Old PC Memo 2



電算私史(2) 1993/12~1995


つまづきだらけの30日(FMV466Dsp-VLB仕様)

1993年12月

購入して1カ月。つまづいたことを列挙してみます。わかってしまうと何のこともないのですが、ほんとに辛い思いの連続でした。

ビデオカードがスロットに入っていて、出力端子が外に見えているプリインストールの機種だったにもかかわらず、当然のごとく本体の標準モニター出力に接続して電源オン。もちろんモニターは無反応。真っ青になった。相談したショップの店員も勉強不足で頼りにならず、本当にあせった。でもマュアルのどこにも(!)そんなこと書いてなかったじゃないか!

3モードドライブなのに、1.2MのディスクをAディスクが読んでくれない。インストールマニュアルを何回も読み直し、忠実にやっても無意味。あせりくるってメーカーサポートに電話をする羽目になった。「ああ、Aドライブでは読めないんですよ」と平然と返事をされて、頭に血がのぼった。電話を切ろうと思ったが腹が立ったのでグチャグチャ文句を言ったら、ようやく物理的にはAドライブでも論理的にはEになることを説明してくれた。それが知りたかったんだ。カッとなったまま電話を切ったらどうなるんだ。

だいぶ慣れたので、思い切ってハードディスクのパーティションを切り直す。簡単にできると思ったのに、できない。まずFORMAT/Hが通用しないのだ。FDISKを使ってみるが、ここで基本ディスクと拡張ディスクという用語が出てきて、つまづく。拡張といえば、とうぜん拡張フォーマットのことだと思うじゃありませんか。で、拡張ディスクを選ぶと拒否されてしまう。このカベを乗り越えるのに、半日かかった。各コマンドについて、ちょっと詳しく調べようとすると必ず「別売りのリファレンスを読め」となる。価格を上乗せしてもいいから、標準添付すべきだ。ユーザーズマニュアルだけでは、何もできない!

再インストールはやはり大変そうだと知って、原本をすべてディスクコピー。石橋を叩いたつもりだったが、1枚だけコピーできないディスクがあったのである(なぜだろうか) まさかプロテクトじゃないし。

まるごとコピーが不可能なら、XCOPPYでやろうとゴチャゴチャやっていたら、原本に孫ディレクトリやら曾孫ディレクトリーやら、なんと5層もできてしまった。理屈としては復旧できるはずと削除を試みたのだが、やっぱりファイルが1つ、なくなっていた。無残。ドジ。ま、緊急に必要のないディスクだったので、メーカーに送ってなんとか修復してもらえたが。私がバカでした。修復版はバックアップもスムーズにとれました。

アクセラレーターのマニュアル(VIPER VLB。一応、日本語)はひどかった。バカていねいに書いてあるのだが、どのファイルが必要で何が不要なのかが、ぜんぜんわからない。6回くらい読み直した。AUTOEXEC.BATへの組み込みについて(一番重要な部分!)は、小さくサラリと書いてあるだけだし、そもそも2枚あるディスクのどちらを先に使用すべきかさえ明快には記してない。肝心の部分は「DOSのリファレンスを参照しろ」なのだが、こらちはリファレンスがないから苦労してるんだ!

ワープロを購入。ていねいなマニュアルなのだが、完全にオフィスの女子社員向けといった構成になっている。最初からじっくり読んで指示通りに学習しないと全体像が見えないような形になっている。英文ワープロの解説と日本語の場合がゴチャマゼになっていてスッキリしない。英語版マニュアルにちょっと日本語も付け足したといった印象だ。

リファレンスがもっと引きやすいと便利なのだが。おまけに付属のフォントとオリジナルのプリンタドライバを使えとすすめてあって、実はこのへんが素人にはわからないところなのだ。もうフォントだけで3種類もある。それぞれのプラスマイナスが見えてこない。実際に拡大フォントを作ったり、印刷してみればいいのだろうが、なかなか時間がとれないのです。そうそう、自慢たらしく「当社の製品で組んだ誌面を1000dpiのプリンタで出力しました」というマニュアルなんだが、せっかくの英文見出しがみんなつぶれて読めない。文字間隔が狭すぎるんです。

ゲームを買った。ULTIMAです。当然WINDOWSからドス窓で実行できると思ったら(だってWINDOWSの入門書にはみんなそう書いてある)さぁ大変。いったんドスに降りてから実行しようとしたけど、もちろんメモリー不足だしキーボードは言うことを聞かないし。SWITCHを試してみたけど、そのたびにモニターに雷電が走るので、あまり気持ちがよくない。結局、英語環境のブートディスクを作って遊んでいます。ちょっと悲しい。

ついでに信長覇王伝(趣味がわかる)も購入。日本語ソフトだし今度こそ華麗にWINDOWSからアイコンで実行させようとしたが、やっぱりダメ。コンベンショナルを600Kbも要求してくる(最低でも470Kb程度らしい)ので、次々とデバイスを外す羽目になった。ADDRIVEかなんかで実行できそうな気もするので、今後の課題なのだけど、こうしたゲームのインストールについては、雑誌にもあまり書いてないのである。WINDOWSのユーザは、みんな固いアプリケーションしか持っていないのだろうか。苦労もパソコンの楽しみのうちだろうけど、だんだん虚しくなってきた1カ月でした。まだまだ成熟した商品とは言えません。ぜったい素人の友人にはすすめられない。]



1995年4月

昨年の夏ごろから、業務の間を縫ってポツポツとワープロを打ちつづけた。自分のパソコン知識の整理と社員教育用(なんでみんなもっと勉強しないんだ!)。

数ページのつもりだったのに、結果的に40枚強(各50行程度)の大部になった。CPUの知識からはじまってDTPやらアプリケーションやら、ほぼ全般を網羅。面白くなって目次も作り、表紙もパソコンで作成して、数人に配付。役員2人にも配付した。ただし、反応はほぼゼロ。「面白かったよ」程度のもの。淋しくなって、妻の助言もあり、アサパソ編集部にコピーを送ったら、数カ月してから取材の申込みがあった。変なオジサンがいる、というスタンスらしい。6月1日号にのるという。ま、いいけど。



1995年9月

この半年ほど、ごちゃごちゃ会社に具申し続けていたら、さすがに気がついたらしく、本腰をいれるという。どこまで本腰かは実際のところ不明で、ここが怖い。どうやら私が責任者になる模様。今の仕事から外れるのは寂しくはあるが、しかし他のアホが担当になったらもっと腹がたつだろう。やむなし。苦労するのは目にみえているのだが。


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