「十字軍物語」1・2 塩野七生

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★★★ 新潮社

jujugunmonogatari.jpg「絵で見る十字軍物語」とあわせて4巻もののようです。その1と2。内容は第1次十字軍、第2次十字軍 イスラムの反攻(サラディン)

十字軍、あんまり知識を持っていません。ぼんやり名前を知っていたのは第1次十字軍のボードワン、ゴドフロワ、タンクレード(タンクレディ)くらいかな。サラセンではサラディン。あとは第何次になるのか知りませんが、獅子心王リチャードくらい。リチャード獅子心王は子供の頃にウォルター・スコットの「アイヴァンホー」を読んだので知っています。

だいたいタンクレードがイタリアのノルマン系とは知らなかった。なんとなくフランスの田舎から立身出世を願って出征した機転の利く小貴族かと思っていました。

それをいうなら、イスラムの英雄サラディンだってそうですね。てっきり生まれのいいサラセン貴族で、たまたま軍事的才能があったんでスルタンの片腕かなんかになったという印象。実際は(塩野さんによるとクルド族の出身だとか)いろいろ画策してエジプト占領で一気に台頭した人間とは知らなかった。もちろん教養ある紳士で、なんか記憶ではリチャードと刀自慢対決をしたような(たぶんアイヴァンホーのエピソード)。

はい。エピソードってのは、リチャードが重い剣で兜かなんかを叩き切って豪腕自慢。そしたらサラディンが「その大剣で羽毛のクッションを切れるか?」とやりかえしたという話です。破壊の斧と鋭利なカミソリの対比みたいなもんでしょうね。

十字軍のそもそもの発端というのが意外でした。ナントカ教皇が聖地奪還を呼びかけたってのはもちろん常識ですが、遠因は歴史で勉強する「カノッサの屈辱」だった。時の教皇に逆らった神聖ローマ皇帝が破門されて、しかたなく屈伏。雪の中で土下座(かな)して許しを乞うた。教皇の力の大きさを象徴する大事件・・・というのが世界史です。

ところが実際の世の中はそう簡単にはいかない。屈辱を受けた若い皇帝、この恨み晴らさでおくものか・・と深く根に持つ。復権してからは折りにつけてはイジイジと教皇をいじめ続けた。なんせ神聖ローマ皇帝が心の底から復讐に燃えている。教皇の立場はだんだん悪化していったわけです。人間、あんまり苛めすぎちゃいけません。で、ローマにもいられなくて、各地放浪の教皇になった。

そこで、同じクリュニー派である次の教皇です。なんとか劣勢を回復しようとして考えついたのが華々しい「聖地奪還」のスローガン。これが大成功した。もちろんただ宣言しただけでなく、事前にはいろいろ根回しもしています。

できれば王侯たちに打ち揃って出征してほしかったんですが、実際にはちょっとレベルダウン。おまけに出発予定日時よりはるか前、アジテータの坊さんに煽動されて気分高揚した庶民貧乏人たちが「死んでも天国にいけるらしいぞ!」ってんで、勝手に行進を開始した。なーんも考えず、武器も金も食料計画もなしに(神様がなんとかしてくれるさ)ヨーロッパ横断の進軍ですから、この先触れ十字軍は悲惨な結果に終わります。でもそんなこと、誰が気にする。

テンプル(聖堂)騎士団とヨハネ(ホスピタル)騎士団についても、なーんにも知りませんでした。ま、ヨハネ騎士団がその後にロードスやマルタに移住したとか、金持ちだったテンプル騎士団がフランス王の陰謀で滅亡させられたとか、その程度。面白いってんで「テンプル騎士団の財宝」はよく小説のテーマになってますね。

塩野さんによると、テンプル騎士団はフランスの下層騎士、浪人騎士が大部分だったんだそうです。よく言えば純粋、悪くいうと単純。ひたすら「異教徒は殺せ!」がモットー。で、あちこちから寄贈のものは売り払って金に換え、それで金融業(ようするに金貸し)をやった。金融ですから当然イスラム商人にも金を貸す。商売やってるんじゃ「ひたすら殺せ!」の実行も無理なんですが、ま、そのへんは本音と建前ですわな。

それに対してホスピタル騎士団は各国の貴族の次男三男、部屋住の連中です。比較的、教養があった。で、寄進の物件はすぐ売り払ったりしないで、不動産経営にいそしんだ。農地や土地の経営ですから、しぜんと地元のイスラム人とも関係ができる。わりあい地域密着系。イスラム人は皆殺しという方針ではない。とはいっても、いざ戦闘になるともちろん果敢です。みーんな誓いをたてた修道騎士ですから。

そうそう。またまたアイヴァンホーですが、ここにもテンプル騎士団の騎士が出てきますね。ユダヤの美女に懸想して、信仰と欲望の狭間で苦しむ。典型的な敵役なのに、なぜか信仰の面ではけっこう悩んだりするんです。で、美女レベッカに「オレと一緒になってくれ。一緒にパレスティナ(だったかな?)に逃げよう」とか。いまだったら「いっしょにアメリカに行こう」とか「ブラジルでコーヒー農園をやろう」ということなのかな。

なんか、どんどん脱線してくる。早いとこ第3巻を読まなくっちゃ。

jujigun02.jpgひとつ疑問。なぜこんなに計画性がなくて仲違いばっかりして欲の皮のつっぱった十字軍騎士たちは強かったんだろう。

塩野さん説によると、重装備が効果的だったとのことです。イスラムの弓矢による雨あられの落下攻撃があまり効かなかった。数の多いイスラム軍も、大きな馬と重い装備の騎士が突撃すると耐えられなかった。もっと大きな要因は、イスラムの領主たちがみーんな仲が悪くて決して団結しない。自分のことしか考えてないからすぐ裏切るし、すぐ逃げる。だからイスラムの総反撃は、サラディンのジハード宣言まで待つ必要があった。

というんですが、フランク騎士は数が少ないです。核になった常備軍のホスピタル騎士団とかテンプル騎士団とか、それぞれ多くても200人から300人程度。もちろん従卒や歩兵はたくさんいますが、これっぱっちの騎士で何十年も支えきれたってのが不思議です。故郷からの物資補給、人的補給も少なかったといいます。騎士の数は減るばっかりで、慢性的に足りない。。

あちこちに城郭、城砦をつくって、ここに籠もった専守防衛も効果があったといいます。でも城砦の数が多すぎる。騎士数300を30の城砦に割り振ったら、ひとつあたり10人ですわな。ちょっと少なすぎはしないか。

おまけにパレスティナやシリアの夏は暑い。冬はともかく、酷暑の夏にフルプレート装備は無理でしょうね。巻2の表紙絵を見ても、顔はともかく腕はむきだしにしているようです。いくら大きな楯をもっていたにしても、けっこう大変そう。サラディンが大勝利した戦いも、酷暑の沙漠(かな) を考えなし、水補給なし行軍をやられた。たしかに水の用意がなくて沙漠を30キロ歩くのはきつい。

ま、塩野さんですから、もう一つ、イタリア商人の活躍も重要な要素として付け加えています。ただジェノバもヴェネツイアも、聖地維持のためなんてまったく考えていない。信仰ではなく、あくまで金儲け。だから西欧の学者たちは(理屈ではなく) なんとなくイタリア商人(海軍)の功績を認めたくない。その気持ちはわかりますね。「考えは足りなかったけど、彼らは信仰に燃えて進軍した。もちろん欲張りもいたけど、少なくとも根本には信仰があった」というふうに思いたい。ま、当然ですね。

総じて1巻、2巻、読んだ感想は「めちゃくちゃやなあ」でした。攻めたほうも無茶。迎えたほうも苦茶。中世は人間の欲望とかエゴとかがむき出しになって絡み合う (それで悪いか!) 感がありますが、それにしてもこんなアホな攻撃と支配で、聖地占領が100年ちかくも続いたというのが不思議です。(エレサレム王国は形式的には200年ちかく継続)