「終わらざる夏」 浅田次郎

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★★★ 集英社

owarazaru.jpgまたまた浅田次郎。えーと、今度のテーマは終戦直後、ソ連の侵攻を受けた千島列島の占守島 (しゅむしゅとう)のお話です。千島列島は根室から東北に伸びて、最後はカムチャツカ半島に達します。その最東北の島が占守島。すぐ向かいはカムチャツカです。

この占守島、どうもこのへんの島にしては平坦だったらしい。平坦で港もあるので、ある程度の規模の軍を駐屯可能。周辺の兵站基地としても使えるし、なんかごとがあった時はここから出撃する。当時の感覚としては、アリーシャンを伝って西進してくる(と予想された)米軍に対しての最前線ですね。

で、8月18日の早朝、火事場泥棒でいきなりソ連が押し寄せてくる。対する日本軍は中型戦車を40両ちかく持っていた。ぜーんぶガソリン車だったといいます。寒冷地の行動には合ってますが、戦車としてはどうなんだろ。ひょっとしたら燃えやすいかもしれないのですが、ま、それでも新品ピカピカの戦車です。関東軍から引き抜かれてここに引っ越していたらしい。装備もしっかりしていたし、錬度もいい。燃料や弾薬なんかもけっこうあった。当時の日本軍にしては珍しいケースです。

結果的には2万人以上の兵を擁するこの91師団がソ連軍を一応は撃退するんですが、なんせポツダム宣言受諾の後です。あんまり本気で戦うわけにもいかず、いろいろ交渉してみたりして、数日後に武装解除。解除した兵士はその後、みーんなシベリアへ連れていかれます。戦闘で日本軍も大きな犠牲を払いましたが、その代わり、この作戦で時間をとったためにソ連の北海道侵攻が遅れてしまったという見方もある。ソ連に北海道を占領されずにすんだ。

また、真相は不明ですが、この占守島の戦いで多くの兵士を失ったスターリンが、復讐として関東軍兵士も含めてのシベリア抑留を決断したという説もあるそうです。本当かもしれません。

というのが大きな流れ。この本は「あくまで小説」なんで、現地調査とか聞き取り取材はしなかったと浅田さんは言ってますね。歴史書じゃなし、事実に縛られたくない。あくまでもフィクション。

小説だからいいだろ、というわけで、赤軍将校の夢やら幻影やら生霊めいたワープ憑依も出てきます。脇筋として信州の疎開児童の脱走やら、赤紙配達のお話、江戸川アパート(同潤会)のお話も出てきます。このへんはハッキリいってどうでもいいんですが、唯一、ソ連兵士の側から見た占守島上陸作戦のとらえ方はけっこう面白かった。

こっちサイドから言うと、独ソ戦が終わってやれやれと思ったら、帰国が指示された。ヤッホー、家に帰れる!と嬉しがっていると、列車はモスクワもどこも通り過ぎて、どんどんシベリア鉄道を東へ。騙された。最終的に極寒のカムチャツカです。

おまけに「演習だ」とか言われて船にのって海に出る。もちろんこれも騙し。ソ連といえば名にし負うT型戦車ですが、その肝心の戦車は積んでいない。

ちょっと調べたらT-34型で32トンだそうです。ドイツのティーゲル(57トン)には及ばないけど、日本の中型戦車(15トンぐらい)に比べたら雲泥の差で、たぶん日本戦車なんかブリキみたいに破れるでしょうね。でもその戦車はなぜか今回不在。そこまで手がまわらなかったのか、何も考えていなかったのか。そのへんは不明。

ただし、戦車はいないけど、対戦車砲は船に積んでいた。敵戦車がいるということは知ってたんですね。でも味方戦車の援護なし、戦車砲だけで相手の戦車と戦うってのは、こりゃ問題外です。相手は要塞を築き、無傷の戦車連隊で待ち構えていて、海岸上陸すれば襲いかかってくるに決まっている。七人の侍の志村喬みたいですね。こっちは定位置で、襲ってくる騎馬の相手を射る。でも射るより射られるほうが多いでしょうね、たぶん。

で、濃霧の海岸でドンパチやった結果、対戦車砲4門だけは上陸できたそうです。もちろんそこに日本軍の戦車が殺到してくる。付近の高射砲なんかもたぶん水平射撃みたいに撃ってくる。ソ連軍も悲惨だったでしょうね。ほとんど壊滅。

でもなんやかんや。日本の戦車第11連隊は27両を失ったとWikiに記してありました。

また、ドサクサまぎれに日魯漁業の缶詰工場にいた女工など民間人が独行船数十隻で根室まで脱出というエピソードもあります。これだけでも一冊の本になる。浅田さんの小説では函館から行った女子挺身隊ということになっており、全員が無事に帰還。Wikiによると一隻だけが難破して、乗っていた女工たちはソ連に抑留されたと書いてあります。