「渓西野譚」 李羲準/李羲平

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:
★★★ 作品社
keiseiyatan.jpg
けっこう有名な古典らしい。李朝中期から末期にかけての説話集というか、噂話や言い伝えなど300点以上を集めたもののようです。

それぞれのお話のレベルはさほど高くありません。因果応報の教訓に満ちているかといえば、それほどでもない。なぜか急に神通力を持った人が登場したり、なぜか平凡な奴僕が忠義を尽くしたり、妓生(キーセン)が妙に貞女烈女みたいなふるまいをしたり。

ちなみに目標は「仇を討つ」あるいは「科挙に受かって出世する」です。したがって典型的なパターンは「夫を殺されて窮乏した妻」が「若い義理の長男を勉強させて」「科挙に成功させて官につける」「仇を討った後、はじめて立派に葬式を行って、満足して自殺する」

なんか日本人的な感覚からすると、ちょっとおかしい。仇討ちするにしても直接武器をふるうことはあまりない。出世して力のある官吏になって、そこで悪人を糾弾して死刑にする。ま、そんなふうです。そうそう、中国式で、棒で殴ったりのオシオキも多いです。清末の西太后なんかでも、不味い飯を調理したコックを杖刑に処したりしているし(日本でも律令の頃は杖刑があったらしい)。

意外なのは、けっこうな頻度で文禄・慶長の役が出てくる。ま、大事件ですから、当然でしょうか。朝鮮の英雄が日本の剣士と戦ったり、平秀吉のスパイが侵入したり。あるいは倭軍の侵攻を予感した賢人がどこかの山奥に逃げて平穏に暮らすとか。

そうそう。李如松なんかも出てきます。明の武将なんで、尊敬しているのか嫌っているのか、そのへんのニュアンスがかなり微妙。また李如松ではなかったと思いますが、明の官吏がたしか朝鮮の官吏に食事をふるまう。餅とウドン、酒、肉や魚。麺とか饅頭とかのご馳走。ところが後で「飯を食べたか」と聞くと「食べていない」という返事。変だなあ・・とよく聞くと、朝鮮官吏にとって「飯」というのは一碗の飯とワカメのスープのことであり、餅とか魚肉が食事とは思っていなかった。「さすが大明国の実力、食事内容も豊かだった」と評がついています。なるほど。

巻末の解説を読むと、朝鮮はなかなか大変だったんですね。そもそもの建国に功績のあった勲旧派と官僚である士林派の対立。その士林派も東西に別れ、別れた東派がやがて南人と北人に分裂する。南人もまた清南と濁南に別れ・・・・。ひたすら党派抗争です。皇后の喪を1年にするか3年にするかで激しく抗争する。そのたびに大量の血が流れ、主流勢力が入れ替わる。だから登場人物の注釈では、みんな出世したと思うと追われ、復活してまた失墜し・・・菅原道真が何百人もいるような雰囲気です。大変だ。

あとよくわからないのが「ソンビ」という言葉です。科挙によって立身出世をすることが使命の階級である「両班」はまだ理解できます(ほぼ「読書階級」に近いか)が、ソンビはどう訳したらいいのか。君子、立派な人でもいいような気もしますが、貧乏なソンビもいる。ソンビと両班はかならずしも同じではない。立身出世から身を引いた両班みたいな雰囲気でしょうか。

貧乏といえば、説話の中にはやたら貧乏な両班も出てきます。両班がみんな豊かなわけではない。ずーっと試験に落ち続けていると、たとえ両班といっても落ちぶれる。下手すると両班階級ではなくなる(どこかに商売を始めると両班ではなくなる、とあったような気もする。貴族階級は商売なんかしない)。ちなみに現代の韓国では、半数以上の国民が「先祖は両班だった」と称しているようです。

というわけで、それなりには面白い本でしたが、同じパターンが続くのでけっこう飽きます。

あるサイトに「当時の地方長官は無給だった」とありました。しかも強大な権力を握っていた。それじゃグチャグチャになるわけです。この本の中でも地方官がなにかあるごとに収奪したり裁いたり執行を命じたりしている。庶民は絶対に逆らえない。両班にあらざれば人にあらず。


そういえば、大昔に朝鮮の有名な烈女の小説を読んだことがあったような。印象としては、尻軽娘が金持ちのボンボンに誘われてイチャイチャし、権力者に誘惑されたけど拒否し、酷い目にあうけど復讐する・・・というようなストーリー。金瓶梅みたいな好色小説の扱いだったような気もする。タイトルは思い出せず。こういうパターンが朝鮮文化では好まれるんでしょうね、きっと。

「春香伝」かもしれない。もしそうなら主人公は妓生。自信なし。