「お殿様たちの出世―江戸幕府老中への道」山本博文

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otonosama.jpg★★★ 新潮社

前からあやふやで、なんか食道楽の話かなんか書いてる偉そうな人・・・と勘違いしてましたが、そっちは山本益博。ついでに大昔の金魂巻(マルキンvsマルビの傑作評論図解)を書いた人とも混同。これは渡辺和博でした。

で、本書は歴史学者による読みやすいけど真面目な本です。江戸時代の「老中」がどんな地位で、どんな権限を持ち、どんな連中が老中になったのかも全一覧。

なるほど、老中、ようするに5万石とか7万石あたりの譜代大名にとっての出世コースだったんですね。うまくすると旗本あたりで将軍世子に仕えて、以後は少しずつ加増、結果的に10万石大名になることもある。身分のほぼ固定されていた江戸時代では貴重な道筋です。

ただし老中はあくまで徳川家の「使用人」なので、あんまり偉い(石高の多い)大名は任命されない。家康の戦闘隊長格だった井伊とか本多とかは基本的に除外。このクラスの大名は全国適当な領地に置かれて城を守り、いざという場合の戦力として期待されたらしい。

実際には本多とか酒井とか同じ姓の老中がいっぱい出てきますが、けっこう系列が違っていて、たいては傍流です。老中になって役目を終えると石高を増やしてもらって、それでアガリ。あるいは10万石クラスでも、養子が入った場合はちょっと貫祿が低くなるんでしょうね、老中にしてもらえることもある。

というわけで、ようやく「井伊直弼はなぜいきなり大老か」がわかりました。江戸城では彦根藩主として溜間詰上席だったらしいですが、ま、存在感があったんでしょう。しかしだからといって老中にはなれません。幕政に完全参入するとすれば、いきなり「大老」しか方法がない。そういう家格だったわけです。

そう考えると、もっと後になって一門の松平春嶽とか、外様の薩摩、土佐なんかが幕政のリーダーシップをとることの異様さがわかる。もうメチャクチャだったわけですね。