arujiwaieya.jpg「あるじは家康」 PHP研究所 ★★★

三部作の最後。当然ながら主人は家康です。冒頭に登場するのは、今川人質時代の可愛くない家康少年。賢いけどけっこう我が儘で、近習の石川数正なんかは苦労しています。たった一羽だけのハイタカがいなくなって、少年はブスッとしている。探してこい!と無理をいう。本筋に関係ないけど石川数正って今川時代から家康のそばに仕えていたんですかね(後に離反)。

で、その家康少年が今川の菩提寺で、やたら飛んでいるスズメを狩らせてみたい、タカを連れてこいとダダこねる挿話がありました。寺の中はもちろん殺生厳禁。でも一羽や二羽くらいいいじゃないか・・と言い張る。結局は和尚さんに厳しくオシオキされるんですが、そんなエピソードがどっかの文献に残っているのかな。

収録短編のいちばん最後が大久保忠隣。小田原城主。幕閣で権勢を誇っていたのに、たぶん本多正信・正純父子の奸計で譴責失墜。その後どうなったかは知りませんでしたが、近江の井伊家お預けになっていたらしい。そこで細々と老後を養っていた。

で、大御所が死に、本多正信も後を追い、ブイブイ言ってた正純もやがて(たぶん冤罪で)逮捕。忠隣という人、かつて将軍跡目として秀忠を推薦した経緯もあり悪くは思われていないはず。ここで江戸に上って秀忠に嘆願すれば復権もありうるかもしれない。どうか江戸へ来てほしい・・と家来たちが説得するわけですが、嫌だ!と依怙地に断る。頑固なんです。

この大久保忠隣爺さん、なかなか味がありました。人間70歳も過ぎると、もうたいした欲はない。帰参すれば喜ぶ連中も多いだろう。しかしプライドの片鱗と意地だけはある。
読後感の爽やかな好編でした。

★★★ 文春文庫
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短編集。マキャモン自身はあまり短編が得意ではないようですが、決して出来は悪くありません。ちょっと奇妙な味の、ま、SFチックなテーストが多いです。

最初のほうに納められている「スズメバチの夏」。深南部のムシムシする夏、飛び回るスズメバチの群れ。寂れた田舎道のガソリンスタンドに寄った家族が災難に遭遇します。どんな災難かは、読んでのお楽しみ。ちなみに原題は「Yellowjacket Summer」。ふーん、黄色い上着ですか。

ミミズ小隊」もよかったですね。原題は「Nightcrawlers」で、南部ではミミズのことらしい。へんなタイトルですが、ベトナム参戦した部隊の名称ということになっています。ミミズみたいにジャングルの中を這い回る兵士かな。

で「ブルー・ワールド」は中編というか、ほとんど長編といっても変ではないボリュームです。サンフランシスコの教会の神父が告解にきた色っぽい女に惹かれてしまう。ところがその女は困ったことにあばずれポルノ女優だった・・・・。

米国では少数派のはずのカトリックですが、それでも国民の2割以上は信徒らしい。そして昔ほどではないにしろ、ある程度の信頼と尊敬を神父たちは得ている。日本の僧侶のようなものかな。いちおうは生涯独身だし、日本の僧より格が上かもしれません。そんな神父が白いカラー姿のまま場末のストリップ劇場に出かけていく。さすがに切符売りのオヤジも腰を抜かす。なかなか笑えます。

で、女に心を奪われてしまった若い神父は結局どうなるのか。いきり立つ股間を鎮めるためにひたすら冷たいシャワーを浴びる。どうも自分で触ることは許されていないらしい。思い出しましたが、大昔に読んだ今東光の「道鏡」かなんかでは、修行僧たちは夢の中の観音様を相手にして放出する。相手が仏様なら女犯破戒にならないという理屈のようです。で、左手の掌に放出したものを溜めて、お経を唱えながら水場まで歩いていって洗う。なるほどねぇと関心した記憶があります。なんせ本物の坊主が書いた小説だから具体的だ。

ま、それはともかく。肉欲に苦しむ神父ですが、負けそうになりながらもかろうじて堪える。自堕落で奔放なはずのポルノ女優が、実はなかなか良いキャラクターで、けっこう好きになります。いい本でした。

マキャモン シリーズはこれでおわり。


★★★ 文藝春秋
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60年代、かな。米国の反体制運動が燃え盛ったのは。当時のいわば連合赤軍的な過激グループの生き残りが地方都市に身をひそめて暮らしている。いかにもありそうなストーリーですが、もしその生き残りが、いまだに狂信的であり続けているとしたら。おまけに単に狂信的であるだけであく、ほんとうに狂っているとしたら

主役は身長6フィート、バーサーカーのような女戦士です。邪魔者に銃を発射することに躊躇はまったくない。さらに困ったことに、過去の銃撃戦で流産してしまった子供への激しい執着がある。本物の代わりに嬰児人形の世話をして暮らしている。泣き止まない赤ん坊(人形)には残酷なオシオキをする。

この「母性」の部分がドロドロしておぞましいです。で、いろいろあったあげく、狂戦士は病院から新生児を盗みだす。盗まれた母親もまた狂ったようにその後を追う。ひたすら血が流れ、人が死に、壊れかかったクルマが州間高速80号線を西へと暴走し、カーチェイスと大雪の中のロッキー越え。そしてついに西海岸、かつての「輝けるリーダー」の元へたどりつく。

なんというか、よくまあという読後感です。けっして傑作ではないですが、最後まで読ませる力はある。ふんとにまあ。ちみみに「マイン」の意味は「この子はワタシのものよ」という感じでしょうか。あるいは「自分らしく生きることのできたあの時代だけはワタシのもの」かな。


★★ 福武書店
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マキャモンのかなり初期の作品らしい。チョクトーインディアン(中南部の農耕部族)の血をひく少年が「神秘の道」の能力に目覚め、絶対悪と戦う・・・というようなストーリー。

、あまり傑作とはいえない出来です。少年が成長していく姿は好感を持てるんですが、それと戦う「悪」がちょっと矮小すぎる。おまけに少年の能力というのがあまり主体的ではなく、しょせんは「死者との対話」なんで、カタルシスがない。幽霊鎮め。要するに肉体的にケンカをしても超能力を使った戦闘でも、ほとんど役にたたないわけですね。

ストーリーの組み立てもあまり上手ではない気がします。特に後半。無理している感じ。作者がまだ若かったんでしょうか。

そうそう。作者はアラバマ州で育った人らしいです。そうだったのか。たしかに全編を通じて漂う雰囲気が都会的ではありません。土俗的というか、緑と暑さと湿気と貧しさの感覚。スカした東北部とはまったく違う。ディープサウスの匂いといわれれば、確かにそうだ。

マキャモンは他にも借り出しているんで、さっさと次にとりかかる予定。


★★★★ 新潮文庫
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何年ぶりなんだろうか。文庫の奥付を見ると平成十二年。16年前に買ったことになるけど、はて買ったのは自分なのか家内なのか娘なのかも判然としない。こんなイラスト表紙になっていたんですね。

三四郎を初めて読んだのは中学1年です。たぶん春陽堂の全集(たしか古い土蔵の中にあった)で読んだ。学校から帰りに友達が「なんか話をしろ」というので、歩きながら三四郎の粗筋を語った。乱暴なことをしたもんです。粗筋なんて言えるわけがない。聞かされた友達も困ったでしょう。

どこかのサイトに、三四郎のモデルは小宮豊隆だと書いてありました。ふーん。で、 与次郎は鈴木三重吉だとなあった。なるほど、こっちは納得です。三重吉ってのは童話のイメージとは違って、かなりうるさい男だったらしい。何で読んだんだったかな。それはともかく美禰子は平塚らいてうだという。これは少し意外。らいてうってそんなタイプの女だったんだろうか。

再読か再々読か再々々読は知りませんが、美禰子ってのはどんな女なのか真面目に読んでみようと思いました。若いころにいい加減に読んでいると、どうも美禰子がよくわからない。で、読了して、なんなとく理解した。ま、そういうことだったんですね。ぼんやりした記憶では結局美禰子は野々宮さんと結婚したように勘違いしていましたが、それも違っていた。なるほど。勝手に読みたいように読んで、覚えたいように覚えている。いい加減なものです。

ついでにこの三四郎が「それから」「門」と並んで初期三部作だと知りました。へぇー。「それから」も「門」も未読。もちろん後期三部作も「こころ」しか読んでいない。結局自分の読んだ漱石は「吾輩は猫である」「虞美人草」「草枕」「坊つちやん」それに「倫敦塔」とか「幻影の盾」あたり。かなり偏った読み方です。

それにしても、ま、漱石はやはりいいですね。読み終えると極上のお茶かコーヒーでも味わったような気がする。やはり★は4つつけるしかないです。


★★ 幻冬舎
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工藤美代子という著者名でつい借出し。なんか読ませる本を書いている人のような気がしていましたが、読み始めてみると、ん、違ったかな。誰と間違ったんだろ。ぼんやり思い浮かべていたのは「エリザベス 華麗なる孤独」の人のような気がしますが、これは石井美樹子。ふつう、間違えないよなあ。

ま、要するに岸信介伝です。いわゆる伝記もの。したがってだいたいは「ヨイショ!」です。ところどころ、ちょっとグレーなエピソードも交えていますが、ま、基本線は「こんな凄い奴だったんですよ」というスタンスです。おおむねそういう雰囲気。

東大時代の岸、もっと先鋭的な国粋主義者というイメージでしたが、この本ではそれほどでもない。ま、非常にクレバーで、その思想に魅力があっても危ないレベルまでは深入りしない。官僚になってからも満州で辣腕ふるったようですが、ここでも危ない証拠は残さない。

だいたいナマの金には手を出さない主義だったんだそうです。かならず濾過させてから手にする。だから戦後もきな臭い噂はたくさんあったけど、ついに尻尾を出さなかった。なんかの折りに田中角栄を評して「あいつは生の金袋に手をつっこむ。あれじゃ総理として失格だ」という趣旨のことを言っていたらしい。なるほど。

ま、あれやこれや、その人生は悪運に恵まれていた。危ない橋を何回も何回も渡ったけど、うまい具合に安全なほうにばかり転がった。必要とあれば平然と裏切る。辞任しろと言われれば黙っていないで相手と刺し違える。戦争中、東条内閣を解散させたのは岸のくそふんばりだったと知りました。死刑にも無期にもならず巣鴨を3年で生きて出所できたのも、その「功績?」のおかげだったのかもしれない。

そこそこ面白い本。読んで損にはなりません。


★★★ 文藝春秋
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著者は違いますが「ウルフ・ウォーズ」と同じ系列です。太平洋の島々で固有生物がどんどん絶滅していく・・というお話。

孤島は周囲と隔絶された環境です。そのため固有種がはびこる。特に鳥類はこうした狭い島々にやたら固有の種類が多いらしい。で、人間がカヌーやら帆船でやってくると、ヒツジやらブタやらイヌやらネコやらイタチやらがいっしょに上陸して、あっというまに繁殖する。で、のんびり暮らしていた固有種はほとんど無抵抗で絶滅する

北の海の岸壁に営巣していた鳥なんかには、そもそも「害敵」という概念がない。じーっと座っているとネズミに噛みつかれるんだけど、だから逃げようという本能が働かない。居ながらにして食われてしまう。

アリューシャンの場合、まず最初はキツネだそうです。毛皮をとるために繁殖させられた。そのうち採算があわなくて放置されると、連中は狭い島の中でどんどん増え続け、片っ端から鳥を襲い、増えすぎてみんな腹を減らしている。リサーチのために人間が上陸しても、まったく怖がらず襲いかかってくるんだそうです。大きな獲物が来た!という感覚なんでしょう。そりゃ恐いけど飢えには勝てない。

しかし最悪なのはネズミです。そもそも最初のラピタ人がカヌーで植民してきた段階で、ブタや犬と同時に意図的に小さなネズミを放したらしい。いざという時の食料という説もあるようですが、本当かどうか。ま、あっというまにはびこった。さらにキャプテンクックの探検やらその後の進出で、もっと大きなクマネズミやドブネズミも上陸。たちまち島中を駆けめぐる。

たしかカカポといいう大きなオームがいるらしいです。ニワトリくらいのサイズで、まったく飛べない。地面でのんびり暮らしていたら、あっというまにネズミに襲われる。近づけない断崖とか孤島とかに避難していたコロニーも、そのうち冒険的なネズミの襲来(海をわたったりする)でほぼ絶滅。

で、どうするか。最終的にはキツネを殺し、野生ブタを皆殺しにし、島中のネズミを毒殺するしかない。毒餌をヘリで蒔いて、一匹残らず殺す。つがいが一組残っても失敗です。

なかなか動かないお役所をせきたて、資金を集め、ネズミを殺しまくる。もちろん「殺される動物が可哀相だ」という声もあがります。固有種の鳥がはびこるのはいいけど、ブタやネズミがはびこるのはいかんのか。考えてみると身勝手かもしれない。おまけに遅効性の毒餌(すぐ死ぬと他のネズミが警戒する)で殺したネズミを他の鳥が食べて死んだりもする。アリューシャンでは国鳥の白頭ワシが数十羽も死んでしまって、かなり慌てたらしい。世論が恐い。

ま、そういう固有種の保護活動のストーリーです。なるほど、とも思いますが、なんか割りきれない感じも残る。そもそもの元凶である人間が「お前は生き残れ。お前は死ね」と神の視点で裁断することに正当性があるのかどうか。

500年前の状態に戻すことが本当に正しいのか。なぜ2000年前ではいけないのか。5000年前では? のんびり暮らしているように見えるカカポだって、何千年か前には他の固有種を追いやって繁栄したのかもしれない。そういうカレンダーを巻き戻すことに意味はあるのか。いちばん正しそうなのは人間がみんな撤退することですが、現実には無理です。

真面目に考えると頭がワヤになりますね。

★★ 白水社
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副題は「オオカミはこうしてイエローストーンに復活した」。

イエローストーン国立公園を作ったのは確かセオドア・ルーズベルトです。作ったというより、ルーズベルトが権力者として初めて自然保護区の構想を打ち出した。ま、単にアウトドアライフや狩猟が好きだったからだろうと思いますが。そのおかげで「開発をストップすることも大切なんだ」という発想が国民の間にも産まれたんでしょうね。

しかし鹿やバッファローをこよなく(たぶん)愛したルーズベルトも、オオカミは好きじゃなかった。邪悪な動物と思ってたんでしょう。大好きな鹿を殺すし。世界中、当時の大部分の人々はそれに賛同したはずです。どんな童話でもオオカミは悪役です。

で、ついに米国からオオカミは絶滅。やがてその弊害がだんだん出てきます。オオカミってのはその地域の捕食者の頂点として君臨する動物です。オオカミが鹿を食べる。鹿は木をかじる。木は木の実を落としてリスを繁殖させ、そのリスはナントカを食べ、ナントカはカントカを苛める。ま、連鎖です。実際はこんな単純なものじゃなく、たとえばオオカミがいないとコヨーテが喜ぶらしい。コヨーテは大型の鹿ではなく、もっと小さなウサギなんかを食べる。そのウサギは・・・。

オオカミがいない自然公園なんておかしい。ゆがんでいる。そう考える連中が米国にも増えてきたわけです。そうだ、象徴としてイエローストーンにオオカミを連れてきて繁殖させよう。うまいことにカナダにはまだオオカミがいたわけで、そこから群れ(パック)をいくつか誘拐して公園内に放せば自然に繁殖してくれるだろう。オオカミ誘致プロジェクト。もちろん当然ながらこの計画は猛烈な反対に会います。

まず牛を飼っている牧場主たち。これは当然ですね。オオカミに大切な牛を食われたらどうするんだ。見つけしだい射殺してもいいんだな。補償はどうする。それどころかもし人間の子供が襲われたらどうするんだ。

当時、すでにオオカミは絶滅危惧種です。つまり、うかつに射殺したら罪に問われかねない。絶滅危惧種の指定はオオカミ派に好都合のようでいて、逆に手足を縛る法律でもあります。反対派からすると、もしカナダから危惧種のオオカミの群が勝手に引越ししてくるような事態になったら非常に困る。どんな悪さをされても手が出せない。最悪です。それよりも最初から法律をつくって「観察実験」として公園内に放すのはどうですか。それなら農地を襲うオオカミを処置することも可能だし、補償金の制度もつくれます。あの手この手。

著者たちは気長に粘り強く運動を続けます。地元の政治家を説得、お役所、地元民との話し合い、ワシントンでのロビー活動。場合によっては仲間のはずの保護活動団体も敵にまわります。手法をめぐっての対立ですね。理想的にいくか、現実的に妥協するか、こうした瑣末なことでも運動は破綻します。

ま、そうやって何十年もかけ、ようやく運動は成功。ヘリで追い回して上空から麻酔銃を撃ち、カナダからオオカミを空輸してついに公園内に放した。この本、オオカミそのものの話は1割もなくて、あとはすべて、誰を説得し、誰が農場主と集会を開き、誰が妨害し、誰が味方になった・・・という経過のお話です。面白いけど、かなり地味なストーリーの連続です。

たとえば日本でもシカが増えすぎて困っています。シカを間引きするとか、無理だとか。本当の解決策は大昔のようにオオカミを回復させればいい。日本オオカミがいないのならモンゴルオオカミでもなんでもいい。そうすればたぶんシカの爆発的繁殖は止まります。ただし、農家の家畜が襲われるかもしれない。キノコ採りにいった婆さんが怪我するかもしれない。

もし復活プロジェクトを推進させようとしたらえらいオオゴトですね。林野庁、厚労省、環境庁、文科省、保健所、県、市町村、地元農家、観光客。すべてに関係する。省庁のテリトリーもからんで大騒ぎになる。

オオカミ復活なんて英断、いまの日本ではまず無理でしょうね。実際、知床半島ではそんなアイディアが出たこともあるらしいけど、もちろん一顧だにされていなようです。

そもそも、人間という大ボスがやたらはびこっているのが最大の問題ですね。人間がいなくなればやがては一定の自然平衡状態になるかもしれないけど、だからといってそれが「そもそもの自然」ではない。だいたい地球上に「そもそもの自然」なんてあったのかしら。


★ 河出書房新社
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タイトル通りの内容ですが、うーん、中身がない。著者はどんな人物かと調べてみましたがワシントン大学環境森林科学部教授だそうです。専門は野生生物らしい。

それにしては脳のスャンだとか、反応部位の話とか、発声器官などなど解剖学的な解説も多い。かなり退屈します。要するにカラスはこんなに高度な脳を持っている。こんなに賢い。ま、それだけです。

出てくる賢さの例証も、あまり珍しくはないですね。日常みかけるカラスの賢さの報告例から適当にピックアップした程度に思える。拾った棒を曲げてフックをつくって、瓶の中の肉を拾うとか、犬の尻尾をつついてからかうとか、貝やクルミをアスファルトにばらまいて自動車に轢かせるとか。苛めた人間の顔をしっかり記憶するとか。

ま、平凡というか、新情報の少ない本でした。半分ほど読んだ時点で撤退。河出にしてはダメな本だったと思います。ん、河出って、ときどき酷い本を出してるような印象もあるなあ。その酷いほうの典型でした。


★★★ 新潮社
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写楽とは何者だったのか。諸説いろいろあります。なにしろ活躍時期がべらぼうに短くて、おまけに個人情報がゼロ。おまけに画風は他の浮世絵とまったく違う。下手なのか上手なのかも実はさだかではない。全身デッサンは酷いとかいう話もありますね。

ということで、小説じたてで写楽の正体の新説です。著者は推理小説のけっこう有名な人らしい。あいにく一冊も読んだことはないですが。

で、ここで提唱の写楽の正体。有力といわれる斎藤十郎兵衛説を排したものですが、では完全な新説なのか、実は前から言われていたものなのかは不明。少なくとも自分は知りませんでした。しかしこの新説、けっこう納得できる。「写楽探し」のストーリーとしてはなかなか面白かったです。

ただし小説としては、はてどうか。冒頭の事件とか、回転ドアの話とか鬼嫁のこととか、あるいは美人教授とか。いったい何を訴えたいのか意味不明。最後のほうでも、ここでなぜこの人物が眉をひそめたのか、なぜ冷たい顔をしたのか、などなどが消化不良です。書いてみたかったから書いた? まるでチャンドラーの推理小説みたいだ。チャンドラーじゃ褒めすぎか。

中身は現代と寛政6年で進行します。現代は落ち目の北斎研究家が主役。イジイジと謎の解明につとめます。寛政年間のほうは版元の蔦屋重三郎が主役で、蔦屋と悪仲間連中とのいかにも江戸っ子ふうの会話で進む。この会話、軽くポンポンと落語ふうキャッチボールで最初は面白いんですが、だんだん飽きてきますね。要するに島田荘司という作家、達者なんだか下手なんだか見当がつかない。

ただし写楽研究はずいぶん真剣にやったらしいことは伺えます。


★★★ 日本経済新聞出版社
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副題は「アメリカは中国の挑戦に打ち勝てるか」。著者は英フィナンシャル・タイムズの記者らしいです。

ま、テーマはタイトル通りで、これから米中の関係がどうなるのかの分析です。しかし読みすすむにつれて中国は大変だなあ・・と思います。希望はあるけど前途多難。

中国が何か対外的な行動をとるとき、常に問題になるのが「弱い指導者、強い派閥。弱い政府、強い利益集団。弱い党、強い国」です。要するに決められない。鄧小平が死んでから中国は集団指導制になったといわれますが、言葉を変えると政権が非常に不安定である。派閥が強い力をもち、その意向に逆らうのは危険。派閥っのては、違う言い方をすると利益集団ですね。

そういう弱みを抱えているのに「国家」としては米国に迫る実力を持ってしまった。世界のG2として行動したい気持ちはあるが、周囲がすんなりと認めてくれない。そもそも一党独裁なのに資本主義国家になろうとしているのが矛盾ではあるんですけど。国家主導の資本主義経営ってのは、たいてい失敗します。

そうそう。今の中国は19世紀の米国のモンロー主義をなぞっているという指摘は面白かったです。モンロー主義、なんとなく「米国の孤立主義」みたいな印象がありますが、実際には「アメリカ大陸に手を出すなよ。こっちも欧州大陸には手を出さない」という主張です。米国だけでなく、アメリカ大陸をそっくり囲ってしまう考え方

そうなると中国の「ハワイより東は米国、西は中国。それぞれの庭として分け合おうぜ」という主張は非常にもっともです。西太平洋は中国のテリトリー。世界を征服する野望なんかないよ、西太平洋だけでいいんだ。

問題は、大統領ジェームズ・モンローの当時、南北アメリカ大陸で「大反対!」という声があがらなかったことでしょう。ま、それもいいんじゃないの。ヨーロッパの連中よりは米国のほうが信用できるもんな。

そこが現代との相違です。大中国がいわば「大東亜共栄圏」の理想をかかげても、周囲の国がみんな嫌な顔をする。みんな中国とケンカをする気はない(この点で米国の思惑とは違う)。でも中国の言いなりになる気もない(この点で中国の思惑が狂う)。

中国の基本的な方針は「非対称戦」だそうです。米国と正面きってドンパチやったら負ける可能性が高い。しかし中国近海に攻めてくるんなら、いくらでも叩ける。来るなよ、来たら叩くぞ、という戦い。この範囲の戦いでなら中国はけっして弱くないらしい。具体的には日本とかフィリピン、ベトナムあたりのラインを想定しているんでしょうか。

しかし、今の中国にとってタンカーによる石油の輸入は生命線です。そのためたとえばミャンマーに大きな港を作ろうとしている。うまくすれば、この港から中国南西部まで延々とパイプラインを直接ひけるかもしれない。これが成功すればマラッカ海峡とか、狭くてややこしいルートを気にしないですむ。すばらしい。

しかしその代償として、今度は石油搬入の港を防衛する必要が出てくるでしょう。軍港化です。また脆弱なパイプライを防衛するため部隊を駐屯させる必要も出てくる。「世界に進出する意図はない」と主張しているのに本土から遠く離れた地点を防衛するというのは、中国モンロー主義からすると、どうも違和感がある。おまけに遠隔地では得意の非対称戦も無理。矛盾ですね。これを解決しようとすると、米国のように金食い虫の空母打撃群を遊弋させなければならない。

はい。中国は矛盾だらけ。人口13億の強大な力を持ってはいるんですが、内部に矛盾がたっぷりある。おまけに周囲が尊敬してくれない。不満です。米国と戦う気は毛頭ないけれど、しかし軍備は増強しなければならない。しかし中央の言うことに軍はしたがわない。民衆は勝手なことを主張する。

著者の見解としては、まだ当分の間、米国の天下は続く。矛盾を内蔵した中国は前途多難。


★★★ 朝日新聞社
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本多がまだ若くて北海道支社にいた3年ほど、絶好の機会だってんで道内の秘境僻地を探検しまくった頃のもの。昭和60年頃かな。あまり面倒なことを言わず、とにかく未踏峰があったら登る、調査隊がいれば参加する。完璧な山男です。あまり理屈がないので読みやすい。

たとえば知床。当然のことながら、当時は完全な秘境です。船に乗って半島をまわったり山を登ったり、番小屋に泊めてもらったり、名前のない湖を発見したり、這い松の中を漕いで虻と蚊に襲われたり。なんとまあ物好きな。

あとは無人島へ渡ったり、つぶれそうな開拓村に泊まったり、漁師と話をしたり。漁師も開拓民もみーんなべらぼうに貧しいです。こんなのでどうして生きていけるというほど貧しい。そう、北海道は貧しかった。今だって、たぶん貧しい。現在も沖縄北海道担当大臣なんてのがいるほどで、昔は北海道沖縄開発庁というのがあったはず。今でもあるのかな。要するに土壌は火山灰とか泥炭かなんかで力がないし、冬は信じられないほど冷えるし、行政の方針はコロコロ変わって展望がないし、嘘ばっかりだし。暮らしやすい場所じゃないです。

渡辺一史の「北の無人駅から」がこうした実情を伝える好著でした。そうそう。テレビドラマ「北の国から」はずいぶん観光客を増やしたみたいですが、あのドラマは美しい自然に感動するのではなく、実は農民たちの厳しい暮らしぶりや人間関係のほうに本当のテーマがあったんじゃないか。そんな気がします。当然じゃないか、と言われそうだな。

ま、要するに北海道は貧しい。僻地はもっと貧しい。書かれているエピソード、日高の奥地の分校の子供が静内(子供たちからすると憧れの都会)を見たいばっかりに小指にケガをする。ケガすると医者がいないので静内へ連れていかれる。自分で指を切ったってのは村では「公然の秘密」だったそうです。ま、仕方なかんべ。その集落はその後、全員移転して消えたそうです。

本多勝一ってのは、あまり情緒的に流されないのが魅力です。貧しさを坦々と書く。農民漁民たちがみんな「いい人間」ということもない。ずるい奴もいるし、こすっからいのもいる。ま、当然ですわな。有名記者になってからはちょっと「自分の主張」が強くなりましたが、若いころはまだそれが少ない。いい本でした。


★★★ 朝日新聞出版
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いい本だけど本音としては敬遠したいなあ・・・というのが本多勝一です。なんせ、ぼんやり読むわけにはいかない。読むほうにも強いエネルギーが必要になる。

で、アイヌものならいいかな、と甘く見て借り出しました。もちろん和人による搾取・迫害の記述は当然あるだろうけど、そもそも自分はアイヌに関してほとんど知らない。あんがい興味をもって読めるかもしれない。

なかなか良かったです。叙事詩である「ユーカラ」という口承があることは知っていましたが、それとは別に散文ふうのものもあって、それが「ウエペケレ」です。昔話とか民話とかに相当するんでしょうか。たいてい一人称で「私は・・・」の形式で語られる。

昔話といっても起承転結があるものばかりではなく、実際の生活を坦々とそのまま語ったようなものもある。この本では「ハルコロ」という少女の日常や成長を語ったものがたっぷり掲載されています。何百年か前、平凡な少女が家族と共に暮し、洪水や敵の襲来、熊やフクロウを神々に送り返す「イヨマンテ」の行事、初潮、恋のときめき、結婚、出産などなど。まるで日記のようです。そしてこの「日記」の中には長老が語る雄大な英雄譚や神話も入れ子になって、劇中劇のような形にもなっている。

このハルコロは二人の男に関心をいだいて迷うのですが、一人は狩りの名人。もう一人は細工物の達人。狩りのほうが圧倒的に大事そうにみえますが、そうとばかりは言えなかったらしい。確かに北海道では何から何までぜーんぶ木を削ってつくる。鉄器は交易品だったんでしょうかね。この本には食器や楽器、生活用具などの写真やスケッチもたくさん掲載されています。

こうした「ウエペケレ」は膨大な数があるらしいです。ただし活字になったのはごくごく少数。本多勝一の本が刊行されてからずいぶん経っていますが、たぶん事情はあまり変化していないでしょう。同じ少数民族でも北米ネイティブとかアボリジニに比べると、アイヌ民族は徹底的に同化させられ、文化的にはほとんど埋没している。

そうそう。九州の元寇の少し前かな、カラフトあたりを舞台に元とアイヌの戦争が続いたようです。大軍で攻め込んだというより、お互いの勢力範囲が競合したような印象で、どっちかというとアイヌ軍のほうが優勢だった気配。知りませんでした。知らないこと、多いです。

(なかなか面白い本でしたが、やはり本多が熱を入れて語りだすと少し疲れる。特に巻末収録のあたり。疲れるなんて言ったらひどく怒られそうですが)

あ、同じ巻末でも付録みたいなイヌイ(ット)の民話は不条理でけっこう楽しかったです。


★★★ 文藝春秋
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習近平が総書記になる前あたりに書かれた本のようです。著者はサンケイの記者。サンケイ、けっこう中国絡みの本が多いですね。力を入れているということなんだろうか。おしなべてそこそこ面白いけど、ちょっと強引だったりアクが強かったりする

で、例の太子党、共青団、上海閥についても説明。習近平は太子党。上海閥は江沢民、共青団は胡錦濤、李克強。この3つがシノギを削っているんですが、だからといって自民党と民進党みたいな関係でもない。強いていえば学閥ですかね。

なんとなく心情的に共有するものがあるけど、だからガッチリ結束しているわけでもいない。人によっては太子党グループだけどたまたま上海で仕事をしていたんで上海閥と関係があったりもする。だから「私は太子党だ」なんて公言する人間はまずいないらしい。

あっ、もちろん太子党ってのは特権階級の子弟です。特権階級ってのは、たいてい戦前から党員で活躍したような連中。長征、延安時代から戦っていたなんていうと、かなり偉い。

話は逸れますが、例の長征という代物、要するに勢力を失った共産党が奥地に逃げたということです。それを綺麗に表現すると長征。延安時代の党ってのは「某新興宗教みたいな雰囲気」と著者は言っています。ま、確かにオームだったんだろうな。各地から熱血的な若い女が次々と馳せ参じて、幹部連中はたいてい糟糠の妻を捨てて再婚した。古妻が抵抗すると幹部連中が無理やり「説得」したらしい。

これも関係ないですけど、孫文もアメリカ帰りの宋慶齢に夢中になって、古女房を捨てた。なんでも日本へ呼び寄せて無理やり説得したみたいです。口がうまかったんだろうな。これは「革命いまだ成らず」で知ったこと。

ま、そういう本でしたが、面白かったのは薄熙来との関係をこの時点で記載していたことです。重慶で実権を握った薄熙来も太子党のホープですが、どうも習近平とはソリが合わなかった。習近平を敵視していたらしい。で、その薄熙来、スキャンダル暴露でやはり追放されましたね。何年も前からタネが蒔かれていた。

もちろん単純に「習近平の意向」なんてもんじゃない。胡錦濤派との関係やら何やら、いろいろ深いみたいです。中国の政治は複雑怪奇です


★★草思社
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これも予約して閉架から借出し。

ジャレド・ダイアモンドだけど、それほど面白くもなかったです。わりあい平凡。要するにオスとメシ、男と女にとって(遺伝子残し戦略として)どういう形が望ましいか。

女は子供を産むためのコストが膨大なので、ポンと産んでさっさと他の男を探すわけにはいかない。そんなことをしたら子供が育たないから。また男にとっては種付けしたらすぐ他の女のところへ行ったほうが賢いんだけど、そうはさせないように女は戦略を練る。

発情期を明確にしないという作戦。明確でないので、男は「うん、種をつけたな」と確信がもてない。そのため女のそばでずーっと暮らす羽目になる。また男にとってはあちこち渡りあるいて種付けするのはいかにも賢明なようだけど、産まれた子供が本当に自分の遺伝子かどうか。不確実です。

自分が他の女を探すように、実は他の男どもも女をあさっている。自分が留守して浮気しているあいだに、他の男も同じように浮気して歩いている。つまり「自分の女」が妊娠したからといって、その子が自分の遺伝子と信用できるか。やはり近くにいてジーッと監視する必要があるわけです。

女にとっても男手は必要なので「これはアナタの子よ」と納得させる必要がある。せっせとご機嫌もとるし、子供が産まれたら夭折させないように二人の共同作業で育て上げる。無事に育つことが二人にとって価値があるんですね。男にとって「これは自分の遺伝子だ」と信用できるなら、なんとか無事に育て上げるのが実は効率がいい。あちこち種をばらまく作戦は、有利なようで必ずしも得策とは言い切れない。

そういうわけで、一部の金持ちや有力者以外は、みんな(たいていは)一夫一婦のつがいになる。

そうそう。人間だけでなく、ウソをつく鳥もいるらしい。妊娠したのにオスのいなくなったメスが、他のオスを呼び寄せてつがう。で「あら、タマゴができちゃった」とお芝居する。可哀相な新参のオスは他のオスの種のタマゴをせっせと温め、せっせとエサを運ぶ。(通常、妊娠したメスは再度発情期にはなりません)

かなり省略していますが、ま、だいたいそんな内容だったと思います。かなり乱暴だけど。


★★★ 文藝春秋
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前から読んでみたいと思っていました。漱石の「坊ちゃん」を、違う視点から眺めたらどうなるんだろう・・という本です。「うらなり」はもちろんマドンナに見捨てられる存在感のない英語教師ですね。延岡へ追いやられたうらなりは山嵐や坊ちゃん、赤シャツをどう見ていたのか。

もちろん、あの江戸っ子坊ちゃんの言動は迷惑至極で、デリケートなうらなり氏の心をグサグサ突き刺す。本人がまったく気がついていないのが困る。だいたい「うらなり」なんて失敬なアダナをつけることだけでも無神経さがわかりますわな。

で、坊ちゃんと山嵐が自分勝手に騒ぎまくって殴ったりタマゴをぶつけたりして、何がどうなったのか。何も変わりません。うらなり氏は延岡に赴任して、相変わらず静かに辛気臭く人生を生き続けます。それが、悪い?

静謐な文体です。田舎で静かに暮らしてきた老教師が所要で東京へ出てきて、羽振りのいい山嵐に会う。山嵐も悪い奴じゃないんですが、ちょっと精力がありすぎて老人にとっては対応に疲れます。人生ももう終盤。うらなりはひたすら静かに暮らしたい

菊池寛賞受賞だそうです。それほどの傑作とも思えません。★★★にしましたが、本当は★★半くらいな気もします。


★★★ 幻冬舎
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これも浅田センセのお笑いマンガ・・なんだけど、ちょっと本気の怒りも混じっているかもしれない。

もうすぐ定年という年齢の財務省官僚と自衛官。どっちもそこそこには出世したけど、それ以上の将来は望めない。真面目ではあるが要領は良くないし。で、肩たたき、というか天下り。天下り先は「何も仕事のない部署」でオフィスは快適だし給与は悪くないしタイムカードだけしっかり押せば外出しようが本を読もうがすべて自由。あ、さすがに飲酒はやめてください。

天国のような勤務なんだけど、はて、それで満足できるか。普通の人は満足するのに、今回の2人だけは空気が読めないというか、何かしたくてたまらないという困った連中です。そこに有能かつ美人なのかそうでないのか不明なお局女子社員が絡んで、大騒ぎが始まる。

けっこう楽しく読めます。この2人がせっせと仕事をして巨額の回収金を稼いで、で、その金をどうするか。うん、海外へ逃げてハッピー・リタイアメントと決め込むか。

ま、そんなストーリーです。最後の最後でドンデンガエシがありますが、それが納得できれば傑作。できなければ不完全燃焼。どっちかな。


★★★ 文藝春秋
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刊行まもないようです。シャイニングの続編。シャイニングってどんな小説だったかなと少し考えましたが明確には思い出せず。女の子が友達を殺すのはキャリーだし、えーと・・冬の高原の恐怖ホテルの話かな。動物形の植え込みが動き出すやつ。

そうでした。で「シャイニング」の主人公の少年が生き残って、どんな人間に成長したか。超能力は少し衰えた。父親と同じで酒が好きになり、やがて酒に溺れた。超能力(シャイニング)は辛いんです。酒を飲んでいるときだけはそこから逃避することができる。

だいたいキングの小説に出てくるモンスターやゴーストは、客観的に実在するというより、そうした超能力者が呼び寄せていることが多いです。「いる!」と思うから存在する。しかも単なる想像の産物ではなく、それ(IT)は物理的な力も持つ。幽霊に首を締められると、ほんとうに窒息してしまう。

「吸血鬼の町」でしたか、飲んだくれ司祭が一時だけ信念をもつと、単なる水が聖水に変化する。信念がゆらぐと、ただの水に戻る。「IT」では少年の持っているオモチャの銃が破壊力抜群の本物の銃に変化する。でもすぐもとのオモチャに戻ったりする。

今回はけっこう魅力的な少女が登場します。彼女のもつ能力はスーパー級です。ただしまだ子供なので、うまく使いこなせない。そうした少女とシャイニングの主人公(いまは禁酒中の中年)が協力して、絶対悪と戦う。

この「悪」の連中がけっこう面白くて、吸血鬼みたいな連中なんですが、それほど強くはないし、物理的にはごく普通の年寄りグループ。愛嬌がある。一人だけ美人のリーダー格がいて、これだけは強い。でも永遠に生きるはずの一族は意外なトラブルにまきこまれて危機にひんする。かなりドジです。

後半はほとんどマンガです。恐怖小説ではあるんでしょうが、ま、それほど怖くない。そうそう、少女も能力を制御して将来うまく使いこなせるかどうか、少し心配。すでにカンシャクおこして皿を割ったりしているし。完璧なスーパーガールというわけではないんです。

またアルコール依存治療絡みの話がけっこう長いです。いわゆるAAミーティング。ちょっとかったるいですが、キングにとっては書きたいことだったんだろうな。


★★★ 新潮社
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正確には「路」ではなく「王偏に路」です。「たんろみ」と読んでいいらしい。日本の大学でも教えている中国人作家。

で、表題はもちろん孫文(逸仙)の有名な言葉ですね。死ぬ前にそう言いのこした。

内容は「孫文は何をなし、同時代の政治家、革命家たちはどう動き、日本はそれにどうかかわったか。日中百年の群像」ということ。ごく大筋ならある程度知っているものですが、その詳細は実に複雑で次から次へと登場する人名を追うだけで頭がワヤになる。犬養毅、宮崎滔天、頭山満など日本側のかかわりも、思っていたより濃密だったようです。

政治家たちは国家建て直しを献策し、各地の革命家たちは何回も何回も蜂起し、そのたびに挫折する。指導者それぞれ方針も違うし妥協したり反発したり、殺されたり殺したり。ずーっと読み通した感想としては「要するに革命運動は金しだい」ということでしょうか。孫文は世界中を旅して講演し、有力者を説得し、金を集め、武器弾薬を用意し、蜂起して失敗する。ほとんどの場合、資金が足りなかった。資金さえあれば成功した蜂起もたくさんあった。

では孫文は何をした功績をもつのか・・というと実は難しい。ただ若い頃から粘り強く「革命、革命・・」とアジテーションを続け、世界中の華僑から金を集め、一種の象徴になっていたんでしょうね。現実の政治家としての能力には「?」が少し残ります。

歴史資料本としてもなかなか充実した一冊でした。充実しすぎているというべきかな。一回読んだ程度では完全に消化不良です。文章は柔らかく、かなり読みやすいです。


★★★ 中央公論新社
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上巻の感想時は「下巻は探さない」などと言いましたが、図書館に行ったら棚にあった。あったんなら仕方ない。読みますか。

えーと、上巻もそうでしたが、下巻は完全にマンガです。浅田次郎がニヤニヤしながら、好き勝手に書いている。主人公だったはずの御供頭ですが、だんだん出番は減ってきます。

加賀百万石当主の妹(その名も乙姫様)が淡い恋をしたり、老女が早駕籠走らせたり、大名になったばかりのバカ殿がはしゃいだり、マラソン好きのマッチョ殿様(島原の乱で死んだ板倉重昌の子孫)が江戸まで特命ランナーを走らせたり。ニヒルな渡世人が出てきたり。

そうそう。江戸藩邸の留守居役(かな)、みんなにボケてると思われている老人が実はなかなかのやり手だったという設定は面白かったです。ま、楽しい本でした。


★★★ 中央公論新社
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通常はやらないのですが、たまたま「一路」の上巻だけを発見したので借出し。

ま、想像通りの 浅田コメディですね。ところどころに泣かせも入っていますが、過剰というほどでもない。なかなか良かったです。浅田次郎はたいてい読めることが多い。

江戸で修行していた青年が、父の死亡で国元へ帰る。父は道中奉行じゃなくて、えーと「御供頭」でした。それが急死したもので、なんにも知らない主人公が参勤交代の責任者になる

きちんとした大名家ならこんなバカな話はないです。しかし主人公の主君は家格が高くて交代寄合七千石程度の旗本。地方在住。そのため大名なみに参勤交代をしなければならない。どっちにしても家来の数も多くはないし、参勤交代の詳細を知ってる担当者なんて他にいるわけがない。

で、古い資料を発見して「参勤交代は行軍である」 と読み、その資料通りに行軍してみようと決める。戦国の世がおさまって間もないころの古い古い道中メモです。家康から拝領の巨大な朱槍を先頭に、時代錯誤の甲冑武者が随伴する。そんな面倒なこと、ずーっとやっていなかったんだけど。

例によってのバカ殿様があんがい面白いですね。殿様なんて暗愚なほうがいいわけで、周囲からもバカ扱いされてるんですが、実はこの殿様、本当はバカではないのかもしれない。ただし子供の頃からのしつけが効いていて、けっして出しゃばらない。主体的なことも言わない。うかつに言うと恐い爺から「若様!」と怒られ続けてたんでしょう。殿様をやるのも大変です。

楽しく読みましたが、たぶん下巻は探さないと思います。


★★★ 新潮社
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マタギ小説「邂逅の森」の作家です。この人、上手なのか下手なのか判断に困る部分がある。

「烈風のレクイエム」の主人公は岩手種市生まれ(朝ドラあまちゃんで南部潜りが紹介されてましたね)の潜水夫。函館で潜水作業船の親方していたんですが、昭和9年、函館大火に出会う。死者2000を越える大災害だったようです。妻子を探して潮風と猛火のなかを動き回るシーンは迫力あります。

熊谷達也の書くものって、読んでるだけで肌に痛みが感じられたり寒かったり煙かったり、迫真ということですか。描写は独特です。(「邂逅の森」では熊に足をガリガリ齧られる。あれは痛そうだった)

で、女房子供を失って、また新しい妻子を得、平穏と思ったらこんどは昭和20年の空襲。グラマンにやられてしまう。踏んだり蹴ったり。そしてまたまた、今度は昭和29年の洞爺丸。要するに函館ってのは大きな災害戦火に3回も出会っている。それが理由で小説の舞台にしたんでしょう。

主人公は例によってちょっと職人肌で半分スーパーマンでストイックで、これも定番。しかし完全無欠ではなく、イライラして女房に当たったりする。これもお馴染み。雨風冷たい北国でじーっと耐えながら歳をとり、子供が成長していく。ま、それだけといえばそれだけのストーリーです。


★★★ 早川書房
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副題は「人口大爆発とわれわれの未来」。前に読んでなかなか良かった「人類が消えた世界」の著者です。「人類が消えた世界」は、なぜか人類がいっせいに消えてしまったら、世界はどう変化するかのを刻々と描写したものでした。たとえば数日後、家はどうなっていくか。数年後に家畜や野生動物はどうなるか。

ちなみに家は思ったより早く崩れます。人の住んでいない住居ってのはダメなんですね。もちろんビルも崩れます。ガラスが破れ、植物がはびこり、コンクリートは腐食する。プラスチックやステンレスはかなり残ります。プラスチックだらけの地表や海にどんな生物が生き残り、繁栄するか。

で、その著者が「滅亡へのカウントダウン」ではもっとストレートに人類の未来に警鐘を鳴らしたのがこの本です。「未来」というほど先ではないようで、ほんの数十年。一世代か二世代で人類は悲惨なことになるかもしれない。原因は温暖化、水資源、環境汚染、食料不足・・・しかし根本的な原因は、要するに人間が多すぎることです。

計算によると地球に負担をかけないですむような人類の最適値は甘めにみて20億人程度らしい。ほんとうはマルサス理論でもっと早めに限界に達するはずだったのに、科学肥料をつかった例の緑の革命でちょっと余裕ができた。余裕ができたといったって、せいぜい数十年です。

リベットの譬えは面白かったです。巨大な飛行機が飛んでいる。乗客が窓の外を見ると、翼の上に人が乗っかっていて、機体からリベットを抜いている。このリベット、高く売れるんですよ。設計に余裕があるからリベットを少しくらい抜いても大丈夫。実際、抜いても抜いても飛行機はまだ壊れません。安心して乗客はまた昼寝をする。森林を伐採してもまだ大丈夫。どんどん水を汲みあげてもまだ大丈夫。農地を増やし続けてもまだ大丈夫。石から原油を絞り上げてもまだ大丈夫。

でも、リベットを抜いていると、いつか「最後のリベット」が来ます。いきなりエンジンが壊れる。こうなると、もう終わりです。墜落しかない。

いますぐ全世界の住民が子供を1人か2人しか作らなくなっても、惰性でしばらくは人口が増え続けます。たぶん90億とか100億とか。しかしこのまま産めよ増やせよを続けていると、あっというまに120億になる。もっと行くかもしれない。その先は、たぶんないでしょう。全員に行き渡るほどの食料はない。

教育を受けた女性が多い先進国では、子供の数が減ります。しかし貧しい途上国ほど子供たくさん作る。幼児死亡率が高いから保険のためにたくさん産むし、労働力の確保でもある。ニジェールのように7人を越える国もあります。

イスラエルのように意図的に出産数をあげている国家もあります(現在は3人程度)。子供の数=兵士の数という考え方です。人口が少ないと周囲の敵対国にのみこまれてしまうという恐怖。みんないろいろ事情がある。

総論としては、人口は増えすぎないほうがいい。しかしそこに宗教が絡み、政治家の思惑や経済学者の成長理論、男たちのプライドが絡んでくると話がややこしい。たんなる家族計画推進でさえ反感をかったりする。米国政府の家族計画援助金は民主党政権時に成立し、共和党政権になると途絶え、また民主党になると復活する。

人口が減る、減らす。なんかイヤなんですよね。人間の自然な感覚に反する。だから中国の一人っ子政策は全世界から嫌悪された。じゃどうすればいいのかというと、実は答えがない。

どんどん人口が増えて、結果的に強制的な人口減少(戦争、食料不足、疫病) になるのか。それとも気分は悪いけど理性的に子供の数を抑えることでそれを避けるのか。みんな現実を見ないようにして生きている。

ちなみに現在の人口(70億だったかな)でも、全員が先進国レベルの生活スタイルをかちとることは不可能だそうです。どうしてもというなら、人口を20億くらいに減らすしかない。昔から言われてましたよね。中国人民がすべて新聞を読むようになったら、世界の木材パルプは品切れになる。ま、幸いなことにネット社会になったんで、この部分だけは避けられましたが。その代わり、みんなが肉を食べたがる。中国だけでなくインドもそうでしょう。みんな美味しいものを食べて安全に豊かに暮らしたい。でも地球にはそんな資源がもうなくなっている。厳然たる事実のようです。


★★★ 中央公論新社
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再読。

なんか良質なものを読みたくなったんですかね。良質というと、思い浮かぶのはこの本とか、そうですね、えーと、堀田善衛の「ラ・ロシュフーコー公爵傳説」、あとはポール・セローの「ダーク・スター・サファリ」ですか。ポール・セローってのは、マーセル・セローの親父です。

そうそう。ヒラリー・マンテルの「ウルフ・ホール」もよかった。

で、「極北」。時間をおいたせいでけっこうストーリーの細かい部分を忘れていました。いい具合。ただし叙述の雰囲気はしっかり記憶に残っています。

人々の死に絶えた極北の開拓村。一人だけ生き延びて、用もないのに警官として周囲を巡邏するタフな主人公メイクピース。もちろん拳銃やライフルを装備して、馬に乗って見回ります。銃弾は自分で作る。1発使ったら、5発補充するのをモットーにしている。なかなか良いシーンなんですが、はて、火薬はどうしていたんだろう。

銃弾とか薬莢なんかは器用な人が時間をかければ自作可能とも思うんですが、パウダー自製は難しいだろうなあ。どっかで大量の火薬樽でも探しあてたんだろうか。ま、そのへんは言いっこなし。

マイナス50度の過酷な環境で人は簡単に死にます。しかし意外にしぶとく生き延びている人もいる。死ぬ人間と生き延びる人間の境目がどこにあるのか。そんなことも考えさせられます。

たまらなく肉が食べたくなると、自家製のウィスキーをソリに積み、数週かけて付近のツングース(ヤクートだったかな)との交易に出ます。仕入れたいのはカリブーの肉など。夏に肉を仕入れてもすぐ腐るので、購入の時期は厳寒期に限る。極北で人々が歩き回るのは厳寒期だけです。蚊もいないし川も渡れるしソリも使える。夏に動きまわるのはバカだけ。夏は必死に作物を育てなければならない短くて貴重なシーズンです。

極北には極北のルールがあります。殺されるのは愚か者。生き延びたければ徹底的に用心し、人を疑う。相手が自分を殺そうとするなら、躊躇なく相手を殺す。神経のピリピリするような日々ですが、それだけに清々しくもある。

作中、主人公は3人ほど、短い期間ながら心を許せる対象を得る。最初はピングと名付けた中国系の逃亡者(子供でしょう、たぶん)。もちろん言葉はまったく通じない。ピングは毎朝太極拳をしたり、怪我を治すために縫い針を耳や鼻に刺したりする。それでも相手は人間です。感情はある。

森の中で出会ったヤクートの少年ともかすかに交流ができますが、ここでも言葉はいっさい通じない。というか、お互い会話をしようともしないし、少年は気持ちをまったくあらわない。ずーっと無表情。ただ、なんらかの感情のつながりがあったような印象は残る。

後半、もう一人の友人(らしきもの)も生まれます。ただし、これも本当に心を許せるかどうかはわからない。おまけに英語圏の人間ではなくイスラムで、科学知識があり何カ国語もマスターしている教養人。彼は苛立ってメイクピースを「野蛮人」と罵ります。たしかにメイクピースは野蛮人です。街を知らない。文化にも縁がない。本もほとんど読まない。ただ知っているのは厳しい土地で生き延びるためのノウハウとタフな生命力だけ。

こういう主人公を据えた本って、読んだことがないような気がします。メイクピースは非常にシンプルです。時折、深く考えることもあるけど、それ以上は追求しない。まず生きること。少なくとも無様な形で死ぬのはいやだ。父親はインテリで一国の大使とも議論できそうな人でしたが、実生活においては釘一本まっすぐ打ち込むこともできない。メイクピースは逆です。教育はほとんどゼロ。しかし釘は打てる。銃も使えるし馬にも乗れる。厳寒の極北を何週間も一人で旅することもできる。

文明とか教養って何なんだろうか。知識はもったほうが幸せになるのか、むしろ無知のほうがいいのか。いろいろ考えさせられます。いずにれしてもこの小説、感傷はゼロなんですね。清々しい。


★★★ 文藝春秋
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世の中には「パレオダイエット」なるものがあるそうです。知りませんでしたが「Paleo」は「原始的な」です。「Paleolithic Era」で旧石器時代。要するに旧石器時代の人間のような生活をすることで健康になれる。Caveman Diet(穴居人ダイエット)。

根拠としては、文化の急激な変化にたいして、人間の体は対応することができていない。特に農耕文化に突入してからの小麦や米、糖質の過剰カロリーに人類のDNAは対処できない。だから肥満したり、不健康になったり精神を病む。

それなりに説得力がありますが、この「パレオダイエット」にも穏健・過激いろいろあって、たとえば牛乳を許すかどうか、果物はどうだ。バターやタマゴをどうする。極端な提唱者になると、マラソンは禁止。原始人はそんなに長距離走り続けることはなかったから。もし走るなら、数百メートル全力疾走して、プラプラ歩く。また急に走る。休む。獲物を見つけた狩猟民のパターンですね。

また「殺したマンモスの肉片を想定して、数十キロの重いものを持ち上げるトレーニングもいい。しっかり食ったら寝る。常食はもちろん肉です。あとは野草や根菜とかナッツ類とか。

つい笑ってしまいそうですが、提唱者は原始人が槍もって走りまわっていつもマンモスや鹿を狩っていたと想像しているらしいです。ずいぶん単純化している。トボトボ歩いて腐肉をあさったり、虫ををつかまえて食っていたとは考えない。

で、そうしたパレオ主義者に対してずいぶんお怒りの様子なのがこの本の著者。本当に人類は変化してこなかったのか。いやいや、生物はけっこう短期間で進化するものなんだ。ま、そういう趣旨です。

実例としてあがったハワイの雄コオロギは、ほんの5年くらいで進化(変化)した。メスの気をひくためにせっせと鳴く行動を停止した群れがいて、なぜならこの地域では鳴くと恐いハエに発見されてタマゴを産みつけられてしまう。鳴かないという選択は求愛行動として非常に不利になりますが、それでも生き延びるためには鳴かない道を選んだ。

そうそう。一部の人種の瞳が青いのも、ほんの数千年の進化らしいです。昔はみんな色が濃かった。人間の進化が止まったと考えるのは、まったくの勘違いなんだそうですね。

なかなか面白い本でした。


★★★ 光文社
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この作家は初めて。けっこう達者な人です。

えーと、関ヶ原から30年後、さるお方に頼まれた江戸の商人(紙屋だったかな)が、関ヶ原や三成について事情を知るさまざまな人間にインタビューする。ま、偉い人は無理です。たいてい誰それの家来だったとか小姓だったとか、そういう男たち。いや、女もいました。高台院(ねね)の侍女だったかな。

インタビューですから、質問事項は決まっている。関ヶ原の戦いは何故起きたのか。三成ってのはどんな人物だったのか。なぜ20万石程度の三成が西軍を指揮できたのか、等々。相手の地位や立場によって回答もいろいろです。

こうして関ヶ原に至る経緯や、石田三成という人物の輪郭がだんだん明確になってくる。たいていはこの時代に関心ある人なら知っているような事実ですが、初耳もありました。三成の子供(男子)や女子が奥羽の某大名を頼って生きのびたこと。また関ヶ原の戦いの火蓋が切られたとき、西軍側は応急ながらまともな陣をかまえて待ち受けていた。そこへ家康が無謀に突っ込んでいく形。

ふーん、でした。

内容は(特に結末)面白かったんですが、ちょっとワンパターンで飽きる部分もある。★4つにするほどのこともないかなという本でした。


★★ 草思社
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以前読んだ「徳川慶喜家の子ども部屋」は非常に面白い本でしたが、その著者・喜佐子が嫁いだのは越後高田藩の榊原政春。ようするに当時の華族です。東大卒の華族といっても戦争が近くなると徴兵にとられ、しばらくの間は一般兵士と同じで殴られて暮らした

少尉となってからは東京勤務。しかし開戦寸前に南方軍総司令部付となって移動。最初は報道部担当だったようです。しばらくすると軍政担当。サイゴンあたりを拠点としてスマトラからフィリピン、シンガポールとあちこち飛び回り、仕事のかたわら感想を平易にメモした。

徴兵前は台湾の国策会社に勤務もしていたし、視野は広いですね。ただし根幹はあくまで「大東亜共栄圏」。これは仕方ないことです。大東亜共栄圏達成のためには現地を搾取する必要もあるし、軍の力で弾圧することも必要。マニラあたりの米国に甘やかされた市民は論外。仏印、マレーでも最大の敵は強固な華僑ネットワークである。内地では平等とか温和政策とかいう連中がいるけどとんでもない。しばらくは強権政治が必要だ。

立場なりに合理的に判断している。しかし東京の本部の方針にはかなり批判的だし、現地でもいい気になって増長している日本軍には嘆いています。ストレスがいろいろあったらしい。当時のインテリ軍人がどんなことを考えていたか、如実に理解できます。

なかなか面白い日記でしたが、あいにく期限がきて、半分ほど読んだ段階で返却。


★★★ 朝日新聞出版
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ようやく読み終えました。内容は米国の被差別状況です。ニューヨークのハーレムでの黒人、南部諸州での黒人、そして居留地の先住民(インディアン)

書かれた時代がたぶん1960年代の後半でしょうか。「日本ではなかなか信じてもらなかった」そうですが、その後に偶然「イージー・ライダー」が公開され、「ソルジャー・ブルー」もあった。「そうした映画が内容の真実性を裏付けてくれた」そうです。

50年以上前の米国です。ま、だいたいは想像通りでしたが、本多とアフロヘアーの黒人が同乗してクルマで走っていると狙撃されたというのは流石に驚きました。黒人だけならさして問題ではない。連中は面倒を起こさないから。またアジア人も問題はない。しょせんは黄色い連中です。また「目覚めた黒人」の証拠であるアフロも、それだけなら、これまた相手にしないだけ。

アフロとイエローという組み合わせが問題だった。そこに土地の住民の怒りを買うセンシティブなものがあった。単に無視するというレベルではなく、積極的に抹殺しようとする

ちなみに本多は終始一貫「英語」ではなく「イギリス語」という言い方をしている。理屈はわかりますが、偏屈なオヤジだなあ。どこかにある日本大使館に電話をかけると受付けがイギリス語で応答すると怒っている。通常、日本大使館に用のあるのは現地の日本人や旅行者だろう。なんでイギリス語で応答するんだ。

もっともな怒りではあります。やたら攻撃的ではありますが、本多の主張には納得できます。ただし、読むのは疲れました。本多勝一集には他にも「戦場の村」とか「中国の旅」なんかもあって読もうかなとも考えていましたが、うん、ちょっと休憩です。


★★ 勉誠出版
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真面目な研究書でした。ただし一応は「一般向け」も意識しているのかな。すいすい読める本ではないですが、かといって完全な論文というほどでもない。

この時代のモンゴルは、ほとんど調査されていなかったようです。旧ソ連時代はチンギス・カン(この本での記述)なんて悪の巨頭だったし、この名前を口にしただけで民族主義者として逮捕される可能性もあったらしい。ま、それも当然で、ロシアとか東欧からすればモンゴル軍は悪魔の使者です。殺戮集団。いまでもあんまり良い感じはない。

ソ連から独立して、ようやく堂々と民族の英雄について語れるようになった。たしか巨大な銅像もどこかに建ってたはずです。モンゴル系住民にとっては、やはりチンギス・カンは大英雄。酒でもレストランでも建物でも、大きなものにはみんなチンギス・カンの名前がつく。チンギス・カン・ホテルとかチンギス・カン池とか。チンギス・カン酒とか。

イメージだけは強烈だけれども、ではモンゴルとは何だったのか、チンギス・カンは何をしたのか、どんな帝国だったのかというと、あんがいわからない。不明な部分がべらぼうに多い。それで日本の考古学チームなんかが現地チームと協力していろいろ調査発掘をしている。残された資料は少ないようですが、それでも少しずつわかったきたらしい。

この本をザッと読んで理解したこと。面白かったのは、チンギス・カン(テムジン)はウイグル系商人のバックアップをかなり得ていた可能性があったということです。そうしたバックアップを得て、周辺部族との戦いに勝利を得ることができた。また通商使節団を殺されたのが原因とされているアラル南域ホラズムとの戦いですが、実際にはその前から戦いを準備してきたらしい。使節団うんぬんは単なる口実

要するに沙漠の交易商人たちは自由に中央アジアを歩き回りたいわけです。それには国境が消えてほしい。制限が少ないほうがいい。なんならホラズムがモンゴルを制圧したってかまいませんが、どうもモンゴルのほうが理解がありそう・・・そう考えた商人たちがいた。そう思わせる何かがチンギス・カンという人間にはあった。

そうそう。雌伏期のテムジンは実は金の子分になって力を蓄えた。タタールってのは金に従服していたんですが、ちょっと勢力が強くなりすぎたのかやがて金に嫌われた。で、声をかけられて東西から呼応してタタールをやっつけたのがテムジン。政治情勢を見て狡猾にたちまわる能力があったんでしょうね。単に強いだけの連中ではない。

もうひとつ。オルドってのはたんに妻妾のいる住居ではなく、いわば「宮廷」、場合によっては「首都」だったらしい。で、オルドはいくつもあって、チンギス・カンのいたのが大オルド。

compobow.jpgそうそう。モンゴル弓の構造についても知りました。複合弓というやつですね。コンポジット・ボウ。

イメージとしては柔軟な鹿の角みたいなのを組み合わせたシンプルなものかと思っていましたが、実際は非常に細工の細かいものらしい。まず竹とか柔軟な木で弓の幹の形をつくります。イメージとしては逆C字形。この幹にベタベタと角や骨なんかの板を貼り付ける。反対側にもいろいろ貼って、最後は牛や羊の腱のようなのものでグルグル巻く。かなりの強度が出るらしいです。

そして逆C字だったのに弦を張って、C字に引く。弦を張るだけで弓は裏返されてるわけで、パンパンになっている。したがって、短い弓でももべらぼうな飛距離が得られる。使いこなすには剛力とテクニックが必要だったでしょう。遠矢なら500Mとか600Mの記録もあったらしい。遠矢には鏃(矢尻)を小さく、近距離用なら大きくて重い鏃を使ったらしいです。ふだんは弦を張らないで逆C字の形で保管していたそうです。

などなど。初めて知ったことも多い本でした。


★★★ 朝日新聞出版
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正月。気の重い「プロメテウスの罠」なんか読んだ後だったので、なんか楽しいものが読みたくなった。で、たまたま図書館の書籍検索で本多勝一集というシリーズがあることを知りました。30巻近くあるらしい。すべて閉架です。「北の無人駅から」の延長で、北海道を扱ったものがないかなと見ていくと、この「アムンセンとスコット」を発見。うーん、なつかしい。

子供の頃、探検ものは大好きでした。もちろんアムンゼンは読んだし、スコットの悲劇も読みました。ついでに南極観測船宗谷の立ち往生は手に汗にぎってラジオに聞きいりました。

宗谷は非力で小さかった。ソ連のオビ号は強そうだった。いま調べてみると、オビ号は1万トンを軽く越えた砕氷船で、(船のトン数ってのは難しいんですが)宗谷の3倍か4倍はあったみたい。宗谷はたしか東京湾の船の科学館に浮かんでますが、いま見ると驚くほど貧弱です。こんな船で南極まで行ったんだ。

で「アムンセンとスコット」ですが、知らないことが山ほどありました。まず犬と馬の違い。スコットが馬にこだわって失敗し、アムンゼンは犬を使って成功した。これは知っていたんですが、実際にはスコットも犬を連れていっていた動力そりも用意していった(すぐ壊れた)。また馬を極点まで使用するつもりはなかったらしく、海岸部の平坦地からプラトー(高原地帯)へ登る急坂あたりで終える予定だったらしい。つまりたいして期待していなかったんですね。犬についてもそうで、やはり途中までのつもりだった。その後はどうするかというと、最初から人力でそりを曳く予定だった。ひぇー。

動力そりはすぐ壊れた。馬も犬もたいして期待できない。しかしそりは人力で曳く。それがスコットたちの美意識だったんじゃないか。苦しいけれども英国海軍のタフな精鋭です、耐えて頑張ってやりぬこう。

本の後半の解説対談によると、スコット隊は犬の扱いにあまり自信がなかったんじゃないだろうか。犬なんて信用できない。やはり最後は人間の力だ。ジョンブル魂。

一方のアムンゼン隊は犬を信用しています。実際、極寒の中でも犬は頑張ってそりを曳いてくれた。北西航路探検の際にイヌイットから犬の扱いを教えてもらったような気配もある。防寒着なんかもやはりイヌイット方式のブカブカな服装をかなり採用している。いいものは採用する。実際的だったんでしょうね。それに比べるとスコット隊は固定観念にとらわれていた。用意していった牛革の防寒着はあまり役にたたなかった。汗が内部にたまって凍りつく。

もうひとつ。アムンゼン隊は犬を食べた。仕方なく食べたんではなく、最初から食べることを予定していた。たとえば50頭を連れて行ったら、途中々々で間引いて、内臓は他の犬に与え、自分たちは肉をたべる。ついでに新鮮な肉を帰路用に途中のデポ(前進基地)にもストックしておく。

こうしたやり方は合理的ではありますが残酷です。スコット隊と比較して非難されてきた部分なんですが、実はスコット隊だって馬を食べていた。馬は予想に反して極寒に耐えきれなかったし、おまけに膨大な量のマグサを橇にのせて運ぶ必要もあった(なんとまあ)。

馬は体重が重いのでクレバスに落ちる。マグサも切れる。そうなると馬を処分するしかない。処分した馬はもちろんみんなで食べます。ただ「計画的に食べたかどうか」だけが違う。(ちなみに犬の食料なら、途中でつかまえたアザラシなどを活用することもできた)

ルート途中のデポ設定も、完全にスコット隊は失敗していますね。思ったほど内陸部へ運ぶことができなかったし、量も少なかった。地形や天候など運不運もありますが、最初からスコット隊は不手際が続いた。スコットは以前のシャックルトン(南緯88度23分まで行った)の道筋をたどったんでほとんどが既知のルート。うまくいくはずだったんですが。

そうそう。最後の最後、4人で極点へアタックかける予定だったのに、スコット隊長は急に一人増やしてしまった。隊員5人。でもテントは4人用。スキー板も4セットしかない。そもそもをいうなら、スキーを履いているせいでそりをうまく曳けないとかいうメモも残っているくらいで、スコット隊はみんなスキーが下手だったらしい。(アムンゼン隊はスキーを大活用している。さすがノルディック)

ことほど左様。スコットという人、平時の軍人としてはともかく探検隊を指揮するべき人ではなかった。アマチュア。遭難したからすっかり悲劇の人物となったけど、もし無事に帰還していたら英国でも総スカンくらった可能性あり。もっとも同時期に南極に上陸した白瀬隊はもっとアマチュアですけどね。悲惨なくらいアマチュア。それでもあの時期、よくぞ敢行した。よくぞ全滅しなかった。はるばる乗っていた船なんて200トン程度です。日本に帰ってからも、死ぬまで借金に苦しんだ。

ついでですが、スコット隊の最終アタック要員5名のうち、1人だけは水兵だった。大男でそり曳き要員として期待されてたんでしょうね。ただし凍傷に侵されていて、極点からの帰路、どんどん衰弱。推測ですが、大きな体の割にカロリー不足だったんじゃないか。

衰弱が一人でもいると進行がおくれて食料が減る。食料が減るといっそう進度が落ちる。でも下っぱだから文句もいえないし、ひたすら耐えてそりをひっぱる。そのうち死んじゃった。後になってもう一人の士官も覚悟の死をむかえるんですが、こっちは英雄視。でも先に死んだ水兵のことは誰も言わない。どう埋葬したかのメモもない。ま、軍隊だし階級社会の英国ですから。

対談資料の中で、日本の越冬隊だった人が話しています。やはり同じように最年少の下っぱで、しかもそりを先導して歩いた。日本の犬は先の見えない雪面を走らないんだそうです。だれかが先導すると、その足跡に安心して走る。ホワイトアウトの中を歩くのは恐かった。運が悪ければクレバスに落ちる。「犬のしつけがわるい」と本多は非難してましたが、ま、そうなんでしょうね。後ろから「走れ!」と叱咤しても犬がまったく隊員を信用せず走らない

で、その下っぱ隊員の話によると、極寒の雪道を先導するとべらぼうに腹が減るらしい。必要カロリーについてはもちろん事前に検討していたんだけど、通常は4500kcalなんて絶対に食べられない。しかしそりの先導なんてしてると、4500kcalでもまったく足りない。おまけに食料貯蔵の失敗で結果的に3000kcalしか食えなかった(実は当人が食料計画担当責任者だった)。

とはいえ、食事量はみんな平等。西堀隊長とか先輩連中が残さないかなあ・・と期待しても、誰も残さない。仕方ないから犬用ビスケットをちょろまかして食べたそうです。8枚やるところを1枚もらう。うらめしそうな犬の視線を感じながら、不味いビスケットをかじる。悪いなあと思っていたその犬を結果的に南極に置き去りにしてしまった。慙愧だそうです。

そうそう。スコット隊はあまり書いてないけど壊血病にも甘かった気配がある。壊血病になるとどんどん体力がなくなって、結果的に距離を稼げず、そのために食料が不足する。アムンゼン隊はしっかり生肉を食べていた。これでビタミン補給。

theterror.jpgそのはるか半世紀以前、堂々たる軍艦二隻で実施した北西航路のフランクリン隊なんかでも、やはり英国流の階級意識が問題だったらしい。用もない銀器まで積み込んだ重いそりを必死に曳くのは水兵。士官は手ぶらで傍らを歩く。

アザラシを捕まえる技術がなくて、しかたなく白熊が食い残した骨を拾って食べていた。おまけにしっかり焼いて、肝心の骨の髄をこがして食った。ビタミン不足。すぐ近所でイヌイットの老人や幼児がふつうに生活している環境で、英国軍人たちだけがバタバタ死んでしまった。ダン・シモンズの「ザ・テラー 極北の恐怖」に詳しいです。

フランクリン隊に関しては用意した膨大な量の缶詰が粗悪品だったという話もあります。直前になって海軍省が安い業者に乗り換えた。ほとんどが腐っていたり、鉛が溶け込んだり、酷い代物だった。ちなみにスコット隊が使った燃料缶も粗悪で、デボしておくと漏れたり蒸発したり。おまけに何故か食料の上に缶を置いていたので、漏れた油で食料がダメになった。いったいなぜまた食料の上に置いたんだ。

動力そりにしても、馬の使用にしても、燃料缶にしても、きちんと耐寒テストをしたんだろうかと言いたくなります。ま、「大丈夫だろう」という程度だったんでしょうね。人のことはいえなくて、日本の第一次観測隊でも食料冷蔵の感覚がなかった。南極で冷蔵庫は必要ないだろう。しかし実際にはけっこう暖かい日もあって、溜めこんだ食料がどんどん腐る。その結果として食料計画の大幅見直し。腹が減って犬のビスケットをちょろまかす羽目になった。

なんにしろ、初めてのことは大変です。結果論で、あとから批判するのは簡単だけど。ちなみにアムンゼンもスコットも、日本ではずっーと詳細な探検記がなかった。人気がなかったんですね。アムンゼンは完璧すぎる。スコットは悲惨すぎるし、かといってあまり非難したくない。だから読んでもちっとも面白くないものになる。そりゃそうだ。

sogennokaze.jpg後漢の光武帝、なぜか主人公にした小説が少ないんですが、それも同じ理由でしょうね。あまりにもスンナリ成功しすぎる。波瀾万丈ハラハラドキドキの要素が少ない。宮城谷昌光の「草原の風」がそうで、かなり頑張って書いてるけどやはり難しい。

ある本を読もうかどうか迷ったとき、けっこう大きな判断材料になるのが出版社です。

だいたいの傾向がありますね。たとえば岩波なら良質だけど硬いとか、早川ならそこそこ面白いけど駄作もかなり多い。新聞社系はテーマはいいけど、けっこう読みづらい(クセが強い)こともあるとか。

というふうな経験しながらこの歳までなっているので、ちょっと興味を惹かれても奥付の版元名を見てやめるということも多々あります。内容は良さそうなのに訳がよくない。誤植が多い。図版もひどい。こうして「やっぱ、この出版社のはダメだ」という思い込みに根拠を与えてくれる。

去年読んで感想を書いた本が88冊でした。では勝手な判断でつけたの数と、この「出版社評価」は相関するのか。ひまなもんで、ザッとさらってみた次第です。


まず★★★★評価。
これは数が少ない。えーと、北海道新聞、文藝春秋、読売新聞、岩波書店。これだけでは何もいえないか。なので★★★と合算します。

次に★★★評価。
(1) いちばん多かったのは文芸春秋で、11冊。なるほど。文芸春秋の本はたしかに安心感がありますね。めったに失敗しない。
(2) 次は新潮社で6冊。これも納得。ちょっと文芸臭があるけど、たいていは読める。
(3) そして河出書房で5冊。はて、河出の本って何を読んだっけ。学術系が多かったのかな。
(4) そして集英社早川書房が並んで4冊。ふーん、集英社ねえ。
(5) そして中央公論講談社が3冊。硬いイメージの中公、柔らかいイメージの講談社。どっちも振るわなかった。
(6) 筑摩書房が2冊。ま、納得。

あとは1冊ずつでした。意外なのは角川書店が1冊しかランクインしなかったこと。若い人向けの版元という感じが強くなったのかな。草思社、白水社など固そうなのが1冊だけというのは十分わかるんですけど。


そして★★です。★★が多いというのは良いことなのか悪いことなのか難しいです。少なくとも読んでみようという気は起こさせる。だけど結果として良くなかった、あるいは合わない。

(1) トップはなぜか講談社でした。6冊。10冊読んで6冊が★★ですから、かなり確率が悪い。合わない部分があるんだろうな。
(2) 次は文芸春秋集英社。4冊。うーん、文春本もあんがいダメなのがある。
(3) そして河出書房が3冊。
(4) 中央公論、新潮社、岩波書店、角川書店が各2冊。
(5) あとはすべて1冊だけです。

はて、リストは作ってみましたが、これで何が言えるのか。頭をひねってみたけど難しい。

どうでもいいこと。河出書房新社、中央公論新社。「新社」のついた版元って、二つもあったのか。どっちも比較的好きな版元です。ちなみに「飛鳥新社」は最初から新社だったようです。あいにくここの本は読んだことなし。

結論=統計としてはほとんど無意味だった・・・せいぜいで文春は(自分にとって) 読みやすいという程度でしかない正月だなあ。


★★★ 学研パブリッシング
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図書館の棚にズラーッと並んでいたので2冊だけ借出し。

うーん、感想を書くのは非常に難しい。内容はもちろん想像通り。無力感というか、苛立ちというか。こういう国なんだな、日本は。

しかし冷静になって考えてみると、住民も村役場も県庁も国も、本当に悪い奴なんていないんです。みんなその人なりに(自分の限度なりに)努力もしている。仕事もしている。原発推進か反対かはともかく「こうしたほうがいいだろう」と思ったことをしようとしている。

ただし、みんなちょっとだけ保身を考える。自分の身が可愛い。前例にないことをして咎められるのを恐れる。「やれ! 責任はオレがとる」と言い切れる人は非常に少ない。ま、当然ではあります。たとえば国や県の指令を待たず、住民にヨード剤をのませる。ちょっと回り合わせが悪ければ、断行した人は本当に責任をとるしかないでしょう。責任といっても、単に職をやめればいいのか。そんな程度の責任なのか。結果的にうまくいっただけなのかもしれない。

なんやかんや、非常に気分の悪くなる本です。後味は最悪。でも仕方ない、くじけず巻4、巻5・・と読み続けなくてはならないですね。

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