夜中にふっと目が覚めて、どうでもいいこことをダラダラ思い出すことがある。ややこしいこともあるけど、なんせ夢うつつです、なるべく単純なこと、たとえば古い歌の歌詞とか。
たとえば「Oh my darling Clementine」のこととか、「絵もない花もない居酒屋」とか。
昨夜はなぜか「十七、八のねえさんが」だった。えーと、てまり唄でしょうね、一かけ二かけて三かけて......とか。記憶のなかでは橋の欄干に十七、八のねえさんが腰かけていて「わたしは九州鹿児島の西郷隆盛娘です」と名乗る。なんか筋がまとまらない。
十七、八のねえさんが腰かけて、はるか向こうを眺めるのだったかな。ん、これも整わない。
珍しく日中に思い出して、調べてみました。唄なんでバリエーションはいっぱいありましたが、たとえば『下松市の民話・伝説と民謡』版では
一かけ二かけ 三かけて 四かけ五かけ 六かけて
橋の欄干に腰かけて 遥か向うを眺むれば
十七八の姉さんが 片手に花持ち 線香持ち
お前はどこかと問うたれば
わたしゃ九州鹿児島の西郷隆盛 娘です
『鳥取博物館』版では米子市富益町の採集として
一かけ 二かけ 三かけて 四かけて 五かけて 橋をかけ
橋の欄干手を腰に はるか向こうを眺めれば
十七、八のねえさんが 片手に花持ち 線香持ち
もしもしねえさんどこ行くの
わたしは九州鹿児島の西郷隆盛 娘です
けっこう違うんですね。でも筋は論理的になりました。橋の欄干に腰かけて いたのは姉さんじゃなかった。十七八の姉さんが橋の欄干というのはけっこう絵になると思っていたんですが。残念。