「二千七百の夏と冬」上下 荻原 浩

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★★★ 双葉社

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荻原浩という作家、けっこう達者で面白い。目につくと借りることにしています。これまで読んだのは、「砂の王国」とか「ひまわり事件」とか、楽しませてくれる人です。

で、今回は縄文人がテーマ。紀元前7世紀ころ、列島中央部の集落で暮らす少年が、いろいろあって村を出ることになる。南に向かうと富士山のような山が見え、そこで弥生人の少女に出会う。

ずーっと読み進んで、なんか感じが似ているなあ・・と思い出したのが清水義範。たしか原始集落の話を書いてましたね。交易の始まりとか、戦争とか、ちょっとコミックで、さもありなんと思わせる内容。

清水義範と比較されたら荻原浩は不本意かな。もっと真面目に書いてはいるんですが、「カー」=「鹿」、「イー」=「イノシシ」、「コミイ」=「米」、「鳥の巣に卵」=「あたりまえ」などなど、趣向を凝らして造語している。その雰囲気で、なんとなく清水義範ふうになっている。

それはそれとして、中身は少年の冒険物語、あるいは恋愛物語。縄文人は素朴でだらしなくて、自然を恐れ、共存する。弥生人は働き者で奴隷根性で集団主義。縄文人はケモノを相手に弓を射る。弥生人は米を守るため人間を敵として射る。

縄文人をそれなりに困った連中として描いているのがいいですね。弥生人はなまじ有用な稲を手に入れてしまったため、もっと土地がほしい、財産を守らないといけない、集落の周囲には堀をめぐらし、敵を抹殺しないと安心できない。

自分はどっちの集落が暮らしやすいかなあと考えてみましたが、飢えて寒さに震えながらイノシシ狩りする縄文より、どっちかというと弥生人ですね。権力者の顔色をうかがいながらセコセコ豊かに暮らす。弥生文化は、要するに現在の日本文化です。

それにしても弥生と縄文の境界時代の実態はどうだったのか。ほんと、諸説ありますが、少なくとも昔のように「海をわたって稲作文化をもった騎馬民族が一気に侵攻してきた」という説は少なくなってきたようです。縄文(というより原日本人)の男性系統がけっこう残っていることは、少しずつ混交が進んだ証左となるようですし、弥生系の母系もまた広く分布している、つまり男どもの単身赴任ではなく、家族ぐるみで住み着いたらしい。

稲作によって大きく変化したことは事実ですが、縄文の採集文化はけっこう効率が良かったという説もある。いったん稲作開始したのにその後また採集に戻った実例もあるらしい。単純に縄文は採集移動を繰り返したとも言い切れない。 三内丸山なんかの定住例もあります。わからないことが多いです。