「逆転の大戦争史」オーナ・ハサウェイ、スコット・シャピーロ

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文藝春秋★★★
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それにしてもひどいタイトルだなあ。表紙デザインも不可思議。文春の担当は何を考えてたのか。かなり責められていいです。こんな外見の本、想定読者のほとんどは手にとろうとも思わないでしょう。大損している。おまけに解説してもらった船橋洋一の名前に比重をかけていたり。なんかセンスが違う。

中身はかなりまっとうな「法的観点からみた戦争論」です。要するに「なぜ戦争では人を殺しても罰せられないのか」「なぜ宣戦布告が必要なのか」「なぜ国連は武力を行使できるのか」・・・といったような内容ですね。したがって著者二人も法律が専門の人らしい。

そもそもは17世紀初頭のグロティウスです。天才的なオランダの法学者ですが、実はこの人、オランダ東インド会社の弁護士でもあった。で、そのころマラッカ海峡あたりでオランダ商船が(真の動機はともかく)ポルトガルの商船を拿捕。膨大な財宝を確保した。オランダにとっても船長にとっても嬉しい出来事だったんですが、でもその行為が「正義である」と対外的に証明する必要にせまられた。なんせオランダはスペインとゴタゴタやってはいたけど、ポルトガルと正式に戦争していたわけでもないし。下手すると海賊行為です。

でまあいろいろあった末、結果的にグロティウスは「戦争中に敵国の船を沈めても殺しても、奪っても罪にはならない」という大論文を作成した。かなり無理筋ですが、オランダ船はそのとき「戦争」をしていたのだという理屈です。

しかしこれが論理的に「戦争に殺人罪や強盗罪は適用されない」というコンセンサスのバックボーンになった。ついでですが、当時の認識として、戦争中なら兵士以外の非戦闘員を殺すことも問題なし。強奪強姦も問題なし。領土を奪うのも当然です。戦争という言葉さえあればなんでもOKだったんですね。それをグロティウスが堂々と立証した。

面白いのは、なんでもありの「戦争」なんですが、たとえば経済封鎖とか、非戦闘の意地悪や仲間外れは違法。やっちゃいけない。堂々と物理的に戦争しろ! いまと逆です。

これが「旧世界秩序」です。当事国は両方とも「自分が正義」と主張する。正義の戦いなら、何をしてもいい。また下っぱ兵士は自分が正義の側かどうか判断する方法がないので、ま、とりあえず正義という立場で戦う。そうした兵士を罰するのはおかしいから、やはり兵士は何をしても無罪。で、勝ったほうは賠償金をとる。領土をもらう。当然です。戦後になってから「あの土地、返して!」はない。負けたのが悪い。

ペリーに脅されて、この「旧世界秩序」の仲間入りした日本です。勉強して、先輩の真似してせっせと頑張る。日清日露。しかし日本(ドイツ、イタリア) がせっせと頑張っているとき、世界の主流は変化していた。つまり悲惨な欧州大戦の反省として生まれた1928年のパリ不戦条約です。

180度の大変化。ルールがかわっていた。戦争は犯罪だ。物理力の行使はいけない。そのかわり経済封鎖するとか、みんなで仲間外れにするとかならOK。完全に逆ですね。ちなみに新規の侵略はいけないけど、過去の侵略は大目にみる。大国の植民地なんかはもちろんそのまま。ずるいけど獲ったもの勝ち。

そんなバカな・・・とタカをくくって従来路線をゴリゴリ突っ走ったのが満州事変とか国連脱退なんですが、予想外に世間の空気は冷たくて、ま、いろいろあって日本は孤立する。(ほんとは世界列強も日本の処置に困っていた。「新世界秩序」も一枚岩ではないし、さほど自信もなかったらしい)

・・・と、このあたりまで読んだところで返却期限がきた。うーん、読むのが遅くなったなあ。なかなか面白い本でしたが半分くらいしか読めなかった。また機会があったら借り出します。

面白い実例。第7騎兵隊がスー族を殺しまくったウンデット・ニー虐殺の直後、仲介におもむいた士官がスー族の若者に後ろから射殺された事件。殺人罪として裁判になったが「当時は戦争中だった」との認識から無罪になった。平和時なら殺人だが、戦争中なら単なる戦闘とみなされる。もしこれが「殺人」ということになると、直前のウンデット・ニー虐殺の指揮官もまた殺人の罪に問われなければならない。というわけで公式には「虐殺」ではなく「ウンデット・ニー戦争」の呼称。