高島俊男さんの「中国の大盗賊・完全版」で面白かったこと。
中国語の「文」とは、「飾り」「ひらひら」のことだそうです。要するになくても困らないもの。困るのは「質」です。こっちは肝心の中身。質実剛健とかいいますね。このへんの違いは論語に書かれているんだそうですね。
子曰 質勝文則野 文勝質則史 文質彬彬 然後君子
質が文に勝ってしまうと「野」になる。野暮。といって反対に文が質に勝つと「史」になる。表面だけの人間みたいな意味ですかね。文人、史生。両方がバランスよく備わってようやく「君子」になれる。
で、孔子は「両方のバランスが必要だよ」と言ってるわけですが、実際の儒家というのは、ひたすらこの「文」で商売している。正直、どうでもいい「飾り」で食べている。単に男と女がくっついたり、人が死んだという「質」をぴらぴらで飾って厳粛な結婚とかしめやかな葬式にする。果てしなく重視しては重んじる。
で、こうした「文」の比重がどんどん増えることを「文化」という。文化人とか文化国家とか、そもそもはそういう意味がある。非常に納得しました。