中学受験メモ

 (はるか昔の出来事です)



もう10年以上の昔になりますが、週一回のテストを頼りに、自宅学習で子供を中学受験させました。私も妻も中高は公立出身。まったく情報のないところから手さぐりでの2年間でした。経過をあらためて読み直すと何といって劇的なことがあったわけでもなく、何の苦労もない受験だったようにも見えそうですが、しかし当事者たちはそれなりに迷い、必死でした。あえて掲載する価値があるかどうかははなはだ疑問なものの、その頃に書きつづったものを記録として残しておきます。 (文中、一部の固有名詞を変えた以外は、基本的にいっさい編集していません)


私立受験を考えた出した頃

3年生のころから私立を受験させるかどうかが話題にのぼるようになったと記憶している。たまたま中学のグラウンドを正面に望む場所に自宅があったため、朝礼や部活の様子がいやでも聞こえてきた。汚い言葉でののしる指導教師の大声が、部屋の中までとびこんでくる。ごく標準的な中学なのかもしれないが、決して望んで通わせたい雰囲気ではなかった。

当時の妻の友人だったK夫人の影響も大きかっただろう。小学校から子供を山手の私立に通わせていた夫人は、公立の劣悪さについてさまざまな過激情報を与えてくれた。いわく、あの中学からでは学区の一流高校に行くなんて夢の夢、ほんの数人が、ようやく2流校へ進学できるにすぎない。学力最低の不良中です・・。

いま振りかえってみると、かなり夫人独特の思い込みが激しく、情報も偏っていたことがわかるが、しかし大筋では誤ってはいなかったようだ。実際には、この公立中学も、それなりの進学実績(もちろん低いレベルでの話だが)をあげている。ただ、ようやく送りこんだ公立トップ高校ですら、その中身は昔日の感がある。

地元の高校だけではない。神奈川県のトップは湘南高校ということになっているが、その湘南高校でさえ東大合格数は激減。地元学区のトップ校(もちろん旧制中学だ)に至っては数人。しかもそのほとんどが浪人生である。卒業生のわずか1%が、浪人してようやく東大に入れる。東大はあくまで便利な目安でしかないのだが、そこまで公立トップのレベルが低下しているのである。

それでも学区のトップ校なら、まだいい。私の卒業した田舎の高校は、東大どころか数年前に京大が一人でたというので大騒ぎをしたレベルだ。しかしこれは田舎の話であり、私自身、ほとんど勉強をした記憶がない。のんびりした学校だった。

しかし我が子の場合は、ちょっと違う。もしそれなりの資質があるのなら、できるだけその資質を伸ばしてやりたい。同じような資質の友人を持たせてやりたい。つまらないクラス内のいじめや学力への嫉妬(めだつ子は差別される。主張する子は嫌われる。かしこい子は必死に個性を埋没させようと努力するしかない。これが私自身も覚えのある底辺中学の特徴だ)に苦しむ中学生活から、開放されるのが高校の良さであるはずだ。自己を主張することが尊敬され、特にめだつ勉強をしなくても、学力がついていく。そんな高校へM子をすすませてやりたい。

そもそもM子に学力があったとしても、中学からトップ校に進学できるだろうか。これが難しいのだ。成績が至らないために入学できないのなら、これは当然のことなのだが、いまの高校受験システムは、その当然が通用しなくなっている。

まずトップ校を受験できるような層は、ほとんど学力的には均質と考えていい。つまり、易しい問題が羅列してあるペーパーテストでは、ほとんど差がつかない。アチーブメントテストの成績も同じ。これも差はつかない。ではどこで差がつくのか。というより、学力的にほぼ同列の多くの受験希望者のなかから、担当教師に「受験許可」を出してもらえるための条件は何なのか。

受験さえさせてもらえれば、ほぼ間違いなく合格できるのだから。鍵は内申である。内申でオールラウンドに最高値をそろえていない限り、トップ校の受験は許してもらえないのが、現在の高校受験システム。だから夏休みの課題の「ひわまりの開花」に親が目の色を変える。ひまわりの花が咲かないために、ポイントを下げてはならないからだ。

跳び箱ができないことも致命傷になる。内申の占める比重が大き過ぎるのだ。そしてM子の場合、体育で内申10を揃えることは不可能だ。本人が最大限に努力しても、せいぜいで5だろう。いくらほかの学科で最高点をとり、素行で評価してもらっても、学区トップ校を受験できる保証はない。そして学区の2流高校にいたっては、悲惨な状況だ。3流校は悲惨を通りこしている。

近隣の大学教授の長男は、公立中学へ進んだ。進学させる時点では、信念をもっていたらしい教授は、数年後に会ったとき、顔をゆがめていた。「ひどいとは思っていましたが、予想以上にひどいものでした」 教師のレベルがひどい。やる気のない多くの生徒たち。目立つ子供(能力のある子供が目立とうとするのは、ある意味では自然)への抑圧。子供同士のすさまじい競争意識。もう高校は私立にします、と彼は語った。そして下の弟は塾に通わせています、と話した。これが実態である。



四谷大塚進学教室


四谷大塚進学教室の入室テストを受けさせようと妻が考え出したのは、M子の4年生の秋頃だった。さして情報があったわけではない。しかし塾へ子供を通わせる決心はなかっただけに、週に1回、日曜日のテストだけを受ければいいというシステムは、あまり負担感もなく手頃な印象があった。入室に際してテストで選抜されるという程度の知識はあった。

本部へ問い合わせた時の印象は決して良くなかった、という。客商売という感じがなくあまり親切でもなかったらしい。しかしともあれ試験の日程を知ることができ、塾の内容を紹介した本を買ってきた。

市販の問題集を買ってきて1月ほど、ポツポツM子にやらせた。M子にとって、初めての勉強らしい勉強である。はっきりいって、どの程度できればいいのかも、よくわからない。そのうち、入室テスト用のジュニアシリーズなるテキストがあることが判明し、あわてて買い込んだ。とても全部をやるだけの時間もなく、適当にさらっているうちに、12月の試験日がきた。結果は合格。

正会員と準会員の別があり、正会員資格の入室が許可された。新横浜B1組。東京なら中野B1組を頂点に、お茶の水とか渋谷とか多くの教室が点在しており成績によって振り分けられるのだが、新たに設置された新横浜教室の場合はB1からB4までが正会員のクラス、それ以外と上大岡の教室は準会員のクラスに振り分けられているようだった。四谷大塚受験の前に、力試しのつもりで日能研の模試も1回受けており、その結果も366番と上々だった(さっそく勧誘のハガキがきた)が、四谷大塚でもこんなに好調に運ぶとは思っていなかった。

さっそく買わされたテキストの量の膨大さ。中身はかなり練られた感があり、実に良質のテキストだとは思ったが、それにしても1週間にやるべき課題の量が多いしレベルが高い。どの程度できるものか、見当がつかなかった。

4年3学期、2月から日曜教室が開始。午後の新横浜の地下通路は小学生であふれていた。ぞろぞろと通路を3分ほど歩いて地上へ出ると、目の前が四谷大塚。ビルの前に子供たちがあふれていた。

初日のM子の印象をきくと、面白かったという。試験のあとの簡単な答え合わせ兼ワンポイント授業が、楽しいという。講師の話し方も、教師ふうではなく、子供の人格を認めた大人あつかいのものであるらしい。悪くいえばエリート意識をくすぐる話し方。しかし子供たちにとっては新鮮なのだ。自分がやっかいな(教えさとすべき、手のかかる)児童の一員ではなく、ここではなにがしか尊敬さるべき人間として認められている・・。

日曜日にテストがあり、その結果が速達で戻ってくるのが木曜日。問題の採点結果といっしょに上位者のリストが掲載されている。初回は300番程度で、もちろん掲載はされなかったが、しかし十分満足できる成績だった。数週間たつと、上位のメンバーが次第に変動してくるのがわかった。要するに塾でしっかり予習できる子供と、そうではない子供との違い。

あらかじめ塾でしっかり詰め込まれてきた子供は、この2カ月弱、いわば一歩先にスタートしていた状態なのだ。しかし日曜テストも回数が進むと、この学習蓄積がだんだん効果をなくしてくる。わずか1週間でどれだけの成果をあげることができるか、の素の勝負になってくるのだ。最初はとまどっていた子供も、次第にスピードが上がってくる。

何回目かに50番をとれた。そのうち平均して80番から150番くらい、不調のときでも300番、ちょっと良ければ60番あたりの成績がとれるようになった。一番よかったときは10番。もちろん2000人から3000人くらいの参加者のなかでの順位だ。

その後の組み替えや資格審査でも、一貫して最上位のクラスをキープし続けることができたのは幸せだった。M子は科目ごとのバラツキが少なく、1科目が悪いときはほかの科目が良く、適当に平均される。たまたま総てがよければ好成績となり、ときに2科目が悪いとズリ落ちる。しかし好不調の波は極端に激しくはない。

同じ塾仲間でも、あるときはベスト10、次の週は上位リスト外といった子供がけっこういたのだが、M子はそういうタイプではないようだった。激しい追い込みはきかない代わりに、極端なスランプもない。2年間を通じて眺めてみても、四谷大塚新横浜教室で最上位のB1、C1をキープし続けた子は、10人もいないだろう。良くも悪しくも安定性がM子の特徴だった。

M子が小学校時代の自分をどう思っていたか、本当のところはわからない。高学年になるにつれて、かなり学力がある部類であることの自覚はあったようだ。しかし四谷大塚に通うにつれて、自分の位置付けが明確になってきた。また四谷大塚に通う子供たちと、小学校の子供たちとの落差もわかってきた。一種のエリート意識のようなものが芽生えてきたことは確かだが、しかし表面に出すタイプではなかった。



志望校選び(補遺)


最初の候補校は麹町の女子学院だった。妻の学生時代の友人が女子学院の出身であり、他の私立中学に比べれば情報が多く得られたこともあったし、自立を勧める教育がきわだった特徴だと聞いていたことも理由の一つだった。

ただし私たちの住んでいる横浜のA区からは、すこし遠い。田園都市線に家があったらよかったのに、と妻は折りにふれて言った。田園都市の沿線なら渋谷は近い。十分、通学圏内だろう。しかし、今の家からでも横浜乗換で東横線を使えばなんとか通える、と妻は計算したようだ。場合によったら引っ越ししてもいいじゃないの。お金はないけど、なんとかなるでしょ。

女子学院が第一志望でなくなったのは、やはり夏休み前に受けた四谷大塚の進学相談の結果だろう。四谷大塚の相談担当はTという老人。現役の塾講師を引退して、受験相談を専門にしているような印象だった。名前を告げると、あらかじめ用意しておいたらしいM子の日曜テストの成績一覧をチェックし、「この成績なら桜蔭も狙えます」と断言した。

「フェリス? このお子さんなら、学校から四谷に感謝状がきます」「女子学院ももちろんいい学校だが、最近は教師陣が手薄になってきた。ベテランが退職して、力のない若手が増えている」という。「桜蔭は暗いといわれているが、そんなことはない。みんな明るい可愛い子供たちですよ」そして桜蔭に進学した塾生徒から自分がいかに慕われているかという話をひとくさりした。

この言葉で女子学院に対する気持ちが急速に冷めたことは事実だ。校舎が工事中で、文化祭を見ることができなかったのも、マイナス条件だった。生徒や教師を見ることがなかったため、特に親近感がわくということがない。私が勤務中に時間をつくって、麹町の校舎の周囲を歩きまわったのが唯一の情報源であり、もちろん、たいしたことが判るわけもない。臨時のバラック校舎があったこと。周囲は高い塀に囲われていたこと。日本テレビの裏手であること程度しか伝えられなかった。

しばらくの間、妻は桜蔭に気持ちが傾いていたようだった。私の気持ちもかなりゆらいだ。校風が地味であること、国立大学指向であること、女子校には珍しく理科系に強いこと。そしてもちろん女子校としてはトップの私立であること。資産もなく、決して経済的に余裕があるわけではないサラリーマンにとっては、ひかれる条件がそろっている。

ただ、問題は通学距離だった。水道橋は、なんといっても遠い。通学はちょうど勤め人のラッシュにぶつかるだろう。私の弾きだした計算では、片道1時間45分から50分。まだ12歳のM子を通わせるには、あまりにも遠い。

妻は高揚した面持ちで「引っ越す」という。不可能ではない。しかし犠牲が大き過ぎはしないか。現在の住居がさして高く売れるとは思えないだけに、今よりは環境の劣悪な狭いマンションに移転することになるだろう。はたして、それだけの価値のあることか。

移転については何度と無く妻と話し合った。いつ? 受験準備中の移転は避けたい。いまの小学校の同級生たちと卒業まではいっしょに過ごさせてやりたい。1学期だけは我慢させて、最初の夏休みの間に引っ越すしか方法はない。そんなに簡単に売れるか? 買えるか? 資金は・・。クリアすべき問題が多すぎる。

M子は桜蔭にいくつもりになってきたようだが、私は熱しすぎないように、ときおり水を刺す役割にまわった。でも暗いからな、ガリ勉だしな・・と悪役になる。桜蔭か、それとも地元のフェリスか、まだ決めかねていたからだ。文化祭と学校説明会が最終的な判断材料を与えてくれるだろう。そしてもちろん、秋から冬にかけてのM子の実力、つまりは偏差値が最大の判断材料になることは言うまでもない。



文化祭・説明会

199x年10月(6年秋)

桜蔭の文化祭。小雨模様。日曜テストを終えて先に行っていた妻とM子を捜す。なんとか落ち合う。文化祭は決して悪い印象ではなかった。水道橋の駅前はあまり美しいとはいえないが、忠也坂をのぼるといかにも学園の雰囲気はある。

古びた校舎と、最近建てたらしい新校舎や講堂(少々安っぽいが、モダン)のマッチングに成功しているとはいえないが、まあ仕方ないことだろう。生徒たちは明るい。利発そうな生徒たちが、真面目にやっている。ただしスマートさや熱気のような点では、少々ものたりない。教師の管理がけっこうゆき届いている印象だった。しかし、それはそれで悪いことではない。

桜蔭へは仕事のついでに下見に行ったことがある。ただ校舎の外見を覗いただけだが、下校中の生徒の姿も見ている。大人びた印象の、優等生タイプの印象が強かった。文化祭の展示室の一つには山荘への一泊旅行観察日記が何十冊も並べてあった。浅間山荘というらしい。小さなノートにぎっしりメモを記してある。ベッドの配置から近辺の模様まで。中学生たちが全員このノートを持って浅間をウロウロしている情景が目にうかぶようだ。旅行も遊びも、すべてが学習ということなのだろう。

10月20日
日能研の公開摸試を受ける。四谷大塚とは違った層が受験するだろうし、普段の日曜テストとは違った形式のテストを受けることは意味があると思ったからだ。見知らぬ受験生の中でテストを受ける練習でもある。この結果は5209人中32位。偏差75。志望校別ではフェリス9位。慶応湘南藤沢19位。慶応中等部27位。

10月27日
四谷大塚の第1回合不合判定。結果は5388人中の13位。偏差75。ちょっとできすぎの感がある。フェリスは125人中の2位。合格確率は計算によると98%。学芸大付属も171人中2位。確率99%。中等部は515人志望で12位。90%。M子は気分をよくしている。

この日、神大付属の文化祭があったが、これは行かなかった。わざわざ見ることもない、と判断したため。説明会だけで十分だろう。受験するにしても、完全な押さえの押さえとなるはずだ。そこまでやらなくてもいい。

11月2日
湘南白百合の説明会。妻が出席した。江の島は遠いとわかったという。校舎や環境は良かったらしい。

11月4日
文化の日の代休。フェリス祭へ行く。フェリスの文化祭は去年にも見ている。生徒たちが実にのびのび動いていることが見えて、感動すらあった。プログラムの充実は、さすがだった。今年もまず化学部から見ていき、生物部のひよこの解剖を見る。どこかの部がやっている(テニス部?)部屋でスシを頼む。器楽部のうまくはないが、それなりの演奏を聞く。高校生の演奏とおもえば、立派というべきだろう。頬のあかい部長の挨拶に好感をもった。コントラバスの担当がいない、コントラバスを引き受ける新入生を歓迎すると早くもPRしている。

フェリスまんじゅうを買って帰る。去年は生徒に求められるままに催し物の感想などを必死に書いていたM子だが、今年は嫌がって逃げていた。私がオジサンふうにずうずうしく行動しようとすると、必死に止める。みっともないから止めろという。恥ずかしいらしい。

11月8日
神大付属の説明会。妻が出席。新しい学校だが教師の態度もよく、熱心さが伺えたという。好感をもつことができた。なんといっても近い。滑り止めとしては最適の部類だろう。

11月9日
午前は桜蔭の説明会。一緒にでかける。9時半からの予定なので、早めに着いたつもりだったが、もう一杯。講堂の1階はすでに満員で、2階にようやく席をみつける。塾仲間とおしゃべりに熱中している賑やかなグループが多いが、一人で静かにしている母親もいる。服装や顔つきは、いかにも大卒中流層といった感じ。あまり派手なタイプはいない。

遠い壇上には3人ほどの女性。でっぷり太った慈愛にみちたふうの校長がひとしきり古臭い話と自慢話をしたあとで、狐か狼のイメージのある教頭が、ビシビシ話す。歯切れがよくおもしろい。狐というよりハ虫類のタイプかもしれない。若いころのミンチン先生。学校にはとにかく来い、休むな、男性教師に生徒が騒ぐ話、若い教師をビシビシ育てる話、など。両親と一緒に暮らせ。寄宿などとんでもない。円満な家庭の子女を求める。

水道橋から石川町までもどり、午後はフェリスの説明会。古い講堂の長椅子に詰めて座ることを指示される。思いのほか多かったらしく、補助椅子をだして対応していた。

極端にゆっくり、一語ずつ話す校長。神と真の責任と泉の話など。キリスト教の学校であることを強調。教頭もばかていねいで、あまり内容のない話。教務主任もヤケににこにこしながら一般論に終始する。ここは男性教師が主導権を握っているらしい。帰りがけにのぞいた教室は、おそろしく整然と机がならんでいた。黒板に書かれた週番の字が美しい。ふるびた校舎を精一杯きれいに使っている。

11月10日
三田中等部の文化祭。日曜テストを終えたM子を連れていく。男女共学らしく、校舎は汚いがゆとりがある。見かけた女生徒たちは小粋で、活発。中の一人のバッグはハンティングワールドだ、と妻が言う。10万近くするはずだという。経済的にも恵まれた生徒たちが学校生活をエンジョイしている感が強い。

催し物のなかでも地味で真面目そうな、図書クラブの冊子に「自分達は変わり者と迫害されている」という意味の言葉が書かれていた。帰ってからもしばらくクソ真面目な図書部の話で楽しめた。

11月12日
女子学院の説明会。キャンセルした。桜蔭かフェリス。女子学院を選ぶ必然性はないと判断した。女子学院とフェリスはほぼ同質であろう。それなら近いフェリスのほうが、メリットは多いはずだ。

11月17日
四谷大塚の第2回合不合判定。結果は5017人中76位。偏差69。フェリスは108人中6位で確率97%。湘南藤沢は90%。学芸大93%。ちょっと不振だったため、中等部は64%に落ちていた。フェリスはほぼ確実だろうが、中等部は危ない。慶応系列は、単純に点数だけでは判定できない。よほど上位の点数をとっておかないと、危ない。湘南藤沢ならたぶん入れるだろうと感触を得た。

12月8日
四谷大塚の第3回合不合判定。計3回の判定ですべて合格圏内なら、まず安心していいはずだ。M子が最高にうまくやったときの点数はわかった。こんどは最悪のときに何点とれるか。その意味で、3回の判定の中の一番わるいケースで作戦をたてようと思ったのだ。しかし3回目も5502人中54位。偏差72。フェリスは123人中5位。計算では98%の確率で合格するはずだ。こうした確率に100%はありえないのだから、限り無く確実と判定していいだろう。学芸大は96%。湘南藤沢は89%。中等部は65%。やはり中等部は危ない。可能性はあるが、かなり危ない。

12月9日
関東学院の説明会。妻が出席して受験申込書をもらってくる。たぶん受けることはないだろうが、すべての受験に失敗した場合は、この関東学院の2次が唯一の望みになる。青山学院は、結局候補から外した。慶応系列(湘南藤沢、中等部)と同タイプであり、さして魅力もない。

12月15日
前回の日能研公開模試は午前の日曜テストが終了してから、その足で受けさせた。さすがに辛かったとのことで、この日は午前の四谷大塚を休ませる。結果は5548人中48位で偏差71。フェリスは408人中10位。90%。学芸大付属は94%。湘南藤沢90%。中等部はやはり低くて85%。80%以上なら、確実圏ということになっているが、中等部の場合はかなり危険だ。中等部は最後の楽しみ、とでも考えておくべきだろう。

12月
会社を抜けだし、三田で中等部と湘南藤沢の願書を買う。慶応系列は願書郵送というシステムをとっている。フェリスは持参。神大付属も持参。学芸大付属は持参で、1月18日に抽選がある。抽選のため、学芸大付属は魅力が失われてしまう。いくら素晴らしい学校でも、行けるという保証がない。必ず行きたい、行くという目標にすることができないのだ。

12月24日
終業式。クリスマスプレゼントはロマン・ロランのジャン・クリストフ。まだ読めるとは思えないが、買っておきたかった。以前、桜蔭の1年の夏休みの課題はパール・バックの大地だと聞いて感心したことがあったが、対抗心も半分あって買ってみたら小6のM子は一気に読んでしまった。それでロマン・ロラン。親バカ丸出しである。

26日から30日までは四谷の冬期講習。もうジタバタしても始まらない。妻が弱気になったり、揺れうごくときに、たとえ根拠がなくても元気付けるのが私の役目。合格率90%の中学を2校受ければ、不合格の確率は10%の2乗。1%しかなくなる。合格率に100%はありえない(風邪をひく。事故にあう等々)のだから、これ以上の安全性を望むのは無意味だ・・。

しかし、この計算は必ずしも正しくはない。90%校を2つ受けることは,実は81%の合格率に下がるということでもある。数字をどう読むかの差でしかないのだが、不合格率1%でもあるし、合格率81%でもある。M子が勉強している間、することもないので、しきりに資料やスケジュール表をつくっている。



願書・志願

199x年1月

志望校へ提出する書類の作成が冬休みの大仕事だった。大きな影響はないはず、と承知はしていても、それでも神経をつかう。受験本には、記入には万年筆を使うべきかボールペンにすべきかといった類の質問さえ掲載されている。答えは黒かブルーブラックの万年筆だそうだ。愚かしいが、完全には笑えない。多少は迷ったが、ボールペンと決める。

書類のなかで難物が志望動機の欄。下書きをつくり、何回も推敲する。妻と何回もやりあう。湘南藤沢では特技欄に苦労した。ピアノのコンクール入賞や作文、図画の賞状はもちろん、週刊朝日の似顔絵塾で佳作になったことまでコピーして同封した。少しでも自慢できることは、自慢しておかなければならない。学校に判断の材料を豊富にあたえなくてはいけない。

1月10日
フェリスへ願書提出。9日、10日と2日ある提出日のいつ行くべきかでは、ずいぶん迷った。もし学芸大付属を受けるとすると、2月3日のフェリスの面接を午後にしてもらうしかないからだ。さんざん迷った末、2日目の午前ならいいだろうということになった。しかし帰ってきた妻は、番号が遅すぎた、という。もっと早い番号にすべきだった、という。29X番が早いか遅いか、実のところ判断材料はない。いい番号だとつっぱねる。

実際には学芸大付属は受験スケジュールに入れず、万一のときの控えにしておくことに決めていた。抽選という不確定なものに頼りたくなかったからだ。もし当選しても、風邪など最悪のケースの受験候補。順調ならスキップする。こう考えておけば、万一選にもれてもあわてなくてすむ。高校受験を再度やらなければならないことも、この学校を強く希望できない大きな理由だったが。

1月13日
湘南藤沢への願書を投函。中等部は21日に投函しなくてはいけない。1月に入ってからの予定は錯綜しており、きちんとしたスケジュール表なくしては、動けない。しかも、ひとつひとつの行動に、神経をつかう。封をする前に、何回も何回も書類を確認する。

1月18日
学芸大付属の抽選。私が行く。さして意味はないが、こんな場合はやはり男の役目なのだろう。10分遅れくらいでに学校に着いたが、50人程度の列になっていた。進行がけっこう早いらしい。子供の姿もけっこう多い。

体育館の中を、ちょうど選挙のような感じで机を配置してルートを作ってあり、すこしずつ前に進む。箱から封筒を取る。次の机で、係りが封筒を切る。次の机で内容を改める。合格。横の机のスタッフがそれを確認する。緊張した。受けない可能性の高い学校だが、最初から拒否されたくはない。合格者と外れ組は帰りの出口が違うシステムになっており、心外な表情の親子がグランドの真ん中を通り抜けて帰っていく。月曜には担任に報告書を依頼し、24日には提出することになる。

1月31日
M子は社会見学(国会見学?)の予定だったが、休ませる。試験前日の冬の外出は、さすがにためらわれた。この1日の他は、すべて通常通りに出席させた。以前、出席日数の足りない生徒が、灘中を蹴られたことがある。親の気持ちはわかるが、しかし小学生は基本的に学校生活を第一に考えるべきと思う。前日でさえなければ、同級生といっしょに出かけさせてやりたかった。

明日からの数日間の起床時間、のるべきバス、電車の時間などは、すべて一覧表にしてある。明日は本命のフェリス。6時25分のバスに乗る予定。7時半ころには到着できるはずだ。M子と妻は、数日前から服装計画を練り、ローテーションが決まっているらしい。

2月1日
M子の起床は5時。妻の起きる気配に、私も起床する。外は一面の銀世界。大雪になっていた。早速テレビをつける。各地で電車が止まっている。横浜線、京浜東北も一時不通。

完全装備を整え、先頭に立ってバス停まで雪を踏みながら歩く。よりによって何故この朝に降ったのか。無事にバスに乗り込んだ2人を見送ってから、また雪のなかを帰る。

午後、帰宅した妻に聞くと、試験時間は30分ほどずれこんで、スケジュールはめちゃくちゃだったという。試験開始や始まりのチャイムが混乱して、いまM子が何をしているのか、見当をつけることができなくなったという。帰宅したM子には、試験結果を聞くなと念をおされているので、黙っているしかない。しかし特にしょげている様子もないので、一応は安心。開成は試験順延になったらしい。動揺している受験生が多いだろう。

2月2日
未明、かなり強い地震。朝、テレビを付けると、また電車のダイヤが乱れている。6時10分のバス。前日の雪がところどころに残り、アスファルトが黒く凍っている。妻に要請され、バス停まで先導。今日は湘南藤沢の受験。会場は日吉。日中、妻から2度ほど電話が入る。試験待ちの時間をつぶすのが大変らしい。帰ってきたM子は機嫌がいい。問題がやさしく、かなり手応えがあったようだ。

2月3日
午後からフェリスの面接。8時55分のバス。思ったほどはゆっくりできない。

2月4日
神大付属を受験。ここは近い。気楽な気持ちででかける。私もあまり緊張感がない。

2月5日
中等部受験。私は会社を休む。妻とM子を見送ってから、ゆっくりコーヒーを飲み、しかし時間をつぶしきれず、すこし早めに家をでた。

フェリスの発表は12時の予定である。合格していれば、ここでM子の中学受験はすべて終了。万一失敗していれば、中等部にM子を送りこんでから神大付属にまわり、発表を見にいった妻に、至急入学手続きをとってもらわなければならない。そして7日からの湘南藤沢の面接に、再度気力を集中させなければならない。受験は少なくとも10日までは続くことになる・・。



ながい受験が終わった

2月5日
石川町には11時過ぎに着いた。フェリス女学院中学の合格者発表は12時からとなっている。予定が早められたにしても、すこし時間がありすぎる。

駅前から元町への賑わう通りを、ゆっくり歩いた。交差点でどうするか迷ったが、結局フェリスへ通じる、小さな宝飾店の横の路地を曲がり、蕎麦屋の前を通りすぎて古い石段へと向かう。幅の広い石段を一歩一歩踏み締めて登る。ゆっくりではあるが、前を歩く受験生の母親らしき姿に追い付いてしまう。少しスピードをあげて、傍らを追い抜く。

バス通りへ続く階段とフェリスへ通じる階段が別れるあたりは、踊り場のようなスペースがあり、そこで一息をつく。黒い鉄門の上部に学校の地番らしき数字が掲げてある。門の中を見上げると、やはり発表を見にきたと思われる夫婦連れが、足下を見つめながらゆっくり階段を登っている後姿が目に入る。

階段を登り切ると、さすがにホッと息をつく。少し汗ばんだ額を冷たい風がかすめていく。そのまま立ち止まりたいが、我慢をして真っ直ぐ校舎にむかって歩く。

玄関付近に十数人がたたずんでいる。母親、父親、夫婦連れとさまざまだが、一枚の絵のように、みんな一様に押し黙っている。大きな声を出す者はいない。風に揺れる枯れ葉のかすかな音だけだ。ジャンパー姿の男とその妻が、知り合いらしい婦人と話をしている声だけが、大きく響く。女同士が塾の仲間のような雰囲気だ。男は少してれたような顔をしている。数語をかわして夫婦は、ちょっと距離をおいたところに移り、小さな声で時折言葉をかわしている。他の男や女たちは、それぞれ下をむいたり、なるべく他人と顔をあわせないような向きで立っている。次から次へと男や女や子供連れが階段を登ってくる。

なかなか発表が始まらない。タバコを2本ほど吸い、その吸い殻を始末し、日のあたる場所に移動しようかなどと考えていると、にわかにざわめきが大きくなった。始まったのか。走りたい気持ちを押さえて掲示場所の体育館へ通じる階段を降りようとすると、悲鳴と歓声があがった。

2階の高さに掲げられた発表ボードを遠巻きに囲んで、数十人が叫んでいる。飛び上がっている女の子がいる。顔をおおっている女の子もいる。しかし思ったより寂しい集団だ。人数も多くはない。人垣を抜けだして、もう事務室にむかって走りだした母親もいる。その人垣の中心点に背の高いカメラマンが無表情に立って、カメラを時折構えていた。あまり絵にならないな、とでも言いたげな様子だ。

階段の上から斜めに合格者の番号を見ようとしたが、かすんでいる。ゆっくり降りていき、近くまで歩く。さっきの人垣は、もう数人に減っている。カメラマンももういない。2階の高さに掲げられたボードに近寄る。29X。数字がパッと目に飛び込んできた。合格か。当然のような気もしたし、大変なことのようにも思われた。念のため,受験票を出して、見くらべる。間違いない。

事務所へゆっくり歩く。急いではならない、と自分にいいきかせる。走るのは不謹慎のような気がした。事務所から親子が駆け出してくる。顔が輝いている。顔中で笑っている。事務所の前に机が用意してあり、3人ほどの係員が座っていた。受験票を見せて、封筒を受け取る。玄関を出てから上書きを読み、書類がすべて封筒に入っているかを確認。これで仕事は終わった。あとは妻に連絡を入れ、M子の来るのを待つだけだ。

妻は10時からのK大付属中の発表を午前中に見にいき、自宅で待機している。万一フェリスに失敗していたら、午後2時までに押さえ校の神大付属に入学金を収めなければならないからだ。M子はもう中等部の試験が終わったころだろうか。予定では12時半に試験終了のはずだが。もう浜松町のあたりを不安な気持ちで歩いているのだろうか、と思う。

階段を降りていく途中で、発表を見にくる親子連れと次々とすれ違う。笑わないようにして歩く。厳粛な顔をして歩く。階段を降りきってから小さな公園を横切る近道をとり、元町に出る。少し歩くと電話が見付かった。

妻の声が跳びはねていた。K大付属にいかなくていいのね、と念をおす。ああ、K大付属じゃなくて、フェリスにきなさい。待ってるから、とわざわざ私もわかり切ったことを言う。フェリスに合格したということを、声に出すことで公のものにする、といった気持ちがあった。どんな手違いがあっても、もう取消にはできまい。

喫茶店でコーヒーを飲みながら入学関係書類を眺める。セーラー服の注文書やオリエンテーション案内、入学金の振込書などが入っている。時間を潰してから、少し早いかなと思ったが、気持ちが落ち着かず、またフェリスへの石段をのぼる。暗い顔で降りてくる女の子がいる。母親から離れてムッとした顔で降りてくる女の子と、乱暴な口調でなぐさめている母親がいる。笑いさざめきながら降りてくる集団もある。

人気のとだえた体育館横で、M子のくるのを待つ。中等部の試験が終わったらしく、子供たちだけの集団が次々と階段を登ってくる。両親から離れて素早く発表ボードの前に立ち、そのまま立ちすくんでいる子がいる。「なんでー。なんで無いのー」と甲高い声が響く。「×番がない・・」 その子の横でピョンピョン跳びはねている子もいる。合格番号を背景に写真を写している。合格封筒をもった同士が話している。集団から離れたところで、封筒なしの親子が去りがたいように立ったまま黙っている。

子供や親子連れの集団の波がいくつもいくつも通りすぎてから、ようやくM子の姿が見えた。紺色のダッフルコートにナップサックを背負い、小さな体で大股に、ふだんにもなく階段を2段ずつ登ってくる姿が上から見える。

気がつくように、階段正面に移動して待った。父の姿が目にはいったらしく、身振りで問いかけてきた。マルかバツか。返事をせず、ボードを見ろと手真似してやる。上気した顔で最後の階段を駆け上がり「だめだった?」と聞く。返事をしないで笑っていると、ボードの前に駆けよった。見にくいらしく更に一歩近付き、そして笑いでいっぱいになって振り返った。両手を前であわせて、二三度ジャンプした。子供らしく小刻みに小さくジャンプした。フェリス女学院中学、合格おめでとう。妻と私と、そしてM子のながい中学受験が終わった。

 


オリエンテーション 入学式

フェリスへの入学が決まったM子は、小学校卒業までのカレンダーのすべての欄に「あと○日」と書きつけている。嫌いだった担任教師と縁の切れる日を、指折り数えて楽しみにしている。

制服は松坂屋か高島屋のどちらにすべきか少し迷ったが、結局高島屋で頼んだ。制服売り場の奥、目立つところにフェリスの制服が飾られていた。依頼書にフェリス女学院と記すとき、誇りと嬉しさに胸が高鳴った。おめでとうございます、と紋切りの店員の言葉が、ほんとうに嬉しかった。こんな2万や3万の制服ではなく、もっと高価な、10万か20万の生地はないのと言ってみたい気持ちだった。

2月22日
フェリス女学院中学の入学オリエンテーション。入学金25万円を払込み、このオリエンテーションに出席することで入学が正式に確定する。数はすくないだろうが、中等部などへ逃げる合格者は、中旬までに辞退しており、補欠合格者も確定。オリエンテーションに参加するのは入学希望者だけということになる。

144人の母親とその何割かの父親が出席するだけなので、前回の説明会のように講堂は使わない。音楽室らしい広めの教室に集められた。母親たちの服装は、ほとんどがスーツ姿。あまり派手さはない。学校側は例の3人組。校長・教頭・教務主任。

校長がいつものスローペースで挨拶をし、意外なことにちょっと冗談まで言う。もう、フェリスのファミリーということなのだろう。色黒の悲痛な顔の教頭が挨拶し、顔中、作り笑いの教務主任があまり内容のない話をし、その後で生活指導の女教師が登場した。Yとなのる。

小柄で一見若くみえるが、おそらく40は超しているのだろう。ひょうきん蛙のような甲高い声で、ズバズバ話をする。偏差値重視の生活を送ってきた生徒たちが、いかに役にたたないか、ねじまげられているか、母親が過保護か・・。的を得た話し方に、爆笑が沸き起こる。要は、子供離れをせよ、という趣旨。何をいわれても、親はわらいころげる。笑いたくてしようがないのである。

4月5日
入学準備登校。制服不要ということなっている。M子は私服を着て、指示のあった大きな袋をもって登校。先日のオリエンテーションで「大きく丈夫な布の袋を持参せよ」という指示があった。紙袋は不可。その意味がわかった、山のような教科書や運動着のたぐいをかかえて、よろよろしながら帰ったと妻から聞いた。

フェリスでは中学1年をJ1と呼ぶが、M子のクラスはB組と決まった。四谷でライバルでもあったNさんがいる。四谷大塚の新横浜C組メンバーとしてはYさんもB組に決まった。私服の指示にもかかわらず、制服で登校した子が一人いたという。Nさんは仲間といっしょにドヤドヤと受付を通過してしまったために、係のチェック漏れとなり、学校側が狼狽したらしい。一人、登校していない生徒がいる・・というわけだ。

4月6日
入学式。妻と私は8時すぎに家を出た。式は10時からの予定。M子は早めに出掛けている。初めてのセーラー服を着て、緊張して出掛けた。私も女生徒のセーラー服というものを間近に見たのは初めてだ。頭からすっぽり被るものとは知らなかった。肌がのぞけないように、アンダーベストなるものを着こむ。どう歩いたらいいのかわからない、といったふうに、しずしずとM子は歩いていった。

横浜駅で京浜東北線に乗換え。いちばん前の車両に乗る。フェリスの新入生らしい親子連れが多い。上級生らしい生徒の姿も見える。

妻と一緒に、大震災で殉職した校長の名をとった講堂へ入る。もう7割がた埋まっていて、後ろの席。6人掛けのところを7人、8人と詰めていく。教務主任が「式が始まったら撮影は遠慮してほしい」と声をかけて歩く。肉声なので指示が通りにくい。あまり集団管理に慣れていない印象。

オルガンが暫く聞こえたと思うと、小さな聖書を持った生徒たちが入場してくる。流れるように通路を歩き、舞踏のような軽さでスカートの裾を払って長椅子に詰めていく。もう儀式に入っているようだ。最後に新入生が入場してくると、父兄のあいだにざわめきが走る。もうフェリス生である、といった顔をしている。ビデオやカメラを持った父親が遠慮がちに立ち上がる。

とつぜん賛美歌が始まった。2部の合唱が感動的で、涙が出そうになる。ミッションなのだな、と改めて実感する。あまり感動的とは言えない日本人牧師による祈りがささげられ、校長と学院の理事長が挨拶し、そしてまた歌、祈り。意外に簡単に終了。

式が終わって寒風の吹き抜ける中庭で待つ。1年たちのグループが上級生につれられて校内を見学のため巡回している。1年生は真っ白な運動靴なので、すぐわかる。緊張している。上級生の靴はネズミ色に汚れている。

いくつものグループが校内を入り乱れて流れている。なかなか終わらない。校内見学を終了させて、ホームルームに戻せというアナウンスが3回ほど流れたが、上級生たちは動じない。あら、たいへんなどといいながら、それでもしっかり案内を続けている。リボンの正しい結びかた(細く、堅く、ぶらさげる)を教えてもらった、とM子から後で聞いた。

こうして、M子の新しい6年間が始まった。


続く(出さなかった手紙)

 

 

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