「幕末伝説」野口武彦

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★★★ 講談社

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前にも読んでいました。でもすっかり忘れていたので問題なく再読。何本かの幕末エピソードをまとめたものですが、今回あらためて感じたことを。

えーと、タイトル忘れましたが(すぐ忘れる)、写真術の章。手に入れた蘭書を読んで写真乾板(湿板かもしれない)の作成になんとか成功。そしたら薩摩の殿様が教えろというので伝授。あとで撮影したものをみると「額の丸い太った女」が写っていたそうです。

殿様というのはもちろん島津成彬ですね。太った女は当然のことながら「篤姫」です。後の将軍家御台所。そっけなく「太った女」と言い切るところがおかしい。笑ってしまいました。

もしひとつ。鳥羽伏見の戦いの指揮をとった竹中重固という旗本。有名な竹中半兵衛の子孫だし主戦派の大身だったのでとんとん出世して、なぜか若年寄並陸軍奉行。ま、この人が責任者になって伏見へ進軍したわけです。で伏見の奉行所に陣取って(たぶん幔幕張って)偉そうにふんぞりかえっていた。

野口武彦の書くところによると、お奉行様は薩軍が砲撃するなんて予想だにしていなかった。こっちは圧倒的な大軍です。すぐ降伏するだろうと思っていたんでしょう。すぐ近くで薩軍が大砲を向けているのも承知だけど、まさかね。それでも夕方になってしびれをきらし、仕方ない、押し通るか。どれ、地図を持て・・・と命令したあたりでいきなりドカンドカンと打ち込まれた。

たぶん自軍の正確な配置も把握していなかったし、部隊との連絡方法の打ち合わせもなかった。そもそも抵抗されるなんて思ってなかったから。そのうち混乱の中で後方へ撤退。幕府軍、数だけは多かったけどみんな状況がわからないし指示命令もない。負けるべくして負けた。で、敗戦責任で更迭。

その後もいろいろあって、最後は函館まで行ったようです。結果的には降伏して生きながらえた。まったく力のない人でもなかっただろうけど、アタマが固くて客観的に事態をみる能力に欠けていた。進軍の儀礼とか床几の置きかたとか、格好にはうるさい人だったようです。運の悪い人が運の悪い場所にいた。歴史のアヤです。