「逃げ水」子母澤寛

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nigemizu.jpg徳間文庫 ★★★

上下巻といってもたかが文庫。それなのに読み切るまでけっこう日時を要した。子母澤寛だからなあ。平易そうで、実は難しい言葉がたくさん出てくる。子母澤さんの当時の読者だったら常識だったのかもしれない。

ふと思い出したのでは、たとえば「ぶっさき羽織」が出てくる。ほぼ見当はつくものの、あれ? ぶっさきはお尻だけだったっけ。まさかサイドベンツじゃなかったよな、とか。じゃ義経袴はどんなだっけ。切米二百俵って、多いのか少ないのか。調べてみると「二俵=一石」らしい。でも百石取りといったって実質は半分くらいのはずなんで、百俵とあまり違わないとか。ん? そもそも切米だったか扶持米だったか。これも違う。なかなか難しいです。

最初からずれてしまいましたが、幕末の三舟、高橋泥舟が主人公です。はて、本当に主人公かな。真ん中あたりからはむしろ新選組や近藤の話が多いかもしれません。

高橋泥舟は幕末の旗本山岡家の次男です。請われて高橋家に養子に入った。ところが山岡を継ぐはずの兄が若くして死んでしまって、しかたない、いまさら戻るわけにもいかない。で、実の妹の婿養子として来てもらったのが小野鉄太郎(鉄舟)。つまり高橋泥舟の義理の弟が山岡鉄舟です。

死んだ兄も自分も槍の名手。やたら強かったようです。いろいろ道場のエピソードが出てくるけど、正直、よくわからない。いまの常識からしたら狂気の稽古をした。2貫以上もある稽古槍を1000回とか2000回とか突いた。7キロとか8キロの重さです。ひぇー。

ま、そうやって名を高め、新設講武所の槍術教授方。なんか好かれる人格者だったようで、どんどんどんどん出世する。とどのつまりは「従五位下伊勢守」まで行った。これはすごいです。

弟の鉄舟が清河八郎と親しかった。八郎、当時はかなり有名人だったようですね。ただ泥舟は清河をあまり評価していなかった。ケレン味を嫌ったのかな。それとも「しょせんは庄内の郷士」と思っていたのか。このへんも不明です。

成り行きというもので、例の浪士隊結成の際は取締役として京に登った。で、あとは御存じ、一部を残して浪士隊は江戸へ引き上げ。このへんの経緯、司馬さんなんかとは少し違って、なかなか面白いです。(司馬さんは司馬さんなり、ストーリーを省略したりピックアップしたりがけっこう多い)

で、徳川慶喜が逃げ帰ってからは恭順を説き、上野に謹慎したときは身近で警護した。有名な西郷への使者は山岡鉄舟ですが、最初は高橋泥舟の予定だった。ただ泥舟を出してしまうと慶喜の近辺に信頼できる人間がいなくなる。主戦派をおさえることのできるのは泥舟しかいない雰囲気だったんですね。うーんと悩んでいたので泥舟が「代わりに義弟の山岡鉄太郎」を推薦した。

このへんも複雑です。そもそも山岡は「慶喜の使者」だったのか。解説の中には「勝海舟の使者」と書いているものもある。いろいろです。ただ山岡が気をきかせて勝のところに事前相談に行ったのは事実らしい()。後年も泥舟はあまりしゃべらない。海舟はやたらしゃべりまくる。真偽はなんともかとも。

それは別として、主役の高橋泥舟という人が、よくわからないです。ヤクザも老中も、なんでみんなが信頼したのか。また、旗本といっても高橋は幕末に生きた都会っ子です。子母澤さんがしゃべらせている高橋のセリフなんか調子が軽い江戸弁。ベランメエで粋な感じはあるけど、あんまり「人格者」という重々しい雰囲気になりません()。

ともかく終始一貫、芯は「勤皇攘夷」の人ではあったようです。でもその信条と実際の行動がどう合致しているのか。慶喜ともスレ違いがあったようだし。ま、少なくとも「自分は徳川家の家人である()」という根本スタンスは変えなかった人なんでしょうね。だから新政府に仕えるなんて気は毛頭なかった。

 

指名を受けて山岡鉄舟、欣喜雀躍。すぐさま帰宅して一升飯を炊かせ、たべ終わるとすぐさま出立・・・ではないようです。勝のところにも行っているし、友人から刀を借りてもいるし、薩摩の益満休之助も連れているし、いろいろ準備がある。なんせ幕末です、テキパキとそんなにスピーディだったとは思えない。

有名な話らしいですが、後年、義弟鉄舟の死後、莫大な借金を肩代わりする際「この顔が担保でござる」と見栄をきった。みるからに江戸っ子の言葉ですよね。「従五位下伊勢守」の言葉ではない。

「トクガワケ」ではなく「トクセンケ」と読んでください。雰囲気がかなり違う。