「完本池波正太郎大成 真田太平記」池波正太郎

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★★ 講談社
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長い。厚い。重い。長大な真田太平記の19巻、20巻。中巻と下巻に相当します。

正直、もう最後まで読まなくてもいいかなと思っていました。ストーリーの中心となっている忍びの者たちの活躍に、さほど興味を持てなかったからです。忍びと忍びが探索しあって、なぜか偶然道中ですれ違って、尾行して飛び道具で殺し合う。こればっかり。ほとんどスーパーマン集団の戦い。なるほどとは感じるものの、あまり感情移入できなかった。

辛い修練に耐えて、集団生活で己を抑え、そしてたいていは路傍に死す。彼らの行動の動機の部分がいまいちわからない。あんまり待遇や給与がいい感じもありません。

たしか海音寺さんの「天と地と」で、たしか呑牛飛び加藤だったか、ま、忍びの者が登場します。彼らの動機はシンプルで、認められたい。金が欲しい。豊かに暮らしたい。だから年老いた忍者はやがて故郷に帰り、溜め込んだ金でのんびりした隠退生活を夢見る。そのためにもう一仕事。これが終わったら田舎に畑でも買って、小娘にでも世話させて穏やかに暮らそう。そうした小さな夢は残念なことに果たせない。有名武将に術を見破られ、あっさり撃ち殺されます。

子供の頃、立川文庫かな、真田十勇士は定番の人気でした。猿飛佐助とか霧隠才蔵はほとんど超人でした(三好清海入道や伊三入道はアホです)。で、九度山に幸村が隠遁してから、たしか猿飛佐助が駿府城に忍び込む。天井裏の節穴から真下に寝ている家康を眺め「殺すのは簡単だが、いまは助けてやろう」とかなんかと呟きます。

「いますぐ殺せ!」と子供ながらに思いましたね。このあとどうなるかは当時の少年にとって常識です。ここで余裕こいて殺さないから大坂城で負けるんじゃないか。アホ! ま、講談作者としては史実に反するので殺させるけにはいかない。

それはともかく。

そういうわけで、忍びの部分は飛ばし飛ばしで、真田一族の動向だけ主として読みました。うーん、そうすると、たいして面白い小説ではないんですね。いろいろ武将のエピソードは詳しいんですが、どうも味がないというか美味しさに乏しいというか。なぜか冷静なはずの真田信之が急に美女に執心したり、信繁(幸村)が女忍者と同衾したり。必然性があるのかどうか・・・・。単なる読者サービスかな。池波正太郎とは波長が合わない。

藤沢周平にもこうしたサービス、多いです。坦々とした叙情が続いた後、なぜか唐突にチャンバラが始まる。なくてもいいのに女が出てきて一夜を共にする。サービスなしではダメだったのかなと、いつも思います。

時代小説の宿命ですか。司馬遼太郎なんかも若いころの作品には濡れ場が多いです。編集者から要求されるんでしょうね、きっと。あっ、本の画像は18巻の流用です。同じですから。