「お言葉ですが... 別巻7」高島俊男

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連合出版★★★

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「お言葉ですが」の別巻はこれが最後。副題は「本はおもしろければよい」2017年刊。

岡山の田舎(たぶん)に育った著者は、子供の頃からとにかく本という本を読みまくった。時代もあって、周囲に本というものがあまりなかったのです。

面白いから読む。当然といえば当然なんですが、それが違ってきたのは岩波という出版社に出会ってから。岩波は「これこれの本は読むべし」と教える。面白いからではなく、読むべき本だから読む。義務感で読む。読書が自由ではなくなった。

なまじ権威ある指針が示されたので、読書の楽しみが少し減。つまらんことです。だからかな。高島さんの書いたものには常に岩波に対してなんとなく含むところが感じられる。

でもやはり面白いからという理由で読みたいですね。そんなことでつけられた副題でしょう。本の後半はいろんな「面白い本」の紹介です。

そうした本の紹介とは違いますが、「山羊」はなぜ「ヤギ」なのか。この章はややこしいけど面白かったです。そもそもヤギは日本にはいなかった。で、どうして「ヤギ」になったのか。「山」の「羊」とはどういう意味なのか。中国ではどうなのか。かなり頭が混乱するような説明が続きます。短い文章で紹介するのは不可能。説明できないけど楽しかった。

幸田露伴について。ものすごい記憶能力をもった怪物です。昔はこうした巨人がときどきあらわれた。鐘に血をぬることについて寺田寅彦から尋ねられた露伴は、たちどころに脳内の巨大データベースを検索。古今東西、あらゆることころに書かれている。もちろん一言じゃ無理なんで、翌日だったかな、たしか50枚ほどにまとめてアウトプット。

ただし寅彦はそんな古今東西に関心なし。鐘に血をぬると油分が1分子の皮膜になって覆う。それで鐘の響きがどうたらこうたら。それだけの関心だったので、50枚アウトプットは迷惑です。そうした経緯で、露伴の家にこの50枚文書(枚数は適当)が残されたらしい。

内モンゴルについて。最近ウイグルでの迫害(民族ジェノサイド)がニュースになっています。チベットではずーっと前からですね。中国としてはそうした辺境(自治区)がおとなしく「中国国民」になってほしい。中国語をしゃべって、漢字で文章を書いて、宗教を捨てて、共産党をたたえてほしい。

それにしては・・と思い出すのが内モンゴルです。内モンゴルの弾圧とかジェノサイドとかあんまり聞かないなあ。あっちは平和裡に吸収できたんだろうか。

もちろん、とんでもない。接する外モンゴルはソ連下でした。中国とソ連はかなり険悪な仲。で、いったん外モンゴルが攻め込んでくれば、たぶん内モンゴルはまっさきに歓迎・降伏するだろう。だいたいあそこには知識人がけっこう多い()。知識人はいちばん信用できない連中だぞ。

・・というわけで南から漢人農民が進出し()、現地民は知識層を先頭として、どんどこ抑圧。しかし外部に発信するような層が最初に消えてしまっているので、外界にはあまり情報がもれない。インターネットが普及するずーっと前の話だし。ま、そういうことだったろうとのことでした。納得。

なんせ満蒙の地です。ずーっと前から日本化して開けていた。だから危険地域。
このへんのことは中国人作家の「神なるオオカミ」という本でも紹介されていました。内モンゴルに進出する中国農民の感覚では農地拡大・食料増産は国家方針です。しかしその中国方式は草原にまったく適合しません。結果として草原の薄い表土は疲弊し、何百年のバランスを保ってきた緑は消え、遊牧民たちの姿はなくなってしまう。