「島津は屈せず」近衛龍春

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★★ 毎日新聞社

近衛龍春ってのは確か最初に「上杉三郎景虎」を読んでけっこういいなと思い、次が「毛利は残った」、そして「南部は沈まず」かな。すごい作家ではないですが、地味な題材を掘り起こしてよく調べて書いてる印象。

ということで少し期待して借りたこの島津本でしたが、うーん、なんといいますか。

主人公、語りの視点は島津兄弟の義弘。希代の戦上手といわれる惟新入道です。朝鮮で武名を轟かせたり、関ケ原では有名な積極的撤退戦を演じたり。この惟新の子供(忠恒)が兄・義久(龍伯)の娘を娶って跡継ぎになったんですね。

けっこうややこしい関係です。龍伯と惟新は兄弟。惟新の子供が忠恒。龍伯の娘が忠恒の正室。その3人がそれぞれ違う領地にいて、仲違いしているわけでもないが、仲がいいわけでもない。忠恒と正室の間も冷えている。島津の跡継ぎは忠恒で決定・・・ともまだ言い切れない。3人の殿様が共同で薩摩を治めているような形です。

関ケ原では惟新率いる島津の軍勢は可哀相なほど少なくて、周囲から馬鹿にされています。しかし実は関ケ原だけでなく、朝鮮派兵の際にも島津勢は少なかった。要するに派兵するほどの財政基盤ができていない。国内がまとまっていない。派兵をよしとしない意見が強い。中央指令に背く恐さを実感できない。

秀吉の天下制圧に最後まで抵抗し続けたこともあって、要するに薩摩だけはまだ僻地のままだった。兵農分離なんてまったく無理で、おまけに九州成敗で所領をがっぽり減らされたため領民は貧乏のどんぞこ。貧乏だけどプライドの高い武士階級だけがやたら多かった。

田舎もんで貧乏でシステムが旧態依然の中世というなら、たとえば日本列島の反対側、南部なんかも同じような事情ですが、こっちは津軽というライバルがいた点で違いがありますね。津軽に先を越されちゃ滅びる・・という危機感がたぶんあった。それに比して薩摩は日本の南の端っこ。どん詰まりです。中央が遠すぎてとにかく情報が少ない。危機感がない。ここまで攻めてはこんじゃろ

ということで、兄の龍伯は守旧保守派の代表。弟の惟新は対外戦を担当したんで、否応なく目を開かざるを得なくて現実派。

龍伯は秀吉に恨みがあるので、その結果として家康派です。惟新は現実外交の成り行きで政権派。秀吉派、三成派。「派」というより、仕方なくそういう立場になってしまった。

ですから派兵された惟新が「もっと兵を送ってくれ」といくら懇願しても、国元の龍伯は出したくない。あるいは出す余裕がない。関ケ原でも「西軍について戦ったのは惟新の独断であり、島津総体としては無関係」という立場をとります。

有名な関ケ原西軍総崩れ後、惟新の「島津の退き口」。多くの歴史小説に書かれていますが、その詳細はこの本で初めて読みました。悲惨で延々と続く逃避行、通常の小説では無理です。そうそう、関ケ原でも隊伍を整えて堂々と敵中突破のように書かれることが多いですが、もちろん実際にはかなりバタバタ戦闘したらしい。時間もかかった。その後の山の中はひたすら暗くて陰惨、面白くない。

砂利山の中に大根を突っ込むようなもんですか。進めば進むほど皮が破れ、身が削られる。ボロボロ身を落としながら、なんとか大根の芯だけが砂利山の向こうに突き抜けた。それにどういう意味があるんだ?と考えると虚しいものがあります。ただ当時の価値観では意味があったんだろうし、惟新にとっても家来にとっても敢行するに値した。

などなど。読後感はあまり爽やかではありません。

田舎もんは天下の情勢なんて知りません。自分たちの周囲数里の肌感覚だけで生きている。朴訥で質実剛健な薩摩っぽ。逆に言えば我がべらぼうに強くて視野が狭い、協調性が乏しくて反抗的。基本的に主人の言いつけには従順だが、ヘソを曲げると躊躇なく逆らって損得を無視する。

いわゆる「薩摩男児」のシンプルで陽性な魅力と同時に、けっこう計算高くて陰湿な部分もたっぷりあるんでしょうね。幕末の薩摩藩の動きかなんかはいい例ですが、けっして単純外交ではない。非常に政治的。場合によっては悪辣。

この本でも最後のあたりで、いろいろダークな政治的処置が叙述されています。目障りだった伊集院一族の処分なんかもそうです。かなり暗いです。