Book.19の最近の記事

検索をかけてみたら、今年は★★★★が4冊。多いのか少ないのかは不明ですが、とにかく読んだ本の絶対量が減ってますね。えーと、たったの30冊か。元気なころは100冊近くを読了していたのに。

ま、ともかく。


「あの頃 - 単行本未収録エッセイ集」武田百合子

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著者は武田泰淳の奥さんです。というより「富士日記」の作家ですね。あれは素晴らしい。

で、武田百合子の書いたものは発見すれば借り出していたつもりでしたが、もちろんこぼれがある。単行本に収録されずに終わったものも多い。で、百合子さんは「死後に出したりするな」といっていたらしいけど、なーに、娘の武田花さんが集めて一冊にした。

疑問に思っていた武田泰淳の病気のあたりもわかったし、神保町でアルバイトやってた頃のエピソードもいろいろ楽しい。花さんによると「とにかく派手な女」だったそうです。やっぱり。


「日本人のための第一次世界大戦史」板谷敏彦

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第一次世界大戦って、どうもわかりません。日本からは遠い戦いだったし、そもそも時代が古い。そうした「第一次世界大戦」「欧州大戦」を広い視野から解説。読みやすいし、面白い本でした。

とくに大戦の本質を「トルコ帝国のアジア側を西欧列強が再分割しようとしたもの」という解説は素晴らしかった。なんで「アジア側」なのかというと、欧州側はもう分割しつくしてしまったからなんですね。

A国とB国がケンカしてB国が負けると「バルカンのあのへんを差し出すから許して」という話し合いになる。そもそもB国のものじゃないんですけど。トルコの欧州側は、そうした列強のせめぎあいの「景品」だった。「分銅」という表現もありました。

なるほど。こうして欧州側の分割が終わったので、次はアジア側。通称「中東問題」です。こっちの場合は、もう余裕がないので列強がナマで衝突するかたちになった。それが「欧州大戦」。なるほど。


「切腹考」伊藤比呂美

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この人のものを読むのは初めて。ま、詩人ということは知っていましたが。文章というか、言葉に力がありますね。

えーと、書かれているのは一応「切腹」についてですが、むしろ鴎外への愛が書かれているというほうが近いかな。ほんと、好きみたいです。

したがってエリスについての考察もあるし、鴎外の文体についても研究しているし。そうそう、文体。これは漢詩のリズムなんだそうです。五言絶句なんかの押韻。だから語尾も「・・だ」「・・だ」「・・だ」と続いたのに、急に「・・である」に変わる。変わる必然性は皆無なのに、変わる。韻です。たぶん鴎外は無意識に韻を踏んでいる。

阿部一族についての考察も面白かったです。「阿部茶事」という原典があったんですね。初めて知りました。 ( ちなみに、滅亡した阿部家の隣家、又七郎が「元亀天正の頃は茶の子茶の子・・」とせせら笑う)


「戦争まで」加藤陽子

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加藤陽子はいいですね。素晴らしい。平易で、論理的で、公平で新しい視点。この本は夏休みに一般から受講生をつのって、加藤陽子が講義した。受講生の中心は高校生かな。少ないけど中学生もいるし高校教師もいる。

しかも単なる講義ではないです。聴講生には資料を読み込むことも要求。ま、高校生といっても大部分は有名私立。よほど強い関心がなければ無理な聴講です。

内容の中心は、リットン調査団、日独伊三国同盟、日米交渉。なんとなくの「定説」とはかなり実相が違います。なるほど、こうやって戦争への道をたどった。軍人だけが悪だったわけでもない。政治家、官僚、マスコミ、国民。みーんな「これしかない」とそれなりにたぶん信じて、破滅への道をひた走った。

その他 ★★★の本
「人間晩年図巻 1990-94年」関川夏央

思いの外、よかったです。山田風太郎の臨終図鑑を継いで、しかしこの時代、臨終の詳細を描くことは不可能。それで「臨終」ではなく「晩年」になった。とりあげる範囲が広がっています。

「黒い豚の毛、白い豚の毛: 自選短篇集」閻連科

短編集です。閻連科(えんれんか)は、ノーベル賞の莫言の従兄弟みたいな雰囲気の作家ですね。同じように田舎育ち、学歴がなく、食うために軍に入り、貧しい農民の生活を描いた。ただし莫言の能天気さではなく、惨めさとか繊細さとか。後味がよくて、記憶に残る書き手です。

「FEAR 恐怖の男」ボブ・ウッドワード

まっとうなトランプ本です。きちんとしていて、読みやすい。内容はもちろん、いかにトランプがアホで始末に困る男か、につきます。ウッドワードって、ニクソン本を書いた有名記者かな。

たとえば大統領執務室。朝、デスクの上に「米韓自由貿易協定を破棄」なんて命令書が、サイン待ちで置いてある。こんなのにサインされたら米韓関係は破滅です。側近は書類をそーっと持ちだしてしまう。

通常なら大問題なのですが、トランプは気がつかない。完全に忘れる。で、数カ月たつとふと思い出して、書類を用意しろ!とまたわめく。また誰かがその危険書類を捨てる。

そんなのが側近の仕事。笑ってしまいますが、真実でしょうね。

「家康、江戸を建てる」門井慶喜

江戸に開府した家康が利根川を曲げて、銚子のあたりに持っていかせた。これは知っていましたが、思うだに大仕事です。

もちろん家康が自分でやるわけはない。開府の頃は本多正信あたりが働いていた気がするんですが、はて、具体的には誰に命じてやらせたのか。こうした疑問に答えてくれる本屋大賞ふうの気楽本が本書ですね。実際には伊奈一族という官僚の系譜が、こうした難事業を実現した。

神田上水や慶長小判の話もあり、これも面白かったです。特に高低差の少ない地形で、どうやって水を流すか。工夫がいろいろあったんですね。

岩波書店★★★

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これの続きです。1995-99年になくなった人物の評伝、あるいは周辺ゴシップですね。やはり、そこそこ面白かったです。

横山やすし(肝硬変51歳)はケンカも酒も弱かったとか。

長年の東洲斎写楽の研究家だったフランキー堺(肝不全 67歳)。しかし映画が実現したときには、もう写楽を演じるには歳をとりすぎていると宣告され(監督は篠田正浩)、結局は蔦屋重三郎になったとか。

面白かったのが勝新。甘党の若山富三郎は62歳で死亡。対して大酒のみの勝新太郎は65歳。なんか皮肉なもんてす。

そうそう。スタンリー・キューブリックはカーク・ダグラスから「才能あるイヤな野郎」と言われていたとか。あはは。よっぽどクセのある男だったらしい。例の2001年・・・も無理やりアーサー・C・クラークに原作を書かせ、おまけに完成してからも映画にあわせて手直し要求が尽きない。しかも映画化まで本の出版も許さなかったり(クラークはカネに困った)、クラークにとっては疫病神だった。

この本ではないですが、世界一周の途中にセイロンへ寄ったポール・セロー(旅行作家)によると、老化したクラーク爺さんはグチャグチャに描写されています()。セローも底意地悪いやつだけどクラークも老醜。素晴らしい作品残してなおかつ人物も・・なんてのはレアケースなんだろうな。

 本筋に関係ないですが、クラークのセイロン居住はバイセクシャルが理由だったらしい。生涯暮らしたセイロン人の友がいた)

中央公論新社★★★

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同じ作家の「草原の風」というのを読んだことがあり、これは後漢の光武帝の半生を描いた小説。光武帝(劉秀)は湖北の豪族の次男で、一応は劉一族の末裔。若いころに呟いた「仕官当作執金吾 娶妻当得陰麗華」(官につくなら執金吾、妻を娶らば陰麗華)のセリフで後世にも名を残した。ちなみに金吾()は京の警備隊長みたいな地位ですね。衣装が派手でカッコよかったらしい。陰麗華は付近で評判の美女。

で、「草原の風」、なかなか面白かったんですが、でも物足りない。仕方ないんですね。劉秀というのは性格穏やかで、あんまり残酷なことはしない。しかも軍事の天才で体も丈夫。地元で評判の美人と約束守って添い遂げる。その陰麗華もかなり完璧女性。要するにエピソードやスキャンダルがあまりないという困った連中です。だから小説にならない。たとえ書いても面白くならない。

とういことで、劉秀を違う面から描いてみようという試みなんでしょうね。信頼の大司馬(武将トップです)だった呉漢という人を中心に新しい小説を書いた。

呉漢、もちろんまったく知らなかったキャラですが、どうやら朴訥で堅実な人物だったらしい。地面をみつめて黙々と耕作するしがない農民だったけど、なぜか隠れた能力を見いだす人たちが次々とあらわれる。自然にレールをひいてくれる。

軍事面に能力を発揮し、皇帝に尽くした。悪目立ちして殺されもせず、寿命をまっとうした。光武帝、部下をあんまり処分しない人だったらしい。中国の皇帝にしては非常に珍しいです。ついでですが、皇后になった陰麗華も賢い人で、自分の実家にあまり勝手をさせなかった。これも珍しいです。

だから後漢がすばらしい時代だったかというと、それはまた別。後漢200年、なぜか語る人の少ない時代です() 。代々の皇帝が長生きせず、みんな幼くして即位。結果的に外戚と宦官で衰弱したとWikiにありました。この後漢の次が三国志の時代です。


そういえば関ヶ原の小早川秀秋が「金吾」でした。中国のこうした官名をカッコいいから流用して使ったんでしょう。

漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)の金印。この光武帝に朝貢して授けられたということになっています。ほんと、大昔ですね。

平凡社★★★
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初期のハーバードにはネイティブアメリカンが学んでいた。これは初耳というか、驚きました。なるほど、まだアメリカ独立前の話なんですね。王女ポカホンタスなんかが大活躍(もちろん嘘八百ですが)した少し後です。

英国人たちが入植した、いわゆるニューイングランド。最初のうち地元のワンパノアグ族とはそれなりに友好路線だったようですが、なんせ入植連中は頭コチコチのピューリタンです。蒙昧なインディアンを改宗させようとか、悪魔を滅ぼせとか、ろくなことを考えない。厳格なキリスト教徒の中でもとりわけ融通のきかない連中。

そうした一種の「同化策」としてインディアン少年のハーバード入学もあった。ちなみにハーバードの創設は1636年。マサチューセッツ州ケンブリッジ。ボストンの近郊です。ここにたぶんワンパノアグ族の少年たちが入学し、1665年に卒業したという事実があるらしい。当時のハーバードの勉強なんてラテン語とかギリシャ語とか、いやはや。ご苦労としか言いようがありませんが、ま、非常に優秀だったんでしょうね。

おそらくそれだけの事実を元にして、女性作家が少年と少女のお話を書いた。17世紀のニューイングランドですから、甘いストーリーなんて無理。なかなかに厳しい。そしてインディアン少年も部族と英国、土着信仰とキリスト教の間に引き裂かれ、苦しみ、壊れていく。まもなくこの地ではフィリップ王戦争が勃発。英国人と地元部族との壮絶な戦争ですね。戦争というより、一種の民族浄化。インディアン退治ですか。

ま、そういう哀しいお話しです。

分離派ピューリタンというらしいです。ピューリタンの中でもケッペキ派。英国国教会から分離しようとした。

岩波書店 ★★★
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後書きにもありましたが、山田風太郎の臨終図鑑を継ぐ意図で始めたらしい。ただ当時は書けた臨終の詳細も、もう現代では調べられない。仕方ないから「臨終」ではなく「晩年」にした。これなら、ある程度調べもつく。

というわけで、その人物の晩年だけではなく、生い立ちから死ぬまで、さらには親やら子供やら友人やら、いろいろ範囲を拡げて絡めて時代を記述する。成功していると思います。

関川夏央という人、読んだのは初めてじゃないかなあ。もう70歳になるらしい。こんなトシの人とは知らなかった。もっと若者向けの小説家かと思っていました。ま、それはともかく、いずれにいたしましても(某総理の口癖)楽しく読める本でした。自分がモノを知らないせいもあるけど、あの人物とこの人物がこう関係していたんだ・・・・という驚き。たしかに山田風太郎の切り口です。有名人物だけでなく、けっこう地味で意外な人もとりあげられています。


平凡社★★★

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分厚い三部作ですが、中身は例のはんどう節。講談ですね。脱線も多く、そんなに堅苦しくはありません。

で、日露戦争というとどうしても司馬遼太郎の「坂の上の雲」。坂の上の雲はもちろん素晴らしいものだったけど、でも司馬さんに限らず小説家の癖で、どうしても英雄讃歌、主人公を持ち上げすぎる。児玉源太郎にしても秋山真之、あるいは東郷平八郎。みーんな格好よすぎる

もちろん現実は違います。「坂の上の雲」で描かれた爽快なエピソード、賛嘆すべき逸話、ほとんどがウソ八百らしい。盛りすぎ。やはりね。たとえばいちばん有名な三笠艦上、東郷の「右手を大きく左へ・・・トリカジいっぱい・・」。あれはどうも事実ではないそうです。本当の本当のところは不明ですが、どうやら参謀長の加藤友三郎が「トリカジにしました」と発声した。それを東郷が承認した。つまり加藤も東郷も、ここは左に大旋回しかあるまいと、同じ思いだったというんでしょう。

ただし、後になって東郷元帥を祭り上げる必要が生じて、いろんな連中が話を盛りはじめた。神格化。もちろん反対する人なんていません。

半藤さんは自称「歴史探偵」だそうですが、その「探偵」の目からすると、司馬さんがえらく持ち上げている満州の児玉源太郎もそんなに完璧ではない。もちろん東京の軍人・政治家、みーんなガタガタ騒ぐ凡人だらけ。ネタミやらソネミやら私利私欲、困った連中ではあったけど、それでも昭和の軍人や政治家と違って一定の合理的な思考ができた。それほど目がくらんでいない。リアリズム。

たとえば後年は困った連中の代表格になる元老山縣にしても、この日露の頃は驚くほど冷静でしっかりした判断ができた。

総じての感想。日露戦争では、政治家や軍人には「戦争逡巡派」が多かった。ま、冷静に見たら日本はロシアの敵じゃないですわな。それに対してイケイケどんどん戦争大賛成は新聞と国民。ちょうどいまの某半島と同じです。いい気になって新聞マスコミが煽っていたら火が大きくなりすぎて手におえない、火消しもできなくなる。仕方がないから時流にのってもっと油をそそぐか。大火事。

で、そしてここからは司馬さんと同じ見方になりますが、日露戦争を境にして日本から冷静で科学的な目が消えた。大砲や軍艦ではない、大和魂が大切なんだあ!とか。根拠ゼロの情緒論。肉弾総攻撃論。散兵線の花と散れ。

そして日露戦役でちょっと参加した経験をもった若い少尉なんか、その軍歴を勲章にして出世して昭和の戦争で主役となる。作戦を立案し戦を指導する。さらに、日露に参加もできなかったもっともっと若い秀才たちは、そうした精神論の中で育って、虚構の中でさらに頭でっかちになる。足元を見ないで突撃する。困ったことに、ぜーんぶ繋がっているんですね。

2019.12追記
げっ・・・この本、6年前に読んでた。おまけに巻1と2だけ。ほぼ同じこと書いてる。
モウロク。トシはとりたくない・・・。・・・

河出書房新社 ★★★

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閻連科(えんれんか)は「炸裂志」「父を想う」「愉楽」などを既読。この「黒い豚の毛・・・」はかなり早期から最近までの短篇を収録したものです。

表題の短篇「黒い豚の毛、白い豚の毛」とは、クジをひかせるために用意した毛です。黒い毛ならアタリで白ならハズレ、だったかな。景品はなにかというと、自動車事故で人を轢いてしまった鎮長さんの身代わりになる権利。「鎮」というのは、県より少し小さい都市だったかな。たぶん人口1万とか2万程度の町長です。

中国、タテマエとしては公正な法国家ですが、だからといって権力者の町長さんを監獄にぶちこむわけにはいかない。誰かが身代わりになって、ま、(楽観的には)半月とか数カ月お勤めをしなければいけないわけです。で、その身代わり、出獄の暁にはたぶん出世が待っている、はず。

そういうわけで、村のうだつのあがらない貧乏で気弱な男が身代わりにに応募する。30歳近くなってまだ嫁がこないというのは、非常に肩身がせまいわけです。けんめいに嫁を募集するけど「あんな奴!」と若い娘には愛想つかされている。

で、同じような連中が何人かいて、みんなで豚の毛のクジをひく。なんで豚の毛かというと、身代わり話を鎮長から受けてもってきたのが(村では権力者の)肉屋。いましも何頭もの豚を処理している最中で、面倒だからこの毛を使え!と白黒の毛を提供した。この肉屋にとって、こんな話はどうでもいい些細なテーマなんですね。

で、想像されたことですが結末はかなり哀しいことになります。

同じように気弱な村人テーマでは「きぬた三発」という短編もあった。ぶいぶい言ってるジャイアンみたいな大男を、みんなにバカにされている寝取られ男が「きぬた」でぶんなぐるという話です。ちなみに寝取っているのはそのジャイアン男。これも哀しい。

短編集のテーマは大きく三つで、村の生活、軍の生活、ついでに信仰かな。閻連科という作家は貧困農民の立場に視点をおいた人で、けっこう珍しい書き手です。要するに、インテリではない。インテリでない・・・の点では莫言も似ていますが、もうちょっと洗練されているというか、神経がデリケート。莫言はガルガンチュア的なところがありますからね。

なかなかいい本でした。読み終えて、ちょっとしんみりする。

明治書院★★★
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借り出してから気がつきましたが、楊逸は日本帰化のたしか芥川賞作家です。ただし受賞作は読んだことがない。えーと、ちょっとコミックな小説でナントカ頭というやつ、獅子頭だったかな、そういう名前の料理をつくる料理人の話は読んだことがあります。独特の味があってけっこう面白かった。

というわけで、表題作も聊斎志異の飄々とした解題です。楊逸が選んだ編についてエッセーふうに述べ、蒲松齢の原文は黒田真美子という人が現代語に翻訳。楽しく読みました。

深夜、貧乏な書生とか受験生のもとに美女が訪れる。たいていキツネとか幽霊とかなんですが、でもなぜ、よりによってその書生が選ばれたのかは不明。で、いい仲になって、金品を得たり合格したり、いろいろあってキツネは消える。そういう話がひじょうに多いです。(そうそう。日本の幽霊は足がないから美女になれないという説も述べられています。牡丹灯籠のお露さんは例外なのかな。)

で、太宰の清貧譚でしたか、菊の精の姉弟の話。太宰のも悪くなかった記憶があるのですが、この本の翻訳のほうがなんか楽しめるような気がしました。うまく訳すと蒲松齢もいいんですね。

そもそも 円朝の落語のほうが中国の小説「牡丹燈記」の翻案だったらしい。だから足があった。なるほど。


八坂書房★★★
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常一ついででもう一冊。こっちは「宿、泊まる場所」の歴史的考察です。

はるか昔から現代まで、ずーっと日本の「一夜をすごす場所」について述べているんですが、すなおな感想として、旅って常に大変なんだなあと実感。それこそ「笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば・・」です。雨露をしのぐだけでも大変。ろくに食べず寝れずで歩き続ければ病気にもなる。行き倒れる。だいだい昔の日本人はとりわけ死を忌んだんで、旅人はまったく歓迎されなかった。疫病を運んでくるかもしれないし、場合によっては泥棒もするだろうし。よそ者。

都へ租庸調ですか、地方から食料もって上ってくるだけでも大変です。税をおさめて故郷へ帰るのはもっと難儀。政府が面倒みてくれるわけもない。旅は水盃、無事に帰ってこれる保証なんてなかった。道中、たくさん死んだし、たくさん失踪もした。

はるか時代を経てもずーっと事情は変わらず、旅は難儀なものでした。しかしその割りには、みんなよく旅をした。例の松尾芭蕉の一行なんてのも、なんとなく優雅な旅みたいな印象ですが、実体はなかなか大変だったらしい。所によっては泊めてももらえないし、食べるものにも苦労する。たぶん野宿もあったんでしょうね。いっぽうで絵とか落語とか特技もってあちこちフラフラしながら優雅に旅したケースもある。江戸時代なんかだと地方の目明しとか顔役博徒の家が狙い目だったらしい。

総じて庶民は旅が好きだった。あんがい宿賃は安かったようで、「一泊いくら」という合理的なスタイルが成立したのはかなり後期になってからのようです。基本は「こころばかりの謝礼」。たくさん払うか少しにするかはケースバイケース。

そうそう。本筋と関係ない挿話ですが、「言海」の大槻文彦は温泉が大好きだったらしい。どこそこの湯か気に入ると、30日でも40日でも滞在する。伊豆の下田なんて、静かで快適だってんで、3カ月以上も居続けた。泊り込んで、新鮮な魚をたべて(このへんは酒も灘から良いのが船で直接入った)、じっくりと大言海の校訂ができた。いい時代。

有名人ではあったものの当時の大槻センセイがどれだけ金持ちだったのか、それとも宿泊費が非常に安かったのか、けっこう微妙なところがあるようです。ちなみに大槻文彦は幕末の儒学者の三男。蘭学の大槻玄沢は祖父で、ついでですが玄沢は「解体新書」の杉田玄白・前野良沢の弟子です。こういう人たちの資力、現代の感覚ではなんとも見当がつかない


八坂書房 ★

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丹波の「元伊勢跡」の件。つい気になってこんな本を借り出してしまった。はい。宮本常一にしてはえらく難しいし、正直おもしろくもない内容です。ひたすら伊勢神社の歴史とナニヤカニヤを真面目に記述してある。人間が登場しないと、宮本常一さんの魅力も消えるんですね。

というわけでろくに読んでもいないんですが、たとえば「元伊勢外宮」。これは豊受大神社であって農耕神。早いころから日の神である天照大神と一緒になり、たぶん5世紀後半頃、雄略天皇の時に丹波国から遷宮したらしい。ただこれも一直線に「丹波」→「伊勢」というものでもなく、あちこちいろいろ寄り道した末に、最終的に伊勢に鎮座した。

で、こうした神体の移動はたぶん斎宮なんかが(名目上)仕切ったのかもしれない。もちろん女性だけが神体もって歩くのは無理なので、実際にはそうそうたる武将連中が周囲につきしたがった。しかもこの時代というのは、朝廷の勢力が大きく東へ波及した時代と重なる。

ちょっとマンガチックにいえば、斎宮が御神体を捧げ持ち、武将連中が(もちろん兵士をつれて)進軍する。まるでサッカーのスクラム突進です。スクラムの後から聖火をもった女性がついていく。ちなみに各地に神体を据えたということは、負けを認めた地元勢力からそれなりの土地の提供をうけたということですね。進駐軍。

こうしてスクラム突進で平坦になった後背地に、場所を選んで大きな基地を建設する。それがたぶん伊勢神宮。東国をにらむ拠点地なんでしょう、きっと。

ザッと読んで、この本の冒頭部分に書かれたこと、ま、そういう趣旨なんだろう・・と理解しました。正しい理解かどうかは保証できません。間違っていたら陳謝。それにしても読みにくかった。

ちなみに雄略天皇ってのは、ワカタケルとか彫られた鉄剣がそうです。獲加多支鹵大王。一応第21代天皇ということになっているそうです。ほとんど神話の時代ですね。

文藝春秋 ★★★
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副題は「プロ棋士が将棋を失くした一年間

先崎学という人は、たしか青森出身だったかな、小学生の頃から米長邦雄の内弟子で、林葉直子にとっては弟弟子という関係です。林葉直子といっても、もう知らない人が多くなってるかもしれません。べらぼうな将棋の天才。かつ美少女。棋士を引退して、まだ存命と思いますが、漫画の原作とかタロット占いとか。そんなことをやってたはずです。

で、先崎という棋士はたぶんすごい将棋の才能があった。ただ若い頃からちょっと遊びすぎの感じはあって、そのせいか思ったより伸びない。たしか棋士の写真を2枚並べて掲載された雑誌で、片方は「天才 羽生・・」とキャプション。しかし先崎のほうは「元天才?の先崎・・」とか書かれた。その夜は新宿で泣きながら呑みました、とか、初期のエッセイに書いていました。いい味の文章を書く人で、週刊誌にかなり長期の連載をもっていたはずです。

で、そんな世のなかを渡る巧者が、なぜかうつを発症。まったく知識のない「うつ病」ですが、これを「心の病」と思うのは大間違いで、完全に「脳の病気」らしい。というか、そもそも「うつ病」について書かれたものを読んだ記憶がない。

で、感想ブログなどを眺めてみると、そもそもうつ病だった当人が書いた本なんて非常に少ないらしい。たしかに闘病中に文章なんて書けるわけがない。治ってからも書きたい気分になることは少ないだろう。たまに「書くぞ!」という奇特な人がいて、だからといって本にしてくれる出版社があるとは限らない。ま、しませんわな。そういう理屈で、世の中に「うつ病」の正確な知識がひろまらない。今回は面白く一読し、かつ、うつとはこんな病気だったのかと勉強になりました。

ちなみに先崎九段の実兄は精神科医らしく、これは恵まれていた。慶応病院に紹介してもらって入院。看護師なんかも質がいいんでしょう(気のせいか美人が多い)。で、教授回診の際につい「治りますか」と聞いたら、自信タップリの笑顔で「ここは慶応病院です」と言われた。すごい安心感だったとか。笑えるけど納得のエピソードでした。


文藝春秋★★★

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著者はオルドス生まれの文化人類学者。なぜか日本で勉強して、やがて帰化。オルドスってのは黄河が中流あたりで北に大きく湾曲しますが、その湾曲の内側あたり。今の区分からすると内モンゴルでしょうね。ちなみに長城の外側です。

この本のテーマはただひとつ。「中国史は王朝の連続ではない」「中国四千年の歴史なんて虚構」ということです。黄河流域に古い文明があったことは事実ですが、最近の研究ではこの他にもいくつかの文明が存在している。つまり黄河文明はワン・オブ・ゼムであって唯一絶対ではない。

だいたい中国という言葉もそんなに古いものじゃないようです。たぶん辛亥革命の以降。それまでは清とか明とかはあっても、中国なんてものは存在しなかった。外からするとシナとかチャイナとかいわれた場所。黄河中下流域のいわゆる中原にあった国家を、なんとなく(特に漢民族がこだわって)そう呼んでいる。

しかし漢民族の王朝が連綿として続いたと考えるのは無理です。虚構。そもそも漢民族なんてものは存在せず、強いていえば「漢字を使う人々」でしょうか。書き文字である漢字は共通ですが、たとえば広東と北京と、話し言葉はまったく違う。人種もたぶん異なる。でも漢字という共通項でまとめれば「漢民族」。とすると日本人なんかも、10%くらいは漢民族なのかもしれないです。

大昔の漢帝国を構成した漢人は、たぶん後漢末期、黄巾の乱あたりでほぼ絶滅したのかもしれません。少なくとも危機的に減少して、その後は他の人種に吸収されてしまった可能性もある。

中原あたりにあった王朝や国家は、南に逃げたり滅びたり、北の遊牧民国家にのっとられたり、また違う遊牧民が攻め込んだり。入れ代わり立ち代わりです。こうした動きを、中原地域だけに区切って眺めるから難しい。もっと視点を広くし「ユーラシア史」という観点から眺めるとまったく相貌がかわります。

もちろん中原にも国家はあった。しかしもっと大きな固まりが遊牧民国家です。スキタイとか匈奴とか、こっちはユーラシア大陸の各地に興亡し、移動し、拡大し、栄え、滅び、時折は中原をも支配した。こうしたユーラシア民族を文化的に低いとみるのは偏見です。農民と遊牧民では文化の尺度そのものが違う。

たとえば唐滅亡の後。漢民族である宋が統一したというのは中国式タテマエです。しかしちょっと全体を眺めると、実際の姿はキタイの遼、タングートの西夏、そして漢民族の宋。鼎立ですね。これを無理やり「宋が統一」ということにするのが中華史観で、中央以外はみーんな夷狄で考慮する必要はない。現実を直視したくなくて、必死に脳内武装したのが朱子学。このへんから動脈硬化が始まった。

著者によると漢人国家と遊牧民国家はまったく違う文化です。たとえば典型的な例が明でしょうか。せっかく可能性がありながら大艦隊を焼き捨て、内側に閉じこもってしまった。周囲の遊牧民国家を根拠なく蔑視し、自分だけ高く誇る。長城を築いて安心するのが漢人国家です。内向きの中央集権であり、専制国家。いまの中国もその延長上です。

対して遊牧民国家は外に開けています。常に移動する。宗教にも他民族にも寛容で、良いものはどんどん受け入れる。典型的なのは元ですね。ま、元を中国の国家といっていいかどうか、実際には大モンゴルの一部なんですけど。ちなみに遊牧民のトップは決して専制君主ではありません。一種の合議制。意外なことにあんがい平等で分権的なんです。

随、唐は完全に遊牧民国家でした。だから唐はあんなに拡大した。国境の概念があんまりなかったのかもしれない。また元は論外としても、清も巨大な版図です。清の皇帝は同時に、あんまり宣伝しなかったけど実はハーン(汗)でもあった。満州もモンゴルも西域もその先も、なんとなくのテリトリーだった。

したがって日本の学生が必死になって王朝変遷を丸暗記するのは滑稽。そう著者は言います。ラグビー場での攻防の様子を、たとえば固定した望遠鏡で眺めているようなものでしょうか。次から次へと望遠鏡の視野の中は入れ代わりますが、でもそれになんの意味があるのか。ずっーと五郎丸がいて、五郎丸が消えると次は外人選手で、それがリーチマイケルになった。でも望遠鏡から目を外してながめれば、何十人もの選手がただウロウロしているだけのことです。それが、中国視点からユーラシア視点への転換ということ。

ちなみにオルドス生まれの著者は、こうした中華思想、漢人中心の考え方がかなり嫌いなようです。ま、無理はないけど。

関係あるような、ないような。

以前読んだ中国の小説(というか体験記)。文革での下放で内モンゴルに行った青年とオオカミの本なんだけど、ここで大きなテーマのひとつになっているのが内モンゴル住民と開拓農民の確執でした。もちろん開拓民は権力がバックにあるから「正義」だし、内モンゴルの荒野を豊かな農地にしようと意欲をもって頑張っている。

で、現地の住民はそもそもが遊牧の民だから、何より大事なのは羊や馬。羊や馬は牧草を食べる。その牧草をせっせと食べるのが、ナントカいう名前のウサギとかモルモットの類。これは内モンゴル人の敵です。で、こうしたウサギなんかを好むのがオオカミ。

結果的にいうと、適切な数のオオカミは、現地牧畜民にとって味方なんですね。だからオオカミをあんまり敵対視しない。食べ物があればオオカミは悪さしません。

ところが中国から大挙してやってきた農民たちは、牧草地(彼らから見るとすごい無駄)をせっせと畑にしようと努力する。でもこのへんの表土は非常に薄くて、クワをいれるとすぐ乾燥してしまう。たちまち荒地になり、なかなか回復できない。おまけに農民はオオカミをみるとすぐ殺そうとする。人民軍も協力して、オオカミを退治する。巣穴の親子オオカミまで殺しつくす。

豊かだった草地が滅びていく。オオカミがいないのでウサギが繁栄する。草地はいっそう荒れる。場合によっては増えすぎて食料が足りなくなって、ウサギやモルモットが死滅する。飢えたオオカミは羊や馬を襲う。農民や人民軍が機関銃でオオカミを殲滅する。

こうして、内モンゴルの草原は中途半端な畑の廃墟と化します。食料を得られない農民たちはひたすら飢え、村を捨てます。牧草を失った現地人たちもまた飢える。中国の遠大な開発計画はこうして挫折するが、中央政府は決して失敗を認めない。

たぶん、いまでもこれが続いているんだと思います。

日本経済新聞出版社★★★

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夏の暑さのせいか、トシと老眼のせいか、とにかく本が読めない。今回も3週間かけてようやく最後のページまでたどりついた次第。他にも2冊借りてはいたけど、まったく手つかず。ダメですね。

さて、定番のトランプ本です。

少し前に読んだ「炎と怒り」が、善悪はともかく強烈なリダーシップのバノン(首席戦略官)の失脚あたりで終わっていたのに対し、こちらはもう少しあとのモラー特別検察官登場あたりまで。トランプ側の弁護士がモラーに探りをいろいろ入れたり、国務長官がこのところ意見の食い違いが目立っていたティラーソンからポンペオにかわったり。

書き手はボブ・ウッドワードなので、さすがに読みやすいです。きちんと頭に入る。(ちなみに「炎と怒り」のマイケル・ウォルフはまるでトップ屋ふうの文章でした。品がない。とっちらかっている)

で、内容は、そうですね。想像通り。トランプという男がいかにどうしようもないかということがわかる。幹部・側近の仕事の大部分は、大統領が軽率にバカをしないように気をくばり続けることです。政治や外交での失敗は、単に損するだけではすまない。それを大統領は理解していない。大変だ。

朝、執務室のテーブルに米韓自由貿易協定を破棄の大統領令が置いてある。こんなのにサインされたら大変々々と、側近はそーっと書類を盗みだします。通常なら大問題なのですが、トランプは書類がないことに気がつかない。完全に忘れる。で、数カ月たつとふと思い出して、大統領令を出すぞ!書類を用意しろ!とまたわめく。また誰かがその危険書類を捨てる。トランプは忘れる。

貿易赤字に対する固定観念はもう病気みたいです。赤字はいかん。赤字を避けるには関税を高くすればいい。非常にシンプル。閣僚や補佐官が、関税障壁はむしろ有害で国内企業が傷つくとどんなに説明しても理解できない。、

在韓米軍駐留がなぜ必要なのかも、ほんとうにわからない。韓国との関係とか地域安定がどう役に立つのかなんて考えない。とにかく金がかかるから引き上げろ!と言い出す。

金正恩とロケットマンうんぬんで口げんかのころには、駐留米軍の家族に退避を指示しようとした。正式命令ではなく、ツイッターでです。もし本当に家族引き上げ指示ツイッターが発信されたら、かなりの確率で金正恩は「次は直接攻撃か」と怯えたはずです。けっこうな確率で、やけっぱちの先制攻撃もありえた。

誰だったかな。幹部の一人のナントカ補佐官がガマンしきれず辞任を申し出る。わかった、仕方ない。で、後任は誰がいいと思う? うん、そうだなトムか。私もいいと思う。「この発表は金曜にと思うのですがいかがでしょう」 うん、そうだな。金曜に発表しよう。

で、そのナントカ補佐官が家に帰るころ、トランプがもうツイートしている。ジョンは辞任した。すばらしい男だった。次はトムになる。こっちはすごい奴だ。いい仕事ができるだろう。

ただしトランプには裏切ったという意識は皆無。金曜うんぬんなんて覚えていない。新任のトムにまだ話を通していないことも忘れている。トムも驚きますね。とにかく「自分が最初に発表」なんです。非常にいい気分。そういう人のようです。

そういう男が大統領の地位にいる。移民と関税障壁なしの貿易が大嫌い。会議とか枠組みも大嫌い。そして何回かゴルフをしてその「友人」と自称しているお人好しもいる。ん? お人好しではなく、百も承知なのかな。今回も売れ残りのトーモロコシ買って帰りましたが。
朝日出版社 ★★★★
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副題は「歴史を決めた交渉と日本の失敗」。「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」の続編ですかね。「それでも・・」は栄光学園の高校生相手の講義だったけど、今度は首都圏で高校生を一般募集。ジュンク堂の会議室かなんかに集まってもらった。少ないけど中学生もいるし高校教師もいる。ま、関心をもった人が参加したわけです。(一般高校といっても、実際にはほとんどが有名私立の精鋭です)
しかも単なる歴史講義ではなく、聴講生には資料を読み込むことも要求。なかなか大変な夏休みだったんでしょう。
 
テーマはおおきく三つ。リットン調査団、日独伊三国同盟、日米交渉
 
通説では
・リットンは厳しい調査結果を出した。それで松岡外相が席をたって、国連から脱退した。
・ドイツが連戦連勝。バスに乗り遅れるな・・・と焦って同盟をむすんだ。
・ABCDラインで包囲されたニッポン。しかも交渉の甲斐なくつきつけられたハルノート。もう開戦しかない。
で、加藤センセイの講義というか、最近の歴史学者の研究の結果としては
・リットン卿はいかにも英国人ふうの、かなり寛容な(かつ膨大で読むのが大変)リポートを出した。つまり、日本が面子を保ったまま満州・中国に一定の利権を確保する道を残してあった。しかし政府がゴタゴタして(あるいは目がくらんで)それを利用できなかった。
 
ついでに言えば、一時は蒋介石と妥協の道すらあった。(重慶の蒋介石も苦しかったわけです)。しかし日本はなぜか(蒋介石の敵である)汪兆銘の南京政府と手をむすんでしまった。最悪のタイミング。これで好機は猿。去る。
 
・三国同盟の意味は、バスに乗り遅れるな!ではなかった。そうではなく、戦争が終わったあと(当然、英国の敗北を予想)英国やオランダ、フランスなどの植民地・保護領を日本がスムーズに占有するためのものだった。つまり戦後の分け前を確保するための同盟。同盟を結んでいないと、戦後にドイツと獲得争いになる可能性がある。
したがって、この三国同盟の結果として対米戦争になる可能性なんて、まったく予想していなかった。事実、米国は戦争を徹底的に嫌っていた(ルーズベルトの公約)。
 
・ハルノート。国務長官コーデル・ハルはルーズベルトと同じで対日戦争を回避したいと考えていた。したがって日本につきつけたいわゆる「ハルノート」も、一見すると厳しい内容のようだが、いたるところに巧妙な逃げ道があった。つまり国内向けのパフォーマンスの意味が強かったんでしょうね。
 
だから日本にたいして全面禁輸なんてする気は皆無だったような模様。そんなルーズベルトとハルがチャーチルとの会談なんかで忙しくしている間に、強硬派(米国にももちろんいた)が淡々と事務手続ふうに禁輸措置。商務省だったかな、そのへんの連中です。大統領にとってもまさか・・・という事態だったようです。どうしようか・・と考えているうちに、独ソ戦。風向きが少しかわってきた。
 
同じく「全面禁輸」になるとは夢にも思っていなかった日本側は、簡単にいうと「全面禁輸にでもならない限り戦争はしないつもり」とかねて方針を決めてあった。その「方針」が身を縛る。けっして軍部もバカではなかったんですが、つまらない前提を入れてしまったのが運の尽き。
米国の強硬派からすると、これくらい圧力をかければ日本も頭を下げてくるだろう。そう思っていた。立場をかえると今の対韓国にも似ています。しかし、まさか絶望的になって戦いを始める連中がいるとは考えもしなかったらしい。頭を下げるくらいなら死のう!なんてそんなバカな。相手を理解していなかった。
こうした結果がパールパーバーです。そうそう。例の「米軍は暗号を解読していた」というストーリーですが、実は日本だって米側の暗号を70%だか80%だか読み取っていた。日本軍だって完全なアホではなかったんです。
 
ついでに。宣戦布告の遅れですが、これも「大使館の連中が寝坊したんで遅れた」という通説はウソ。絶対に間に合わないようなタイミングで大使館へ暗号文書を送っていた。あんまりアホ扱いしてはいけませんね。反対に米国から天皇宛の緊急文書は配達を遅らされて参謀本部のどこかで眠らされていた。どこかで 課長とか部長クラスが何かを考えてサボタージュする。そうした隠微で些細な手続き遅延が大きな結果にもなる。
 
とにかく、一般論として「耳に快い通説」はみーんなウソですね。ひたすら日本がいじめられたわけでもないし、英米がいじわるだったわけでもない。日本軍はずいぶん勝手をやったけれど、軍部だけが悪で政府が善というのとも違うし、国民はフェイクニュースにあおられて騒いだけれど、かれらが調子にのって騒いだから軍も背中を押された面がある。新聞もみんながほしがるニュースばっかり書いては煽っていた。
 
誰か、何かだけが特に悪かったわけではない。流れに抵抗した連中はたくさんいたけれども、なぜか流れの本流にすべてが向かってしまった。情報もたくさんあったけれども、その流れもあちこちで滞った。土壌風土そのものがいけないんでしょうね。あのときあれが・・・というチャンスはたくさんあったのに、でもダメだった。
 
いい本でした。
徳間書店 ★★★
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小難しい小説ではなく、一気呵成に読めてしまう本、「ひたすら面白い本」を書こうと決めたらしい。ま、そうやって書かれたのがこの小説で「これで直木賞を取ろうと思った」とか表紙のJ惹句にありました。ちなみに著者は他の作品で直木賞をもらっています。

徳間書店の本はめったに手にとらないけど、これはかなり良質な部類の面白本でしょうね。リストラされかかってはいるものの、とくに大きな不自由もなく堅実に暮らしている福岡のサラリーマン。せっせと仕出し弁当のパートをしている妻。鹿児島で歯科大へ通っている長男。長崎で看護学校に通っている長女。

ところがインフルエンザで寝込んでいるある日、東京の弁護士から電話がかかる。奥さんから「預かっているもの」をこれからどうするか。「もの」の中身はなんと46億円

とういことで、テーマは「お金と人生」「意外性」。「妻も子供も、表面とは違う顔を持っているのかもしれない」「常に真実が話されているとは限らない」「みかけとは違う動機や理由で人は行動している」。

シンプルなメルヘンふうのストーリーかと安心していると、次々に真実があらわれます。誰も信じられない。逆に、信じられないはずのものが善の顔を持っていたりもする。最後の結末は人によって好き嫌いがありそうですが、ま、なかなか楽しい小説でした。


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